2016.01.07 (Thu)
『就任翌日に殺害された市長、家族守って犠牲に メキシコ』
AFPBB News 2016/01/06
~メキシコ全土では過去10年間に、100人近い市長と1000人以上の自治体職員が襲撃の犠牲となっている。
~
~「正しいことをしようとしても、同じ考えを共有しない人たちと対峙するとき、政治家として働くのは危険だ」
~
インターネットでも、こういう現象は言えてるな。
それにしても、世界的レベルで挙げられるほどの危険地帯であることを知られている所なのに、ずいぶん呑気な話にも思える。
蔓延している犯罪組織に立ち向かっていくことを宣言しての就任でしょ?
お祭り騒ぎで祝うどころか、いよいよ、いつでも襲撃されることを肝に銘じておらなければならないような事態だろうに。
私の家族が立候補するとなったら、頼むから、やめておいてくれと懇願したくなるし、機会さえあれば、他国に逃れたいと思うだろう。子どもを産む気にもなれやしない。
こんな地域に、のこのこ観光に行くなんて、もとが どんなに魅力的な所でも、個人的にはマッピラだと思うし、
相変わらずの悲惨極まる状況を、国家あげて、どうすることもできないでいるということにも、正直、呆れ果てる。
これだけの犠牲を、こんにちまで飽きもせず夥しく繰り返してきたのだから、まず、警備面は どうなっていたのか。
当該記事には書かれていない。
2015.08.28 (Fri)
【旧ブログの記録より】
出会い茶屋・待合茶屋 2010/10/04 01:00
時代変われど大昔から殆ど変わることがないのが、男女の事情を めぐる現象だろう。
坊主と売春婦は世界で最も由緒ある古い職業とも揶揄される。
需要あっての供給だ。
ここで、
世の多くの男性が、ほとんど願望にしか過ぎないような分析もどきを したがるのが、「供給する側の実は需要側」という見解。
残念ながら、
多くの男性側が期待?する、女性だって、買ってもらいたいから売るのであって、その理由はカラダの事情、というのは、あまり当たっていないということは、わきまえておいたほうがいいだろう。
この哀しき願望ゆえの論理の発展は、「2ちゃんねる」を舞台にしたという「痴漢を喜ぶはずの女が いっぱい」という哀れさ。
もちろん、例外は、どんな場合にもあり得る。が、例外は飽くまで例外だ。
もっとも、女性には女性のミエというものがあるから、最低限、人並みでは ありたい。
異性との関わりも、それ以上に、男性よりも、日常生活の楽しみを重視する性向の強い女性にとって、ある程度の水準を保った生活の楽しみを維持することは重要だ。これは昔から、男性に対する要求の第一になりやすいこと、離婚の原因にもなりやすいことは、よく知られていることだろう。
この記事の取材対象である女性も吐露したというように、生活費の充填を最大の動機として、こうしたバイトをする以上、まあ、これは、およそ「水商売」とか「風俗」と名の付く仕事である以上、似たり寄ったりだけれど、
こういう世界で出会った女性に対して、あまりロマンチックな期待を持たないが無難だ。
だからこそ、こうした場合の性欲処理には、ことさら、事後の味気なさが付きまといがちであろうし、
ひとたび金銭交渉に入ると、身も蓋もない騒ぎに発展しやすい。やぼな報酬の如何については極力、事前に済ませておくものだ。
~
店のシステムは、男性が入会金と入場料計3千円を支払い、女性は免許証を示して会員登録。~
男性側が基本的に、生理的処理を重点目的としているのに対して、女性側も、経済補填という、あるいは、その他の最大目的がある。要は、趣味でもなければボランティアでもないというシビアさを肝に命ずるべきであろう。
特に女性にとって、好きでもない無関心な男性との性交などは、損したという感覚が強い。
若い女性には、自分一個を、あたかも商品のように とらえている感覚も強い。
