2021.02.11 (Thu)
って、一概には言えないようだなと、私は思っている。
うちの母親は、継母の妨害で、進学の希望を踏み潰されてしまった、という怨みを終生、心底に持ち続け、
おりに触れては、私にグチっていたものだが、
過去エントリーでも、少し述べておいたように、
母親は、自分が参加していたサークル活動や、自分で主宰していた芸事教室から出す印刷物の原稿の文章など、ほぼ全てを私に押し付けていた。理由は、本人いわく、「書く手が ないから」とのことだったが、
まあ、私自身、仕事上のキャリアも あるから、たかが これしきのことに呻吟するわけもなく、パッパと済ませるんだけど、
ただ、本当に、文章を綴る能力が、母親には乏しかったのかどうか、これを確認する機会も なかったほど、当人が徹底して避け続けていたため、娘の私にも、客観的評価は不可能だ。
ちなみに、母方の叔母も、およそ書くことのみならず、読むことにも甚だ縁遠かったが、叔父たち男きょうだいのほうは全員、書道や絵が得意だったそうな。
「書く手」とは、「文才」が あるのないのと言うより以前に、母親本人が、誰にも知られたくなかったらしいのは、「字が下手」という、数少ない苦手としていたことだった。
プライドが異様に高かったせいかな。
私は、そんな母親に、
「下手でも、いっしょうけんめい書いて、いちおう読める字やったら、それでイイやん」
と言ってたんだけど。
「下手」と言うけれど、筆字などの場合は、教師に褒められてたんだよと自慢も していた。
それは、筆致に力強さが あるとか、そういった面では、たまに、母親が、しかたなく自分で書いた鉛筆書きの文字など見ると、たしかに、「はらい」の部分などに(私の目から見ると、不必要なくらい)力が こもった、見るからにメリハリの きいた、男っぽい筆跡では あった。
だが、これも本人いわく、
習字のみならずで、
絵を描く場合でも、描いているうちに、どうしても、画用紙等からハミ出ていってしまうのを、自分で どうすることも できないんだと告白していた。
うちの母親は、家のなかも、どうしても、とっちらかるタイプだった。
私も親父も、これには年じゅうイライラさせられていた。
どこに何が あるか、わたしには分かってるから!
と本人は言い張るのだが、
私が子ども時分は、母親自身が、どこに しまったのか忘れて分からなくなったときは、すかさず私のせいにして怒鳴ってきたもんだw
そして、
これは、自他ともに認める、彼女の最大の強みだったが、音楽と数字に、殊のほか強かった。
とにかく、計算、暗算が得意。
まあ、あくまで基本的には主婦だったので、ほとんど日常生活レベルのことに過ぎないのだが、
頭のなかに計算機でも入ってるんじゃなかろうかというくらい、早く、正確だった。
そして、「脳に先天的異常が」あったわけで(苦笑)
逆に、
整理整頓に神経質で、
そもそも「文系」なんだから、経理や会計の職業は性に合わず、ストレスだったと不満を洩らしていた父親は、若い頃、絵を描くのが好きで、誰に教わったでもなく、得意としていた。
脳梗塞で倒れてからの晩年、リハビリのためにと、塗り絵を始めた母親が遺した色鉛筆を見て思い立ったのか、それを用いて、若い頃に中断したまま、5、60年もの あいだ眠らせてきた絵心を満たそうとしていたが、
私の目から見れば、いささか残念ながら、もはや、際立った才や技術といった片鱗は薄かったように思う。
ただ、父親が若かった頃に描き残したものを見ると、貧乏な家で育ったせいか、間に合わせの紙に、常に黒鉛筆だけを用いて、モノクロ写真のようなリアルな絵を描いていた。
この両親の あいだに生まれた私は、学校時分に、教師たちから「宇宙人」と呼ばわれただけあって、最も奇異かもしれない。
なにしろ、誰に似たのやら、算数も数学もサッパリで、
小学校の足し算・引き算を教わる年齢では、宿題を解くのに、自分の手の指だけでは足りず、足の指まで使っても なお足りないというので、とりあえず、そこにいる家族の手足まで借りようとしたな、おまえは、
