2019.08.24 (Sat)
『「料理嫌い」の言い分つれづれ』の続き。
ちなみに、
母親は、口に合うとなったら、がぜん、器ごと、自分のほうへズズズィっと引き寄せる癖が あったw
「わたしは病弱だから」
というのを理由にしていたが、
親父のほうは逆で、
自分一人だけ食べるのは、なんとなく、気が引けるのか、
晩酌しながら つまんでいた刺身を、横に座り込んだ猫が、穴の あくほど凝視してくるのを見ると、息が詰まるかのように、うぐぐ、、、と、ヘンな、あえぐような呻きかたを して、しかたなく、猫にも一切れ、また一切れと、大事な刺身を渋々、与えていた(笑)
猫のほうは、もらった刺身の一切れ一切れを、些かも味わっているようすとて なく、ただちに呑み込み、ただちに次の一切れを期待して待ち構えるのみw
なんだろうなあ、、、
「世話焼き」を自任していた母親は、兄弟姉妹が多いなかでの長女、
酒乱の親父は、養家先の一人息子として育った、という違いは あるんだけど。
心理的にオモシロいなと思う。
ちなみに私は、犬や猫が欲しがっていても、わりと平気で無視できる。
それは、自分の食事よりも先に、犬や猫たちの食事をシッカリ済ませていてこそだが。
それ以降に欲しがるのは、あくまでも「おやつ」「間食」「おねだり」に過ぎないから、むやみには与えない。
あんまり欲しがると、部屋から追い出し、入って来れないようにするのだが、そうすると、猫は拗ねるわ拗ねるわ(苦笑)
また、私がフシギと親に似なかった大きな点の一つが、
いわゆる「精が付く」とされるような食材は、生まれつき弱い おなかを、かえって こわしてしまい、あとあとまで影響が長引くこと。
動物性のものに限っては、いろんな側面(=見ため、食感、その他)からも、好き嫌いは多いのだが、
植物性のものならば、ほぼ100パーセント、食べる。
ただ、以前は、タマネギなどは、火を通さずナマのままであれば、一口も食べられなかった。タマネギそのものは大好きなのだが。。。
このように、どうしても、体質に合わないものも少なくない。
何でも食べろ!と強制すると、命にかかわる場合も あるのだ。
もともと、食べることに対する欲求が あまり つよくない子どもだったことも、親に似なかった。
そのせいか、夏場の夕食などは、ご飯の炊ける匂いが漂ってきただけでゲンナリしてしまい、よく、夕飯は いらない、と言って、叱られたりしていた。
出産予定日を大幅に過ぎてから、大変な難産で生まれたせいなのか、たしかに、平均よりも妙に大柄な子どものくせに、いつもダルく、虚弱。
いまでも、夏の暑さには殊のほか弱いので、昨今の暑熱の異様な高まりには、心臓の調子まで狂ってきそう。
なんせ、あたしゃ、冬生まれだからね溶けちゃう(笑)
なんだかんだ言っても、
食べることに欲求が つよい人は、その分、エネルギッシュである。
うちの母親も、生まれつき病気が多いというのが、にわかには信じられないくらい、活動的だった。
真夏の昼食などには、よく、「冷やし中華」や「そうめん」を用意してくれたが、母の場合、自分自身の欲求で、「冷やし中華」には「錦糸卵」などの具材を盛りだくさん、「そうめん」なら そうめんで、それだけを用意するのは、本人自身がガマンならなかったようで、必ずと言っていいほど、これまた盛りだくさんに各種の天ぷらなども添えることを厭わなかった。
冷房の届かない台所で(「届かない」というよりも、換気の必要から、冷気が勿体ないと、台所の出入口を閉めておくので)、火を使う作業後、つくるだけ つくった、せっかくの麺類なのに、自分が食べるのは あとまわし、まずは汗を流さねばと、シャワーを浴びに走っていた。
もともとは低体温で、汗を かきにくい体質のはずなのに、真夏の調理というものは、それくらい大変だということが察せられたものだ。
で、
つくった本人も、やっとこさ、食べ終わったら、やれやれ、一件落着!とばかり、ひたすらゴロゴロし始めるので、あとの洗い物などは、ほぼ私が一手に引き受けていた。
見かねた親父が やろうとすると、
「ほっといてよ!!」
と、母親は激怒するんだわ、これが。
幼い時分から、掃除や洗い物などは勿論、親の靴磨きに至るまで、料理は ともかく、それ以外の家事全般、母親の体調を気遣って、私が手伝うことが多かったので、たまに、それを見た近所の人などが、うちの母親に向かって、
