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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2023.07.08 (Sat)

正直、自業自得で殺されたに等しい、権力者の「一周忌」どころでないわ。

【続】「政府答弁書」を報じる記事で騒ぐウヨw

「感染者を抑えて」(←byヤフゴミん)とは何か。

 

禍々しい暗雲を、この国の上に たなびかせ、結果、ああいう忌まわしい虐殺事件が引き起こされた。

 

ずっと前から、例の『津久井やまゆり園』の事件後、新しく建物が完成というニュースの添付写真が、心の底に引っ掛かっていたもんで、最近も、少々、調べてみた。

と言っても、主に、慰霊・追悼の場として設けられている箇所についてなんだが。

遺族や家族会、施設職員も含めた意見を取り入れて、あのようなデザインになったらしいんだけど。。。

なぜ、ああいうデザインにしたのか、
写真を見た瞬間、うわっ!と感じた私には、いまも理解できないでいる。まあ、しょせん、外部の者なんだし、現地へ赴いて見たことが ないから、なんだろうか。

 

 

さて、

前回のエントリーで、「仕事が できない」人の大きな特徴として、「優先順位」にかかわる能力のことに触れておいたわけだが、これについても、旧ブログや、数年前の過去エントリーで指摘してあるよ。

【続】「天才」ゆえになされることとは

「仕事が遅過ぎる人」。。。

【続】「料理嫌い」の言い分つれづれ

 

でね、

その「優先順位」というものの置きかたに、その人の性格が如実に出るわけなんだけど、

私が、自分の身近で見てきた、かつ、迷惑を被ってきた人たちに、根底で共通していたことが ある。

それは、

「みえっぱり」で「体面を繕う」結局「自己保身」のカタマリ

ってこと。

 

ということは、取りも直さず、劣等感や怯え、小心の背中合わせってことでもある。

だから、

自分より弱い立場の者の足を引っ張り、踏みつけてでも利用することに躊躇がない。

彼ら彼女らの心底には、自分こそが最も被害を被り易いという不安や恐れと同時に、これを逃れきっていかねば ならぬ、という強迫性、

または、本当の被害者なのだという怨嗟を、すでに抱えているから。

 

もちろん、そこに、実際的妥当性が あるのか否かとは無関係だ。

基本的に、自己愛が激しいからなのね。

 

先日のエントリーで、あらためて言っておいたことに加えると、

私が、多くは宗教や「スピリチュアル」などに傾倒している人に共通した偽善的で無自覚な自慢コメントのなかに頻繁に出てくる「来世」云々という主張がキライなのも、その単語とセットになってるのが「前世」ってコトバだから。

自己愛や自己チュウが激し過ぎて悪いことしてきた、勝手なやつほど、免罪符がわりに利用するしね。

 

 

うちの親父なんかも、仕事が できる、頭キレる、といった定評を、周囲から得ていたわけだけど、

母親が倒れたときの行動などから、決定的に、

娘の私だけが、ただ一人、「はなはだ疑わしいぞ」と思い続けて、いまでは、ある意味、最もバカだったんだとハッキリ結論してますw

そのヨメさんである、私の母親と共にね。

よく吊り合ったバカップルww

 

さしづめ、「ガッコの勉強できるバ官僚」に近いタイプだったな。

 

でもね、

まったく逆の視点から見れば、

と言うのは、

自己中心こそ最高に賢い生きかた、とする価値観と言うか、

自己チュウ、自己保身せずにいられない性分・性格の人から見れば、ということなんだが、

その視点でしか見ない、見えない人には、たしかに「できる」「頭の切れる」人だと思うに違いないよ。

自己チュウや自己保身ぶりだけは、めっぽう、要領がイイからですw

 

さてさて、

倫理観や哲学精神の欠如については、大先輩である『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』に負けてない、名前負けなんてもんじゃない、維沈wあ、いや『()維新』の、引退なんて名ばかりな欺瞞コンビ、橋下・松井コンビが、今度は、おのれのヨメさんらまで駆り出して、悪だくみを開始したらしいね()

さすが、あのケケ中氏がバックについてるだけのことは あるわぃ(()

 

昔から、権力筋に対して反発・反骨精神を誇った、かつての大阪人は いずこに消えたやら。。。なさけないかぎりだ。

悪人とボンクラ――最近の世相を眺めて思う

 

 

ところで、

馬とかアヒルなどが関係する「伝統行事」が、あちこちで問題視されているらしい。

当ブログも、このエントリーをアップしてあるのだが、

【続・続】近ごろ、だいじょうぶかよ?と思うこと幾つか

 

相変わらずバカの巣窟「ヤフゴミ捨て場」では、案の定で、「伝統!」「伝統だいじ!!」と叫ぶ投稿者だらけのなか、
極めつけのアホが言う。

不快に感じる人が少しでもいるならやめるべき理論が通るなら、伝統は守るべきって人が少しでもいるなら続けるべき理論もありなんじゃないの?」「何でもかんでも時代だからと伝統を変えたり、盲目的に少数派に迎合する必要あるかな?

