2016.04.27 (Wed)
どうしようもないほどに。。。w
狂おしいほどに。。。ww
そうでしょ?www
もちろん、同性愛の男性とかは別にして、
「ババアに興味ないわ!!」とか「ブスに興味は ない!」等と殊更に激しく言い募ってみせる投稿が、なぜか、ネット上では多く見られるけど、
ま、この点では、女性側からも同様のことが言えるさねw
ジジイも、ブ男も、デブデブ男も、ちっさい男(心・身ともにw)も、お呼びで ない!御免蒙ると断言する女性も決して少なくは ないだろうよww
それと、
うちの母親なんかは、見事なグラマーを とうの昔に通り越し、
もはや巨大な、というほどのデブだったし、
若い頃には、親父に、
「掃き溜めに鶴が いた~!!」
と歓喜された、つうんだけどw
それも通り越して、
美人とか言うよりも、凄いカンロクが服着てノッシノッシ、って姿だったよw
それでも、60歳代に なんなんとしてからも、チカンに遭うたりナンパされとったんだからw
かかりつけの医院で、聴診器を当てられてる受診中、うちの母親の巨乳を目当てに、
いかにも取って付けたような質問のフリして、「ところで、せんせえ~」と言いつつ、カーテンの隙間からヌッと覗き込みに来る、どこぞの爺。
うちの母がキッと睨みつけようとも、
何度、看護婦さんに叱られても、やめないww
遭遇したときは、性懲りもなく必ず覗きに来るwww
どんだけジジイになっても枯れもせず、
よそのオバはんの巨乳を覗きに来ずにいられないドすけべいのまま(嗤)
20歳代のときの入院先で、ほとんどマッパになって、レントゲンの台上に横にならされてから、
少し離れた向こう側の壁に設けられた、患者観察用らしき小窓のほうを、ふと、見たらば、
さっきまで一人しか いなかったはずの男性技師が、いつの間にか一挙に何人も増えていて、
白衣を着ている若い男性たちの顔が、小さな窓のところへ鈴なりに集まり押し合い へし合いしながら全員で、こっちを凝視してたという、病院での異様な経験は、自分にも あるけど、
いったい、患者を何だと思ってるのか、なんとも羞恥を もよおさせ、
しまいにはブキミですら あった。
あ、私?
まぁ、少なくとも、自分よりチビな男と つきあってたことも あるよw
私が、日本女性の平均より高めの身長だからかもしれないけど、男性の身長に、それほど拘ったことは ない。
もっとも、低身長の人の心身ともの特徴性みたいなものは、男女含めて何人かと つきあいが あったすえ、共通した傾向を見受けるふしは あると思ってるけど。
やっぱり、男性のほうが、より深い劣等感を持つらしく、気にしていると、自分から言った者も いる。
私としては、そうとうに心外なんだが、いわゆる「おぢさんキラー」タイプだったらしいw
世間ではジジイと呼ぶべきらしい年配の男性がたには、若い頃の自分と同世代の男どもによりも、ずっと多く好かれる傾向だったし、
あと、男くさいスポーツマン タイプね。
ところが、あいにくと、当時の私は、おぢさんやスポーツマン タイプが厭で厭で。
なんでって、暑苦しいのが多いからよw
見るからにエネルギッシュで、ギラギラしてる?って感じがww
もっとも、こういう連中は、若い女に限る!というゴーマンな主張も大声で宣言しそうでは あるのだけど、その反面で、
ひとたび切迫して余裕が なくなったら、それこそ、ババアだろうがブスだろうが、背に腹は代えられぬとばかり、、、てな感じも漂っとる(嗤)
それ以外の皆さん それぞれ、いかなブ男でもデブ男でも、私自身から、そんなにムゲに接したことは、まあ、なかったろうと、思う。
と言うか、いちいち、あんまし憶えてないのだが(苦笑)
かと言って、
いわゆるネクラというのか、言いたいこともハッキリと顔を上げて言えずに、ぶつぶつモソモソ口ごもってばかりで、うつむいたままイジイジしてるタイプも、そりゃー、お世辞にも好きでは ない。
ましてや、2次元愛好家だか何だか知らないが、ロリコン趣味等にビチャビチャ浸りきったあげく、ひらきなおってるようなのはね。
ただ、あからさまにイヤラシイどスケベとか、暑苦しく迫って来る厚かましいタイプに対しては、容赦なくピシャリと撥ねつけた。一番、嫌いなタイプだもの。
少なくとも、ある一線から先においては、私のテリトリーに押し入ることを許さなかった。
でもさ、嫌いだー厭だぁと思うタイプほど、そういうのばかりが、しつこく寄って来るという皮肉な現象ってあるもんで。
