2023.06.14 (Wed)
さすが、えせリコールに加担しただけのことは ある、
名古屋の河村市長デス。
一事が万事の不見識。
その賛同者蓮のレベルも よく吊り合っていて、
何やら、名古屋城の天守閣をば、「史実に忠実に復元する」って話を、かねてからブチアゲてるらしいんだけどさ、
それについての会合の席で、車椅子を使用しておられる身障者の立場から、エレベーター付けてほし、という要望を述べたとたんに、
「ガマンせえ!」
あげくのはて、
「かたわ」
と罵られたんですと。
罵られた側の人は、ひどくショックを受け、役所の人に止めてほしかったと嘆いていたそうなんだけど、
私が、その場にいたもんなら、ソッコー噛みつくよw
「『かたわ』とは なんですかっ!!」
とね。
身障者側の付き添い的立場の「健常者」たちも同席していたのでは?と思うんだけど、誰も何も言わなかったのか?
で、毎度のごとく、早速、ヘイト投稿に夢中になる「ヤフゴミん」ら筆頭に、ネトウヨども大ハリキリ。
これも、『ヤフーコメント』その他ポータル運営に、こういう投稿者やコメントを放置していては いけないよと通報しといたけど。
いちいちメンドクサイし、疲れるわぁ。。。
まずね、
河村市長の唱えてる「史実に忠実に復元」ってやつが、そうとう曖昧で胡散臭い。
河村さんのコトバどおりの復元が実現できるのであれば、それは それで、まだ言うことも できよう。
しかし、どうなのかな?
現実には、「史実どおりの」なんて、コトバだけの誤魔化しでしか あり得ないのなら、なんのこっちゃ?になるよ。
そのことは、取りも直さず、身障者側に対してもだ、
嘘っぱちの「史実」と称して復元された「天守閣」へ登って、それで何を そんなに見たいのか?ということにもなる。
そりゃ、「単に高い所へ登って眺めたいだけなら、他で」
と言う者も出るわな。
私は、いちおう四肢は自力が効く聴覚障碍だから、一般の「健常者」に混じって、「史実に忠実」に復元された「天守閣」に登り、見晴らしを楽しむことだけなら不可能じゃない。でも、個人的には、そういうのに興味は薄いから、本音としては、まあ、どうでもエエんだけど、
たしかに、税金の使いようという問題も大きいわね。
あと、これも再び三たび言っとくんだけど。
障碍者に対して「あんたがガマンすりゃエエが」と言い放つ、心が荒んだ連中へ。
障碍者はね、あらゆる面で、多かれ少なかれ、大なり小なりのガマンを、ふだんから強いられてます。
おそらく、あなたがた「健常者」という呼び名の、想像力を欠いた思考や心が不自由な者たちが想像してみたつもりよりも、もっとね。
だいたい、
障碍者に対して、アタマから色眼鏡で悪いイメージ持たれるのは、もちろん、すごく困るんだが、
逆に、やたらキレイなイメージを持たれるのも困るんだよ。
そりゃ、「健常者」と同様で、障碍者にも、いろんな経緯や性格の者も いる。
それこそ、同じ人間だからなのであって、いろんなタイプの人が いるのはアタリマエ。
ただね、
人間、ほとんど誰しも、年がら年じゅうガマンしなければ ならなかったり、どうかしたらバカにされたり罵られたりということが多いと、日常生活だけで疲れるし、しまいにイライラしてくる。そこの「健常者」のアナタも そうだろうし、ましてや、
「健常者」という呼び名の、甚だ想像力を欠いた思考や心が不自由な者たちなら尚更だね。
なんせ、
「なんで自分が!」という自己憐憫どうしの ぶつかり合いになってしまうからさ。
理由は分からないけど、「筆談」に応じてくれないうえ、声が聞き取りにくい人と話さないといけない状況になったときは、私自身、年齢を重ねるとともに、正直、イライラしやすくなってしまっている。
「この人、なぜに、わざわざ、効率が悪い やりかたを頑として押し通そうとするんだろうか??」と。
でも、そこをグーッと こらえないと、障碍者全体に対する、視野の狭い「健常者」という名の敵を増やすからね。
慎重にいかなくちゃならない。
と言って、黙ってガマンばかりしていたら、家庭だろうが職場だろうが、あらゆる場所に おいて、どこまでもガマンを強いられ、あげく、つけ込まれて、障碍を利用されるハメにもなるんだ。
うちは、まず、親自身が そうだった。
「ガマンが足りない、努力が足りないんだ、おまえは」
職場で、障碍に つけ込まれて、不利な目に遭ったり、イジメられたりしても、「おまえの要領が悪いんだろ」の一言で突き放す。
そう、重度の障碍とは異なる苦労が多いんだよ、私らみたいな立場は。
そもそも、私の体質の弱さも、障碍を背負うことになったのも、ひとえに、愚かな母親のせいなんだけどね、夫婦そろって、年がら年じゅう、「できそこないが!!」と罵ってくれましたわ(怒)
他の兄弟姉妹とは似ても似つかぬ、素直で純な子どもだった私を舐めきって。
で、重度、最重度の障碍となると、
たとえば、四肢の自由が殆ど全く効かないとなると、ちょっと痒い所を、自分の手で掻くことすら できないわよね。
そういう状態で、年がら年じゅう、ガマンしなくちゃならない。
そうなると、
「こんな夜更けに」と言われようが、どこかで思い切って、
周囲の人、ケアしてもらう人たちに、遠慮せずに伝えなければ ならない。
それを、ワガママな障碍者と呼ぶのか?
人間、何かガマンしなければならないことばかりだと、
そういうふうに感じてやまない日常生活だと、
しまいに、イライラを通り越して、なにもかもを憎悪したくなくば、せめて、自分よりも下と見做して悪罵できる、いじめる対象を欲するもののようだからね。
「健常者」という呼び名の、想像力を欠いた思考や心が不自由な者は特に。
あーあ、こういう話について書くのは、特に疲れるのよ。。。
河村さん、
曲がりなりにも市長やってるアナタこそが、「ガマンせえ」とか「かたわ」などと罵った連中を即座に制止しなくちゃならなかったんだよ、あの場でね。
アナタに賛同してくれる市民だけが市民じゃないでしょが。
その後になって、いちおー、あやまってたらしいけど。
さすがは、えせリコールを やらかすだけの不見識、コス狡い性格だけのことは あるなと、あらためて納得しましたわ(嗤)
『北朝鮮』の、おなかの大きな王さまと いっしょに、このエントリーでも読んでおきなさい。