2014.10.06 (Mon)
そう言うけれど。
どうだろうか。
私は、こういうコトバを聞いて、あまり納得したことも、信じたことも ないけれど。
「チョチョイと人生、こんなもん。とにかく努力さえしておけば、報われないはずは ないんだ。この俺を見ろよ」
こういうウヌボレを持ってしまうと、自分の目前の障害物を素直に認め、それと真正面から対峙することは避けるだろう。
要領良く「チョチョイと」避けて、いつものように自分の思いどおりに突き進んで行こうとするだろう。
ところが、
どうやっても、そうは問屋が卸さないことがあるのだと思い知ったときに、初めて絶望するしかないのだろう。
自分の幸せ、自分の野心や栄光のためなら、いくらでも身軽に頑張れた、そして、頑張りが報いられてきた人は。
本当の意味で、「メンタルが弱い」のは、こういうタイプと言えるのかもしれない。
なにしろ、耐性の芯は鍛えられていないのだろうから。
なるほど、自分一個のために頑張るのは、いとも容易すかったろう。
この世に、報われぬ事態があるなんて、
少なくとも自分の身に起こるなんてことは想像もしなかったろう。
自分の身から出た錆のごとき子どもと言えど、あくまで他者なのであり、これまでのように自分の頑張りしだいで上手くコントロールできることとはワケが違うのだということも。
『加害少女の父親が自殺か=自宅で首つる、佐世保高1殺害―長崎』
時事通信 10月5日(日)20時46分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141005-00000082-jij-soci
「わたしは生きていていいのでしょうか」
仮にも弁護士、当事者の親としての事後処理の重大さは承知していたはずと思うけれど、
「ネット民」の多くが言う「逃げた」とか、はたまた、「娘の代わりに責任を、自殺という かたちで」とかいうよりは、
本人には、とにかく もう持ち堪えていくことが、これ以上は到底できないと、そうとしか思えない、精神ガタガタ状態にあったのだろう。
つまり、もはや余裕のカケラも、残された長男、迎えて日も浅い後妻と、これから生まれてくる予定の子をも顧みる余裕一片も残っていなかったのだろうと察する。
以下、抜粋部分は、下記の記事より。
『長崎・佐世保の同級生殺害:識者に聞く』
毎日新聞 2014年08月20日 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20140820ddm012040044000c.html
~
少年事件の場合、捜査当局に本人が供述した動機が本当ではないケースがある。私は神戸家裁時代に児童連続殺傷事件を担当した。14歳だった少年は検察に「祖母の死を通じて人を殺すことに興味を持った」と話していた。疑問を覚え、精神科医に「本当の動機を調べてほしい」と依頼した。その結果、性的サディズムがあり、残虐なシーンで性的な満足を得ていたことが分かった。捜査段階の供述とは真実が違っていた。
今回の佐世保の少女も供述が報じられ、神戸の少年とも年齢が近く、犯行態様や小動物を解剖した過去もあることから、類似性を指摘されるかもしれないが全然違う。性別の差もあるし、成育環境も異なる。父との関係や母の死、友人関係。誕生時までさかのぼって調べる必要がある。
調査結果は社会に公表されるべきだ。犯罪を起こした少年の実像を供述報道だけでしか世間が知ることができなければ、凶悪なイメージだけが植え付けられ、社会復帰の支援が難しくなる。
~
この事件については、以前のエントリーで、私も指摘したかと思うが、「性同一障害」とかいうのも絡んでいそうだし、なんと言っても、この加害者少女の脳は、男の子のそれのように思えるのだ。
人体等の生命体を、一種の機械とかメカニズムそのもののようにとらえて、好奇心を募らせ、ついには直接に把握したがるなどは、男性に多い傾向とされる理系脳的でもあるし、
支配欲的、暴虐・残虐的で、概ねは男性に顕著な性的動機も窺えるようでもある。
