2015.01.23 (Fri)
こういうセンセイの授業を受けてる学生だったら、私なんか、手を挙げてツッコみまくりだろうなあw
『仏紙襲撃事件は、強烈な普遍主義同士の衝突』
東洋経済オンライン 1月21日(水)6時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150121-00058478-toyo-int
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4つの類型のうち、「直系家族」は「自分たちとそれ以外」と考える。思考パターンはそれしかない。これを拡大していくと、「日本人とそれ以外」と考え、「日本人と外国人は違う」と、なる。ドイツ人や韓国人もそのように考える。「直系家族」のグループ同士はぶつかりやすい。ドイツ人とユダヤ人、日本人と韓国人がそう。
これに対して、「平等主義」のフランス人の考え方は、人間はホモサピエンスであるから、同一であると考える。そのことに比べると、「人種」「言語」「宗教」などは微細な違いでどうでもよいことでしかない。「男女」の差異すらも大きいことではない。これは例えば、フランスのフェミニズムと米国のフェミニズムの違いに現れている。フランスのフェミニズムは「女性という性」をまったく強調せずに、ただ、同権を要求するだけだ。こうした考え方が「一にして不可分」ということであり、フランス人になってしまえば、皆同じということ。
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トッド氏の「家族類型」説は、私も以前、どこかで読んだときに、なかなか興味深いものだと思った。
でもね、あまりに何にでも当てはめて、それこそ「信じる」ようでは、無理があるかもよ。
そういえば、このトッド氏、日本も核兵器装備したらいい、とか言ってるんですってねw日本国民として喜んでいいのやら、よくないのやらww
だって、
しかし、日本とドイツは、同盟組んで仲良くしてたんじゃないんですか?(笑)
実質、植民地だった、「2等国民」扱いだった朝鮮の人たちには、彼らのハングルを、こちらから逆に学ばせてやったと恩に着せる反面で、日本語を厳しく強制したともいうし。どっちやねんw
いま、何かと衝突しがちな中国の問題もありますがね(苦笑)かの国では、家族や仲間と見做せた、ごく限られた関係者以外には、まず、本心から気を許すことはない民族性だか国民性があると、あちらの人の話を読んだこともありますよ。
フランス人が、「人間はホモサピエンスであるから、同一であると考える」のは、私自身も基本的には、そういう傾向なので、他の日本人たちから、「あなた、日本人離れした思考だね」とか「日本女性らしからぬ性格だ」とか言われることがあるのだけれど、
「人種」「言語」「宗教」などは微細な違いでどうでもよいことでしかない。「男女」の差異すらも大きいことではない。
本当に どうでもよいのなら、気にせず流すでしょうにw
むしろ、すごーく気になってしょうがないからこそ、とことん差異を消し去らせて、しかも、自分たちに同化させようとするんじゃないんですかね?
