2019.03.30 (Sat)
『『発達障碍』について、私なりの見解を少し。』の続き。
まあ、自分自身の実感で言えることは、
どんな障碍でも、中途半端は、いちばん、しまつが悪いと思える。
そして、
中途半端な知的や精神的異常者なら、そのへんにゴロゴロいるようだ。
ハンパな身体障碍は、たいがい、本人ひとり苦労する面が大きいが、
やはり、パッと見で分かりにくい場合もある内部障碍だから、はたの者が事情を知らないと、
知的や精神面での障碍は、本人よりも、むしろ、周囲の人が振り回されて難儀することのほうが多いと思う。
それが重なっていくと、当然、周囲からの怒りや不評を買うので、結局、本人も辛くなる、ってことだと思う。
大概は自覚もないし、いたって真面目にやっていて、はたに迷惑かけているつもりもないのだろうから。
ただ、、、
実際、周囲の者が、いっさい咎め立てせず、ひたすら許容し、全面的に受け入れているかぎりは、当の本人が、いちばんノホホンとしてる。
そういう状態なら、とくに問題も感じずにいられるのは本人ばかりなり、なのだ。
客観的に、自分を見ることも、反省することもない。
それどころか、
逆に、うぬぼれて、舐めてかかるようになり、
こっちのことを見下して、エラそーに言いよるで、
しまいには、
「黙って聞いてりゃウヌボレくさって、いっぺんブッ飛ばしたろか!!なにさまのつもり?!」
と怒り心頭になったことも少なからず あったよ、私は。基本的に穏やかで優しかったからねwどうやら、つけあがらせてしまうらしい。
でも、本人としては、悪気は ないのだから、あくまでも自分は悪くない、つもり。
つい、おかどちがいな人に向かってにエラソーなことを口走ってしまい、
それを咎められると、被害意識を持つ、
というのでは、自分勝手と思われても しかたないぞ。
私の場合、ハンパな障碍者としての立場で、最大の「敵」となったのは、むしろ、他人よりも、親だった。
いっそ、紛れもなく重度であれば、有無や否応、つべこべ文句を言わせることも一切なかったのだが。
そうであったなら、
根本が無責任体質であり、ミエを張ることによって「責任」を示しているつもりという混同を起こしていた うちの親は、どうしただろうなあと、たまに考えることが ある。
私を捨て子にしただろうか。
何とか理由を つけて、どこかに置き去ろうとしただろうか。
何度も私を脅してきたセリフどおりに、母親は、さっさと家出しただろうか。
それとも、
彼らのなかの遺伝が目を覚まし、発狂しただろうか。
ということで、
もしかしたら、自分はマイペースが過ぎるのでは ないか?
と、おりおり、自分自身に注意し、言って聞かせる心がけは大事ですよ。
過ぎた「マイペース」だけじゃないよ、
わりと平穏に日々が流れてると、ついつい、「自分棚上げ」になりやすいウヌボレ、もね。
ただ、これは、「健常者」についても指摘できることで、要するに、「挫折を知らない」とか苦労知らずな者ほど、ウヌボレがちってことだ。
つまり、客観的な姿勢を忘れないことが常に必要だということ。ハンパな障碍者は特に。
どうしても、一般社会に出て、仕事しながら生活せざるを得ないのだから、自分自身が しんどいのは勿論だが、当の自分側が、知らず知らずとは言え、思わぬ迷惑行為を及ぼしてしまうこともあるから、自覚が大事になってくる。
でも、その自覚が全くないことによる問題は、畢竟、表面的に「健常」の範疇に おさまってると安心してウヌボレてる「健常者」だって、じゅうぶんタチが悪い。
ウヌボレと言えば、
最近、就活に伴う「OB訪問」とやらで、お酒を飲まされ
(そもそも、べろべろになるまで飲まなきゃならないほどの必要あるか?上手に断れんの??と、女の子のほうにも言いたいけどさ)、
あげく、レイプされたという事件の表面化が相次いでいる。
商社マンというのは、うちの身内にもいるけど、やっぱり、皆が皆どうこうだと決めつけるわけには いかないが、少なくとも、はっきりと「幹部候補生」としてエリートとしての入社を果たすような男性だと、そもそも、大学に在学中から、つきあってる女の子やら婚約者が、すでにいる人も多いらしい。というのは、
女性のほうも、自分の身近にいる将来有望である男性は、ほっとかないわけで。がっちり掴んでおりますよ(笑)
ああいう「OB訪問」レイプ事件を起こしちゃう男はね、まず、ウヌボレてるんです。
勉強でけたオレ、
有名大学に入って、卒業して、一流の大企業に就職でけたオレ。
何やったって、オレには許されるんぢゃー!!
というウ・ヌ・ボ・レ。
まさに、この世の春、オレさまの天下ぢゃないかぁー!
春と言えば、女だ!!
そこへ、
自分で期待してたほどには、収穫を、いまだ得てないとなったら、それも また、
「オレさまこそは、何やってもイイはずなんぢゃー!!」病に掻き立てられ、犯罪行為に及ぶバカ。
ほら、エリートと目される官僚なんかにも少なくないでしょ。
ただ、要領だけはイイおつむなら、とにかく「手が後ろに」まわらないようにして、罪を犯す。
それすら できかねるアホーは、手が後ろにまわるような犯罪やっちまい、
その原因が、単純すぎるウヌボレにあったとなると、
これは もう、知的障碍者を嗤えない立場だよ。
知的障碍者と異なる点は、ただ単に、ガッコの(暗記第一の日本の学校教育における)勉強だけは、まんべんなく できた、それだけ。
最後に繰り返すが、
自分はマイペースあるいは、思い込み、独り善がりが過ぎるのでないか?
と、ときには、自分自身に注意し、言って聞かせる心がけ。
「マイペース」「独り善がり」だけじゃないよ、
ともすれば、「自分棚上げ」になりやすいウヌボレも。
けれど。
哀しいことに、
そういうコントロールは、もとより、性に合わないことなんだ。
性に合わないことを長年やってると、ストレスたまるのアタリマエ。
聴障者の私が、就職の面接でも、社内会議でも、「健常者」または健聴者の人の数倍は疲労困憊してしまうことと同じようなことなんだよ。
中途半端は、理解者が少ない、ひどく、気を遣う。そのわりに、責められる。
速いペースで疲れが蓄積し、積み重なっていくと、
ある日あるとき、張り詰めていた糸が切れてしまう、
そして、放心したように弛緩したまま戻れなくなる。
そんな状態になる。
結局、無理は続かないということだ。
ま、とにかく、
さしあたっては、少しでも早く気づけるかどうかが、第一の分かれ目だと思う。
まして、親がアテにならないどころか、ことごとく足ひっぱる敵にしかならないような環境だと、
自分で何とかして、環境を一から つくり直すなりして、生き延びないとならないからね。
そのためには、その悪環境を、一日も早く絶ち切らないとならない。
遅くなると、致命的。
むしろ、親が元気で強気で押してくるうちにでないと、正面きって戦えなくなる。
死も、そして病気も障碍も、誰にも代わっては もらえないのだから。