2023.06.14 (Wed)
このところ気ぜわしい日々が続いて、疲労困憊してしまい、ブログ更新あとまわしだったけど、もう1ヵ月も過ぎていたのか。。。
だけど、この間も、気分転換を兼ねて、『山田五郎 オトナの教養講座』フェルメールの『真珠の耳飾りの少女(=青いターバンの少女)』などを視聴していたら、興味深い指摘が出ていた。
それは、この描かれた少女の実在について、私も、注文主とかパトロンあたりの娘さんとかじゃないのかなあと、漠然と思っていたのだが、実は、人物特定できる材料が なく、むしろ、画家の意思として、この少女像の実在性を消し、不特定の、集約的・理想的な、「トロニー」と言ってたっけ、あくまで「見本」として描かれたものでは ないかという説も有力なのだということを知った。特に、眉毛を描かないでおくのも、その一環なんですってさ。
そうすると、
大昔の日本女性が、あえて眉毛を つぶし、「お歯黒」にしていた(虫歯予防の効果も あるらしいが、もともとは「公卿」の風習だったそうな)という独特の風俗も、おもしろい観点を示せそうだ。ただ、これらも、日本のみの風習では ないらしいが。
で、
「ああ、すると、いまどき問題になっている『AI』による合成モデルなどと同様のことじゃないか」と思い当たった。
近年、この、海の青さを思わせるような色のターバンと、光を反映する大ぶりで目立つ真珠のイヤリング、その真珠が反射する光が移ったかのような唇を半開きに、もの問いたげな少女という、美しく、どこか現代的な印象の絵画作品にまつわる映画が誕生したことも知られていて、私は観てないけれども、この作品を遺した画家フェルメールと、実在し、モデルとなったとする少女とのあいだの恋愛物語が主題となっているということらしいのだが、
『オトナの教養講座』では、解説者である山田五郎氏のアシスタントを務めているスタッフの女性たちが口を揃えて、フェルメールが、あるいは少女が、互いに相手に対する恋愛感情を持っていることを窺わせる描き方だという見解を つよく述べておられ、それに対し、山田氏は山田氏で、男性代表的な立場として、少々意外そうな受け止めかたを すると同時に、女性スタッフさんたちの感性は、やはり女性ならではだな~的なことも言われたので、それを聞いた私は、いささかガックリした。
と言うのは、
私自身、くだんの少女の表情の「色っぽさ」みたいな趣きは勿論、認めるけれども、それは、この画家に対する恋愛感情が介在していなくっても、これくらいの年齢の少女や少年には ありがちな表情だと思っていたから。
幼いからこそ、性的に無防備ゆえ、あけっぴろげに、あるいは躊躇なく見せる、ある種の色気を感じさせる表情とか しぐさって、あると思いませんかね?
私自身も幼い頃、そういう無防備さや あけっぴろげさゆえに、性的危険が伴いがちな場面に たびたび遭遇してきたことを憶えているので、「女性ならではの」感性や感想が、自分には欠けているのかもしれないと指摘されたような気持ちにもなって、過去エントリーでも述べたように、むかし、実家の親父に、
「あいつは女じゃないな」
と、ズバリ言われたことも、反射的に思い出し、なんだか、ちょっと侘びしいような気分になった(苦笑)
エドュアール・マネの作品に登場するモデルを何度も務めたベルト・モリゾが、絵のなかの彼女が手にしていた扇と菫の花束を連想させるように描かれた小作品を、お礼にとプレゼントされ、マネにポーッとなったという気持ちは、私なんかでも、
「わかる!それ分かる!!そういうのサラサラッと描いて、さりげに贈られたら、女って、弱いのよぉ~!」
と思っていただけに。。。(苦笑)
なるほど、マネは、女性にモテモテだったという伝説も あるわけだ(笑)
ただ、(なかなかスキャンダラスな経緯で結婚したらしい)奥さんがピアノを弾いているのを、いかにもデレ~ッとした感じに腰掛けて聴き惚れているマネの姿を描いたドガの作品は、さすがの力量で、ベルト・モリゾの失恋も、さもありなんと思わせるほどの辛辣さだw
ところで、
あとは特にネットのコメント欄をチラチラ見ていると、私と世間一般との考えかたの相違や乖離を、つくづく実感することが あった。そういうので、よけいに、ブログ更新がダルくなってしまうわけ。
というのは、
たとえば中国由来の古い古い文書だかに かかわることなのだが、いまでは、とっくに失われてしまっており、本家の中国にさえも遺っていない、これを保有しているのは日本のみで、このたび、本格的修復を開始する運びになったとかいう内容だったと思うが、その記事を読み、これまた、『МSN』だったか『ヤフーコメント』だったかのコメント欄で、このように、日本に、中国の古文書などがキレイに遺っているのも、ひとえに、わが国、日本の尊い「連綿」性ゆえなのである!というようなことを、えらそうに述べている投稿を目にして、
「ふん、どうせ、『皇室』崇拝者あたりの投稿なんだろうが、残念ながら、そのように、鼻の穴おっぴろげて自慢するには当たらない。むしろ、わが国が、『中華』から見て、いかにも『倭人』、同レベルの文明や文化を、自力では産み出せない遅れた国であったからこそ、現代まで遺り続けたことの証左だというほうが正確だろうよ」