と、後年、教師になった腹違いの兄にも嗤われていた。
いつも、アタマぼ~~~の私は、いまだに、買物したとき支払う小銭を見間違えたり(50円玉を5円と間違うとかは、まあ いいとしても、店員さんの身になってみれば、50円のつもりで5円を差し出されたら、マジかよ?と困惑するだろうw)、どうかしたら、金額そのものまでも思いっきり間違えたりする。
ふだん以上に聞こえにくくなっているときと同じく、疲労していると、ひどくなるので、あ、疲れてるんだ自分、と、自覚せざるを得ない。
しかし、
国立大卒で教職に就いて すぐから、学年主任を任された兄は、IQだけを言うなら、実は平均水準に達しておらず、軽度の知能障害に、かなり近いくらいだったんだよと、母親がコッソリ言っていた。
幼い頃の兄は、「チック症」でもあったらしい。
それでも、親父の通夜で初めて対面した、先妻側に一人だけ引き取られていた、私と同年齢にして腹違いの姉に当たる者から、さんざんイヤミを言われた。
私の亡母が、姉の大学進学希望を挫き、兄は、本当は『早稲田大学』に入りたかったのに、諦めさせたと。
どうやら、
親父の生前、先妻との あいだに儲けた子らや、その家族一同には、そういう事情が あったのだというストーリーを拵えて聞かせ、私だけが知らないうちに、がっちり築きあげておいたらしい。
真相は、
私の母方の叔母から借金し、
当時は酒浸りで、稼ぎも悪かった親父の怒りと反対を宥めつつ、
成績が甚だ悪かった義理の長女は(劣等生ご用達で知られた)私立女子高校へ、
跡継ぎ息子だからと、長男のほうはスパルタ式で猛勉強させて、なるべく近距離の国公立大学を目指すようハッパを かけ、目標どおりストレート合格、卒業後は、かねて、PТA活動で懇意になっておいた、私の恩師のコネまで活用して、教職公務員への道を進ませたのは、
誰あろう、私の母親なんだけどね。
なぜ、私が、イヤミと侮辱に耐えなきゃならないんだ?
母親は常々、自分自身のIQの高さを誇っていたが、
親父のほうは、その点、どうだったのか聞いたことは ないけれど、
やはり、学業成績は全般に優秀だったらしいし、だからこそ、進学を希望しても、こちらも また継父に反対され、
それならと、士官学校に入り、以後、選抜試験や特別な抜擢を受けつつ青年将校への道を歩んだわけなので、親の友人・知人は、口を揃えて、非常に頭が良い人だと言う。
だけど、
私から見ると、
母親も親父も、初歩的な道理を解そうともしないエゴのカタマリで、自己保身と利害が絡むと判断したとたん脊髄反射的に、自己愛の鎧を被り、槍を突き出してくるほどのアタマごちごちゆえ、人生上の大失敗を幾つも やらかしているし、
なんと言っても許し難いのは、トバッチリが、如実に、私だけに来たもんで。
特に親父は、スケールの小さい狡猾さの反面、
この私から見ても、ほんとうはバカじゃないのか?というくらい、基本的なところで、どんくさい失敗を している(母親が倒れたときに、やっぱり、と、確信した)。
両親とも、およそ、ものごとの基本順序、優先順序というものを解していない、ハナから解する気が ないとしか思えなかった。
それだから、
本来なら単純なことも、手が つけられないほど膠着してド修羅場、泥沼になるわけよ。
こういうことって、特に人間関係にモロに出るんだ。
ところが、
親や姉・兄らが見れば、私ほどアホでバカな者は いないと思うらしくてw
何かにつけて冷笑していたが、
そのわりには、私に対する依頼心が つよかったのだから、奇妙なことだ。
あほだバカだと思う対象に、なんで頼れる、頼ろうと思えるのだろうか、私には不可解。
もちろん、私の性分は、頼られたくもないし、ほっといてちょ、というのが本音。特に、親らに対してね。
彼らの過干渉や煩わしい依頼心にウンザリさせられてきた影響も あるのだろうと思う。
【続く】