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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2023.06.24 (Sat)

「発展途上国」に先祖返りしていく。。。の続き。

 

こないだ、久しぶりにアップしたエントリーで、このところ、いろんな物件を紹介する動画なども見るようになり、ことに東京の、主として単身向け物件のなかには、いくら都心だから、新築だからと言って、あんまりにもムチャクチャで、生活どころか、命の危険すらも あり得るような設計や間取り、それでいて、とうてい信じられないほど強気の賃料・共益費なので、呆れてしまったという話を したけれど、

なるほど、コメント欄を見てみたら、

さすがに「人権無視!」「大家の強欲!!どんな顔してるのか、見てみたいわ」とか、

「これの設計者は、何か、いやなことでも あって、言わば八つ当たりみたいに、『住めるもんなら住んでみろ!!』とばかり、こんな無理くりなシロモノを設計したのか?」とか、

「いやいや、どシロウトの大家は、あたまオカシイ設計業者に騙されて、こんな、入居者も集まらないままに、物件価値がダダ下がっていくしかないものを建てさせられたんじゃないか」とか、

「いやいやいや、大家の側が、税金対策か何かで、これくらいの予算内で建ててくれと要求し、要求された設計側は、パズルを無理くりにハメ込むみたいな設計するしかなかったんじゃないか?」とか、

いろいろと推測されていたが、

私自身も思ったように、結局、

「よくもまあ、こんな怖ろしい物件を、国が、法的に認めたもんだ」

ということに尽きるし、

やっぱり、「人権無視」まる出し設計の無責任な物件は、まさしく日本を象徴しているかのようにすら思えてくる。

 

 

たださぁ、

ずーっと閲覧していったら、
どうも、まったくの「ワンルーム」クラスの物件に おいて、メチャクチャ度がヒドくなる傾向なのでは なかろうかとも見受けた。

あたかも、
「やっすいワンルームにしか入居できないやつは、人間らしい生活環境を得る資格ナシ!」
とでも宣告されているかのようだw

 

それが、最低でも「1LDK」くらいになれば、かなり、内容が良くなってくるみたいだなと思えた。もちろん、この方面に詳しいわけでは ないので、断言するつもりは全くないけれど、私自身、だいたい「1LDK」くらいになれば、一人暮らしの場合なら、かなりの余裕が確保されるよなあという実感が あるし。要するに、「1LDK」くらいから やっと、「人権無視」とか「非人間」扱いを免れられるらしいと感じたwwemoji

そのかわり、もちろん、ワンルームよりも、格段に賃料が上がるわね。

東京は、都心とか都心に近いとか新築というだけで、それ以外すべてデタラメでハチャメチャ物件でも、極狭ワンルームですら、ビックリするほどの賃料だからねえ。

 

「どうやって生活できるんや!?」「ぜったいバカにしてるやろ!!」と叫びたくなるほどのヒドイ(デザイナーズ)物件の数々を見ていると、コンクリ打ちっぱとか、極狭なのに、玄関ドアも浴室もトイレもスケスケ扉、いっそ、扉も境界も一切ナシ!などの共通点が あって、どうやら、ある建築家の信奉者なのでは あるまいかとも思い当たった。

わざと、極端に住み辛くしたような設計よねw先祖返りしたみたいなww

コンクリ打ちっぱなしで有名な、「アンドー」何とかいう、、、www

設計に限らず、およそデザイン業界というやつ、
さきの『東京オリンピック』で曝け出されたように、実は、オリジナリティとか独創性どころか、有名になった人の後追いだけでは なく、どシロウトからでもパクって平気ということが罷り通ってたんだもんね。

 

 

まあ、不動産関係の業界は、昔から、ほぼ「ヤーさん(現代の名称は『暴力団』w)」みたいなもんだからなと、私も、学校時分から、親や周囲の者たちに聞かされては いたけれどww

なので、
義姉の娘が、高校卒業後、保険会社に就職し、しょっぱなから営業に配属され、泣きながら外回りしていた頃の ある日、飛び込み営業先の、とある不動産屋の社長に気に入られて、嫁に行くことになった、という報告を聞いた、義姉夫婦も、うちの親も、喜ぶどころか、嘆いていたw

「不動産屋、、、それも、親子ほど年齢の離れたオッサンの後妻、死んだ先妻の子どもらが、ほぼ同年齢かよemoji

(苦笑)

 