と思ったわけw
あるいは、「中央」の権勢から見て、ひどく遠い、辺境の国だからこそ、かえって、古いものが残りやすいわけで。
よく聞かれる説だが、『沖縄』には、いまだに、『平安』時代のコトバの名残が見受けられると言われるようにね。
『天皇』『皇室』制度継続は、男女差別以前に、血筋差別・出自差別・身分差別にしかならないよ、ってことを、もう一度、示しておくわ。
『朝日新聞』系列なのに?なぜか『皇室』崇拝記事を やたら掲載したがる『アエラ』あたりで、どこぞの大学のセンセイが、(読んでないけどwたぶん、血筋保存の)「セーフティ」のためだの何だのと、くだらんことを言ってたようだからさ。
『【続】「クリスマス ツリー」の輝きも「ティアラ」の輝きも、ただ虚しい。』
『とにかく汚い『自民党』はダッピッピw(←誹謗中傷?ww)』
『強制的に祈らせる』
あ、これは、他のコメント欄だったが、
なんと、「証左」と「査証」の意味を完全に間違ってる投稿者も見かけた。
しかも、これが また、えらそうに演説しててさ、ヘイトむき出しの内容を。
それでいて、義務教育も終えていないのではと疑われる日本語モドキすら まともに使えもしない、自称「純粋日本人」(爆)
わたしゃ、かねてから、特に麻生さんや故 安倍さんらの、まともに漢字が読めない、日本語が根本的からオカシイといったことに呆れ続けてきたものの、しかし、どうやら、このテのタイプというのは、与野党に関係なく、議員さんがたに少なくないタイプであるようだと思うようになった。これは、おそらく、ある種の脳のタイプであるということも指摘でき得るのかもしれないと、シロウトながら見受けてきたけれど、やっぱり、まずは、ふだんから、本を読まないとか、ことばを学び、語彙を豊かにしていく機会や自発的努力に乏しかったのかもな、とも思う。
だいたいは有名大学卒などを誇る人が多いであろうという印象の、よりによって議員だとか国家権力を握る立場の人たちが、こんなことでは、もしや、そもそも、思考レベルにも、危ぶまれる ふしが ありは せんかと思えてしまうのだが、
特に、ことばというものも その一つで、みずから積極的に学び、吸収しようという不断の努力が ないと、なかなか伸びていかないし、どんどん衰えるにまかせ、年齢だけを重ねてしまうと、顰蹙ものレベルに陥ったまま、本人だけはアッケラカンと止まってしまう事態になるもんでね。
死ぬまで勉強する努力は、ことばにも如実に あらわれてしまうもんです。
ある意味、プロとして、コトバを使う職業の立場だった私でさえも、いまだに、知らなかったコトバに遭遇することは あるし、もともと、文章力や読解力が高いわけじゃないのだから、このトシになっても、時にヒヤッとすることも ありますよ。
また話題を変えて、
このところ、私がハマっている動画の一つに、不動産方面の いろんな物件紹介サイトが加わったんだけど、
最初のうちは、私自身、身につまされるような、いわゆる「狭小」物件というやつを、これは これでオモシロイと思いながら眺めているうちに、単に狭いだけでなく、はっきり危険すらも伴うような造りの、いかがわしい物件までもが頻繁に出てくるのに驚き、
「うちのアパートなんか、まだまだマシなんだなあー」
と、大いに呆れたりしていたのだが、
「設計業者や家主は、大ケガしかねないような、ヘタすりゃ事故物件になりかねないようなシロモノを、それでも借りに来る側をバカにしたくて、こんなアブナイ家や部屋を拵えたんだろうか」
という疑念。
だって、なにしろ、
やっと一人が入れる程度の極狭スペースに、トイレだけでなく、その便器の真正面に、なぜかシャワーだけ設置されてあったりとか、しかし、いわゆる「シャワーブース」にもなってやしないし、いったい、どうやって浴びるんや??と不審のみならず、これが全面ガラス張りの扉で、外に、それも、居室の窓を通り越して、街なかに まる見えと きたもんだ。向かいに高層ビルが建ち並ぶ東京の都心ですよ!
それでも、百歩も二百歩も譲って、まだ危険性そのものだけは低いかも?だけど、
それどころか、
何も知らずに掃き出し窓を開けたらば、足下の そこにはバルコニーも何も なく、えっ?と思う間もなく、そのまま2階や3階の高さからストーン
と落っこちるであろう、
マジで危険性のある物件を見ているうちに、だんだん腹が立ってきた。
辛うじて、つっかい棒的な細い金属パイプが1本、左右に渡してあったけど、それだけなのよ。信じ難いけど、事実でした。
いくら『渋谷』とかの東京の街でもよ、どうやって生活するんよぉ?としか思えないほどのフザケた物件だらけ。
おまけに、唖然とするほどの強気な家賃なんだよお、これが。
たしかに、これじゃ、『東京』の不動産業界はクレイジーの域と言われるのも頷けるわ。
よくまあ、こんなのが、法的に認められるもんだ。。。
そういうわけで、
こんな異常な間取りやスペースを、どう使いこなせるのかなどと、つい考えめぐらしたり、しょせんは他人事だからオモシロいんだわなと思えつつも、こんなの建てたオーナーや設計側も、本気で借りに来る客が いると思ってるんかいな?「あたおか」かえ??と、フシギで しゃあないぞ。
【続く】