たかだか?痴漢程度でも騒ぐ女性側が、こうしたリスクを冒しての商売である以上、それを買う男性側も、そういう女性を買っているのだということは忘れないこと。
この世界、絞り取ってナンボの世界だ。搾り取りたいのは何かの液体ではなく、お金。
男性一般の性向として、実は女性以上に神経質で小心なものだという。
そのくせ、性欲の強さは、一般女性以上なのだから始末が悪いとも言える。
この事件を起こした男、もともと気の小さいほうの性格だったそうだが、
だからこそ、ちょっと女性に騒がれたくらいで、こういうことになった、とも言える。
要するに、この男女双方とも、異性の本質を知らなさ過ぎたゆえに起きた事件とも受け取れる。
はっきり言っておくが、好きでもない男性との性交なんてものは、それに代わるメリットがあってこそで、
女性一般にとって性交というものは、男性ほど危急の欲求ではない。
それだけに、
敢えて その世界に身を置く場合は、いろんな面で他の事情が複雑に絡んでいることが多いし、
ふつうの良家の子女として育っておりながら、そういう商売に身を投げるということは、よくよくのことでもある。
ふつうの家庭で育ち、ふつうに教育を受けて育ったはずの一般女性たちが、こういう商売に、ほとんど抵抗感も見せずに易々と入るということの社会事情と、精神性を考察するべきだろう。
なかなか、ことは根深いものが潜んでいるはずよ。
~素性も知らぬ男女の出会い。「援助交際しているけど相手は注意している。身元がしっかりしていそうかは確認する」とミホは言う。これまでに危険な目にあったことはない。「店は出会いを提供するだけ。あとは自己責任」。多少のリスクがあることはミホも理解している。~
私が、かねてから問題にしている「自己責任」。
「『大人のつきあい』」、「身元が しっかりしていそうかは確認する」
このコトバのカラッポさに、どれほどの人が気づいているのだろうか。
~客室内から吉原さんのバッグや化粧ポーチ、財布を盗んだ窃盗容疑で
~
関係者によると、紺野容疑者は知人男性が所有するマンションの一室を無償で借りて暮らしていた。
ふうん。。。?
カテゴリ: 事件です > 事件
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まるで小説「悪人」 池袋ラブホ殺人で女子大生が口にした殺意の“引き…
(2010/10/03 19:36)
2015.07.10 (Fri)
の続き。
だらしのないこと このうえない親父も、戦時中は、堂々のエリートだったから、戦後、しばらく在籍していたらしい「警察予備隊」とかいう自衛隊の前身組織に、そのまま ずっと居さえすれば、かなりの地位にまで上っていたはずだと聞いたこともあるが、
なんせ、戦後進駐してきたアメリカ側の兵士と大ゲンカしてブチ切れたのがキッカケで辞めちゃったって、大笑いするしかない話、
旧のブログか どこかで書いたことがあった。
しんどいし、めんどいので、再び今ここでは書かないけど、
要するに、
アメさんとこの兵士は小学生程度の計算能力すらも なかった、って驚愕の真相だ。
それでも、日本は、そんな相手に負けたんだぜえw
まあ、また、気が向いたら書こう。
(もともと、からだが虚弱だし、心理的なものでもあるのか、自分や身内の生い立ちに まつわること等を思い起こすと、てきめんにダルくなることがあるの。調子が悪いときは、いわゆる「フラッシュバック」ぽくなるから。)
で、そんな うちの親父だが、
くだんの、自宅放火・子ども焼死事件を引き起こした海自幹部という愚かな父親に共通しとるなあ、と思った。というのは、
親父も常日ごろ、
「おれが仕事に行くときは、行ってらっしゃいと。帰宅したら、お帰りなさいと、いつも言ってほしい」
と、こうした不平を、ぶうぶう鳴らしていたからw
大概そういうのを理由にして暴れ、暴力振るってた。あのアル中親父は。
しかも、