近頃は、どういうものか、女性にも増えてきているらしい感もあるが。
まあ、こうした女性は、良くも悪くも、歴史上に名を残し易いのかもしれない、たとえば、「希代の悪女」として、男性顔負けの野心家だったり。
それでも、当該事件の加害側少女は、性別自体は女性に違いないのだから、全く男性的な特徴性だけを備え持っているのではないはずだろうし、犯行動機の面において、もう少し複雑な心理性が潜んでいるのではないかという気は する。
~
加害行為は「大切にされていない」と感じる被害体験が背景にある。いじめや虐待だけではない。親の期待に沿うようないい子でいることを強いられるのも一種の暴力。少年が何らかの加害行為を起こした場合は、まず「やってはいけないこと」だと理解させ、背景の被害体験を把握して本人の抱える問題を検討する必要がある。こうした対応は学校や家族では難しく、加害者対応の専門家が関わった方が良い。非行の一般相談を受け付ける地元の少年鑑別所を活用する方法もある。
鑑定留置後、送致を受けた家裁が加害少女の処遇を判断するが、検察に逆送し刑事罰を科しても何も解決しない。医療少年院で適切な教育と治療を受けさせ、社会復帰後の再犯防止を図ることが最善の選択だ。家裁は事件の調査結果に基づき、子どもを加害者や被害者にしてしまった社会やおとなの責任についても問題提起してほしい。
~
「非行の一般相談を受け付ける地元の少年鑑別所を活用する方法もある」
少年鑑別所には、こういう活用法もあるとは知らなかった。
さて、
「加害行為は「大切にされていない」と感じる被害体験が背景にある」
これは、本当には大切にされていないことに気づかず、それどころか、まったく逆を信じ込まされていたことを、親が死んでしまってから突きつけられたという、私のような迂闊な例もあるので(苦笑)
その子の持ち前の性格も左右していると思う。
また、親や養育者の側で、自分のエゴが潜んでいることを気づいていなかったり、薄々には自覚していても、気づかれたくない、決して認めたくない心理もあるだろう。
かわいそうな動物の話などに同情心が非常に強く、いたって子どもらしい純真な性格だと、小学生時分、担任教師からも評されていた私は、もちろん、親の醜い真相を知ったからと言って、いまさら自暴自棄になり、犯罪行為に走ってやろうとも思わないし、それならと、自分よりも力弱い他者を掴まえて、陰湿に、いたぶって楽しむ気もサラサラ起きない。
だが、私とは正反対で、生来おっとり穏やかでない性質、容赦ない性質の子は、ある意味、非常に鋭敏・敏感と言えばいいのだろうか、要するに、自分を絞めつけてくる真綿の感触でさえも決して見逃さないのだろう。
そうして、長じるにつれ、歪を拗らせていくのかもしれない。
これも、バランスが悪いのか、
「良い子」にしていなければ ならないという言外の圧力の半面では、
やはり、ウヌボレを親から受け継いで、非常にワガママに育ってしまった面もあるのかもしれないと思う。
ただ、ある種の障碍を持つ場合、どんなに注意しても諌めても禁じても、まったくの「馬耳東風」状態から頑として動かない子どももいるのは現実だ。
~
情報の真偽を見極めるメディアリテラシー教育が必要だ。フィルタリング率の低下も心配。フィルタリングをしていれば、違法・有害サイトにアクセスできなくなり、効果的だが、無料通信アプリを使うためフィルタリングをかけない子が増えている。カスタマイズという機能を使えば両立可能だが、あまり知られていない。大人が知識を持って子供を守りたい。もはや待ったなしで、試されているのは我々大人の側だ。
~
インタビュー記事最後に ご登場の
兵庫県立大准教授(生徒指導論)竹内氏が仰るように、
システムの問題、情報拡散の問題は喫緊の解決課題だと思う。
特にネットの問題が、教育上においても看過できない事態になってしまっていることは、私も、数年前から、たびたび言及してきた。
昔は、江戸川乱歩あたりの作品さえ、子どもには読ませない親御さんもいたそうだが、
