2019.03.08 (Fri)
『「そのうちに、脳も死なんうち すげ替える」』の続きです。
血管が細いらしい私自身も、入院時、通常では ありえないほど長時間、点滴の針を挿入したまま、しまいには、腕がパンパンに腫れたことも あったし、
全身麻酔、また、局所麻酔を必要とする手術を受けた経験が あるのだが、
もともとは楽観的な性格でもあるせいか、初めての手術前の私は、わりと平静で、医師たち医療側を信頼していて、当日のオペ スタッフのなかに、偶然、小学校時代に仲良くしていたクラスメートが含まれていたことが判明したことで、意識が飛ぶ直前まで、取り囲むスタッフたちの笑い声に包まれつつ、意識が飛んだ。
それが、
手術後、覚醒したとたん、
それまで経験したことがないほどの凄まじい苦痛が襲ってきて、
そのおりになって、自分は、普通の痛み止め処方が全く効かない体質であることを知った。
なので、
いまでは、私は、今後、どのような病気になって、また手術が必要ということで、からだにメスを入れなければ ならない事態になっても、手術後の激痛が緩和される保証がないかぎり、あの苦痛を思うたび、メスが入る手術は拒否するつもりでいる。
そのかわり、病気そのものが齎す苦痛に耐え、そのために、死の訪れが格段に早まっても、これも承知のうえでの「選択」、と せざるを得なくなるわけだが。。。
私の場合、自分の生来的肉体的な弱点から来るであろう病気と、それに伴う苦痛のことは、何度か繰り返してきているので、おおよそ分かってるものの、
それでも、その時になってみないと分かんないね、結局は。
相も変わらず、苦労知らず、もの知らずゆえなのか、おつむに欠陥でもあるのか、あさはか極まる「ヤフゴミ」どもに言っとくわ。
これで何度目かいな。
あのね。
人間、死そのものを恐れるよりも、
痛みや苦しみのほうが耐えられないものなの。
そして、それは、
自分自身で体験しないかぎりは軽く考えがちなものなのよ。
ただ、目の前の苦痛から逃れられるほうに向いてしまいがちで。
本人は勿論、家族でさえもだ。
病院の付き添いも、看護も、患者を大切な存在と思っている家族でさえ、長期にわたると疲弊してくるし、
家族までもが何らかの病を得てしまうこともある。私も経験者。
私は、だいぶ前に、ある人から、告白されたことが ある。
その人は、アメリカ人と結婚していて、アメリカ在住なのだが、末期癌の実母を看取るために、日本へ帰国したところが、
なかなかシッカリ者の賢い人なので、看護師の教えどおりの在宅看護が行き届いたのか、思いのほかに、おかあさんは延命し、それにつれて、日本での滞在が長引いて、看病を引き受けていた本人は、早く自分の家庭に戻りたいあまりに、敢えて、母親の死期を早めるよう細工した、という告白だった。
ましてや、いつもいつも、痛い、苦しいなかに置かれてきていると、からだだけじゃなく、それに引きずられる気持ちは滅入る。
どれだけの冷静な判断力が残るだろうか。
もしも、同じ苦痛を、再度、経験することになっても いいと(通常レベルの出産なんかは その類で、ほとんどの人は一過性の苦痛だし、軽い人は本当に軽くて、回復も早いから、また出産したいと思えるのだろう)、
そう思えるということは、それは、それほどには大した苦痛じゃなかったということでしかない。
自殺しようと思うのも、このうえ なおも生きてるほうが、より苦痛だと思うからでは あろうが、
まさに その瞬間のことは、決行した時点での本人にしか分からないことだし、
殆どの人は、究極の苦痛のことを想像するから、なんとか避けようとしながら生きているのが実情かもしれない。
もし、苦痛さえ なければ、現状の何倍もの自殺者が増えることだろう。
私の旧ブログでも披露したことが ある実話だけど、
ある女性の母親が、癌か何かで臨終まじかとなり、その娘である女性ら姉妹が見舞いに行くたび、なんとか、母親の気持ちを引き立たせようと、彼女が常々、それまでの人生最高の楽しい想い出としていた、夫と共に過ごした外国暮らしの想い出へと、水を向けても、ただ、虚しそうな表情を浮かべるだけになってしまったのが哀しい、と言っていたのを憶えている。
そして、その母親は、いまわの際の苦しみに臨んで、誰を呼んだかというと、
「おかあさん!」
自分の夫でも子どもたちでもない、
とうの昔に亡くなっている母親だったというのだ。
「透析」問題に話を戻すと、
いまは、かつてよりも、苦痛などが軽減されてきては いるそうなのだが、それでも、基本的には、まだまだ苦しい処置方法のようで、やはり、「もう厭だ」と言いたくなるほど辛いことのようだ。
そりゃあ そうだろうと察する。
いくら「治療」と称しても、もとの健康状態に戻るわけでは ないのだから、患者は、その後の人生で最後の最後まで、膨大な時間と労力を費やすことになり、その間も、水分を始め、摂取するもの全般に、細心の注意を払いつつの、しんどい生活となる。
ちなみに、私の過去の経験と、身うちの医者のことを考えるに、
医者(また看護師も含め、多くは)、身も蓋もないと言うか、無神経と言うか、ある面で冷酷な部分は ある。そうでなければ務まらない仕事という実際も あると思う。
今回の報道のケースも、私自身は しろうとなので、よくは分からないけど、
当該患者さんの場合、透析中止後、ものの数日で、大変な苦痛状態になってしまったところを鑑みるに、すでに、そうとう悪化してしまっていたのでは あろうか。
記事の説明を読んだかぎりでは、最悪の体調に陥ってしまっている場合は、敢えて、透析処置を行わないという医療的判断も あるそうなので、
ということは、
何らかの理由で、ひとたび、透析を中断したために、その間、状態が悪くなってしまい、また そのために、今度は本当に、透析を再開することさえ不可能になってしまう、こういう場合も ありうるということじゃないの?