親父自身の子どもの数は、初婚・再婚を合わせれば、現代としては多いほう。さすがに8人までは いかないが、
流産とか死産の分も足せば、それくらい いきそうだw
でも、戦前や戦中は、1ダースくらい珍しくもなく産んでたらしいよね。
大家族で、祖父母やら、上の子どもから順繰りに、下の子どもの面倒を見させていたから可能だったことなのかな。
親自身が直接に子どもの世話しなくても、それで、わりと普通で、両親とも家業のほうに専念してたとか聞く。
昔は、庶民の子は、学校なんか適当なとこで切り上げさせ、家の手伝いだけさせておれたそうだから。
女の子は、現代ならば、まだホンの子どもである年齢のうちに、口減らしを兼ねて嫁に行かされたというし。
父本人にしてみたら、その生い立ちも薄幸だったろうし、
だから、連鎖現象ってやつなのか、
様々な条件は一人一人異なっては いても、結局、親父の子ども全員が何らかの、解決困難な問題を抱えていたりする。
それでも、
「誰の お蔭で飯が食えるのか!」
「この出来損ないが!!」と、嫁や子どもをブン殴って、
だったら、嫁も貰わず、子どもも拵えずに、家庭なんか持たず一人で生きていれば よかったがなと、なまいきな私が言おうもんなら、ますます激昂して、もっと酷く殴るw
自身については、人並み以上の、自分の欲望や何か、
たとえ、それが邪まなものであろうと最優先することを、全くと言っていいほどに、躊躇したり疑問視することがなかった。
ほんものの「脳天気」と言うのか幼児的万能感と言うのか、
これぞ、自己愛の権化。
要するに、エゴのカタマリ。
ただ、
本人は、自覚がないどころか逆に、自分のほうこそが、むしろ被害者だという、出所の分からん潜在意識を持っていたようだ。
だからこそ、
苦労が多く不利だろうと何だろうと、いざとなれば家族を含めた他者に、要領よくツケを押し付けてでも、なりふり構わず自我を通し、
最後は、辛うじて、それなりに「勝ち組」のほうに まわれた。
「勝ち組」と言っても、
家庭のなかにおいて、家族の苦難の上に なり立った、俗世間的には、いたってチンケなチンケな程度のものでしかないけど。
それ以上に、因果のタネを残しただけ。
自分が一番可愛いのだから、その自分に、ちょっと余裕があるときだけ、子どものことも少しは思うか、って程度。
もちろん、自分に余裕がないとき、自分の分が悪いとか不利なときは、わが子に対してでも猛然と牙を剥く。
親だからって、子どもが最愛と限ったことでは ないよ。
ほとんどの人は、きれいごと言ってるだけだろうと思う。
要するに、家族のなかにあっても、ぬぐえない孤独なのかな。
それが、生い立ちによるものなのか、生来の個人的資質なのか、
そのへん、よくは分からないが。
(ついでにと言っちゃ なんだけど、
たとえば、大島弓子さんの『夏の夜の獏』というマンガ作品など読むと、どうしても、胸に すごく迫ってくるものがあるよ。
うちの実家なんて、関係性でも心理面においても、もっと もっと複雑怪奇に愛憎入り乱れ、何かにつけて物騒な家庭だったけどもw)
ところで、私は、小・中学生の頃から、
学校とは、パートタイム刑務所みたいなもの、自分たちは、パートタイム囚人みたいなものだと思っていた。
今回 また、
近ごろ、河川敷で、悪い仲間に寄ってたかって なぶられたあげく、
とうとう命を落とした男児と同様、見るからに あどけない男の子が、
さても痛ましいことになってしまった。
この男子生徒の担任教師が、ある時の生徒の訴えに対して、
「上から目線」(原文では、「目先」と書いてあったようだw」)
と指摘したということで、
いかにも教師稼業の ちっぽけなプライドが顔を出したか、という印象を持ったが、
ま、ガッコのセンセイ即ち「子ども相手の、お山の大将」なんてものは、
その殆どが、ひたすら要領の良い優等生が なるものだし。