たまに珍しく、こちらも、ある程度以上に好感を持てる相手だと、なんだか、どこか受け身で、待ってます~ってな感じで、自分からは少しずつ、相手の ようすと反応を用心深く窺いながらも、それは「紳士的」な態度と言うよりは、なまじに、容姿であれ経歴であれプライドが高いほうの男性ほど、むしろ、女性のほうにこそ、大いに積極的になってもらって、男性側である自分の首根っこを押さえ込みグイグイ引きずっていってほしいのか、ある意味、小心な そのテの男性には、それくらいの女性のほうが、パートナーとして、ちょうど、ぐあいが よろしいようだ。
プライドの高い自分側が賭けに出て不利を負いたくないという本音を持っているゆえであることも少なくないかもしれないし、だからなのか、
不倫やりたい、が、責任は避けたい、そういう、ムシのいい下心を秘めている場合にも、相手女性の反応が、ほんの少しでも芳しくないと感じたとたん、たちまち怯えたようにサッと手を引っ込め、背中を向けてイジケる、てなパターンも見受ける。
ま、なかには、
ちょっと前に流行ってたらしい「壁ドン」ではないのだがwがぶり寄るだけガブガブ寄りつきまくったくせに、オイシイ思いを させてもらえさえしたら、やっぱり、最後の責任だけは避けておきたい、というケシカラン男も いる。
あ、これ、うちの親父のことですw
で まあ、私なりに、こんにちまでに見てきた男性たちを通して、
一番、女性に対して、動物的な行為に直接およびやすいのは、やはり、職業等も含め、ある傾向のタイプに集中しているということは確かであるように思う。
ズバリ言って、まず、どうしようもなく低い知能、知性の問題が大きいタイプは、現実として 存在する。
あるいは、そんな低知性でも、否応なく、意識に上せて来ざるを得ない、世間的劣等感から来るのか、自分よりも力弱いのは確実、それでいて、受容性の深い対象をと餓え、隙あらばと、もの欲しげにギョロギョロ探し求めているか、あるいは逆に、しょんぼりと諦めている。
だが、
最も姑息で陰湿でイヤラシイ所業に およぶのは、実は、ごく一般的な、平凡なサラリーマン諸氏だったりもする。
なまじに保身という知恵や知性が、あるていど以上には働くだけに、彼らは、無意識のうちに、自分は押しも押されもしないマトモたる階層の人間なのだと信じて疑わないでいる者が多いから。
この点は、女性でも、意外に、最も鼻持ちならない傾向を持つ層のようだ。
「健常」「普通」「人並み」という線上に居るはずの自分だからこそ、自分より少しでも劣っていると思える対象を、鵜の目鷹の目で怠りなく探っているようなところが ある。警戒と排除のためのスケープ ゴートを。
「人並み」から上には、まして、はるか上には なり得ないだろうのは自覚しているけれども、そのかわりに、それ以下なんかでは絶対ならないに違いない、「人並み分の価値」くらいは有している自分を当然と信じている、最も鼻持ちならない人種。
もちろん、どのような世界や分野に所属していようと、そのなかにおいても個々に多かれ少なかれの違いが あるのは当然だ。
私には、どういうわけか、幼い頃から、ぶっちゃけ、男女を問わず、性的なことに巻き込まれる危険が付きまといやすかった。
自分でも不可解なんだけど、
まだ幼稚園も行ってない年齢、つまり3歳前後にして、若いオニイチャンなど何人かに誘惑されたのも憶えているのだが、この話も、旧ブログで披露したことが あったと思うけれど、ここでも言っといてあげよう。
すなわち、
どのオニイチャンも、みょうにロマンチックなムードでねー。
要は、
普通に、オニイチャンたちの年齢に見合う女の人を恋人にしてから言うべきなセリフをゴニョゴニョ囁いてくるので、
子ども心に、ヘンなオニイチャンだなあと、怪訝に思ったもんなのです。
【続く】
2016.03.24 (Thu)
という場面を連想してしまった。
そう、映画『ネバーエンディング ストーリー』の。
『“麻酔一番効いた状態で池に”シマウマ死ぬ』
日本テレビ系(NNN) 3月23日(水)19時5分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160323-00000080-nnn-soci
急に、環境が変わったことで、シマウマくんは不安になって逃亡したのだろうか。
思わぬ捕物帳を演じるハメになった関係者各位を責める気までは ないけれど、いかにも下手くそだなあ。。。
首に縄かけるときの不手際さには、つい、
もう、カウボーイ呼んでこいや!