以前も指摘した、たとえば『LGBTQ』などについて、ウヨらが言い張っていた「認めないことを認めろ!」っつうのと同じような類の、こういう、矛盾を矛盾と、豪も自覚できない低知性。

論理性皆無のくせに、自分では論理的意見を言ってるつもりの甚だしいウヌボレ屋。

 

では、読者の皆さん江。

「伝統」というキメゼリフの重みって、いかほどのものなんだろうか。

 

この指摘に対しては、どう考えますかね?

たとえば、実際、そういう主張を された『宮』さんも おられたそうだけど(寛仁氏だったかな?)

『側室』制度の復活を!

まさに伝統なんじゃあ~りませんかw

なぜ、やめちまったんでしょうねえーww

 

もっとも、ごく一部には、復活させろと大真面目に主張している人たちも いるみたいよねw

 

でさ、

たとえば、どこかの国や地域や民族には、外国人などを襲って殺して、食っちゃったり、生首なんかを並べ立てる伝統が ある(あった)わけよね。

 

『仏教』では、殺傷を つよく戒め、蚊も殺しては いけないとかいう教えなのだそうだが(詳しくは知らないけど)、私だって、そこまで徹底した事は できないわ。自分にとって、あまりにも不快度が甚だしいことまでも耐えなければ いけないのなら、精神的に疲弊して、ノイローゼみたくなるだろうし、とうてい、ふつうに生活していけない、それならば、いっそ、自分が死んでしまうほうがマシだとすら思うだろう。

なので、とにかく、まずは、こちとらの つつましい生活圏に入って来さえしなければ、それでイイんだけどもね。。。

 

 

宗教上からの「男尊女卑」的制度を、いまだに堅持しようと、人権無視や暴力的手段も辞さずして、世界的に顰蹙を買い、「先進国」を中心とした各国から、距離を置かれ、このままでは、いろいろ不都合が出てきて、国際的に やっていけないので、なんとか表面だけでも取り繕おうと、自分の足もとの煩い仲間からの猛反発を かわすのに四苦八苦している国のトップとかさ。

 

いやいや、

ガンバって、自分たちにとっては大切な大切な「伝統」を固く守り抜いたらエエのとちゃう?()

顰蹙を買おうが孤立しようが何だろうが、「伝統」と心中したらエエですがな(()

 

 

さて、これは、「ヤフゴミ捨て場」には非常に珍しく、知性やバランス感覚や良識を備えたと思しき、ごくごく僅かな常連の一人がボヤキを呟いているのを見かけたので、私が解答してさしあげましょう。

「夫婦別姓」などの選択制度について、頑強に反対する人たちがマジで理解できないと言うのです、その人は。

 

たぶん、もちろん『自民党=本名:ダッピ統一壺売国党』や『日本会議』系等が代表格だろうけど、そういう、噴飯ものの時代錯誤を、なぜに、顰蹙を買うのも かまわず、わざわざ、頑強に言い張ってやまない連中が存在するのか。

恐らく、「伝統が」というのは、表向きだす。

 

要するに、

その一部の人々にとっては、あくまでも管理対象でしかないんですわ、タテマエ上は「有権者国民に選ばれた」はずの政権と、そのトリマキの意向にとって不都合な庶民国民(および、お飾り役を素直に果たそうとしない『皇族』をも含めて)というものは。

だから、選択の自由を奪いたがるんです。

 

シモジモ庶民国民ごときに、それどころか、自分たちの意に沿わないならば、『皇族』でさえも含めて、

選択の自由を与えては ならないということ、

つまりは、
管理するべき対象だと考えてるからなんですよ、(なりあがり)特権階級や()「上級国民」を自負する彼らは。

これを撥ね返すには、われわれ「庶民」を中心に、国民全体の知性が必要なんだが。

勲章やら特権階層やらへの批判や揶揄について

 

私は、いわゆる「ミギ」や「ヒダリ」の拘りなんぞ、とうに時代錯誤、くだらないと思ってるのだが、
最近は、しょせんベターの域を出ない『民主主義』が、イコールで「愚衆政治」に陥ってしまう危うさも心配していて、だからこそ、これの解決には、最も困難であるけれども、「主権者」たる国民全体の知性を向上させていくことが不可欠で、それしかないということも言ってきてるんだけど、

しかし、およそ教育というものも、国家権力しだいだからねえ。

 

 

最近、フランスでは、移民問題にかかわる暴動が、またぞろ勃発しているというので、この過去エントリーも挙げておこう。

鹿島センセイ、質問です(笑)

 

 

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