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2014.08.03 (Sun)

 

再び『佐世保・同級生殺害、遺体損壊事件』について考えること

http://schneewittchen.7narabe.net/%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%83%BB%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%83%BB%E7%8A%AF%E7%BD%AA/%E5%86%8D%E3%81%B3%E3%80%8E%E4%BD%90%E4%B8%96%E4%BF%9D%E3%83%BB%E5%90%8C%E7%B4%9A%E7%94%9F%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E3%80%81%E9%81%BA%E4%BD%93%E6%90%8D%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%8F%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8

 

ところで、

西東京市で730日、義理の父親の暴力と暴言に追い詰められて自殺したらしい男子中学生の不憫な事件も発覚したが、

いったいに、
こうした父親のごとき手合いは、おのれが つごうによる、ひとりよがりの細かいルールを、立場が弱い者に押し付けて憚らないようだ。

 

実家の父親も、私が学校時分、新しい浴室が完成したおりに突如、

「掛け湯は、洗面器○杯までな」
「時間は○分までに上がれ」

とか、異様に細かいことを要求しだして、思わずポカンとしている私を前に、さすがの母親も、「いいかげんにしなさいよ」と怒ったことがあったw

うちのオヤジってのは、万事、そういうふうだった。

 

かく言う私も、
くだんの「同級生」事件の加害者と同じくらいの年齢の時期には、

おやじ、いまに殺してやる…と思っていたことがあった。

 

でも、そうは言っても、どんなに、こちらとして言い分があろうと、社会による刑罰を受けるのは、自分自身なのだということも意識に持っていた。

 

何より、犬や猫などは特にだが、私は、動物を興味本位で虐待・殺傷できる感覚には ついていけない。

 

 

私は一度ならず自殺を図ってもいたが、

もし、あの頃、私がサッサと死んでしまっていたら、その後の親を含めた家族・身内らの生活は、とうてい平穏なものでは済まなかったはずで、

つまりは、生まれながらに十字架を背負ったような私の一身において、実家の いろいろと重大な潜在的問題が表面化することは避けられていた面が大きかったわけだ。

まあ、このへんの事情は、あまりに根が深く特異で複雑過ぎるのか、
誰であっても、なかなかに、理解してもらえる機会は乏しかった。

かえって、こっちが責められかねないほどだった。

 

 

 

「PC乗っ取り・遠隔操作」事件の被告もそうだが、
かえって、なまじのエリート的だったりすると、世間に対して、もっと体面を つくろうとするのかもしれないし、

だいたいが、エリートというものが高知能に恵まれているのはアタリマエだろうが、その知能の高さは、うちの身内らもそうだったように、何らかの脳内異常が齎しているものかもしれないのだ。

 

 

なによりも、親である当の自分自身が、「自分は出来た」「やってきた」という自負心が強いと、子に自慢のタネあれば、もっともっとと、プレッシャーを かけていくかもしれない。

特には なければ、作ってでも、ハッパを かけるかもしれない。

 

私の実家などは、家がらとか先祖の功績のわりに、「エリート街道」からは、親の代で落ちこぼれてしまっていたことが、かえって幸いしたのだろうかw

そんな程度の親であっても、いやに体面を気にしたり、あまりミエを張るようだと、子に対して、その不足に思うところを徹底的に隠したり、完璧に無視したりする。

 

親に問題が大きいのが、はたの他人にも明らかなら、子どもが苦しいのは、分かりやすいことだろうが、そこのところが巧妙に隠蔽されて見えにくいと、問題は秘かに降り積もっていく。

 

 

ま、言っても せんないことではあろうが、

子ども つくって産むってことは、いまのとこ一応、自分の存在やら人生に深刻な疑問を持たずにいられて、単純に肯定できてるゆえの無自覚なる思考停止か、

真逆に、

肯定できないでいる深い劣等感があるからこそ、人並みに親ヅラの一つも演じてみたいと願望するのか、

いずれにせよ、

昔は、子どもが ないというのは、生活面に直結してくる不利でもあったろうが、

現代においては なおのこと、
純然たるエゴの行為であるということを、意識の片隅にでも置いて、常に忘れないようにすることも大切だろう。

 