と言いたくなった(苦笑)
馬系ってのは、動物としては知能も高いだけに、繊細で、警戒心も高く、非常に神経質な性質の動物だと聞いている。
うちの親父は、何かの話の途中で、軍隊時代、自分専用の馬(軍馬)を持っていた経験から、
「馬ってのはな、ほんとうに、人の気持ちが分かるんだぞ」
と、感に堪えたように語ったことがあった。馬ほど可愛い動物はない、と。
だから、戦争が終わって、自分の馬と別れるとき、とても悲しかったんだって。
馬のほうでも、そのことを感づいてたんだ、と。
シマウマの場合、実は、驢馬に近いそうなのだが、
しかし、私は、シマウマなんて、日本では、公の動物園くらいでしか見ることはないものだと思っていたけど、
どうして、シマウマとか、特に、人に懐きにくい傾向で、扱いに大きく注意を要することが分かっている動物を、個人で購入したり飼ったりしようとするのか、あまり理解できないでいる。
鳥でも何でも野性の、あるいは、野性に近い性向を濃く残している動物たち一般を、おりにふれて見ていると、
特に、その生死の極限が迫ったときの ようすには、
われわれヒト属、とりわけ、スポイルされている如き日常生活にドップリ浸かって弛緩した、いわゆる「文明人」だの「先進国民」だの「文化人」「都会人」だのだのには希薄になってしまった、それこそ「凛とした」気品のようなものを感じることが多い。
ただ黙して、あたりの ようすを鋭敏に窺っているときの静謐な佇まい。
怒るときの激しく徹底した容赦ない怒り。
ひとたび、気を許し、好意や必要性を感じた対象に、何度はねつけられようと、めげず諦めず大胆に迫っていく一途さ。
必死に抵抗し続け、もはや これまでと覚ったときの、うってかわって従容と しきった態度。
野生動物たちに、われわれの人間社会で有難がるような「お血筋」だの権威だのは全くないはずだろうし、
はたして、「お育ち」やら教育でもって身に付く気品なんてものが ありや なしや、
それこそ、どこぞの王侯貴族の類、首相や政治家たちのように、「エリートの血筋」などと目されつつありながら、その内面外面ともに下品・下劣な連中の例には枚挙に事欠かない。
実を言うと、むかしから、私にとって、ヒト属の男なんかよりも、「野性の品格」を残す動物たちのほうが、よっぽど魅力的で、ビビッと来たりも する。
そのせいか、古今東西に伝わる「異種婚姻譚」の類に、それほど違和感ない。
ぶっちゃけ、ヒト属♂のほうが、もっと違和感あったりするw
まだ たった2歳だったという、結果的に可哀そうなことを してしまった彼、くだんのシマウマくんにも、
人間どもを遠ざけるときは、逞しい後ろ足を可愛らしくピャッと蹴りあげておいて徹底的に拒絶しつつ、
合間合間、遠く彼方を見つめる眼には、途方に暮れるようすでありつつも、
あたりまえに受け入れている孤独と、どこか、凛としたものが あった。
もうガチャガチャ煩い人間どもは追いかけてこれないから、安心して、
広大無辺な天の野原を駆けてゆけ。。。
2016.02.15 (Mon)
の続き。
さて、
『<虐待予防>妊娠中から支援対象を把握へ 大阪府が対策』
毎日新聞 2月7日(日)10時15分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160207-00000010-mai-soci
集団的自衛権かよw
「切れ目ない支援」とか「特ア」
あ違った、
「特定妊婦」とはww
ま、私なんかも、母親の腹のなかにいるときから虐待されてたようなもんだからなあw
重度の仮死状態で生まれたのも、それが第一の要因。
『虚空の吾が子』
生まれて最初の1、2年ほどは、いくつかの家庭事情ゆえ、私たち母子は、ある閑静な お屋敷街の一画に建っていた古いアパートで暮らしていた。
そこへ、父親が時々やって来る、という生活形態を、しばらく続けていたらしいのだが、