うちの親ですら、私が幼いうちは、テレビ放送でも、大人向けのもの等は、極力、見せないように制していた。
子どもに与える情報の類も、取捨選択に当たっては、養育者の権限のうちにあるはずであろうが、いまどきは、親自身が完全放棄なのだろうか。
そりゃそうなのかもしれない。
私が、これまで目撃してきた者(=ヤジウマ&つきまとい、なので、私の怒りの対象連中)のなかにも、自分の子供らの(下の子は、何かの後遺症で、知能の問題があると言うし、上の子には、白い目で見られていると言うほど)食事の世話等、家事も疎かに、「OKウェイヴ・おしえてgoo」での説教投稿に夢中になっていた輩もいた。
案の定で、最近は、「ヤフコメ」のほうに出没しているらしいのが窺えたがw
そのコメントの、さも尤もらしさの陰に潜めた、非常にタチの悪いエゴの放出ぶりには特徴があり、(このひとも、自覚は薄いと思う)、
「まっ、相変わらずだこと」と呆れてしまったばかり。
これまた、宗教系だか政治系だか何かの団体にカブレてるらしいのは、この主婦も同様なのだが。
【続く】
2014.09.23 (Tue)
『演技と露悪――「一家総出」のw』
今度は「tantan」とかいうハンネを名乗ってる露悪趣味者、ならびに、その関係筋の演者たちのwコメントに向けて、私から一言述べておくとすると、
「やがて行く道」という以前にね、
誰しも、この世に生まれ落ちたときは、「絶対的弱者」として登場するのだってことよ。
弱いことは悪いことと主張する「tantan」さんとやら、
おたく、実生活では一応、一人ならず子持ちでしょ。違う?w
あんたがたは、誰かしらに、ただちに保温してもらい、乳を与えてもらわないことには、じきに死んでしまう あかんぼう全て、殺害するか、生まれて来れないよう、事前に手立てしておくべきだとでも言うのかね?
それと、
「事前に蓄えて備えておくべき」とか小賢しいことを言うけれど、それすらも困難な人生を余儀なくされる障碍者が現実には多いということも知らない、世間知らずが まる出しだ。
なぜか「tantan」さんにまとわりついてるような「ele*****」さんとやらのコメントは、
さしづめ、mashumaroおばさんあたりのキャラだなw
ごくろうさんなこって(嗤)
ま、これも、
「こういうふうに、ワシに接してほちい❤」
という、ヒト♂としての願望の表現なんだろうwww
まあ、知能や精神系の病気や障害に効く医薬品などは、ほとんど期待できないのが実際かもしれないから、何かの健康食品だアロマテラピーだホメオパシーだと、そっち方面にすがるようになっていくのかもしれないけど、
そう言えば、
例の「汚気愚」の、なぜかテツ カテでw「代替医療」についてと称し、なにやら要領の得ない質問繰り返してた自称「医療関係者」が いたっけなww
私は、これも胡散臭いと思って、スルーしておいたけどw
ああ、ひょっとして、井口くぁしもとハカセとこのホメオパ看護婦のヨメさんでしたかな?違うかなww
とにかく、
俗に言うところの「逆張り」してるつもりなのかもしれないが、
そんなふうに、ネットじゅう、あちこちのサイトというサイトに出没し、
反社会的で下卑ていて、教育上も甚だ よろしくない、くだらぬ投稿に精出してるヒマと体力があるのならば、とっとと外に出て、働きなよ。
もうすでに定年世代で、まともな一般企業の雇用対象からは外れてしまってるんかもだけど。
自給自足目指した田畑のほうは、ちゃんとやっとるかね?w
ああ、あっちは違うハンネだったか?ww
ほんと、よほど、実生活で満たされずに、何かを求めて餓えているのか、
どんな報酬を見込んでなのか、
私だったら、お金もらっても、そんな「仕事」マッピラお断りだけどなあ(嗤)
~
たとえば、「OKウェイブ・おしえてgoo」(←私は、略して「汚気愚」と呼ぶw)のような形態のサイトでは、質問者・回答者それぞれにも成りすますし(落語家または「噺家」みたいなもん?w)、