私が小学校のときの担任のように、一念発起し、働きながら苦学して、教職資格を得たという叩き上げの苦労人なんて、いまどき、まず、いないだろう。あの当時でも珍しいほうだったと思う。
その他の担任のなかには、子どもの目から見てさえ、いかにも苦労知らず、世間知らずの お嬢ちゃんセンセイも いた。
案の定というべきか、本当に頼りなく、事なかれだったのを憶えている。
実際、私らの担任後、早々に辞めたと聞いた。周囲も、「やっぱりね」という評だった。
おおかた、地元の旧家あたりへでも嫁がれたのだろうと想像する。可愛い顔の、若い先生だったし。
高校時分の友人の場合も、クラス内いじめで悩んでいたにも かかわらず、担任教師が、あまり、気に掛けてくれないという悩みを聞いていたが、一見、温厚そのものな、そのベテラン教師には、
うまく遣り過ごせない、要領が悪いのじゃないか?と咎めるような感覚が潜在意識にあって、むしろ、友人のほうをこそ問題視しているふしがあるのではないかと、クラス外の私にも感じられた。
その記憶と同時に、
うちの身内も教職に就いていたが、彼が、その職業に就いて、まだ間もない頃、
担任したクラスの女児の家庭が経済的逼迫しているということで、
ある日、母と示し合わせるようにして、私の意向は無視しw、
比較的、くだんの女児と年齢が近かった私の衣類やらバッグ等を、容赦なく取りあげ、その女児へ与えるべく、サッサと運んでいったこともあったのを憶えている。
この身内が思いがけなく自死したおり、職場の上長は、原因に思い当たることは全く ない、と言っていたそうだ。
まあ、身内の場合、私とは立場が異なるものの、やはり、幼い頃からの、親に対する葛藤の深さは同様で、そのことが、とうとう終生、割り切ることもできないまま、心の底に澱が積もっていくごとく、自分の家庭や仕事にまでも、葛藤が しのび込んでいたということもあったのでは なかろうかと察している。
【続く】
2015.07.09 (Thu)
死にたくなる国なのか、日本。
最近の事件の どれもが、私個人の過去と似た側面もあるので、見てて心底ゲンナリしてくる。。。
おまけに、
数年も前から私がホソボソと言い続けてきたことが、あれも これも現実化してきているというのに、
今ごろになって、やっと気づいて騒ぎ始めるどころか、
相も変わらぬ安倍ポチ、アメぽち、ネトサポ跋扈、加えて、これは、私も最近になって知った『日本会議』。これ、ほんとにタチ悪いことに気づかないとダメだ。自民党と安倍政権を底のほうで支える供給源みたいなもんでしょ。
すでに大失敗してきているにも かかわらず、なおも飽きず、不穏のタネを撒き散らし続け、あきらかに嘘ばっか ついてきた者を、なぜに、
またぞろ、総裁に返り咲かせるのかとフシギで しゃーない、そのうえにも、
これだけの国民大多数が不審に思い、反対しているにも かかわらず、なぜ、ゴリ押ししてしまえるのか。
民主主義は骨抜きになってしまっているではないか。
やっぱり、「ナチスに見習え」は本当だった。
「ワイマール憲法」の二の舞が、この現代日本で起きてしまったようだ。
それと、
安倍朕の祖父さんが、いましも、憑りついた孫の「忘れは しない」手本とするところの「安保」ゴリ押しは、やっぱり、
「いつかは、おまえもアメ~リカの、核の傘に報いる手先となって、その戦争に加担せよと教唆する」ための段階的戦略だったのかと思い当たる昨今。
たしか、志位さんが問いただしたという、
アメリカの始めた戦争に対し、日本が、反対や異議表明したことが一度でもあったか。
ない。一度も。
これが事実。
恐ろしいこと。。。
いまの日米関係のままで、現憲法の、なかんづく9条を失う事態になれば、もはや、
アメリカの戦争に加担することを拒絶し、突っ撥ねる手立てが なくなるではないか。
その「世界警察」気取りの覇道によって、すでに各方面から根深い怨みを買ってしまってるアメリカという国は、先刻ご承知のとおり、先制攻撃お手のものだ。
「やられる前に やり返す警察」(爆)