生後半年にて、いきなり立ち上がって歩き始めたという現象で、周辺の大人たちを仰天させたという奇跡の私はw
自然と、人生最初の記憶も それに つられ、
事実として、生後半年ごろから始まっているのだが、
なぜか、その頃の記憶に、父親の姿だけは一切、ない。
幼少時の記憶鮮明な私を して、
この時期、親らの記憶について、ほぼ唯一残っているのは、
ある晩、何かのひょうしに激怒した母が、私を、箒を手に取って追い回してきた姿、それだけ。
おっかなさのあまり、そのまま、お隣の部屋へ駆け込み、
普段から可愛がってもらっていた人たちの一人である、そこの おばさんに宥めてもらい、
そのとき、おばさんが小引き出しから取り出した一口羊羹を与えられたところまでは憶えている。
この時分の私の記憶は、ほとんどが、他人さんと、その当時に暮らしていた街の ようすばかり。周囲の人々に非常に可愛がられていたからでもあるのだろうが、それにしても、親の記憶に関してだけは奇妙だ。
その、おっかない母の話では、
当時、父は、けっこう頻繁に訪れていたし、来れば、幼い私を、ふろにも丁寧に入れてくれていたというのだが、
この奇跡の記憶力を保つ私にして(笑)、
父についての記憶だけがスッポリと抜け落ちているのだ。
思うに、
私にとって、父親は、すでに この時分から、興味も関心も全く持ち得ない対象だったに違いない。
終生、違和感しか感じない父親だった。
幼いうちは、父がシラフで穏やかにしているときには、それなりに甘えた記憶もあるし、むかしの写真も残っているし、
外見的な面や、ある種の感覚とかに共通した点は自覚しているので、実の父親に違いないことは理解できるのだけれど。
何と言うか、人種が違う、みたいな違和感と言うか、生理的な違和感。
年々、この違和感は嵩じていった。
だいたい、酒乱になるほど飲んでは、
圧倒的に力弱い女性や子どもに、殺しかねないほどの暴力を振るえるという、その感覚が理解できない。
しかも、
ひとしきり、思うさま振る舞ったあとでは、
一転して、卑屈このうえない態度の みっともなさ。
真似してみろ、ったって、私には できない。
この頃の話は、例の『汚気・愚』での回答や、旧ブログにおいても、ある出来事に まつわる想い出等エピソードとして記しておいたことが ある。
生後半年にての記憶などのことは、すべて事実だ。
よく、一般的に、記憶の捏造であるとか、心理的なもので云々と説かれるのが常のようだが、
私の場合は、親を始めとして周囲の者たちが目撃していることも、のちに確認してあり、ある程度以上に裏は取れていると言っていい事実なのである。
もしも、母親の腹中で死に瀕することが なかったなら、
おそらく、「胎内記憶」というものも保持していたのではと思う。
『追憶【旧ブログ“Eine Prinzessin des Lichtes”より】』
『からっぽの部屋で』
ある日のことだ。
若かった母たちが、アパートの一室から、か細く泣き続ける あかんぼうの声が、ここ数日たて続けに漏れてくることを、住人間で話題にしたことがあり、
ようすを探った母たちは、
室内で、あかんぼうと共に、ぽつねんと取り残されたような、若い女を見つけた。
その女には、時おり、かよって来る中年の男が いたようなのだが、
もともとは良家の子女らしき育ちの女が、勤務先上司の囲い者になったすえに、いつしか捨てられてしまい、善後策を講じるチエもオツムもなくて、ただ茫然と過ごしていたものらしい。
あかんぼうが、空腹のために泣き続けていたという真相を知った母たちは、それっとばかり、あちこちから、当座の必要物資を掻き集め、
そのなかには、自分の持っていた着物やら、うちの母は、くだんの女に履かせる草履を新調してやり、
同時に、
高級クラブのホステス募集の口を、誰かが見つけてきて、女には、用意してやった着物と草履を身に着けさせ、なんとか、クラブ勤めを開始させた。