激しいケンカや罵り合い状態さえも、自作自演で双方に成りすますことが含まれるw
~
目が不自由な人については、かつて、「検校」という位階があったことを、「ウィキペディア」で読んで、現代日本社会よりも、よほど先進的な面が あったようにも感じられ、とても興味深く思った。
2014.09.23 (Tue)
障碍者のなかでも話題が集中している視覚障碍者に関しては、こちらの、塩谷靖子さんと おっしゃるかたのコラムが参考になる。
以前のエントリーで、たしか、テレビ ドラマ『明日、ママがいない』とかいう題名の番組が問題として話題になったおりだったかにも紹介したことがあったと思う。なぜかと言うと、
一見、無関係な話題のようだけれど、そこで述べられている内容を読んでみれば分かることで、小説等の文学作品を、ここではテレビ ドラマ等に置き換えてみれば、隠れがちな問題の共通点が浮かびあがってくるからだ。
『ご存知ですか谷崎さん』
http://www.nobuko-soprano.jp/essay/tanisaki.htm
あと、こちらも。
『文学にみる障害者像』
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n176/n176_035.html
さてさて、
『外出で恐怖7割、性被害や暴力行為も 県視覚障害者協会アンケート』
埼玉新聞 9月21日(日)16時24分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140921-00010004-saitama-l11
私自身は、まだ20歳台の頃だったか、小田急線にて、同じ駅で降車した人のなかに、たまたま、白杖を携えていた視覚障害者を見かけたので、駅を出るところまで付き添ったことがあって以降は、地元に戻ってからも殆ど見かけたことがなく、ましてや、「白杖ブンブン振り回しながら、もの凄い勢いで歩く視覚障害者」というのには全く遭遇したことがないので、そんなことってあるんだろうか?と、訝しさが先に立ってしまうばかりだ。
さて置き、
この記事に付いた「ヤフコメ」への、またコメなんだけどさ
(↓クリックどうぞ)
まあ、「カルト連」のボスstomachmanあたりと、その仲間の臭いがプンプンなのよw特に、この「tantan」とかいうヒマ人ww
「自己責任」ってコトバを振りかざすのは、
「汚気愚」会員の一人で、始めの頃は、だいたい心理学カテ中心だったはずが、いつの間にやら、「ぶらゲロんぬ」爺さんのスレを中心に、テツ カテに「居着き」となった「ハコブル」つうひとも そうだったけどさ、
まあ、哲学的に考えたとき、「自己責任」というコトバほど、無根拠で薄っぺらいコトバもないもんだ(爆)
「満足に真っ直ぐ走る事すら出来んのに」と言うておられるのだよ?
なにズラしてんだw
「障害を優遇してれば、人口に占める障害者が増える。」
はあ?またデタラメで非科学的なことをwどっからツッコもうか迷うわww
「小さな政府派」
ははあ、「littlekiss(にゃんこ~!)」と同じ考えなのねwww
…あのカルト連との遣り取りで、何にウンザリさせられたかというと、何度か言ってきたことかと思うけど、
議論の出発点からして大きくズレてるもんだから、とにかく堪えて、そのまま相手になってやっていても、「ボタンの掛け違え」を正さないかぎり、あとはドンドンずれていくしかない、それと同じことで、
話の方向がズレにズレ、いつまで たっても、目的に着きはしない。
なにかと失礼な言動を寄こしては、私の反応を窺い、せせら笑ってる、他の古参メンバーたちは ともかくとして、
2度にわたり勧誘してきた「ボス」を信用して参加し始めたものの、これが全く頼りないだけでなく、じきに、挙動不審の様相さえ帯び始め、
最初に聞かされていたサイトの設立趣旨とは全然違うことやってばかりだから、次のステップに全く進んで行けない、
そのうち、古参の失礼さはエスカレートするわで、だんだんと、不審感が芽生え、
