忍者ブログ
とりあえず、ひかりのくに
     
<< | 2025年07月 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 | >>
[1975]  [1974]  [1973]  [1972]  [1971]  [1970]  [1969]  [1968]  [1960]  [1967]  [1966
Updated   
2023.05.02 (Tue)

「文系」か「理系」か

 

【旧ブログ エントリーの記録より】

色えんぴつ                                                2011/04/02 22:30

文房具でプチぜいたく

私の、ささやかな楽しみの一つ。

 

記事に添えられた、色とりどりのペンなどが並んでいる写真を見ていて、ああ、そうだったと思い出したのが、母の色えんぴつ。

 

いままでにも書いたことがあるかもしれないけど、

母は、あれこれの不治の持病の上に、なおも 梗塞で倒れた最初のときばかりは、周囲が驚くほどの回復力を見せてくれた。

退院し、少し落ち着いた その頃、
ある日、私に、色えんぴつと、ぬり絵を買ってくるようにと言う。リハビリとボケ防止のためだそうな。

 

それで私は、ふだんの買い物ついでに文房具コーナーへ赴き、幼い女の子が喜ぶような ぬり絵帳を二、三と、

色えんぴつは、ちょっと張り込んで、色数を多くセットしたものを購入し、持って行った。

 

 

ぬり絵というのも、いまでこそ、おとなが楽しむために、古今東西の名画に題材を とった、気の利いたものが出ている。

何年か前、

絵を描くのが好きな父の持病が嵩じて、手足の自由が狭まってきたのを見て、リハビリと楽しみを兼ねてもらおうと、数冊、購入したことがある。

 

 

さて、命じられて私が運んできた品々を おもむろに確認し、

つと、色えんぴつの缶ケースへ手を伸ばし、

その蓋を あけた瞬間、

豊かな色彩のハーモニーに目を瞠った母の歓声が上がった。

いつもは、いわゆる「もの喜び」というのを、あまり しない性質の人だったのだが、

このときは、しみじみと、

「ああ、やっぱり いいなあ、こういうの」

と呟いていた。

 

   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2

 

母の子ども時分の想い出話に、図画工作の授業で、色調の変化だけを描いた抽象的な作品が、何かの賞を とったとか言ってただろうか。非常に器用な手を持つにもかかわらず、絵を描くのは苦手な人だったのだけれど。

 

実母を幼くして亡くし、継母の思惑ゆえに、進学の意志を妨げられ、

ごく若くして、意に染まぬ相手へ嫁がされた母にとって、

色えんぴつの色彩を味わうなどは、実に半世紀ぶりだったはずと思う。

 

 

母が亡くなって、しばらくしてから、

かつて私が持って行った ぬり絵帳を見つけ、めくってみた。

いっしょうけんめいに塗ったあとが残されていた。

 

 

 

(再掲)

亡き母が

忘れ得ぬと言い遺せし

ト翁の『復活』

われも手にせむ

                   

 


カテゴリ: リビング  > 健康

関連ニュース

【産経抄】4月24日(2011/04/24 07:02)

【写真劇場】復活祭 聖夜と同等 キリスト教徒の聖日(2011/04/25 12:03)

 

PR