2016.07.07 (Thu)
「日本人の悪夢が開始される」。。。
「ISIS」の被害者となった、あの湯川さんに外見も よく似て、
言動とは裏腹に、どこかオカマっぽさの漂うwぽてぽてダラ~ンな安倍朕ww
「今後、日本人には、指一本ふれさせない」
「彼らに償わせる」
などと、表面だけは盛んに息巻いていた、
そういう「父性愛」を殊更に演じてみせる「パターナリズム」、
無力どころか、有害でしかない。
この、「全体主義」志向にして実態は「アメぽち」政権の対処ぶりを、妥当として称えていた、街頭インタビューの、会社員らしき風貌の中高年男性らを見ていて、
私は、このときも、つくづくと、むなしくなり、厭になってしまった。
今回のダッカ事件で、ふと思ったこと。
いま現在も、これは「ISIS」とは別の過激派グループに捕えられたまま、という訴えのジャーナリストを、放ったらかしにしてあるように見える安倍政権だが、
後藤さんたちの、あの凄惨な事件も、記憶に新しいところへ、
今回の「ダッカ」における、一般邦人襲撃・殺害事件、
これが、もし、
下手人に捕えられ、監禁されている
という流れになっていたら。
安倍政権は、やっぱり、
テロを利するわけには いかない!として、
放ったらかしにするのだろうか?
いや、これからの実際問題として、「たら・れば」で済むとは限らないのだから。
毎度の「自己責任」の一言のもとに、
安倍政権支持者や自民党ネットサポ、ネットウヨどもを総動員して、
被害者の家族たちにも、一般国民たちにも、
騒ぐな!テロリストの味方を するのか!!
と、猛バッシングして黙らせるのだろうか。
2016.06.24 (Fri)
『男に追いかけられた女性が語る 釧路通り魔』
日本テレビ系(NNN) 6月23日(木)18時25分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160623-00000077-nnn-soci
この事件を起こした下手人が、本当に、精神科の患者だったのかどうか知らないが、
私の知る幾人かの精神科方面の患者たちは、
もちろん、それぞれに長所や得意とする分野を持っては いたけれど、
それらを ゆうに上回って、と言うか、
台無しにするほどに、欠点も凄まじく大きかった。
要するに、
始末の悪い事件や犯罪を起こすことも ままあったという現実。
少なくとも、警察沙汰にまでは至らない場合でも、身近の、立場の弱い者を犠牲にして泣かせつつ、それを誤魔化し、眼を背けながら生きていた。
10の輝かしい美点が あっても、たった一つの欠点が、すべてを帳消しにすることもあるわけ。
逆に、
10の欠点や弱点があっても、
非常な美点が、それら欠点や弱点を帳消しにするほど大きければ良いのだろうが、
たいがいは、そうは いかない。
とにかく、
彼ら彼女らの持っている長所や何がしかの得意なことなどは、
彼ら彼女らのように、他者に酷い迷惑を かけるまでに至らず済んでいる人々のなかにも、じゅうぶん持ち得ている程度のものだった。
それなくしては、人類が困るほどの才覚では なかった。それが現実。
だから、そういうコトバでもって、「免罪符」のように扱っては ならない。
何らかの機能不全を補う作用で、
何らかの機能が代替的に突出して発達する可能性は、よく取り上げられる話だけれど、
全く当てはまらない場合も、また多いという、それも現実。
世間で よく聞く話では、
目の見えない人の、聴力の高さ鋭敏さという事例。
私の場合は、逆に、聴障ゆえ、もともとは視力の高かった目を酷使したすえに、いまでは、視力も めっきり衰えてしまった。
だいいち、身動きすら自由でない日常を過ごす重度の障碍者なら、常人程度の可能性にも制約が大きいかわりに、凶悪事件も起こさずに済むだろうけれど、
では、
何らかの才能や天才を一つでも備えている者でさえあれば、他者を不幸に陥れてもよいか?
