2019.03.28 (Thu)
『けしからん『ソフトバンク/ヤフー』』の続き。
それにしてもだ。
最先端技術を つかさどる世界の代表格のはずだろ?「インターネット」ってのは。
そのなかでも、『ソフトバンク/ヤフー ジャパン』は、国内で最大手の一角じゃないかい。
それが、ひとたび何か問題が起きたら、
聴障者にとっては泣き所の、ややこしい電話案内のみかよ。いやはや、えらく素朴なこって。
まじで、この際だから、今度こそは、プロバイダーから変えちゃる!
と思ってたんだけど、
最初に相談させてもらったスタッフのニイチャンに、
「これまで契約してきたものを止めて、新契約となると、違約金とか工事代金とか発生しちゃいますから、正直、おすすめできません」
と言われた。
でもまあ、カスタマーサービス電話番号を調べてくれて、教えてもらった おかげで、なんとか、なんとか、かたづいた、ようだ。。。やれやれ。
と思いきや、
なんかイヤな予感が、なお残る。。。
というのは、
『ソフトバンク/ヤフー』が寄こす宅配業者から、うちに来る直前に、予告電話一本、入れてもらえないですかねと尋ねたら、大まかな時間は指定できますが、電話の御要望については お受けできませんということだったので、しかたない、
こういう場合には、玄関ドアを開けっぱなしにする、もしくは、ドアの傍に立ちっぱなしで、ひたすら待つのよ。
相手が来るまで。1時間でも2時間でも。
真冬の風が吹き込もうとも、真夏の熱風が押し寄せようとも。
なぜって、ドアホンも聞こえないからね、私の場合。
先日は、寒さが戻ってきた感じだったし、『ソフトバンク』の店舗を探し回って疲れたせいか、カゼっぽくて、体調が良くないから、玄関のドアを開きっぱなしにしておいたあと、ちょっと横になってたら、タイミング悪く、業者が やって来ていたのに気づかず、
そそくさと「ご不在連絡票」だけ置いて行かれちゃってた。
だいいち、
何度も念押しといた予定時間帯と違うがなー!!サガワくんよぉ!
あわてて、電話受付に、再配達を頼もうとしたら、なぜか、受付の女の子の声が、
「お客様の お声が聞こえません」
とか言ってるようだったが、アッサリそのまま、冷たくプツン。
あ?えっ?ちょっとお!!
それは、こっちのセリフですがなー!!!
たいがいの場合、玄関ドアが大きく開いてるのに、インターホン鳴らしても、玄関先へ出て来なかったら、大きめの声かけて呼んでくれるんだけど。
もう一度、配達担当の人に電話し直して、これから持って来てもらいたいが、何時ごろになります?と聞いても、ハッキリとは分かりません、多分、夕方の5時ごろまでなら、なんとか、、、と言ってるらしい。
そんなら、5時までということで待ってます、玄関のドアホンが聞こえないから、ドアを開けっぱなしにしてあるので、もし出て来なかったら、大きな声で呼んでくださいね、と、あらためて念押し。
というわけで、終始、スッタモンダが続いた。
なんだか、うちのクソ親と『ヤフー』が、がっちりリンクしたかのような構図だった。。。
だが、
私にとって、このメンドクサ~イ「構図」は、人生の様々な場面において定番パターンとさえ言えるものだ。
何故かは知らんが、呪いなんだろうな、母親の。
私の障碍特性上の必要から言っても、特に、メールや、聴力を必要としない調べものなどの有用性は あるから、ただクサすばかりにするつもりは ないのだけれど、
マスコミ業界も含めた商売人、その御用達の政治屋、そのまた御用達の役人ども、
それらを戴いているだけのことは ある一般国民・大衆が、どんだけ~;なレベルなのかということも思い知ってしまったのは、インターネットの世界を通してならではだった。
ネットを使ってなかった頃は、いまの世のなか、これほどに、バカが跳梁跋扈してるとは、想像の外だった。
「パソコンやインターネットなど ないほうが、しあわせだった」という意見にも頷ける気が してくるな。
「こんなもの、イラネ!!」のなかに放り込んでしまいたくなるような気も してくるよ。
さて、近く行われる統一地方選挙、そして、参院議員選挙。
そこで、懐かしの1曲を。
〽これから始まる大レース~
ひしめきあって いななくは~♪
「駄馬いっせいにスタート!!」
でもでも、1頭2頭くらいは、駄馬じゃないのも混じっている、と思いたいわなあ。