そういったことも あって、

パソコンも、一般に普及までは していなかった時代、もちろん、『ストリートビュー』みたいなものは存在していなかった、私が20代はじめ頃の就活時、大阪市内の、ある企業の面接を受けようとしていた私は、その企業の所在地に疎かったため、あらかじめ下調べしておいたら安心だと考え、大阪のド真ん中を実家の庭のようにして育った母に、道案内として付き添ってもらったことが あったのだが、

その道中、さる大企業の本社である、見上げるほどの高層オフィスビルの前を通りかかったとき、ぶ厚い碑に彫り込まれた社名をチラッと見たとたん、思わずフいた。

と言うのは、

そこは、建設系企業であるためか、社名の末尾に、「」と付いていたからだ。

 

要するに、

時々、話に聞かされていた、「ヤーさん(みたいな)建設業関係」または「建設業界≒ヤーさん」、つまり、「その筋」の会社であるに違いない!と、子どもの時分から素直すぎるくらい素直だった私は、すり込まれたイメージを勝手に思い込んでいて、

「あっ!おかあさん、おかあさん、あれ見てみィ、あの会社の名前、『■□組』やてー!!笑」

と、その碑の社名をアカラサマに指差しながら、

「なあ、この会社、ヤーさんの会社なん?」

と、クスクス笑いながら、アッケラカンと言い放ったのであった。
(スンマセン;)

 

この話、たしか旧ブログあたりでも、何かの ひょうしに思い出して述べたことが あったと憶えてるけど、

そのとき、うちの母親は、にわかに狼狽し、

「しぃーっ!!そんな笑いなさんな!」

と、大慌てで、周囲の通り過ぎる人々を窺っていた。

なにしろ、大阪市内でも有数のオフィス街の目抜き通りを歩いていたのだから、この界隈で勤めているエリートな人たちが大勢、それこそ、私が、「ヤーさんの会社かぁ?」と指差して笑った大企業の社員が、すぐ そばを歩いているやもしれないのである。

 

「あんた、あそこの会社は一流も一流の大企業やねんで。『ヤーさん』て、そんな失礼なこと言うたらアカンて!」

と、なおも、あたりを憚りつつ、小声で、私を叱りつけたのであった。

 

思えば、
若かった頃の私は、カン違いだらけの、ポカーンとした、もの知らずな娘だった(苦笑)

 

 

ちなみに、

これは30歳代にもなっていたのだが、派遣の仕事で関わった取引先の人から渡された名刺に、「RICE()Worm」←(直接に記すのを避けるための、せめてものヒントです;)印刷された氏名を見て、

「これは珍しい名字ですねえ、初めて見ました」

と、読みかたを確認したら、

「ええ、おかげで、いっぺんに憶えてもらえます」

と、笑って答えてくださったのだけど、

後日、実家の母親と電話しているときに、ふと、そのことを話題にして、

「もうちょっとで、コク▼ウ△シさんて呼びそうになったわ~」

と、冗談を言ったら、

私が失業することだけを恐れている母親は、電話越しでもハッキリわかるほど、血相を変えて、

「あんた!!こ、こく▼ウ△しさんなんて言うたらアカンで!ぜったいに言うたらアカンで!!」

と、叫んでいた。

 

そんなん本当に言うわけないやん、冗談やん、と言い訳したが、

母親が焦って叫んだ気持ちも理解できるしw思い出すと、ちと恥ずかしくなる自覚は あります。

私も、学校時分、自分の(下の)名前で揶揄われたことは たびたび あるが、私自身は、それでも、あまり、気にしなかったけど、

勉強が得意でなかったクラスメートが、意地の悪い数学教師に、劣等生であるということを、彼女の名字のことに引っ掛けて執拗に揶揄われ、泣きだしたことが あった。
とても可哀そうだ、ひどいと思い、その教師に対し、心底から腹を立てたのを憶えている。

 

私は、自分も、特に数学が苦手だったから、その数学教師のオジンには、「ハクチ美人」とか何とか、さんざん言われた一人だけど、性格なのか、それほどには気にせず、やり過ごしていた。

むしろ、その教師のほうが、生徒たち全員から、「蛙」と仇名を付けられていて(顔の印象で)

「あっ、カエルが歩いてるぞ!」
「カエルが何かケロケロしゃべってる!」

「おおっ、カエルが、車を運転してる!!」

などと、嘲笑っていたものだ。

子どもって、ある意味、よく見てるとこ あるもんね。

 

いずれにせよ、

氏名も そうだし、障碍のこととか、
自分では選択しようも なかったことを揶揄われたら、そりゃ不快だわね。

 

 

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