私には、とうてい、そうは思えない。
「天才」や才覚の名のもとに、すべてを許してもらう口実にされて たまるかっての。
先行エントリーにて取りあげたコラムの筆者さんも述べておられる「理解と共感」、これに著しく欠けが あるからこそ、それこそが「障碍」と呼ばれるわけで。
はたの者が難儀することになるほど、「理解と共感」の欠けが酷い場合は、まず、隠蔽するのでなく、周囲との共有が大事。
この共有ということには、私のように、自分の障碍に関して、ある程度の自覚を持ち得ているならば、自分自身の努力によって、そうとうカバーできることも あるが、
最も始末が悪いのは、周囲は勿論のこと、肝心の障碍者本人に、自覚が殆ど ない場合だ。
傍らの特定の者が、不審を感じながらも一人で犠牲になっているとき、
その周囲は、まさに「われ関せず」の利己的心理だし、
当の障碍者自身も、いつまでも、なんら改善も向上も していかない。
なので、まずは、障碍者自身で気づくことから始めないと ならないし、
その力もないほど重度となると、保護者・養育者が、なるべく早い段階で気づいて、適切な指導なりトレーニングを開始しないと ならない。
けれども、
結局、成人する頃まで、本人は もとより、養育者も誰も気づかなかったということは、それだけ軽度で済んでいるわけでも あるだろうから、気づくことを始めるのが、実は最も困難とも言えよう。
私の場合は、聴覚障碍の存在自体を、
(多少の知識を備える現在は、私の考察と分析によって、ある種の発達障碍だったこと、人格障害でもあったこと、先天性の脳機能障碍および癲癇の傾向があったことも分かっている親)両親らに、完璧に抑えつけられ、捻り潰されていたから、
必然的に、こちらの人格の問題とされて攻撃され、
ほんとうに大変なストレス人生だったけれど、
みょうな「生き辛さ」であるとか、周囲との不可解な齟齬を感じているのは、当の障碍者本人であろうはずだから、そのことを、素直に訴えることが できる環境であるか どうか。
実際、世間で、「人の上に立っている」ような存在、
たとえば経営者等、出世して、何らかの権力を持っている立場の人には、「人格障害」者の範疇に当てはまる人が少なくないということも聞くし、
医師なんかは、ある種の「サイコパス」でないと、勤まらないともいう。
私個人の周辺でも、頷ける事例が多い。
なかでも「自己愛性人格障害」者の大きな特徴として、
「他人を利用する」ことに殊のほか長けている、
ということが挙げられるが、さも ありなん、というわけだ。
他人どころか、実子でも利用する。
だが、世間では、「やり手で有能」「立派な人」で通っている現実。
しかし、同時に、
そうした人の誰もが、「人の上に立って」いられるわけでもない。
何度も言うのだが、
発達障碍だ精神障碍と言っても、その現れかた、態様は、その人や場合によって いろいろなのである。
そういった方面の障碍を持っていれば、即、何らかの才能の証だなどという考えは、自覚なき劣等意識の反転したものであるとも見受けられるし、
たとえば、黒人だから、歌やダンスが上手いはず、と決めつけて思うのと同じようなもので、悪しき単純からの「神話」ともなりかねない。
もう一度、問うておく。
発達障碍であれ何であれ、何らかの才能だとか「天才」とかが なければ、生きている価値はない、ということなのか?
2016.06.21 (Tue)
『米軍関係居住者数公表せず=「安全上の理由」要請で―住民、実態把握困難・防衛省』
時事通信 6月19日(日)14時46分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160619-00000028-jij-pol
現在は、軍人ではない。なかった。だが、
ああいう、極度に短絡的で異常極まる行動に及べる者が、よりによって米軍兵士だった、
それも、日本に駐留している「海兵隊」に在籍していた、
という、この事実に震えあがるんだ。
『米兵による性犯罪発生率は、沖縄県のそれよりも低い。米兵による事件・事故の被害は、誇大に宣伝されている。 ???』
本来、外国軍が駐留していて、その兵士による犯罪があれば、1件でもあってはならない「余計」な件数です。
~
http://okidemaproject.blogspot.jp/2016/03/7-3.html
「海兵隊」こそ、沖縄に駐留する必要は なく、グアムあたりに置くほうが、軍事上からも望ましいことは、オバマ大統領も明言していることは報じられていたし。
むしろ、日本の外務省を筆頭に、日本側こそが、
これまでと変わりなく駐留していてほしいと懇願しているのではないのか?
