2025.07.06 (Sun)
『給付か消費税減額か、それが問題だw』の続き。
さて、
『物品税』は、『奢侈税』とか『贅沢税』とも呼ばれるのだそうだが、
たしか、私が20歳代まで残っていた制度だった。
実施したのは竹下政権のときだったかね、もともとから、導入時に猛反発を招いていた『消費税』、たしか旧ブログでも、リアル タイムで見た回想を述べたことが あるのだが、私が20歳代だった当時、どこかのテレビ局で、一般の視聴者たちをスタジオに集め、そこで、担当官僚だという男性を取り囲んで、質問攻めとか不満を ぶつけさせるみたいな内容の番組を やっていたのを、いまでも憶えている。それらの質問に対して答えている官僚氏の態度が、なんとなく冷笑的で、答えの内容も、まさに詭弁というものやヘリクツじゃないかと思えるていのものだったので、私は、
「ああ、なるほど、これが、官僚ってものなのか」
と、
なかば呆れながら思ったことだけが、いちばん鮮明な印象で残っている。
で、
昨今は、ますます、『消費税』を問題視して、不満を言い募る人が増えたようだけれど、その人たちに聞いてみたいと、最近も思ったのは、
ほんの数年前、『立憲民主党』の枝野さんが、『消費税』減税を掲げようとして、結局、あっさり引っ込めてしまったことを憶えてないのかいな?ってこと。
どうやら、有権者全体の反応が、予想外に鈍いので、という理由で撤回したとも記憶にあるのだけれど、
当時も、うちのブログで、その問題を取りあげて、私は、このように述べたと思う。
要するに、
消費税のことで苦しんでいるほどでもないのか、まだまだ、それなりには余裕が あるという世帯が実際には大多数であるならば、枝野さんの提唱に対して反応が鈍いのも当然だろうけれど、それだけでも ないとしたら、
消費税を減らしたとか、いっそゼロにしたところで、その程度では、どうにもならないくらいに、生活が苦しくなっている世帯が増大しているからじゃないのかなと。
あらためての先述どおりで、
私なんかも、ふだんの食料品などの買物で、レシートを確認するたびに、
「消費税分が なければ、牛乳もう1本、パンもう1個買えたのにな」
と思って、ため息が出ることも多かった。
でも、牛乳もう1本、パンもう1個、買えたからって、生活がラクになった♪感じは、まるで しない(苦笑)
買い足りない分は、一日2食から1食に、なんなら、一日絶食で調整することも多いけど、わたしゃ、生まれつき虚弱体質なもんで、「人間、いざとなったら、水だけで1週間くらいは もつ」と言われるようには、まいらない。
これは、若い頃に試したことが あってw1日くらいはガマンできるが、なるべく動き回らないようにしていても、2日目になると、かなり苦しくなる。
3日目に突入となると、ガマンどころでなくなり、安静にしていても、腕一本うごかすのも困難になる。
単にダルいとかいうレベルでは なくて、このままでは、動きたくても、動けなくなる!という、そうとう恐ろしい予感に迫られた。
なので、
「餓死」とは、どれほど苦しいものであろうかということも、身をもって理解している。
もうね、ふつうに起き上がることも できなくなってるから、ベッドから床の上へ、敢えて転げ落ちるようにして出て、そのまま、台所の冷蔵庫の前まで這いずっていき、手当たりしだいに、そのまま食べられるものを そのまま口のなかに押し込みました。キュウリなんかも、1本まるごとで、そのまま齧りましたw
その後、また這いずってベッドまで戻り、一日、昏々と眠りました。目覚めたときには、なんとか、まあ ふつうに動ける状態に回復してたけど、いまだに、二度と同じ状態に陥るのは恐ろしいと思うほど強烈な体験の一つだったので、やむを得ず絶食するにしても、試してみて分かった自分自身の限界を超えないよう、ぜったいに、二日連続には ならないように、週に一日ずつというふうに分散してるわけww
でも まあ、こんなこと してると、どうしても、欲求不満みたいになってしまい、反動的に、つい多めに食べてしまっては、その分、絶食するしかないパターンにもなりやすいのよね(苦笑)
いつも食べ足りない感じを抱えていると、いわゆるジャンク フードで誤魔化し、貧乏人なのにデブ化しちゃってる人の気持ちもワカランでは ない。
さいわい、私は、もともと肥りにくい体質なので、そこまでには陥ってないけど。
でも、栄養不足の問題は、いつも、頭の片隅から消えない。若い頃のような無理も きかなくなってるからね。