あの当時の日本は、景気が上昇の一途となっていた時代で、水商売の世界も、非常に儲けが良かったのだそうな。
しばらくして、新たに困ったことが起きていることに、母たちは気づいた。
あかんぼうの身は、女が出勤するときに、母たち、アパートの女連中が、かわりばんこで預かってやっていたのだが、
あかんぼうの母親である女が、仕事を終えても、なかなか帰宅しない日が頻々と起きるようになったのだ。
困惑と共に、またもや、その女の動向を探らなければならなくなった母たちが突き止めた真相は、
クラブ ホステスとして勤め始めた女が、やがて、店の常連客と ねんごろになり、外泊を重ねるようになっていたということ。
その後、どうなったのか、この話の続きは、私の記憶からはトンと薄くなってしまっているのだが、
結局は、くだんの女の実家に連絡し、
両親が大慌てで迎えに来て、あかんぼうと共に引き取られていったとか、そんなところだったと薄々憶えている。
2016.02.07 (Sun)
『国に裏切られた元イラク派遣自衛官、逮捕されるー違法捜査での起訴、不可解な逮捕のタイミング』
志葉玲 2016年2月5日 8時56分配信
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shivarei/20160205-00054133/
私も、去年だったかな、ネットの新聞記事で、この問題が紹介されていたことは憶えていた。
志葉氏の今回の記事で、新たな、そして、より衝撃度と深刻度が増した情報を加えられたわけだが、
うーん、わからん。。。
2点ほど、疑問に思った。
まず、
~
結局池田さんに対し、米軍、民間軍事企業側からも、謝罪や補償は得られなかった。その上、治療のための帰国を何度も上司にかけあったにもかかわらず、事故にあってから2ヶ月弱もの間、ろくな治療も受けられないまま、池田さんは帰国が許されなかったのだ。
~
思いがけない事故のあと、自衛隊での上司の判断で、すみやかに帰国することが叶わなかったことで、よりいっそう、負傷による障害が深刻な事態に陥ったというのだけれど、この上司の判断が、なんとも不可解だ。
それと、
~
当時、池田さんの事故について情報を掴み、報道した記者は皆無だった。池田さんの事件が公表されなかったのも、彼の帰国が許されなかったのも、事故発覚による自衛隊イラク派遣への影響を防衛省-あるいは政府自体が懸念したからではないだろうか。
~
現地での戦闘行為に巻き込まれて、というのではなく、言わばレクリエーション的イベント中に、思いがけない事故によっての負傷だったんでしょ?
だったら、国内で発表されようが、いったん国家レベルで決定したことを、たちまち覆されるほどの衝撃や問題視まで起きる心配は、それほど なかったのでは?と思う。
それよりも、
こういう、奇妙な やりかたを長引かせて、
それが奇妙・不可解であるからこそ、一般に知れてしまったら、私も そう思うように、あまりに不可解じゃないかという印象を招き、なおのこと、
なぜ、こんなことを していたのかと、もう、首を捻るしかない。
アメリカ側も悪質だが、
自衛隊での上司の初期判断にも、根本的に歪んだ感覚があったのではないか?
まして、その後、帰国してからの隊内イジメなんて、呆れるしかない話。
この池田氏の後遺障害が確かに重篤なことは、医学的に証明されるのだろうから、当然、米軍側が何と言おうと、くだんの民間軍事会社の謝罪は勿論のこと、相応の補償を行なうべき当事者だし、ならびに、
彼を雇用していた自衛隊にも、それ相応の責任は あるはず。
「横臥禁止などの処遇」
って、なんですか?それは。
横になって寝たらダメって意味なのは分かるけど、対象が病人や障害がある人の場合、それは殆ど拷問の範疇じゃないですかぁ?
