2019.04.03 (Wed)
なんだか、寂し~い印象だね。
スッキリしてると言えば そういう感じもするけれど。。。
敢えて喩えてみると、
『高松塚』古墳の壁画に描かれた女官のような、飛鳥時代の、「大き のり まします」的、素朴にして おおどか、ゆったりと ふくよかな女性の顔だちが、元禄時代に爛熟した芸能である「歌舞伎」の女役が代表したような、キリリと痩せて凄艶なまでの雰囲気へ、
というと、それこそ「人工美」というような感さえしてくるが。
まあ、夜桜見物のための提灯に書かれた字面なんかの写真を見てると、いっそう、そんな印象を受ける。
なんとなく江戸期めいた古風感もあり、そこはかとない寂しさの漂う感じもある。
要するにね、
『令和』の令が、「冷気」の冷に見えてくるような(苦笑)
つい、「冷気※年」とか口走ってしまいそうで、いまから怖い。。。
なんせ、「失われしン十年」のあとだもんねw
何ら実績らしいものが ないどころか、マイナスだらけにしてしまった安倍政権の、相変わらずな、ここぞとばかり、鼻につくイベント演出ぶりとか、
か~るいミコシの安倍ちんの、相変わらずな軽薄短小ぶりとか、
そもそも、「元号」制に対する批判等々は、ここでは さて置くとして、
私個人も従来から、『キリスト教』を基底に置いているらしい西暦一辺倒にするというのは、多少の不満が あるものの、
今回の「元号」には、自分から使用することを避けたくなるのみならず、やはり、公的な書類の場面でも、できるだけ、見たくない気が してしまう。
元号なんてものは、せいぜい、貨幣などだけに残しておくていどでいいんじゃないかな。
強制ではないと言いつつも、役所の書類などは、「和暦」でしか書き込めないようになっていたりして、
ま、こういう やりくちが、昔から日本の公が得意とするところである。
現憲法が保証している『天皇制』(それもあるから、天皇家は、現憲法を大切に、と常から主張するわけ)、
その大前提に、「日本国民の総意に基づく」云々という欺瞞が堂々と記されてあるように、
「選択肢」を保証・保障しておりますよ~んと、表面的には言うけれど、
内実は、真綿で首を絞めるてな やりかた。
だから、日本人はイヤラシイと思われちゃうんだろうね。まさに「スネ夫」的なイヤラシサだもの(爆)
うん、さしづめ、現シュショーや、ネトウヨ総本山らしき『日本会議』のメンツそのものの姿じゃんか(爆)爆)
私自身も、日本人の気風といったものが、どこか合わないような感覚が ずっと あったので、おとなになったら、実家を出るどころか、日本を出たいと思っていたものだ。
まず、障害、そして、親の問題とかに足を引っ張られなければ、さっさと実行してたと思う。こういうことは、若いうちでないとね。
わりと最近のエントリーでも、
かつての『昭和』や現在の『平成』という呼称を例に、「名前負け」という皮肉な現象が ありうる、という話を した。
「和」と付けたせいか、かえって、大戦争を招き、さんざんな敗戦を喫する結果となった『昭和』。
後半においては、あくまで表面的な「経済大国」としてのし上がったように見えるけれど、それも、うたかた。
そうして、
「平らかに成」らなかった。
国土も、人心も、大きなデコボコだらけ。
非常に頭が良いはずの人でも、日本は、かつての勢いを取り戻すべく、いかに稼げるようにしていくのか、「経済の立て直しを!」といった論ばかりを展開する識者たちは、掃いて捨てるほども多いようだけれど、
今後は、こういう「枠組みに囚われた」ような論それ自体に対する疑問を持ち、客観性を問い直すべき時代に入ったのでは ないかと思う。経済でも、軍事面でも。どこの国家もだ。つまり、人類的課題。
要するに、
たとえば日本の現況、「少子高齢」の問題は、むしろ、誇りにすべき医療と福祉の高度化が齎した恩恵の現れとも言える結果、「高齢者が増え過ぎて」というよりも、第一には、人口のアンバランスから起きている面が大きいし、一般国民・大衆が、素朴に単純に、「子どもを持つ」ことが妨げられやすい情況・状況となっているのであれば、そこを分析し、改善していかなければ ならなかった。
あくまで私個人的には、子を産み落とすことに抵抗感つよいけどね。
ましてや、これからの日本は、戦争でなくても、大災害が、いよいよ頻々と起きるであろう国で、よく産めるなあ、と感心するのも通り越して呆れるけどw
まあ、こないだは、かねてより私が考案してあった「世界養子」を提案しておいたがwいずれにせよ、「親」とか子産みというのは、
「道連れ」にせんものとするシタゴコロ
である以上、しょせんエゴの世界には違いないですわww
「マカク猿」の世界を観察しても、自分自身や自分たちグループの勢力維持・拡大は、人間と同様、それを最も重要としているのは明らかなようで、
しかも、猿たちは、人間ほどの計算や下心で細々したことまでは当然、考えないからね。
とある雌猿ときたら、ボス猿にモテるらしいものの、次々産んだ子猿は、長女は病気持ち、長男は知的障碍、やっと普通らしい娘が生まれたら、それは幼くして あっけなく事故死、最近、また産んだ息子は、見るからに弱っちいと、こんなんばっかりだ。
でも、
例のアブノーマル・マザコンの知的障碍者である息子を産んで、一時は大いに悩んでいるようすではあったけれど、結局、いまでも、そのアホ息子を一番、可愛がってるところを見るとw
人間の世界で言われるような
「子に条件を付けないと愛せない」
ということでは なさそう。
ちなみに、最近のエントリーで付け加えるのを忘れたが、
知的や精神面の病気とか異常が あることと、あたかも引き換えのようにして、何らかの特異的才能や能力が あるに違いない、という考え方自体が、「条件を付けないと愛せない」ことに通じるよ。
「自分の子」「自分の!」ということに拘り過ぎるのも、同じことだ。
生殖の問題というのは、繊細・微妙になればなるほど、うまく いきにくいものなのかもしれない。
だから、だらしない者ほど、だらしなく、子どもをホイホイぼこぼこ産みまくるというのが、ありがちなことでw
おまけに、人間社会では、ことに、こんにちの日本社会では、
ぽこぽこ産んでボコボコ殴り殺す、
そういう、猿以下の社会になりつつある。
年齢が高くなるにつれ、女性は妊娠・出産に悪影響が出易いとか、男性ホルモンの減少とかいった支障が、「晩婚化時代」には必然として伴ってくるし、
科学的には本当のところ どうなのか知らないが、たとえば、女性の場合は、パソコン仕事を長時間するだけで、婦人科の病気を負いやすいとかいう説も、どこかで読んだことが ある。
「アジア」何番目の経済大国だの「G」何ヵ国のうちに入っておらずとも、軍事に税金を注ぎ込んでおらずとも、
国民や民衆が、まずは平和に、そこそこの水準の生活を送れる、穏やかな国であることは、けっして不可能ではないのじゃないかということ。
そのためには、どうするのが良いのか。
各国のケースの研究も、もっともっと深くしてみたらいいのにと思う。
冷たい空気が、この列島を覆わぬように願いたい、
と思ってたら、新元号が発表されたとたん、
とうに4月だと言うのに、なぜか、冬の寒さが戻ってきた
なお、その「骨皮筋ヱ門」さんは、並んで立っていた仲間の桜の木たちと共に、ばっさり切り倒されていました。。。
『花は、騒がしい人間のことなど 知ったこっちゃないのだろう』