話を戻して、さて、『物品税』。
私もね、わりと近頃まで、これを復活させたら どうなのかなあと考えていた。
もっとも、現行の『消費税』を完全に廃止してしまうのでは なく、食料品や日用品など、生活上の必需品には、消費税を外す代わりに、間違いなく「贅沢品」と見做せるものには、物品税を復活させて補うとか、そういう「二本立て」みたいな。
あるいは、同じ生活用品のカテゴリーでも、一定の線引きして、ある程度の価格帯から上の品物には、高め設定するとか、まあ、いろいろ考えてみたりしたのだけど、しかし、よくよく考えると、そんな単純には いかないよね。
そもそも、高品質の商品は、もとから価格が高めなのだから、やっぱり、消費税まで複雑に入り組ませずに、シンプル設定が結局は効率的にいく制度なんだろうね。
たとえば、一つには、生理用品、いわゆるナプキンのことが思い当たる。
昨今、生理用品すなわちナプキンを、公共のトイレなどにも、無料で常備しましょうよって呼びかけが目立ってきたとともに、提唱している人をバッシングしてるとかも聞くけど、
まあ、男子トイレにも備え付けるべきだとか聞けば、さすがに、ハア?ってなるのは私も同感だけど、
それよりも、正直なところ、自分の立場で考えてみると、どこのトイレにも普通サイズのナプキンを無料で常備してくれるとなっても、あの頃の私には、まったく、ありがたいとは思えなかっただろうなあってこと。
下半身がらみの話で、ちょっと気が引けるけども、私は、むかし、婦人科疾患を こじらせてしまって、毎月の生理のたびに、出血量が増加していく一方なのに、仕事を休むのが恐いし、たまの休日は、疲れ果てて寝込んでる。せっかく有休を取得しても寝込んでしまう。結局は、病院に行くこと自体が おっくうで、ずるずる後回しにしているうちに、悪循環が積み重なり、やがて、一ヵ月のうちの、たった1週間くらいを除いて、ほかの3週間ずーっと、生理中という状態になっていった。
しかも、加えて困ったことに、
ナプキンがね、ふつうのサイズや厚みじゃ全然、間に合わないから、いまほど、いろんな製品が揃ってなくて、まだまだ限られていた、あの当時としては特大サイズの、いちばん厚手のものを、ほぼ毎日、昼夜を分かたず使わなくては ならなくなっており、それでも、ひどいときには、ものの30分もたなかった。
当然、ひどい貧血。
それでも、ある日、会社の昼休みのときに、停まっている献血車を、たまたま見かけたので、献血しようとしたら、看護婦さんに、
「献血できる状態じゃないですよ!できるだけ早く、病院に行ってください!しんどくないんですかぁ?」
と言われて、そりゃ しんどいけど、、、と、内心で苦笑したものだが、
じつは、献血できるくらいか否かを、試せるかもと思ったのよw
もし、献血可能ならば、たしかに、すっごく しんどいけど、自分で思うほどには、ひどい状態には なってない、ということだろうとww
通勤途中の駅の階段すら上がれないほど、ふらふらになってたのにwww
さすがに、その後、病院へ行きました。
血液検査とかして、そのデータ結果に、お医者もビックリ、さも、呆れた~という口調で、
「基準値の半分以下やでぇ~」
と。
いま思い出しても、気力だけで生きてたなあ、とも、
われながら、無知でアホだったなあとも思うけど、
仕事帰りの買物で、いつものように、特大サイズのナプキンを購入し、
ついでに、効き目もない鉄分入り牛乳やホウレン草とかセッセと買って、吐き気を こらえつつ帰宅して、そのままベッドに直行しないで起きていられたときは、いっしょうけんめい、ホウレン草の お浸しとか作って食べてたわw
ところが、私は、親らには常々、ガマンが足りない、努力が足りないんだ、おまえは怠け者だから!と言われ続けてたのよ。
いまになって振り返ると、実際は、ガマンし過ぎる癖が ついてしまってたんだなあと思う。
実家に戻るくらいなら、死んだほうがマシだと思ってたし。
けれども、入院と手術が切っ掛けで、泣く泣く、実家の近くに戻ったあとは、母親のほうも、かねての持病が重くなっていて、何度も倒れ、入退院を繰り返している状態だったので、仕事のあとには見舞い(食事の介護や身体清拭も含む)のため、帰宅が深夜になることが多く、毎日、睡眠時間が2、3時間未満だった。
あの頃に、ふと、頭の どこかのネジが外れてしまってる感じがするなあ~と思ったことが あったのだけど、二十数年後になっても、いまだに、その感覚と影響は残っている。
【続く】