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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2019.03.08 (Fri)

むかしの実家の近所の人が、酒飲みでもなく、いたって質素な生活ぶりで、もともとホッソリした体型ながら、中年期のうちから腎臓を患い、透析治療のため通院して長かったこともあり、腎臓移植について少々関心を持っていた うちの母なんかは常々、
「家族や身内の臓器を もらうんやったらエエけど、他人の臓器を欲しがってまで延命したいとは、あつかましいにも ほどが ある」
みたいなことを言っていて、同時に、
「自前の臓器がダメになったら そこまでと、潔く、死を受け入れるべき!」
と主張していた。

それは さて置き、

皮肉なことに、うちの母は、輸血なのか他の原因なのか、結局は不明なまま、『C型肝炎』ということで患っていたのであるが、もしも、移植で良くなるのなら、肝臓を提供するよ、と私は言っていたのだが、

それ以前に、大きな手術に耐えられるほどの体力も ないところまで来てしまっていたうえ、
最終的には梗塞が直接の引き金になって、数度に わたって倒れ、それが死因となった。

 

ちなみに、

家族間での臓器の移植は、けっこう、その家族内に蓄積された関係性や心理などが絡んで、むしろ、全くの他人間で遣り取りする以上に、意外なほど難しい問題を孕んでくるらしい。

この点、昨今の国家的課題の一つである、家庭内介護の問題とも共通している面が ありそうだ。

 

 

さて、

当エントリー表題の一句()は、

私が20歳代だったかな?その頃、臓器移植の話題がクローズアップされてきて、テレビ番組でも、よく取りあげられるようになっていたのを憶えているのだが、

なかでも「脳死」による臓器移植について賛否両論にぎやかだったおり、みずからの印象と予感とをもって詠んだものである(苦笑)

 

 

ヒトの臓器もった動物の出産、解禁 文科省が指針改定
3/4() 6:50配信

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190304-00000006-asahi-soci

「ヒトと動物の外見が混じった個体が生まれる可能性は、極めて低いとされる。」

 

えええ~っ!?

ちょっとちょっと

ということはだよ、

ごく稀には「生まれる可能性」も あるってことかいな?ガクブル

 

 

ともあれ、

大局的に観れば、人間と、その他の哺乳類とに、それほどの生物学的差異は ないんだと、むかし、科学系の記事で読んだことが ある。

ましてや人間どうし、しかも、兄弟姉妹、姪や甥といった、血の繋がりが ある者どうしとなると、ほとんど差が ないに等しいので、
「自分の!」「自分の!!子ども」
に拘る必要もない
という内容だった。身も蓋もない感じだけどさw

 

 

たしかに、特に知能が高い種類の哺乳類ともなると、いろんな面で、ヒト族に ごく近い感じを受けるし、

生きている肉体あるゆえの「喜怒哀楽」の感情なんて、ほぼ、われわれ人間と変わらないように思える。

 

この年末・年始に:人は、獣に まさるところなしw

 

 

とりわけ、出生数の問題が、昨今の わが国では盛んに指摘されているが、

日本には珍しく先鞭的、希望の持てそうな「ips」技術、これの発展しだいでは、

それこそ、自前調達による「すげ替え」「すげ替え」でもって、全身を すげ替えていき、

そして、やがてのことに、
老いを避け、いつまでも現役バリバリ、死を迎えることさえもなくなれば、

子どもが生まれないー!年金がー!!といった深刻な国家的悩みすらもカバーできるじゃないの?という感想を持ったものだw

その際は、優秀で容姿端麗な者だけを篩いにかけ、選り分けていく、とかねww

 

まあ、それは、なかば冗談だが、

子どもの出生数についての問題なら、わたしゃ、何年も前、旧ブログで、大雑把ながらもアイディアを披露していたのよ。すなわち、

古今東西、せっかく、世界じゅうに溢れてやまない孤児たちのうちでも、見込みありそうな幼児を連れてきてですな、
日本が、国家の責任において引き取る。

そうして、日本が、国家の責任における、良質な養育を施すと同時に、
日本に対する深い愛着をも自然と備えるよう育てる。

なかんづく教育、学問においては、最上レベルのものを与え、高い知能を有する子どもは、わが国将来のエリートとして、また、何らかの分野で才能が見受けられる子には、英才教育を施す。

 

どうです?
なまじな「移民」政策よりは、人助け性と将来性が見込めてイイでしょう?()

ましてや、

親は ないほうが、子は育つ!

ここまで劣化した日本だ、

バカ親、毒親が、せっかく産んだ子どもを虐待し、その人生を台無しにし、あげく、嬲り殺しにするよりはサw

 

 

いきなり、話題が変わるが、

これも「毒親」であった、うちの母親は、満天の星空なんか見てたら、息が詰まりそうになって、気分が悪くなってくると言ってたw

 

太古の昔に発した夜空の星々の光、その隙間に存在し続ける漆黒。

眺めていると、つくづく孤独を感じる。
すべてが雁字搦めに繋がっていて、かつ、孤独。

 

学校の数学さえ不得手でなければ、宇宙分野の研究者になりたかった私ではあるが、やっぱり、「宇宙は美しい」なんて、とうてい思えないの。むしろ、たしかに、キモチ悪いわよw

 

 

何度も指摘してきたように、

人間は、不条理や理不尽や無意味には耐えられない。

だから、知ろうとする。探求する。

 

動物の一員としての欲求は そのままに、それだからこそ、

この地上で随一の知性を持ち得たヒト族は、そりゃ当然、欲望を満たすためにこそ、突出した知能を用いる。

 

それも これも、この世が厳しく、むごい世界だからだ。

その むごさでもってこそ、精妙この上なく回っている、この世界。

 

宇宙ごと、一瞬にして無くなればいい、と思うことも ある。

 

なければ ならない理由なんて、もともと ないのだから。

 

 

ところで、最新のニュースで、やっぱり出てきた、「透析」の問題。

これは、以前、例の長谷川某というのが、ブログか何かのなかで盛大にブチあげて、世論の猛反発を招いたことを思い出させる。

あの長谷川某も、どこぞの医者と結託しているということだったし、背後に何が控えているのか。

どういうわけか、このテの医者や医療者が跋扈し始めているのか?
という感じ、「ヤフゴミ捨て場」のコメントを眺めていても、ちょっと目立ち始めているなと、私は思っていた。

 

 

さて、

今回の報道で取りあげられている患者さんと御家族は、透析を中止後、別様の苦痛が襲ってくることを、どの程度、理解しておられたのだろうか。

 

私自身としては、「安楽死」についても、本人が「正気」のうちに、冷静に、その選択をした、はずであっても、やはり、そう簡単な問題では ないのだな、ということを、あらためて思い知らされた。

 

 

本人が「正気」や冷静、と言ったところで、

いいですか、皆さん。

これは、どんなことについても言えるだろうが、

一度でも、直面したことが ない者には、

なにも分かってないに等しいのです。

 

自分自身で、直面していないうちはね。

 

同じ自分は、同じじゃないんだ。

 

経験していない自分と、経験することになる あすの自分とは、違う人間なんだ。。。

自分自身のことでさえ、未経験のうちは、他人事なの。

 

「安楽死」についても同様。

以前から、私は疑問を抱いているのだが、

「安楽死」の「安楽」って、いったい誰が確認したうえで言ってるのかな?と。

 

 

【続く】

 

 

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