 

佐世保・高1女子殺害 逮捕された少女を精神鑑定へ 専門家「『心の闇』分析を」
産経新聞 82()90分配信 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140802-00000501-san-soci

 

さて、犯行当時15歳、全然未成年であるし、これまでの判例では、殺害した人数でも大きく左右されているのが実態らしいので、少なくとも「現行法」で死刑はあり得ない。

 

 

「死刑」とか「裁判員裁判」に関しては、私も、さすがに、結論を出すことが困難なままの議題なのだが、

旧ブログで話題にしたときは、「プロ料理人」「代金を支払った客」の関係という喩えにして考えてみたことがあった。

 

 

まず、他人の人権を全破壊した者には、その者の人権を同じく全剥奪すべしという、まあ要するに「目には、歯には」の古代なみ世界だけれどw

私個人としても、特に凶悪事件の場合は、正直やはり、死刑存続やむを得まいか、という心境にもなるし、第一には、なるべく、遺族の気持ちを尊重すべきとは思っている。

 

しかし、

厳然たる現実という視点では、

どうやっても、ひとたび失われた被害者の命は、もう帰って来ない。

 

 

ある面、人工授精だとかAIDとかいう手段においても明らかに見られるように、

つまるところ、産前であろうと死後であろうと、この世に存在していない者の意思確認は不可能だということ。

この世は、生きている者が中心だということ。

 

したがって、残るは、遺族と第三者とを問わず、ほぼ懲罰感情のみである。

 

だが、

いったい「第三者」とは、

その得ている「情報」は、如何なるものに依っているのだろうか?

 

はたして、

「第三者」は、正しいか。

 

「第三者」とは何者か。

 

 

過去の歴史のなかでも、ことに、戦争という最大凶悪事象の前後を見れば、

あるいは、

いまどきなら、最も容易に見られるのは、さしづめ、ネットで、コメント投稿に付けられた賛否の数を競うボタンだ。

 

商売人に踊らされているのか、商売人と持ちつ持たれつなのかは知らないが、

「第三者」という一般大衆が正しいのかどうかは、はなはだ怪しいものだということは、権力者の「暴走」に対する警戒や危惧と同様に、頭の片隅にでも常に、わきまえておかねばならないことの一つだろう。

 

ましてや、一応にせよ、「主権者」は国民だとされている。

死刑の責任であれ、原発の責任であれ、結局は、現在生きている国民が持つ。

 

 

しかし、私個人は、原発や自民党政権を支持してきた覚えは全くないw

親の不注意が伴った障碍を、自分で望んだ覚えも一切ないww

 

「責任」って、

「自己責任」って、何なのか。

 

 

仮に「人間の心を持たない加害者」、どのように凶悪と見える犯罪者でも、この世の社会に産み落としたのは人間であり、

それを許しているのは、大自然である。

 

ヒトと言えど、大自然を凌駕できることは ない。

 

せいぜい、僅かに隙間を拵えて、息を繋ぎつつ、大自然を凌駕できそうな気分を楽しむが関の山、その程度の分際だ。

 

 

それこそ、「ネトうよ」的言いかたを真似るなら、

「気に入らないなら、この世から出て行け」

としか言いようがないw

 

(続く)

 

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Updated   
2014.08.03 (Sun)

どうも なんだか、
父親の新生活を破壊するためという目的もあって、金属バット殴打事件に及んだようにも見えるし、

それが、まあ「失敗」に終わってというのか、
いよいよ、とどめの犯行に至った、というふうに見えなくもない。

 

あるいは、

人間として、ただただ異常ゆえと解するならば、
こうした一連の襲撃・殺害は、あたかも猫などの本能的に、「狩る」行動を せずにいられない反射的行為のようにも受け取れる。

 

かつ、

先日のエントリーでも少し触れたように、性的の感じも混じっているようだ。

あの「サカキバラ」も、動機としては、そういうことが含まれていたと聞いている。

 