しかも、本質は往々にして「正義」が伴うわけでないことも、世に広く知れわたっている。
一番、自覚がないのは、自分たちが日々食べさせられてる「遺伝子組み換え食品」のことも知らないでいるという悪い冗談みたいな、当のアメリカ国民では なかろうか。
最近になって、ようやっとハッキリした動きを始めた人々の何倍もの何十万人という、あれだけの人数が、かつて、国会を幾重に包囲しても、どうすることも できなかった。
ほんとに、ゲンナリどころか、絶望的気分に陥りそう。。。
せめて、うちでも、これをアップしとこう。明日は金曜日ですね。
『大分4人死亡火災:「妻が見送らず逆上」…放火容疑者供述』
毎日新聞 2015年07月07日 23時58分
http://mainichi.jp/select/news/20150708k0000m040125000c.html
『事件直前、妻に「死にたい」 大分4人死亡放火容疑の父』
朝日新聞デジタル 7月8日(水)16時38分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150708-00000039-asahi-soci&pos=1
『しんでいいですか」 ノート、悩みもがく中2生徒の姿』
朝日新聞デジタル 7月8日(水)23時25分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150708-00000067-asahi-soci
『「死ぬ場所決めた」=担任とのノートに記述―岩手の中2男子死亡』
時事通信 7月9日(木)5時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150709-00000010-jij-soci
『無戸籍の子、全国142人=経済難深刻、未就学は7人―文科省調査』
時事通信 7月8日(水)17時3分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150708-00000116-jij-soci
たしかにね、夫婦の どちらかでも計算ヅクで、子どもを つくるってのは、実際、少なくないのかも。
案外と、子どもの数だけは多くて、夫婦間の愛情や関心は希薄というケースもあるだろうし、
「カスガイ」たる子どもが いないからこそ、かえって、二人だけで密に向き合い続けるしかないという面もあるだろう。
さて、
「離婚届を出す直前の情況にあっても、なお婚姻相手と性交渉することは、ある」のだよ。
これが、世の現実ですよ。
実際、愛情もなく、さりとて離婚もしないでズルズルといく、
これは、女性側に経済力がないのと、かつ、
どんな堕落した状態であっても、とにかく日常生活の変化を なるべくは避けたがる男性のサガみたいなものとが合わさって、
そんななか、別れる手前でありながらも、女性側が、自分の亭主を、どうにか繋ぎ止めようとして、むなしくも最後の子どもを つくってしまった、という事例が、私の身辺にもある。
うちの親なんか、堂々のダブル不倫だったからね、
そりゃもう、私を つくったのは、双方それぞれの欲得づくw
私が出来なかったら、あのバカップル、腐れ縁夫婦が各々の家庭を潰して、一緒になる理由らしい言い訳にも窮したはず。
異様に押し強く暑苦しい性格しとる両親・身内の誰にも似てない、謎な私の、こんなノンビリした性分でも、成長するにつれ、成人して社会に出たときの苦労と困難が現実味を帯びて目前に迫ってきた頃、さすがに、
幼少時に負った障碍についての手立てを、いまのうちに とってほしいと訴えても、あっさり却下、話を逸らし続けて、こっちの真剣な悩みと訴えを、私が根負けして黙るまで、どんどんとズラされてしまった。
まじで、社会に出る前のうちに、今こそ死んでおくほうが、、、と絶望したもんだ。