こちとら私もヒマ人ではないから、募る苛立ちと腹立たしさを堪えたところで、あとに残るのは、ただ不毛感と徒労感だけだった。
そういう連中の、しかも なお、
何が鼻について たまらなかったかと言うと、これも何度も言ったように、
あまりのやすっぽさよ(嗤)
なんと言うか、「田舎者臭い」と言っていいのか どうか、わかんないけども、
ある種独特な やすっぽさなんだが(苦笑)
要するに、洗練性とかセンスが ないのかねえ。
たぶん、何かしらを真似てるのだろうとは思うけど、
それは、他の誰かユーザーなり、古今の有名人なり、書物なり、ゲームなりを。
私は、そういったものごとには、どちらかと言えば、関心薄く、持てる知識も乏しいから、漠然とした印象だけどさ。
根本的な的はずしに加えて、こういう、どうしようもなく履き違え、センスに欠けたナルシシズムは、私には吐き気がして耐えられんw
まずね、
多くの人がカン違いしてるというか、見落としてるのは、
身体障碍者と言えど、その殆どは、何か一つ二つの機能問題を抱えているのみであって、その たった一つ二つの障碍から波及していく社会的な問題点は様々ではあるけれど、その障碍部分をカバーする、ほんの少しの手助けやアドバイスあるいは一時的なサポートさえあれば、あとは、障碍者本人が自分で判断して、周囲に大きくは迷惑かけないで済むよう、なんとか できる、ってこと。
これまでのエントリーでも、そこは言ってきた。
だから、たとえば、私みたいに、耳が不自由でも、仕事柄、目を酷使してきて痛めては いるけれど、視覚障害者の お手伝いは、私でも でき得るってこと。
逆に、
聴覚障碍と、それに伴う発話障碍がある人のサポートを、視覚障碍者が行なうこともできる。
したがって、なにも、ことは、「健常者」と障碍者との図式では ないよ。
助け合いは、障碍者どうしでも可能。
ただ、精神とか知能の問題や障碍を抱えている人の場合、一般的身体障碍のみの者と違って、ある特定部分に関してだけの手助けやサポートでは済まない、それこそ全人的に受け止めて、こちらが生活全体に及ぶほど振り回され続け、くたびれはてるリスクをも覚悟して、つきあわないとならない場合も、世に少なくは ないようだ。
からだや体格自体には特段の問題ない場合は、それだけに、周囲の人にとって、大なり小なり困惑する事態や始末の悪いことも多々あるかもしれないよね。
2014.09.19 (Fri)
…
私、つい最近、第二次大戦時に暗躍したという、ある人物(日本の軍人)に関する話を読んでいて、
「絶対悪」なるコトバについて、首を捻りつつ思い巡らすうち、ハタと思い当たったのだけど。
「絶対悪」
とは、いかなる者、いかなる状態を指すのか、ということ。
案外と、前記のアラシごとき、こうした者は、自己の思考や思想に対するマトモな検証能力も乏しいままに、自分の考えと行動は「絶対正義」なのだと、むやみやたら思い込んでいるのかと。
ま、「ヒットラー」信奉者ゆえなのかもしらないがw
そういうことも、かつて、あの「カルト連」のtokiから仄めかされたことがあったものだ。
で、
旧のブログへ、くだんのアラシが 押し掛けてきたあのときも、先に、他の人からコメントを もらっていて、たまたま、「サイコパス」の話題になり、
「サイコパス」とは どういうものかということを、あまり よく理解できないでいる私に、その人がアドバイスしてくれてたんだけど、遣り取りのなかで、
「悪魔的」という喩えが出て、そこに噛み付いてきた、あのアラシ。
まさに、上記「ヤフコメ」と同じく、
「悪魔て。。。そういう安易なレッテル貼りで理解するのは愚かしい」
と同内容の主張を、罵詈雑言でもってギャイギャイ吠えたくったわけ。
ただし、あのとき私のほうで言ったのは、
「悪魔」ではなく、「悪魔的」という言い方だったんだけどもね。
そりゃそうでしょ。
「悪魔」というのは、人間の想像物であって、現実、どんなに凶悪な行ないを する者であろうと、それは、ヒトの一種がやったには違いないことだ。