と、私なんかは疑い始めている。
その大きな理由として、まずは、米軍基地に雇用されているのみならず、米軍基地を、お得意先としている、少なからぬ地元民の存在を考えたのだが、それにしても、部分的な要素に過ぎないと思われるので、
アメリカ側よりも、マジで、わが日本政府側、それも、自民党政権のほうが、よっぽど不審なのである。
どうも、沖縄の地元民自身、わりとイイカゲンな考えかたと態度なのではないか?という疑いをも、前回の沖縄の、宜野湾市長選挙だったかな、『ディズニー』だか『ユニバーサル・スタジオ』だか忘れたけど、
それ引っ張って来れるみたいなホラ吹いた自民党候補が大差で当選したという結果を知ってからは、私は、沖縄の人たちを応援する気が失せている。
まあ、現職が強いという傾向は、ここでも変わりなかったということも大きいだろうが、
「オール沖縄」が、文字どおりの「オール沖縄」になりきれないかぎり、
よそ者の私なんかは、ちょっとクールな眼で見てしまう。
本当に、カネどころじゃないんだ!という強く揺るぎなき決意を、名実共に「オール沖縄」一丸となった沖縄民の姿として示し得たときには、私も、以前のように、全面的に、沖縄地元民の肩を持つつもりでいるのだが。
なぜ、いまもって「オール沖縄」になりきれないのか、まずは、沖縄の人々自身が、お互いに問い質さなければ ならないのでは ないだろうか。
2016.06.16 (Thu)
アメリカ人の憬れの居住地だそうですがねえ。
そこまで、鰐やら毒蛇やらウヨウヨしてると知って住み着く気が知れん。。。
『米ディズニーワールド“ワニが2歳児襲う”』
日本テレビ系(NNN) 6月15日(水)16時35分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160615-00000057-nnn-int
鰐というものは、岸辺の水中からも秘かに、陸上の獲物を虎視眈々、狙ってると思う。
そこから、隙ありと見た瞬間、ガバーッと飛び出してきて、噛みつくんじゃないかと。
だから、水のなかには入ってなかったとしても、じゅうぶん危険だったのでは ないかな?
話のスケールはググッと縮まるけどw
むかしの実家の庭に、ちょっとした池が あったの。
池のほとりの築山には、季節が来るたびに、たわわな藤棚が あり、
夏休みになれば、私の宿題の絵の役にも立ってくれて、
ささやかな噴水、
その噴水が出ると、水中で嬉しそうにクルクル泳ぎ回る金魚や
(大学生の兄が下宿から帰宅すると、肥え太った金魚たちを見ては、
うまそうだ、食ってしまおうと提案するので、そのたび激怒していた私w)
色とりどり満開の睡蓮に とどまらず、
水面に浮かんだままのビニール袋等ゴミの類までをも丁寧に描き込んでいた私を見て、親父が つくづくと呆れていたww
その池は、暑い季節になると、毎年、トノサマ蛙等が集団でワンサカ押し掛けて来て、
爬虫類も苦手極まる私は、ゲンナリしたあげくに苛立ち、
トノサマ蛙の眉間目がけて小石を投げつけては命中させていた(ナイス コントロールw)。
当たると、ぽこんっ、と、なんとも言えぬ侘びしい音が して、手ごたえを感じたものだがw
トノサマ蛙のほうは、
相変わらず憮然とした顔つきを、心なしか、より いっそう、憮然とさせるのみ、
せいぜい、のそのそと背中を向けるていどで、全く動じていなかったようだ。さすがトノサマ?
思うに、
実家の裏が、農家の田圃だったので、時期的に、水田と化す季節だったのだが、
トノサマ蛙たちは概ね、その田圃から移動してきていたのだろう。
彼らにとっては、広い水田のほうが、ずっと居心地良好だったはずなのだが、
のんびり寛いでいると、私に、眉間めがけて、小石を ぶつけられるにも めげず、
毎日、そこに佇んでいたところを見ると、あたかも、別荘気分だったのだろうか。
以前のエントリーでも述べたことが あるけど、
旧のブログでの常連さんで、アメリカ在住の人が言ってたには、
その人は、かつて、アメリカの地方都市の、普通の住宅街に住んでいた頃、日が暮れると、あちこちから、コヨーテ(!)の遠吠えがブキミに響いてくるとか、子どもさんの学校からの注意で、野性の猛獣出没中なんて話は、いたって日常的だったとか。
アメリカって、ワイルドだなあ、、、と恐れ入ったものだが、
フロリダについても、プライベートで知った これもアメリカ在住の人が言ってたけど、
アメリカ人にとって、フロリダは、人生最後には、、、と思うほどの、憧れの地域なんだそうな。
で、
その人の御主人が、ワシントンD.Cの、何かの省庁勤務なので、近場で銃撃事件が起きたとき、だいじょうぶだったかと尋ねたら、
「あの程度の事件は、こっちじゃ日常茶飯事に等しい。そう言えば、うちでも、家の どこかに、銃を しまってあったはずだ、、、」
