2015.01.25 (Sun)
『イスラム国「人質動画」コラ画像に海外反応 仏メディア「日本人もまたシャルリーだ」と評価』
J-CASTニュース 1月23日(金)19時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150123-00000006-jct-soci
おまえら、そうやって、あまく考えてヘラヘラ笑ってるうちに、ひどい目に遭うぞ、みたいに、先方の「イスラム国」が凄んでた、ってな話があったらしいけど、
そのとおりになっちゃったみたいだな。。。
ま、何でもかんでも笑いのめしておけばいいというもんではないな。
イスラム系の人々というのは、特にアラブのほうの人々は、やはり、根がクソ真面目な気質らしいという印象を、あらためて持った。
たまたま先日、
「ユーチューブ」の動画で、愛嬌たっぷりな中国人女子留学生の司会のもと、日本国内にて勉学中の仲間たち数人を集め、納豆やらレトルト カレーといった、日本の庶民的食品を食べ比べてみる趣旨の、ほほえましい集まりのようすを紹介しているのを視聴したが、
台湾出身の青年にしても、東南アジアの何国だったかが出身の女性にしても、冗談を言い、ふざけ合って大笑いしている屈託のない姿は、日本の青少年たちと何らの違いはない。
しかし、一人まじっていた、パキスタンだったかイスラム系の青年だけは、他のアジア出身の若者たちとは真面目さの度合いが異なっているのが、あきらかに感じられた。もちろん、彼も好青年だったし、良いとか悪いの話なのではないよ。
われわれ日本人から見れば、まさに「狂信者」としか言いようのない先方「イスラム過激派」から見れば、日本人てのは、想像以上にイカレてて、よっぽど、とち狂ってるわい(呆)と思えることだろう。
ただ、ふと思ったのだが、
まさしく「武士」「さむらい」の時代であれば、これと同じような事態の渦中に置かれたとき、たとえ、血を分けた親であっても、お国の、お家のためとならば、どうぞ、わが子の命を犠牲にしてやってくだされとか、敢えて、言うのだろうなあ。そういう内容の伝統芸能の演目もあるもんね。
さきの戦時中なんかも そうだったか。
でも、いまどき、そんなのが美談になる時代じゃないし。
それと、フランスにおける「自由」の徹底した主張ぶりについて、
とくに、現地に住んでいる個人のブログ等を参考に、いろいろな描写や報告を通して思ったには、
要するに、「何は ともあれ、自分は どう思うのか発言せよ。それが一番大事」
というので、その際、傍の誰が傷つこうが感情を害しようが、そんなことを気にしていては いけない、カンペキ無頓着でGO!ということなのらしい。
ここまでになるとねえ、
じゃあ、あれか、よっぽど、自分の意見を表明するのが、本来は苦手な民族・国民性だったのかあ?おたくらは、と怪訝に思えてくる。
われわれ日本人の習性じゃあるまいに(苦笑)
もう一度、紹介しておく。
『黒人女性大臣への差別発言が示すフランスの人権感覚』
プラド・夏樹2013年12月13日
http://webronza.asahi.com/global/articles/2913121300004.html
人権の国、フランスで人種差別が広まりつつある。そのことをはっきりと認識したのは、10月25日、アンジェ市を訪れた、黒人であるクリスチャーヌ・トビラ(Christiane Taubira)法務大臣が、11歳の女の子に
「このバナナは誰のでしょう?雌猿のです!」と野次られた事件を通してだ。
~
それと、フランス在住という女性の個人ブログ。
やはり、現地で生活しておられるだけに、「シャルリーエブド事件」について、つよい実感を伴った鋭い批判を展開しておられる。はっきり言って、この前のエントリーで とりあげた、フランス文学者たる鹿島センセイの お説よりも、よほど腑に落ちる。
私自身は、フランスに行った経験の一つもないけれど、おおかた、こんなことではあるまいか?と思っていたこと、ほぼ、そのとおりだった。
『しつこくシャルリー』
http://mayumigb.blog.fc2.com/blog-entry-702.html
『しつこくシャルリー②』
http://mayumigb.blog.fc2.com/blog-entry-703.html
あちらの小学生への教育内容。これよ、知りたかったの。
『血塗られた歴史』
http://mayumigb.blog.fc2.com/blog-entry-700.html
『フランスでも、「行き過ぎた風刺」は論点に 表現の自由は、無制限の自由ではない』2015/1/24
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b9%e3%81%a7%e3%82%82%ef%bd%a4%ef%bd%a2%e8%a1%8c%e3%81%8d%e9%81%8e%e3%81%8e%e3%81%9f%e9%a2%a8%e5%88%ba%ef%bd%a3%e3%81%af%e8%ab%96%e7%82%b9%e3%81%ab-%e8%a1%a8%e7%8f%be%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%af%ef%bd%a4%e7%84%a1%e5%88%b6%e9%99%90%e3%81%ae%e8%87%aa%e7%94%b1%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%84/ar-AA8wtFH?ocid=FUJITSUDHPあくまでプライベートのこととして、個々の宗教に関し、「公の場には出さないこと」という方針の観点から考えれば、
一般に流布させる出版物も、また「公」のものであるのだし、ならば、
いっそのこと出版物においても、宗教にかかわる話題やテーマを一切、扱わないこととし、とり扱い禁止、ということにしたらいいじゃないかしら?
もちろん、それを、すべてに押し通すとなると、純粋な学問や研究の方面で大きく支障があるのだろうけどね。
人数が増えるにつれて、発言権が増す、そうして、われらの祝日や食物(この点、日本人はマメと言うかサービス精神と言うか商売熱心と言うか、「ハラル認証」とかいうものに対し、こっちから協力する気マンマンなくらいじゃないの?w)なども、公式に認めろー、という要求が出てくる、
じゃあ、それらも一緒に、公的に認めてしまっていいんじゃないの?細かい すり合わせは、なんとか調整して、、、と思うんだけど。
ただ、各々で異なる祝祭日となると、何かと「皆一斉に」という方針が根強い習い性にもなってる日本人は、抵抗あるかもなあ。それとも、新たに祝祭日が増えるだけ、ということでオッケーにしちゃうかな??
『私がチラ見したイスラム世界(シャルリー・エブド事件によせて)』
2015年1月15日 11時23分
http://bylines.news.yahoo.co.jp/watanabeteruhito/20150115-00042264/
「テロだ」「テロ」と叫ぶけれど、
中東地域における猛烈な空爆によって、やはり、一般の住民たちまでが殺されるハメになってしまった。
彼らの身の実感にしてみれば、西側諸国が「テロ」と呼ぶところのものと、なにほどの違いがあろうか。
(続く)