だいたい、「カルト連」のなかでも「ボス」と呼ばれてたstomachmanが、まさに、こう言ってた。
「常識・良識くそ喰らえ」ってさw
当然、まともな感覚と思考を持ってる人には受容できかねるような、呆れ果てるような主張をトクトクと述べたてる癖がある連中なんだけども、
それだから、いくらハンドルや文体を目まぐるしく変えていても、あまりに奇矯な屁リクツだったり、ひとりよがりに過ぎる主張なので、すぐ目につくし、ハハンwここでも、また やってるのか、と察しが ついてしまうわけ。
いろんなとこで、いろんなハンドルに取っ替え引っ替え、
文体もチョコチョコと、あるいは「bragelonne」の言い方では、「思い切った」文体に変えてみても、
そうやって、つみ重なっていくうち、いよいよと輪郭は明瞭になっていき、その なかみの正体あらわに浮かびあがってくる。
『ほうっておくと積もってくる埃はらいを兼ね、たまに総ざらいw【続き】』
さて、いちばん言いたいこと。
第一には、脳生理学・脳医学の分野になるのだろうけれど、やはり研究・分析は必要です。
予防のためにも、諦めちゃいけない。
せんだっても言ったけれど、
こういう問題において、周囲の一般人にも できることとしては、まず、
「共有」すること
だと考える。
ということは、つまり、隠さない、ということだ。
このことは、決して、問題となる本人を、共同体から排除・排斥することが目的なのではない、それだと、肝心の分析もできなくなる、予防にならないから。
とにかく、犯罪行為を犯させない未然の対処が、本人にも周囲にも肝心かなめ。
したがって、
あと、なお残る恐れのある問題としては、
「共有」すなわち、事前に、懸念の点や事案を明るみに出しておくことによって、周囲の人々が警戒し、遠ざけたり、敵視するといった事態が生じ、
その結果、問題の当人を孤立させてしまうだけかもしれない、これを避けるための方策が最重要だということになる。
ここでは、全員の協力が欠かせないし、各自の安全のためにも無関心は許されず、必然として、意識変革も要請されることになるのではないだろうか。
2014.09.19 (Fri)
「氏か育ちか」という言い方もある。
同一人が持つ遺伝にも、おもてに顕著に出てるものと、一生のあいだ、すっかり隠れたままでいるものとがあるんじゃないかという疑問は、早くから持っていたが、全く同じ親の組み合わせから生まれている兄弟姉妹でも、それぞれ個性が異なっていたり、かつ、よく似ているところもあったりするものだが、
うちなんかは、兄弟姉妹と言えど、ひとり私にとっては、誰を向いても皆、片親のみでの繋がりなので、似ても似つかぬとしても、大してフシギでもないんだが、それでも、はたから見て、なんとなく似てるところもあるらしい。
じゃあというので、自分の両親を見てみても、どっちとも「違うなあ。。。」と、首かしげてしまうほど、体質も気質も考えかたも大きく異なってる面が目立つので、これで、外見までもが、男親・女親どちらにでもハッキリ似ているところが見受けられないとなったら、これは もう、もらいっ子に違いないと確信するところだった。
『被害者両親「悲しみ変わらず」=高1女子殺害で手記―長崎』
時事通信 9月18日(木)13時7分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140918-00000076-jij-soci
たしかにね、私なんかでも、いろんな事件を聞いて、腑に落ちないなあと思ってしまうことは多い。
近頃は、たとえば「発達障碍」で云々とか聞くことも格段に増えたけれど、
うちの場合は特に家族関係が、というか、父母とも、そもそも一族の人間関係が入り乱れて、ややこしいこと このうえなかったし。
親父は普段は辛うじて、まあ真面目なほうと言っていいのか、どっちかというとヘタレ気味なくらいだったり、そうかと思えば、チョ―シのいい軽薄短小だったり、テキトーな半面で神経質だったり(ウッ、ちと似てるかも)、なんだけど、