とか言ってた。
“Youtube”でも、普通の民家だけど、日本じゃ考えられないほど広い庭の隣りは森、って感じの家の人が、何気なく、庭に出たら、知らない間に入り込んでいた熊と遭遇し、大声出して撃退、みたいな動画を見たことも ある。
アメリカと言うと、そのへんの一般的日本人は、人工都市の極致みたいなイメージを持ってると思うけど(私も以前は そうだった。)実際は、都市部の少し奥のほうにでも行こうもんなら、たちまちにして、野性の危険に遭遇する実態が あるのだなあと、認識を改めたものだ。
なので、
アメリカで、乱射事件が起きるたびに、銃の規制が取りざたされるわけだけれど、なかなか、そうは いかない事情は、そこらへんにも あるのかもなあ、と思うしだい。
ちなみに、
日本の銃刀法、こんにち、一般の国民には、武器の類を持たないのが普通みたいになってるのも、「押し付け憲法」(?)と同じく、戦後の日本で「刀狩」を行なったのは、他ならぬアメリカさんだそうで。
これの おかげは、多かれ少なかれ確かに あると思うわ。
2016.06.06 (Mon)
『【続】男子版「白雪姫」?(笑)』の続き。
「自閉症」を例にとれば、
基本的に自分の身に起きたことでしか受け止められない、考えることが できないのであれば(まあ、世間一般の人も、多少は、その傾向だけどw)、他者の身になってみるという高度の想像力を持ち得ないのであれば、あくまでも、その子の身をもってして分からせるしかないのではなかろうかと思う。
その場合は、もちろん、当人は、多かれ少なかれ苦しむであろうし、
また、何がしかは苦しまないと、身に付かないのかもしれない。
けれど、その「苦」のゆえに、被害意識を醸成しただけで終わるのであれば、それは失敗だ。
ほんとうに難しいなあと思う。
本当なら、自分なりの冷静な思慮や客観的視点を培い、もって、ものごとを判断できるよう、力を付けてもらいたいものだが、
極度に、自分のことしか視野に入れられない場合は、あくまでも わが身が抓られないと、その痛みを知ることが かなわないのかもしれない。
それが、ある種の障碍の特徴なのであれば。
当時の職場では、
なるほど、「最近の子どもは(と言っても、もう10年以上も前のことだが)、ヘンにプライドが高い子どもが多いのかなあ?」と感じさせられることは少なくなかった。
うちの母親も、習い事の教室で、幾人かの小学生を引き受けていたので、そういう指摘を たびたびしていた。
プライドが高い、というのは、その反面で、ヘンに傷つき易い、根本では自信がなく、見栄っ張りといった面もあるわけだが。このへんは、心理学的には、従来からセットになっている現象ではなかろうか。
あと、たとえばアスペルガーの場合は、注意するときに、曖昧なコトバで指示したりすることは避けて、できるかぎり、明確な絵図等を用いて理解させることが望ましいと聞く。
なお、
ここでも、「子どもが いないやつは」云々しているコメントが あるが、
このような投稿者には、自分が、ひどく愚かしい意見を披露しているという恥ずかしさに、いいかげん気づいてもらいたい。
このコメント投稿者の主張とは真逆な意見を述べている投稿者のなかにも、実際に子どもを持っている人たちも 多くいるのだし、
ただ自分の意見に反するからという理由で、
結婚できない、だから、子どもが いない、そういう者は、まともな人間ではない、かのようなコメントは、世のなかの人々を、あたかも敵と味方に分断しようとする、まぎれもないヘイトである。
ともあれ、
当該の男児には、今後、少なくとも数年の時間を経てからしか、今回の出来事の作用の如何は、当事者を含めて誰にも知りようがないこと。
断片的情報のみをもって、短絡的に誹謗中傷へと突っ走る愚は、ネットの一大問題だ。
マスコミも、個人情報も何も そっちのけ、ここへ いたって、ひらきなおりほうだいの発信戦だなw
相手は、犯罪者でもなく、あくまで普通の一般家庭の人でしょう?
※
「犯罪者」呼ばわりし続けているネット民も いるが、この騒ぎの親御さんは、あのような状況になることを期待していたり目論んでのことでは全く なく(だから、数分後には迎えに行っている)、もともとは、単に、子どもの行動予測を測り損ねた、ということなのであり(当該男児の行動は、通常の児童と比べても、そうとうに、意表を突くものだったし)、この親は、海外では逮捕されるに違いないとか言い張ってるけど、私が聞いた話では、たとえば、池等に落ちて亡くなった子どもに対して、親の言いつけを無視して、そんな所に行った子が悪いと、むしろ、危険な行動を とった子どものほうに、より厳しいそうだ。まあ、法的な手続きとは、また違う次元かもしれないけども。
たいがいにしておけよぉ(呆)