2019.03.30 (Sat)
というのも、
「いまは、時代が変わって、『天皇制』や『皇室制度』にも、宗教的な面は不要なんだから」
といった主張が あるようだね。
まあ、それ自体が、単に「出自差別」でしかなくなってしまう、
という大前提をスルーしていることにしかならない、
そういう思考停止でしかないことの自覚が皆無なわけだけど。
「女性天皇」だろうが「女系天皇」だろうが、
え?なんだソレ??よくワカランてな、疎い一般国民が言う、
天皇は男女どちらでもいいよ~、むしろ、女性の天皇歓迎!
という意見は、「男女差別は廃止すべきだから」という以前の、
「出自」「家柄」差別でしかない
という問題を、『国連』のナントカいう組織ですらも、分かってないようだ。
「男女平等」にした、「宗教色を廃した」と、どのようにリクツを付けてみても、
特定の家系出身だからという理由で、特別な地位に就かせること自体、じゅうぶんに「宗教」的である。
で、
『大嘗祭』ってのは、何のためにやるの?
あの、ひときわ莫大な税金つぎ込んでやるという。
国民が餓死するところまで追い込まれてる、えせ民主主義の、「成熟」しきらないうちから早々に腐り始めていた、こんなシケた国でw
はっきり言わせてもらうと、
現天皇ご夫妻は、とことん、イメージ重視、それは昔からのことでは あるが、
要は、ご自分たちのファミリーが、一般国民や大衆の目に、
「お手本のように非の打ちどころのない、穏やかで、仲が良くて、ご清潔で、ご立派で」
完璧なファミリーだというふうに見えてくれてさえいたら、それで良い、
みたいに見えるときが ある。
最近の天皇さんは、ずいぶん涙もろくなられた ごようすで、
本来ならば、『天皇』となれば、個人的なことを、あれやこれや言及したり、ましてや嘆いたりするのは、いわゆる『帝王道』とやらに悖るはずなのだけれど、
天皇その人のみならず、近頃は、宮家の人たちも、堂々と、ご自分たちの家庭のことを中心に語られる傾向が見受けられる。
なるほど、時代が変わったのだし、「新しい天皇像」「一個の人間である天皇像」を模索されてきて、ここへ至ったのだろう。
同時に、
おそらく、老齢に特有の、ある種の病にかかっておられるからだろうか、
それが一番大きな理由で、ただでさえ「お出まし」の機会を過剰なまでに増やし続けてきた立場でもあるゆえ、これ以上の深刻な状態に至る前に、できるだけ早い退場を、という御決断を なされたのだろうと察しているが、
それでも、
ここぞとばかり、いろんな儀式やイベントに出ずっぱりらしい。
負担が重くて、ますます悪化するんじゃないの?そんなことばかりやってたら。
何のための「退位」なんだろう、と思う。
まあ、この『日本』という国においては、およそ障がい者や病者を、最も隠蔽したがるのは、皮肉にも、『皇室』というファミリーが代表格だものね。
すでに、当ブログでは何度か問題提起してきたように、『大嘗祭』のような、このテの「伝統的儀式」は、男性の天皇でないと いけないというのだが、
そこを、どこかしら変えて、性別問題は、もう関係ないことにしてしまったりもできるのであるなら、
最初の疑問に立ち返り、
「伝統」ってなに?
それは本当の、正当な、連綿と伝え遺すべき「伝統」であるのか?
また、
「男女差別だから」という以前に、
まるで、「□□時代から漬け込んでおります~」という自称で、古さだけを自慢する糠床やら、だし汁なんかと変わりやしない、
「出自」や「家柄」で差別・優遇してるだけでは ないか。
という疑問は おさまらない。
いずれにせよ、
こないだまで、「秋篠宮家マンセー、皇太子一家コキおろし」してた
(そう言や、「皇太子」さんについて、「天皇」位を御辞退なされませ!とか主張していた、けっこう有名らしい識者だか学者だかのオジイチャンいたじゃない?どこ行ったのかしらw)
ネット、「ヤフゴミ」あたりが騒いでるような、
「女性天皇を、愛子さまに」
といったことは、当の天皇ご夫妻の胸中にないだろうよ。
なぜなら、『秋篠宮』さんも指摘されたという、「帝王学」と言うのか「天皇になる教育」とやらいうものを、生まれたときから置かれてきているのは、いまは、近く新『天皇』位に就かれる徳仁(この字で合ってる?w)氏、そのあとに続くであろう予定の、悠仁さんしか いないから。
たぶん、秋篠宮さんは、それこそ「繋ぎの」存在であり、その御子息が「成年皇族」の年齢に達したあたりで、伯父にあたる、そして、予定どおりに天皇位に就いた徳仁さんも、お父上に倣い、みずからも「退位」ルートを踏まれて、甥御さんにバトンタッチするのでは ないかなあという気が する。
問題は、それらがスムーズに運ぶとして、悠仁さん以降の成り行きだ。
もちろん、すぐ そこに来ている、全然、遠くもない、近い将来である。
だいたい、日本では昔から、「滅びゆく運命に入った家は、女の子ばかりが生まれやすくなるものだ」と言われる。
美智子さまも、紀子さまも、もとは「平民」だとか庶民の出だが、古い歴史上では、こういう事例が実際に行われていたとして、あくまで表面的形式を整えたうえで、公式の かたちを外に示す、ということは、一般には知られざるところで、少なからず あったのかもしれない。
いま現在の「天皇家」そのものですら、もとを ただせば、古来の本筋とは、かなり変わっているらしい。
「血」というものは、どこかで、大きく入れ替わらないと、そのまま潰えていくのが、「家系」やら「王朝」やらいうものにはハッキリ出やすい現象のようで、言わば、ここでも「新陳代謝」ということが ないと いけないのだろう。
あくまでも残したいものらしい『天皇家』という、殊のほか「古い」らしい血が、微かに微かに混じっているという「糠床」「だし汁」のようなものについて、
私個人としてもキーワードの一言を示すなら、
「自然淘汰」
これに尽きると思う。
やみくもに小細工して残そうとしても、しょうがない。
なにしろ、以前から指摘されていたとおり、『秋篠宮』さんの風貌などは、どちらかと言えば、美智子さまのほうの系統に近く見える。
その御子息が、また庶民出の母親を持っていて、いずれ『天皇位』となるわけだから、これも、「血の入れ替わり」なのだろう。
まさに、『明治帝』が深く恐れたという『崇徳上皇』の逸話を思い出す、とは、以前にも言ったけれど、ま、現実は、こういうものだ。
なしくずし、止められない、こういうことは、世の常である。
思えば、あの敗戦時に、アメリカの思惑など無視して、皇室廃止という筋を通せなかった日本人だ。
さしあたっては何よりも、まずは『大嘗祭』を無しにすりゃいいのに、
と思うわ。
もし、女性の天皇OKにするためには、
そして また、
「一切の宗教色を廃し、あくまでも象徴としてのみの存在」にするためには必要な手続きでもあると思う。
税金バカ喰いの『宮内庁』も、無しでいい。