小学生時分の担任教師などが、私の今後を心配して、しかるべき受診のことなど、何度か促していても、一切、聞き入れなかったということだったから、ハナから、親としての誠意なんかあるわけもない。
要するに、おまえが自分一人で、なんとかしろや、ってこと。
生まれた側の自己責任、ってこと。
自分ら夫婦の責任は棚上げ。
ま、もしものことに、来世なるものがあり、生まれかわっても、あかの他人どうしとして「袖擦り合う」だけでも勘弁w
一事が万事で、
そもそも、私の出生の届け出すら してなかったというのだから、
昨今、明るみに出てきた「無戸籍児」問題も、私にとっても無縁な話でない。
ふつう、こんな経緯を知っただけで、親に腹たててグレちゃうだろう。
障碍ある身では、本当にグレるわけにもいかなかったのが現実だけど。
詳細は聞いていないが、これも、入学予定の学校の校長先生が、私の分だけ就学(児童)通知が届かないので、当時、懇意にしていた私の母親に、「あんたとこの子だけ、いまだに通知が来てないでぇ」と大慌てで知らせてきて、やっと真相が発覚したのだということだった。
うちの親は時々、しかも私に関しては特に、保身のためだろうが、タチの悪いデタラメを言うことがあったので、どこまで信用していいのか、いまもってアヤフヤ。
晩年は、人並み以上に回転が速かったはずの彼らのオツムも怪しくなり、両親とも、そのまま くたばったし、いまさら確かめようもなくなった。
真実は藪のなか。
【続く】
2015.07.07 (Tue)
当ブログでも、『ある科学者の死』というエントリーを含め、この大騒ぎに関し、いくつかアップしたが、
まず、
世界的権威とまで目されたほどの人が、あんなにアッサリと引っ掛かり、
そして、その結果、
あんなにもアッサリと死んでしまうものなのか、という驚愕。
『発信箱:STAPを越えて=青野由利』
毎日新聞 2015年03月27日 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20150327ddm005070022000c.html
私が初めて小保方晴子さんの声を聞いたのは昨年1月28日深夜のことだ。この日、ネイチャー誌が世界の科学記者をつないで「電話記者会見」を開いた。
指定の番号にかけ、小保方さんと記者とのやり取りを聞きつつ感じたことは二つ。まず、こうした会見に日本の若手研究者が堂々と出てくるようになったことを歓迎する気分。もうひとつは、質問に答えるまでの長い沈黙や、照れたような笑いに対する、ちょっとした不安だった。
後付けで考えれば、不安は的中した。電話会見では「共同研究している研究室の間でSTAP細胞は再現できているの?」と聞かれ「イエス」と答えていたが、その事実はなかった。その後の顛末(てんまつ)はご存じの通りだ。
~
論文の査読者から疑問が呈されていた穴だらけの研究をなぜ周囲が信じたのか。疑惑が生じた後も一部の科学者が擁護し続けたのはなぜか。疑問は解けないが、「まさか」の研究が大発見につながる科学の歴史を知っていたからこそかもしれない。「初めは誰も信じなかった」。優れた業績を持つ人々から、何度この言葉を聞いただろう。
~
(一部文字強調は、当ブログ主による)
当初の頃にも言ったことだが、私個人は、小保方さんと、くだんの研究について、食指が動かなかったと言うのか、記事を拾い読みしてみても、ふーん、程度にしか思わず、ほとんど、関心が湧かなかった。
私は、ふだん、どちらかと言うと、科学方面の話題には興味を持つほうなので、小保方さんの発表等に関して、なぜ、いつものような関心を起こさなかったのか、自分でも、説明できない。
(この部分は、あくまで余談。ちと、いや、かなりオカルト的なことを言うと、私には、こういう現象が、わりと起きたりするのだが、
個人的には、いわゆる「スピリチュアル」等の類に全くと言っていいほど関心はない。ただ、こういった現象が実際にあるのだなということだけを受け止めている。
