2019.08.24 (Sat)
『【続】「料理嫌い」の言い分つれづれ』の続き。
ただ、
これまたフシギなことに、
私は、要領が悪いわりに、大きな失敗は殆ど したことが ないのだ。
少なくとも、
食べられないほどにマズイとか「げろマズ」級の失敗は ない。
調理に とりかかる前、ある程度、レシピ確認とともにシミュレーションしておく、それを怠ったり、うっかり忘れたりしていて、作業途中に、順序良く いかなかったりすると、思わず、
「バカ!バカ!あたしのバカ~!!」
と、自分で自分のアタマを どつきたくなるw
それでなくても、うちの台所は狭いので。段取りを考えてから始めないと、収拾つかなくなる恐れが高い。
ところが、
もたもた、チンタラやってるわりに、できあがったものは、それなりで、
味として、けっしてマズくは ないのよ。
ちゃんと切っておいたはずの人参が、ぶら~んと繋がっていて、苦笑まじりに叱られたことは あるけどww
むかし、ある年の大晦日、
椎茸を煮ているあいだ、台所の掃除を同時進行させようとしてウッカリと、椎茸の鍋に、埃を混入させてしまった。
これでは食べる気になれないが、量も あるし、
いまさら捨てるのも もったいないと考えあぐねたすえに、いったん全部の椎茸を取り出し、鍋のなかも洗い、あらためて煮なおした。
それを、「年越し蕎麦」や「おせち」の具にするため、実家へ運んだら、
舌が肥えて、味にヤカマシイ母親が一口、
「うん、美味しい!!」
と叫んだ。
思うに、二度にわたって煮含めたためだろうか。「ケガの功名」かな?
そのあと、
今度は親父が つまんでみて、口をモグモグさせつつ、何を言うやら、
「ナマか?」( ・◇・)?
と のたまったので、「さも美味そうにパクつきながら、『ナマか』は ないやろがー!!」
と、アタマに来たw
母親は、なぜか、ニヤニヤしておった。
このように、ふだんは、食べることと調理に熱意ある母親だったのだが、
世間のコメントにも圧倒的なように、「つくってもらうほうが断然おいしい、毎日の義務となったら、厭気が充満してくる」という本音に窺えるとおりなのか、
たしかに、私が つくったものは、ちょっとでも批判できる余地ありと思えば、チクチク言い、あるいは、
横から口出ししていた自分のアドバイスが的確だったから上手く行ったのだ!と恩に着せつつも、
とにかく、ふだんに増した大喰いと化し、バクバク食べまくっていたw
これらにつれて思い出すのは、
若い頃からオツムの軽い、ハデっちい、家で料理なんか一切やったこともなかった叔母が、家庭を持つといった切っ掛けで、あるいは、
お世話になった人のために拵える料理が、いざ、やってみたらば、それなりに美味い出来だった、ということの意外性だ。
あれほど、「食べる人」専門、料理づくりを厭う人だったのに。。。
典型的な「やれば できる」ってやつなのだろうか。
もっとも、うちの母親は、
「あいつは、お米とぐときも、やれ、マニキュアが傷むとか言って、しゃもじ使って とぎよるわ、横着者が」
と罵っていたけれど、
その妹である叔母が、あるとき、こう言った。
「あんたの おかあさん(=私の母親)は、子どもの時分から、料理担当だったの。掃除はメンドくさがって、やりたがらないから、それは、私が担当してた」
なるほど!
母方の実祖母は、乳飲み子を残したまま、若くして亡くなったということもあるし、
だから、「苦手」と言うよりも、幼いうちから姉妹間で、自分のほうが得意とするところに従い、受け持ちが自然と決まっていき、
結果、インテリアにも凝る叔母のとこは、室内が常に小綺麗に整えられているのか、と思った。
いっぽうで、
うちの母親は、時々、親父が癇癪を起こすくらい、そして、私もイラ~ッとくるくらいに、家のなかをゴチャゴチャさせてしまうタイプだった。
やっぱり、親父とは異なるタイプの『発達障碍』の傾向なのかね。
出しっぱなし、放りっぱなし、開けっ放しの三拍子。
外出したあとの母親の部屋なんか見たらば、どろぼうが荒らしていったか?!と思えるほどの乱雑さ。
もともと、気が短いせいもあって、気持ちが外へ外へ向かってるときは、「立つ鳥」ならぬ、あとを振り返ることもしないで、ひたすら濁しまくって出て行く。
「散らかってるほうが落ち着く!」
と、ひらきなおった本人は言うのだが、
それでも、気の張る来客が ある場合などには、さすがにミエっぱりだけ あってか、それなりにキレイに かたづけることは できるんだけど、
ふだんは、もう、ほったらかし。
あらためて料理のことに話を戻すと、
調理師の免状を持っているという、近所のオバサンは、私が幼い頃から虐待されていたのを知らないはずもないのに、
うちの母が亡くなったあと、
おとうさんの世話に専念してあげなさいよ、などと、
口やかましく干渉がましいことを言ってきたけど、
このオバサンが、うちの親父のためにと、マメに拵えて運んできてくれる料理が、ことごとく、
「気持ちは有難いんだが、なぜかマズイんだよなあ。。。?」
親父は困惑していた。
旧ブログか過去エントリーでも綴ったけど、
これも子ども時分に、本来は伯母である養母が病没し、それ以後、養父の食事を用意するため、学校から帰れば、遊びや宿題どころでなく、
昔の田舎のこととて、品揃え乏しい店々を急ぎ買い物に回り、入手した豆腐やら魚やら、子どもの手で辛うじて ととのえた せっかくの食卓を、その拙さに怒った義理父に、しょっちゅう、ひっくりかえされたと、
思い出しては恨みを込めつつ話していた親父を筆頭に、
私の周辺では、まず、「調理に慣れている」「料理が得意」なほうの男性が多いのだが、
うちの親父のように、そういう家庭事情で否応もなく慣れていたというケースも あれば、あるいは、単に料理が好きなので、苦にならないだけという男性まで、その年齢層も学歴も職歴も生活背景も様々。
メンドクサがりの私は、「つくる人」である彼らに、「食べる人」を やらせてもらうことも多かった。
親父なんかは、私の母親が亡くなって、まだ元気だったうちは、かぼちゃの煮つけなんかチャチャッとつくって、
ヘルパーさんにも、味付けが上手ですと褒められていたし、
ビンボボ娘の私は、それを、タッパーに詰めて、持ち帰ったりした(笑)
【続く】