そうでないと、ますます無気力に陥ってしまいそうだもの。。。
ちなみに、
以前の地元首長の選挙で、候補者が、いずれも『自民』か自民寄りの党から出てるという、異常なほどの狭い選択肢しかなかったので、
思案投げ首を繰り返しても、どっちの候補者にも投票する気になれず、
なおも迷いつつ、とうとう、投票所に着いて、そのなかに入り、白い投票用紙を、意味なく凝視しながら、筆記具を握っても、なお、決めかねていた。
いつまで そうしているわけにも いかない、投票所のスタッフたちに不審に思われてしまうと焦ったあげく、
「全員、イヤ!!」
と書いた用紙を投票箱へ
もちろん、「無効票」にしかならないわけだが、どうにも こうにも、ゲンナリする候補者しか いなかったもんで。。。
「白紙投票」はダメだという基本の考えを堅持する私が、このようなことを したのは、それが初めて。
願わくは、選択肢が あるようでいて、どれも選択したくないという、ある種の「拷問」めいた選挙だけは、御免蒙りたいものである。
しかし、
「選択肢が あるように見えて、実は選択になっていない」、
こういうことって、選挙以外の場面でも、私の人生では、けっこう多かったような気が する。。。
一例を挙げると、
聴覚障碍者なのに、よりによって聴覚を駆使しなければならない仕事のための養成学校へ進学せざるを得ない情況へと、母親の意向で、追い込まれたこととか。
母親に言わせれば、
「アンタには、この道しかない!」
ということで、そっちを選びたくないのならば、
障碍のことを隠し通し、あくまで健常者として、普通に就職すべし、さあ、どっちにするんだ?
という、母親が設定した「二者択一」的情況になってしまっていた。
それ以前、
そもそも、幾つかの理由で失敗した大学入試でも、まず、ヒアリング式のテストに、全く、歯が立たなかったのよね。。。
就活の面接でも、確実に、「健常者」の数倍は、エネルギー消耗してた。
だから、
それこそ「就職氷河期」なんて、何十社と面接を繰り返すのはアタリマエと言われていたけど、私には無理。ほんとにブッ倒れるよ。
あのころの母親の胸中では、いったい何を期していたのか、現在の私は察している。
つまり、私に対する常日頃の口癖だった、
「おまえのは障害なんかじゃない、単に、性格の問題なのだから、根性と努力で、どうとでも できるはず」、
ひいては、
「私の娘は、障害者なんかじゃございません!」
ということに したかったからなんだ。
要は、
私が、「健常者のフリ」を終生やり通せることを、固く望んでいたわけ。
母親の知人たちのなかで、障碍者福祉に関わっている人たちは、私の将来に深刻な影響が残るだろう、と忠告していたらしいのだが、うちの母は、ろこつに不快な表情を浮かべて、無視を貫いていたと、これは、母親の死後になって、親しかった人から打ち明けられたことだ。
もともとが、おつむボンヤリ、性格おっとりなタイプで、最初から、他者を むやみと疑ってかかるマメな性質では全然なかったので、巷間、よく聞くところだった
「条件付きでないと、わが子を愛せない」
といった、いわゆる「毒親」の問題が、当の自分の親に該当しているなどとは、私は、つゆほども気づいてなかった。ひたすら、自分を責めていた。
なんせ、アル中・酒乱の亭主の存在さえも、うちの母親は、自分の健気さ、正義の立場としてのイメージづくりに利用していたとも窺える。
また、
子である私にしてみれば、親父を信用できるはずもないのは、火を見るより明らかという感じにならざるを得ないから、どうしても、母親に つくしかない。
いかにも太っ腹でアネゴ肌的な、気性は非常に激しいが、きっぷの良い女であり、親であるという演出のための仮面を被っている母親の、その仮面の下の異形の顔に、全く気づいていなかった。
恐るべき計算高さ、駆け引き好き、くだらない見栄っ張り、
その動機は、やはり、娘の私でも、なかなか理解し難いほどに深い劣等意識だったようだ。
じつに、母親が亡くなって、だいぶ経ったのちだ、やっと気づいたのは。
これを選んだら、いずれ詰むのは 目に見えている、
あるいは、
どうにも せっぱ詰まって、
「どれも腐り始めているのは分かっちゃいるが、とりあえず、傷みが より少ないものを拾いあげるしかない」
という情況のなかでの「選択肢」。
それは、「選択死」への道。