そのくせ、何かの切っ掛けで豹変と言うか、とたんに凶暴になるw
その理由というのは、幼児的プライドを傷つけられそうになったか、過去の悪事wを追及されそうになったか、たいがいが、その どちらかなんだけどww
酔っぱらうと最後、いよいよマジで凶悪な酒乱だわ、
そのくせ、自分よりも力が強く、最初から勝てやしないと分かってる相手が出てきたら、これまた豹変したみたく急にヘコヘコしおらしく大人しくなるんだけどさ、
やだねえ、こういう、へたれとクレイジーとの二面性キツいのはww正直言って、わが親ながらケイベツだったわよwww
ある意味で、ある世代(戦時体験世代まで)に特徴的な日本人の一種の典型気質なのかなあと、ずっと思ってたが、いまでも そう思える。
さすがの伴侶だけあって、母親のほうも筋金入りで気性激しいわ、
脳に先天性の異常があったとは到底、信じられネーションなほど、要領ずば抜けてっから、終始「手綱を」握りたがるわwww
(酒に だらしない親父に手綱を握らせるわけには いかなかったというのもあるけど)
でも、自己つごうしだいで計算して、けっこう言うことコロコロ変わるわ、
しかし、その自覚がトンとないらしく、したがって、罪の意識もなし。
そんなだから、年がら年じゅう、物騒な夫婦喧嘩は絶えないわ、
子どもらの関係も義理と実とが入り乱れて、そこへ さして、
ややこしい親戚連中までが、ややこしい争い事を持ち込んでくるわエトセトラで、
もう愛憎こもごもと言うのかシッチャカメッチャカでやんしたわ。
ま、賑やかなことでおました。
あの時分、呑んべえで借金まみれの親父ゆえ、兄が大学卒業するまでは、経済的にも苦しかったし。
なので母は、病がちの からだを押し、主として、義理の息子である兄の学費を稼ぐためにと、自分の店を始めた。
いずれは離婚も視野に入れてのことだったらしいけど。
こういった複雑で深刻な経緯の かずかずも知ってか知らずか、親父の先妻の子どもらや その亭主らには、最後の最後まで、ないことないこと、苦いセリフの かぎりを、親の分まで聞かされまくったけどね、おかど違いにも、この私一人が。思い出すだに、はらわた煮えくり返るぜ
だもんで、私にしてみたら、凶悪事件を起こした犯人の家庭が、世間並どころか、とても裕福で、親は穏やかなインテリで、総じて環境的に非常に恵まれていたと聞くとね、フシギだな、奇みょうだなあと、つい思ってしまうわけ。
しかも、親からの恩恵に応じて、高レベルの教育を受け、大きく踏み外すことさえ なければ、一見は優秀な者として、そのまま、世間に出て、相応の地位に納まってしまっていたかもしれない。
このコメ投稿者の気持ちや言い分も理解は できるのだけども、ただ、
「精神疾患、知的障害でも、凶悪犯罪を犯せば刑務所に収監するべき」
これを実行したところで、当の犯人に、反省能力というものが備わっていない、つまり、罪を犯したのだという自覚を本当には持てないままでいる場合、むしろ、もともとの病的視野の狭さや自己中心的被害意識ばかりを深めたりして、かえって、ますます歪んだ料簡を持って受け止めてしまうのでは ないかという危惧があることを、私は、これまでも述べてきた。
未成年者の犯罪なら、なおのことで、刑期を終えて出てきた、その先が まだ長い。
それと、「人権」というものの徹底した普遍性という基本的概念の理解が できてないのかも。まあ、哲学になってくるわな。
で、この「一般日本人」さんとやらのコメ。↑
これまた全く同じこと言ってるんだわな。
なにが?というとね、私の旧ブログへ、例の「OKウェイヴ・おしえてgoo」からアラシに来たやつと同じこと言ってる。
ちなみに、
こやつは、以前のエントリーにて、旧ブログからのログとして紹介したとおり、
「因果応報で、身体障碍なのだろう」とか何とかサンザン、度し難い悪態を延々ついたやつですよw
『当ブログへのコメント投稿を殆ど全く受け付けていない原因。』
(続く)