そうそう、
なんかね、去年あたり、例の「IS」関連で、
イスラム圏の軍組織に入り込んでた日本人青年の話題とか あったでしょ。この現代日本に、こんな若い者が いたのかよ、って、良い悪いの判断は抜きに、とにかくビックリしたけどさ、
それと、去年の、ちょうど今ごろ大騒ぎだった、後藤さんたちの事件。
あのとき、救出のためにと名乗りを上げていた人たち、大学の先生だとか、ジャーナリストさんだとか、イスラム圏の軍組織に参加したがってた学生の件による、警察の捜索で、とんだエライめに遭った、って、すごく嘆いてたよね。そういうのも思い当たったけど。。。
ごく最近では、後藤さんの お義父さんが逮捕されたっていうし。。。
しかし、このかたもね、万引きなんかするような御友人を持っていたのが悔やまれるわね。
それでなくても、いま、ああいうキナ臭さマンマンの政権下で、
司法の方面でも、なんかヘンな判決を出してる事例が目につく近ごろ、
国家権力それも、軍事が絡む組織を相手に、一大訴訟を行なおうというのだから、
そりゃあ、身辺に些かの隙のないように、
少しでも足もと引っぱられるような要因は、あらかじめ排除しておくべきだったかなあ。
誰しも、自分の友人を疑いたくはないものだけれど、、、
つき合う相手、かかわる相手は、慎重に、よく選ばないと。
まっ、ここで自殺なんかしてしまったら、まさに「闇から闇へ葬り去られる」という、絵に描いたような結果になろうのは、目に見えてるねえ。。。
私も、今後の推移に注目していきます。
2016.02.01 (Mon)
『『狭山女児死亡』事件のこと』の続き。
個人的な話に戻すと、
亡くなった親らを知っている、古くから親しい知人などと、むかし話を しているおりなどに、
このトシになった私が、幼少時から蒙ってきた虐待のことなどを、ふと言ってみても、なぜだか、
「え?そうだった?」
みたいな、些か怪訝な表情を浮かべる人が少なくないのだ。
生まれたばかりの頃から可愛がってくれた私のことも、両親らや実家の事情も、よーく知っているはずの人たちが、だ。
まだしも、むかしのことは知らないけれど、こちらから、過去の出来事を掻い摘んで話せば、ああ、そうだったの、と頷きながら聞いてくれる他人さんもいるのだが。
要するに、たいした虐待では ないだろうと思っていたのか、
しょせんは、無関心だったということなのだろうか。
この疑問に、最近になって思い当たった。
もしも、うちの ご近所で、このようなことが あっては、、、と、
報道を見かけるたび、周囲に無関心であっては いけないと、新たに自戒しては みるのだが、
万一、お隣あたりで、子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてきたとしても、
私は聴覚障碍者だから、はなはだ心もとない。
だが、多くの人も、一度や二度三度くらいなら、聞こえていても、そのままにしておいてしまう人が殆どではないだろうか。
私自身、心身共に虐待されていたと言って過言でない環境で生育しているゆえ、子どもを持たなかったことに、自分でも納得しているし、
もっとブッチャケを言うと、
あの13、4歳の頃に、しっかり死んでおくべきだったのだと、
重い仮死状態で出生した、そのまま放っておいてほしかったと、
その後、何度も何度も思うことがあった。
「連鎖する連鎖する」と聞けば、
鬼畜も のけぞるような母親に、皮肉にも、容貌の よく似た、この犠牲の子が、
いつしか、自分も親となり、わが子に同様の苦痛を もたらしたやもしれず、
それを、理性でグッと こらえることが できたとしても、
実母とは異なり、わが子を普通に愛することが できたとしても、
心底に残る深い傷は、生涯、疼き続けるだろう。
先ごろ、とある心理学専門の教授さんが、
「人生は、けっして、わるいものではない」
と おっしゃっていたようだが、
このような事件に対しても同じことを言えるのだろうかと、疑問に思うことを禁じえなかった。
この先生は、いつも、当たり障りないことばかり言うというのが、一部で批判されているようなのだが、
私は、数年前から、ある場所で、このかたを知っていたので、今さら驚かないし、むしろ、いかにも、心理学の学者さんなのだなと思える。
なぜなら、こういった、優等生的態度、
もっと世俗的な呼び方をすれば、「良い子ちゃん」的態度というのも、
一種、自己防護の方法だからだ。
このかたの場合も、氏名や肩書を公開して仕事なさっているのだから、これは無理もないことだと、私は思っている。
いずれ、このような不自由極まる、愚か極まる、始末の悪い親を持ったまま生き延びても、将来の苦労のほどが思いやられるというもの。
事件の犠牲者である幼い子どもたちについては、
幼いうちに、さっさと人生を終えたことを、むしろ、マシと思えなくもないのだ。
と言うか、そうでも思わないと、やりきれない。
たった3年。
たった3年の人生で、何を学んだのだろうか、子どもたち。