2019.08.24 (Sat)
『【続・続】「料理嫌い」の言い分つれづれ』の続き。
ま、最後はボヤキで締めくくっちゃうけどw
料理という一連の行為には、買い物から始めて、最後の かたづけまでを含め得るわけで、
私自身も、あれこれ考えたすえに購入してきた食材の下処理、特に冬場の水で洗うのは、指先が痛くなるほど かじかむのが辛い。
極度の貧血だった頃は特に。
そういったことを抜きにできるなら、単純に、調理自体のみであるなら、それほどの時間を要せずに済む方法を とれば、苦にはならないようにすることも可能だけれど、
台所が狭いという状況も、料理に とりかかるのが おっくうになりがちな原因として、たしかに、無視できない大きな要因だと思う。
切っていった野菜などの置き場にも難儀するようではね。
だから、なおのこと、事前の段取りとシミュレーションを やっておかないとならないわけ。
「セルフ ネグレクト」すれすれの、うつのアタマで やれることじゃないよ(苦笑)
一人暮らしの場合、じゅうぶんに広い台所を持っている人は、日本では珍しいほうだろうし、
食材も余してしまいがちだろうし(私自身は、好き嫌い激しいながら、意地でも、食べ物を残しませんがね。あくまでも自分が食べることが可能だと、すでに知っている、分かっている食材についての努力だけど。飽きた余ったなどの理由で捨てることは、ほぼ全く、ない。)
とかく、スペースに余裕が全く なく、狭すぎるという、日本特有と言えそうな居住上の縛りは、家事全般についての不利さに繋がってくると実感する。
特に調理は、体力も気力もないと、どんどん、おっくうになってしまう。
生活費のなかでも、逼迫してくると、真っ先に削減してしまいがちなのも食費だし、
疲労しているときほど、むしろ、食事は大事なんだけれど、かえって、真っ先に なおざりにしてしまいがちになる。
そして、ますます、健康状態がダウンする。
かつて、実家を出て、一人暮らしを開始してからは、慢性の睡眠不足を堪えつつ、お弁当を拵えて出勤していたのだが、
普通は「こんなの あり得ねえわ!」と言われてしまいそうなほど、つましい食材を、これまた手抜きしまくりで。そんな程度のものでも、がまんしていた病気が進行するにつれ、不眠症も、いよいよ悪化していって、ずっと続けていくことは できなくなった。
1秒でも横になっていたい、そんな状態では、料理や弁当づくりどころじゃない。
暴力を振るい、無責任だった親のために、いっしょうけんめい尽くしたとて、自分は、親と同じように高齢になり、弱った状態に陥ったとしても、誰にも何も頼めやしない。
自分ら自身の親の老後の世話は知らん顔していた うちの親だが、
ほんと、いいほうに回れたよなあ。。。
「因果応報」って、なにがあー?と思っちゃう。
世のなか、
まずまずの家庭環境で育っていても、平気で他人を巻き込んだ理不尽な凶悪犯罪を しでかし、親きょうだいの人生までも破壊する子だって いるのに。
つくづく思うわよ。
障碍のために合わない職種の仕事を終えてから、心身ともに疲れきった からだを押し、
母親が亡くなったあとの親父のため、どうかすると「フラッシュバック」を起こしかねない嫌悪感を堪えて、買い物と、好きでもない料理づくりに、実家へ通った頃の日々を思い出すと、
もう一回、ああいう生活に戻れと命じられても、二度と できないわ~。カンベンしておくれやす。
おしまい。