この患者さんは、医者の提示のなかから、透析中止を「選択」したうえで、では最後まで、この病院で お願いします、ということで、当の『福生病院』に入院したという経緯らしい。
ところが、本人も想像以上の苦しみで、担当医も、苦痛緩和処置を施していたとは いうが、とうてい、追いつかない苦しみだったようだ。
おそらく、私の場合と同様、継続投与不可となっている鎮痛剤の切れ目が来ると、耐えられない苦痛に襲われたのではと思う。
それで、こんなことなら、透析を再開したいという気持ちを訴えていたようなのだが、医者側は、それに取り合わなかったらしいということも、記事の どれかで読んだけれど、どうも、このへんに、問題の本質が あるように思う。
「インフォームド コンセント」に深く関わることだし、ここは追及してほしい。
例の長谷川某が起こした騒ぎの あのとき、猛反発の一員を つとめていた連中までもが、それも忘却の彼方なのか、
今回も、カネと「自己責任」のヘリクツでもって、病院や医者側の肩を持って やまないようだから、毎度のことながら、こやつらの「民度」とやらと、そのメデタきオツムには、ほとほと呆れるのみ。
どういうものか、
私が、ずっと糾弾してきた「汚気・愚」 、そこで遭遇した「カルト連」のなかにも、『オウケイ ウェイヴ/おしえてgoo』で質問を投げかけては、やれ、自分は医療関係者である、だの、「代替医療」についてウンタラカンタラと頻りに述べていたのを、不審に思ったことも ある。
あれ以来、私自身、自分で極力、調べあげたことのなかには、
「ヨメは看護婦で、『ホメオパシー』推進活動に いそしんでいる」者も含まれている。
それにしても、このテの活動は、一般の人々に知られざるまま、そうとう長く続いてきているのだろうかと思うのは、
私が20歳代だったン十年も前、当時の同僚女性から、ふと聞いた話を憶えているからなのだが、
その同僚が、初出産で長女を産んだおり、間もなくして、あかちゃんが血を吐いたので、仰天して、病院へ駆け込んだところ、一般的には投与されているはずの「ビタミンK」だかが未投与だったせいということが判明したということだったらしい。うろ覚えだが、おおよそ、そんな話。
そのときの私は、「ホメオパシー」だの「レメディ」云々について、ほぼ全く知らなかったので、「へえー。。。」としか思わなかったのだが、
あっ、そういえば、、、
と思い出したのが、例の「カルト連」との経緯のなかだったわけ。
【追記】
ちなみに、くだんの もと同僚の御主人は自衛隊員であり、
夫婦そろって、忠実なる『自民党』支持者。
符号が合い過ぎることに、私が気づいたのは、やっと近年。
…このままだと、ほんとうにダメになるな、この国は。
それを悦んで活動している連中が、「ヤフゴミ捨て場」と言い、ネットじゅうで跋扈しているわけ。
悪意を自覚アリでの者も いるし、もちろん、全く自覚なしのメデタい軽薄短小も大勢いる。
あれだね、これも やっぱり、『日本会議』系の一派ですかな?
再び三たび言っとくが、
現首相のアベシは、自分一個の くーだらない執着心のために、周囲を巻き込み、倒れさせること必定でも、決してやめない、
そういう忌まわしい性質ですよ。
ここに至って、さすがに もうハッキリしてるはずなんだけど。
倫理感覚を投げ捨て、自浄能力皆無な古だぬき自民党と、
「おつむとミコシは軽いがよい」を如実に体現している、ことごとく自覚に乏しい現首相、
これを返り咲かせた『日本会議』および、
その中心的シンパを なす「ビジネス ウヨク」の目論見どおりに、
ただ今、あらゆる「民度」が激下がり中の、
「この道しかない!!」亡国路線まっしぐらな日本。