「あんたとこの○○ちゃん、よーく仕込んであるなあ~」
と、ほとほと感心していた(笑)
母親に言わせれば、
「それくらいのことして、バチは当たらん」
と、それだけ。
要するに、ほぼ「女中」「下女」あつかいなのだ。
まさに『白雪姫』か『シンデレラ』かw
ところが、トイレ掃除だけは、むかしから、なぜか親父が毎回やってた(笑)
母親も、これについては、黙って やってもらってた。
ついでに、
母親の足の爪切りも、親父が やってあげてた(笑)ので、その理由を聞くと、はなはだ おデブだった母親の腹が つかえてw自分では、足の先に、爪切りが届かないからだそうな。それで、
しょうがなく、親父が代わりに、プチプチ切ってやるのだが、
母親には、それでも なお不満が あり、
「おとうさん、最後の仕上げに、いちおうヤスリかけてくれることは くれるんやけど、5本の指を同時にグワッと握って、イッキにヤスリかける、フリしてるだけやんか」
と、文句を言っていた(苦笑)
それから察するに、
狭いトイレ内の掃除も、母親の体型では、困難が あったためだろうかと思う。
むかし、親父の顧客の一人である、さる中小企業の社長さんが、帳簿を見てもらうため、心尽くしの手土産を手に、うちへ訪ねて来られることが時々あったのだが、そのおりも、用件が済んでから、しばしの雑談を楽しんでおられた。
親父が、話の流れのなかで、トイレ掃除やら朝の布団の かたづけまで、自分が やっとりますわい、と、おのれの女房を横目に、イヤミたらしく、自慢たらしく言ったところ、いつも温厚な社長さんは即座に、
「なにを おっしゃる!ワシかて、それくらいのことは やっとりま。まして、奥さんが、からだ良くないんやから、アタリマエだっしゃろ」
と、うちの親父を諌められた。
昭和の時代、すでに老齢に入っていた男性が、ですよ。
しかも、大阪のなかでも、かなり古臭い気風の残る地域の。
ちなみに、この社長さんは、昔(戦後すぐあたりかな?)、まだ とても貧しかった若い頃、大阪の最南部から大阪市内までの道のりを、大八車か何かに商売もの積んで押しながら、毎日てくてくてくてく歩き通したというほどの凄まじい根性の持ち主だった。体力も凄いわね。
なお ちなみに、
私のほうは、中学生頃まで、自分の耳そうじを、兄にやってもらっていたwもちろん、兄の膝枕でww
「耳かき屋」の男性バージョンかwww
それを見た親父が呆れて、どっちが兄で妹なんだか、と苦笑していたが、
兄のほうもヘンな凝り性でw綿棒なんて市販のシャレたものは うちには ないから、薬箱の常備品だった脱脂綿を ちぎって湿らせ、マッチ棒の先端に巻き付けて、最後の仕上げは、それで丁寧に拭ってオシマイとしていた(笑)
さて、話を戻すと、
むかしの先輩格の同僚と、料理についての話題になったとき、
その同僚の甥っ子が小学生の頃、嫁いだ姉らとともに、実家に訪ねてきたおり、お寿司か何かの出前を注文し、そこで「お吸い物」くらいは つくらないと いかんかな、と強迫的に思い立ち、がんばって拵えた それを、
くだんの小学生の甥っ子に ただ一言、
「…まずい!」
と断定されてしまったんだそうな。
その話を聞いた私は、苦笑しつつ、さも ありなんか、と内心で思った。
というのは、彼女、仕事が できない人だったから。
そして、
文字どおり、「強迫」的な性格だった。
もちろん、クソが付くほど真面目なわけよ。
もう一人いた先輩格の同僚も、それに輪を かけてと言うくらいに、もっと甚だしく、仕事が できない人だった。
毎日、なかなか豪華な お弁当を持参してくる。
くだんの、まずい お吸い物を拵えた同僚が、ある日の昼休み、
「その お弁当は、いつも自分で つくってるんですか?」
と聞いてみたら、おかあさんがつくって、持たせてくれる、とのことだったと言うので、私は、
「そりゃーそうでしょう」
と、やっぱり思った。
本人が、自分で つくれるわけないし、その気もゼロでしょうよ、と。
ぜったいに そうだ、とまで言う気は ないが、
と言うのも、
私自身、料理するのが酷くメンドウになってしまうのは、
体力と気力の問題に加えて、
およそ「段取り」とか「要領」というものがマズイ、という自覚が あるからなのだ。
くだんの同僚たちについても、こんな私以上に「要領の悪さ」が甚だしかったゆえである。
【続く】