それと、私は、フランス語は、英語以上にサッパリ分かりませんが、聞くところによると、この世のありとあらゆるものに、男性名詞・女性名詞と、性別分けしたコトバで名付けてあるというじゃありませんか(笑)
そうそう、余談ですが、あちらでは、ちょっと道を尋ねた警官にいたるまで、女性へのナンパが激しくて、もう油断も隙もないと聞いたこともありますがw
さて、前回のエントリーでも、再度、この疑問を述べた。
『センセイ、質問です。「人を殺しては、なぜ、いけないのですか?」の続き 』
私は、これも、先日のエントリーで言ったように、
イスラム教の教義からくる問題云々以上に、現にフランス人としてフランス国内で生育しながら、ああいう事件を起こしたという経緯や原因のほうに関心がある。
それでも なお、今回の事件では、犯人となった兄弟が、孤児院育ちであったということで、ということは、イスラム系としての個々の家庭内ではなく、よりフランス公共の精神に近い場にて生育したわけだから、本当なら、彼らの同胞たちより もっと、イスラム的なものから脱していてもいいはずじゃないのかと思えた、その疑問は氷解しきれない。
それと、
日本人にとっての不快な記憶としては、先ごろの、わが国 東北方面の大災害において、原発事故に伴う被曝問題をネタにした、品性のカケラもない「風刺画」が、いっとき問題になったけれど、これについては、当該記事における指摘が、どう当てはまるのだろうか。
しかも、
同様に、わが国の被曝者のことをネタにした「風刺」の問題は、イギリスのテレビ番組においても見られたという、これも、いっとき、話題になっていた。
イギリスといえば、こんにちまで尾を引き続けるイスラエルとパレスチナの厄介極まる問題を引き起こす原因を つくった国なのだと、学生時代の歴史の授業で習ったことは、印象に つよく残っている。
まあ、日本とは、伝統的宗教観のありかたも根本的から異なっているのであろうし、多分に、日本の宗教なるものが、そもそも「宗教」の域に達し得ていなかったという見解もある。
他国では、一般個々の生活・人生の背骨を成すほどにまで一体化した重い規範として営々と続いた存在感を、明確な「宗教」という存在に求める人が少ないほうである日本において、ある激烈な個人崇拝の続いた特異的時代を通り過ぎてからは、いよいよ切実さにも欠けることとなった「政教分離」なる看板に、いまだ、あくまで上っ面だけの面が残るのは、私も、過去から何度かは言及してきたことだが、
言わずと知れた「天皇制」のこともあるので、否応もなく譲歩しておくものだという、わが国では、一種の習い性にならざるを得ない面はあるのだろう。
これを敢えて真正面から突きつけ、喫緊の問題化しようとしたら、どういうことになるか、その隠然たる影響の存在は、日本国内で生活しているのであれば、ほとんどの者が、なんとなくながらでも分かっているからだ。
反面で、
そのへんにだけは触れないよう、それこそ「スルー」しておくことで、よけいな深入りせずに、気楽に気ままにやっておれるという現実もある。
日本の、これも表面には出てきにくいが、水面下には横たわり続けてきた、こうした問題は、私は特に、そうなっていくであろうことを見守るしかないと見当を つけているように、
また、
日本的「パターナリズム」的父性の面影を慕うような側面と共通しているかとも思われるイスラムの問題にせよ、
その他の各国が抱える、長い時代を経て、いろいろと根の深くなっている諸問題の多くは、一気呵成には困難なので、急激なショックや、一般民を巻き込む多大の犠牲を可能なかぎり避けるためには、時間を かけながら、理想に近づいていくという根気も必要なのだろうと考えている。
だから、その過程では、「優先順位」の見極めも必要になってくると述べた。
けれど、イスラム系移民にも見られるという、往々、発展途上国系民族に顕著な人口拡大のスピードは、多数の移民層と、まさに、いま現在を かかわっている国々においては、時間を かけて徐々に、という余裕を失わせるほどのものがあるのかもしれない。
そういう切実さも、いまのところ、わが国では、自国自身の大きな悩みとまではなっていない。
しかし、なんですわね、
あれ以来、当の「シャルリーエブド」社は商売繁盛、あちこちからの寄付や援助金も集まったそうで、まるで「焼け太り」状態じゃないですか?w
彼ら自身が、この状態を「風刺」してみせることは恐らく、ないのだろうし、かわりに、どこかの誰かが、「シャルリーエブド」顔負けに、思いっきり品性下劣を厭わず「風刺」してみたら、どんな反応があるものだろうか、見てみたい気もするww
『黒人女性大臣への差別発言が示すフランスの人権感覚』
プラド・夏樹2013年12月13日
http://webronza.asahi.com/global/articles/2913121300004.html
人権の国、フランスで人種差別が広まりつつある。そのことをはっきりと認識したのは、10月25日、アンジェ市を訪れた、黒人であるクリスチャーヌ・トビラ(Christiane Taubira)法務大臣が、11歳の女の子に
「このバナナは誰のでしょう?雌猿のです!」と野次られた事件を通してだ。
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