ごく端折って述べると、ある夢を見たあとに、「これは、現政権の意向も密接に はたらいていたな」という直感を持った。それもあって、
もっと本当の責任を負うべきを追及せず、「しろうとに毛が生えた」ようなのが正体の彼女一人に全ての責を負わせ、というのでは、やはり、大変おかしいじゃないかと考えていた。)
心理学の専門家である碓井先生って、立場上もあるからだろうと お察ししているが、いつもは、焼けたんだか煮えたんだか、いまいち要領を得ないくらいに慎重な言いまわしかたを なさるので、時々、読者からツッコまれているのを お見かけするのだが(苦笑)
くだんの小保方さんについては、この先生にしては珍しいほどハッキリと、彼女の内面性についての疑念を呈しておられた。
また、誰かしらが、小保方さんをして、まるで「教祖」とか教祖的要素を持ってるとかと評してたものだが、
やっぱりね、ほとんど「宗教」だったんだなあと思う。
「不合理ゆえに、われ信ず」ですか。
宗教、また、宗教的なるものは、やっぱり、問題が大きいね。
人ならではの欲望が絡み付き易い世界だけに、犠牲や死も容易に齎される。
どんな宗教でも主張するであろう、各々その「ユートピア」のヴィジョンとは裏腹に、容易く「ディストピア」が展開されてしまう。
それが、宗教の歴史現実だ。
なるほど、かつて、私の恩師が、私に向かって言い聞かせるように述べた「実は、厳しく主体性が要求されるものなのだ」というのも分かるような気はするのだけれど、
私の知るかぎり、現実には、何らかの宗教とか、そういった類に のめり込む人というのは、良い悪いは抜きに、一見、信念が強いようでいて、
やはり、どこか度を越して依存的だと思う。
思考停止的に、素直に信じ込む、そのわりには、ヘンに我が強いとか、みょうに頑固だなという印象もある。
宗教あるいは宗教的な意味の、ぶっとい柱でも固いモノサシでも、そうしたものを確固と抱え込んでいないと、始終グラグラ揺れに揺れて、自分の足で真っ直ぐに立っていられないほど、心許なさで不安に苛まれるのだろうかと訝しく思う。
私は、人間に敢えて必要なものとすれば、それは、たいそうな宗教と言うよりも、ただに、素朴な敬虔さで じゅうぶんと考えてきた。これを失った「聖職者」たちが古今東西、どれほど破廉恥な罪を犯し、他者の犠牲を強い続けてきたことか。
「スタップ細胞」って、以前の幾つかのエントリーでも挙げておいたのだが、先行していた「ミューズ細胞」とかいうものからのパクりが窺えるふしを、そこかしこに見受ける。
そうそう、最近見かけた、こんな記事もあったけど。
これはさぁ、スタップ小保方さんの唱えてたことと同じようなことじゃないの?w
どっちかがパクったのか?ww
『不食によって神の力が手に入る!? 榎木孝明で話題の“不食”本を読んでみたら…』2015.06.29
http://lite-ra.com/2015/06/post-1230.html
なんでも、クローン羊は乳腺細胞から誕生したといい、〈個別化された乳腺細胞が逆進化して全能性を持つ細胞に復帰した。(中略)その手法が何であったかというと、(中略)栄養を絶ったのである。つまり断食状態にしたのである〉という。そして、山田氏の思考は羊から人間へ向かうのである。
〈単細胞が断食で、ものすごい能力を手に入れた。それならば複合体である、細胞からなる人間の身体そのものに断食を与えたらどうなるか。(中略)超能力に到達できるのでは〉
〈不食によって初期化されたらどのような能力を獲得するか? 神の力を手に入れる!〉
なんだか「手に入れろ、ドラゴンボール!」「ポケモン、ゲットだぜ!」に相通じるノリの良さが愉快だが、まさか不食によって超能力だの神の力が手に入るかもしれないとは、もうこれは科学でも何でもない上に、〈不食が可能である根拠〉にもなっていない。というか、ただの願望である。
~