2019.08.24 (Sat)
河野さんの時計で大騒ぎw
…昔はねー、「金時計」というのは、いわゆる「成金」のシンボルみたいに思われてたみたいよね。
漱石の『猫』とかに、そういうシーンが出てきたような記憶が ある。
で、
「竹」が「金」に見えたんだとwどこかの「ツイ民」とやらの目にはww
もっとも、あくまで写真を見ての誤解だったわけだが。
「日本民族」なんてコトバ(そんなもん、ないわ!w)を振りかざしてる時点でね、あさはか度合が知れますわな。
金でも竹でもエエがな、その人のセンスやろ。
あくまでも、場違いとか、先さまに失礼にならんようにしておれば。
私もね、別に自慢するつもりは ないのだが、事実として、たとえばガラス玉のアクセサリーを つけてたら、なぜかダイヤモンドと間違えられたりすること多い(笑)
それが、たまたま赤い色のものだったら、ルビーだと思われちゃう。青い色ならサファイアね(爆)
ごく若い頃から そうだったんだけど、
なんでやねん??と思ってたら、
「あんたって、どこか気品が あるから、そのせいちゃうか」
と言われたこともある。うふっぷふフ。。。ふはははwww
なにが可笑しい!!
もーちろん、たまたま、写真上で映ったものが誤解された、というのとはワケが違うで。
あくまで実物を目の前にしてのことだ!w
それで、
そういうカン違いを言われるたびに、
「これ、ガラスやでえ~wエヘヘ」
と苦笑しながら正直に否定するんだけど、
そんなことより何より厭だなあと思ってきたのは、ねたまれることも多いからなの。
だから、
河野さんが、へんな誤解を正したいと思ったのであれば、その気持ちは理解できる。
まあ、時計の件で、まさにイチャモンつけた「ツイ民」は、とんだオッチョコチョイと言うか、思い込みが激しいんだなとは、私も思ったけど、
「ひょっとしてワザとかな?」
と思えるほどの、あまりに浅はかな流れw
このイチャモンに対して、毎度の「パヨク」だ「韓国」だと決めつけて糾弾している連中だって、しょせんは同レベルでしょ。
ついでに少々。
最近、韓国が、日韓間の軍事的協定、『GSOMIA』(グソミア?w)というのか、それを破棄通告してきたというんで大騒ぎだけど、
いよいよ思ったわ。
「やっぱり、どーこが『外交の安倍』?またしても、国民をリスクに さらしおった」
とね。
もちろん、韓国も愚かしいと言うべきなんだろうが、先方には先方一流のリクツの構成や言い分は あるんだろう。
要は、
「報復」では ないよ~「報復」でないよと言い募る日本の本心のところを、韓国だって見抜いてるんだ。
だから、それなら!と、向こうも意趣返し まる出しに動く。
日本はね、私は常々このように察するところを指摘してきたが、
せめて「感情的」には見られないようにと、そこのところだけはチマチマと計算めぐらし、表面的には「感情まる出し」と言われないように小細工する。
これを、日本ごときじゃ足もとにも近づけないくらいにスケールでーっかくしたのが、少なくともトランプさん以前までのアメリカだw
ところが、
韓国は、本心を敏感過ぎるくらいに敏感に察知する(←劣等感やコンプレックスが深い人の特徴でもある)と同時に、やみくもな反応を素早く返してくるとき、日本のような計算やら小細工なし、いきなりの文字どおりの剥き出しに差し出してくる。
その違いなのよw
だから、
畢竟、行きつくところは、どっちも感情的なのであって、よく似てるよなあと言うわけ。
なお ついでの付け足し。
先日、これも大騒ぎになった『表現の不自由』とかいう催し物について、当ブログでも話題にしたが、
自分が展示会場へ出向いて行ったわけでは ないので、その他の展示物については、『天皇陛下』の「御真影」を燃した!燃した!と糾弾されてる作品のことくらいしか知らない。
ただし、この作品については、ある識者が、
「天皇の写真そのものを燃やしたのでは なくて、作者の心象表現のなかの一部分なのであって、『燃やした』ことになるのは、作者自身の内面的全体ということ」
というふうなことを指摘しておられたにもかかわらず、
「ヤフゴミ溜め」は勿論のこと、他の一般記事などでも、「天皇の御真影を燃したー!!」という解釈を頑として変えることがないようすだ。
ただ、とある作品の場合は、兵士へ贈るような『日章旗』に寄せ書きしたものを名付けて『間抜けな日本人の墓』とかとしているというので、これでは、「表現の不自由」に当たるのかなあ?剥きつけた、アカラサマに過ぎると言うべきなようなのだが、と、私個人的にも疑問には感じた。
さて、くだんのエントリーにおいて、
「『従軍慰安婦』の象徴だとされる少女像と並べ、『ライダイハン』の象徴像も展示したら?」という旨のことを述べた。これは、すでに言ったように、「普遍的スタンスに中心的視点を置いたもの」であって、国家どうしの政治的争いに直結させたものというよりは、「普遍」の問題として示唆しているのだろうと受けとめているからである。
要するに、
戦争というものは、古今東西、主として男どもが やりたがることなのであって、
戦争となれば必ずのように、『従軍慰安婦』もレイプも生じる。
戦争とは、男ならではの獣性が大っぴらになっても、一切、咎められないどころか、積極的に発揮できる大舞台なんだということを、私は、何年か前に指摘したけれど、
時代とか国の違いなんか関係ないのだよ。
共通点は、男のサガみたいなもんだということ。
そんな男のサガにホイホイ付き従うような女どももバカだけどさ。
【続く】