もちろん、被害者の女の子について、表面からでも分かるトラブルの類は なかったと言うし(あったとも言うが)、怨恨などあったはずもなかったろうが、
どこかしら、加害者にとっての、言いしれぬ刺激を受ける面はあったのかもしれない。

 

 

殺害やら切断行為を「やりたかった」だけでは、わざわざ同年齢の相手や、まして大の男である父親を襲った理由がイマイチ腑に落ちない。

 

今回の事件では、いろいろな道具を事前に準備しているわけだから、けっして衝動的にというわけでもない。

 

 

異常性格ではあっても、頭自体は悪くないそうだから、
単に「解剖」を やりたいのなら、他で、もっと非力な、無防備で扱い易い者を狙うことだって できたはずだ。

実際、「サカキバラ」事件などでも そうだった。

 

 

そして、

なんと、自宅の冷蔵庫からは、猫の頭蓋骨が見つかったそうなのだが、
どうやら、「生体」というものに対して、物的メカニズムといった方向での関心の持ち方を しているように見える。

もちろん、「普通の女子」には少ない感覚だと思う。

 

多く男性が、機械だけでなく、生体一般の持つメカニズム的な面に興味を持ち、十全に把握したがる傾向がある

(したがって、あれこれ「反応」を試したがる:いじめッ子タイプの共通性格でもあり、人格障害者に共通した行為でもあるという)

のは、認めざるを得ない特徴だろう。

そこには、攻撃性と支配欲が顔を出してくる。

 

好きな子ほど、いじめて反応を見たがるという性向も、昔からよく言われることだ。

最近の世相では、男みたいな女性が増えてる感もあるし(わたしもか?w)

 

「サイコパス」とは【続き】

http://schneewittchen.7narabe.net/%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%83%BB%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%83%BB%E7%8A%AF%E7%BD%AA/%E3%80%8C%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%90%E7%B6%9A%E3%81%8D%E3%80%91

 

再び言うのだけど、

極端な内容の、刺激が強い描写のアニメその他、特に、視覚的刺激を受け易い性向というタイプはあると思う。

男性は特に、そうではないのかな。

 

だからと言って、犯罪行為には結び付かないのが、それは「普通」というものだ。

 

 

しかし、もし「普通」でない者ならば、刺激として「トリガー」には なってしまうかもしれない。

この場合、「理由」でなくて、「トリガー」。

ここを理解できないのか、規制を恐れる「アニオタ」さんら必死で抗弁してるようだがw

 

私自身は、極端な内容の、刺激が強い描写のアニメその他なんどを全く必要としないでおれる、

と言うか、

見たくもないのに、昨今のネットでは、CM画像の かたち等にして勝手に、こちとらの視野に飛び込ませてくることが増えたので、もう不快不快で、現に迷惑してるくらいなので、こうしたアニメとかの存在意義を、私は正直言って、理解できない。

 

 

繰り返して言うが、

通常人には「トリガー」とはならないことが、「異常」なればこそ、何が「トリガー」となるやら分かったもんじゃない、ってこと。

 

 

 

さて、直近の報道だが、

担当していた精神科医も、自分の手だけでは負え難いと深刻さを感じたからこそ、外部機関にまで相談したのだろう、そうとうのことだと察せられる。

 

これまでに、投薬治療等は行なわなかったのか?

父親への殴打事件のおりに、喫緊で入院措置だけでも とれなかったろうか。

 

 

特に異様を感じるのは、

何の怨恨もなかったはずの被害者に対する悔悛的言動が、ほぼ全く見受けられないという所が、

自分のやった行為を犯罪であるとか言うのは、飽くまで世間の取り決めごとに過ぎず、自分の したいことを して、何が悪いのか分からない、といった、

わがままやウヌボレ、幼児的万能感、傲慢不遜的、極度な自己中心的等々に見える態度、こういうところを指して、想像力の異常な欠如という「サイコパス」の特徴あり、とする指摘に繋がっているのか。

 

しかし、もしや、「感情鈍磨」の恐れもあるかもしれない。

 

あるいは、自覚もなく自己抑圧を継続してきていたとすれば、
「生」の迸るような感覚に餓えていたとか。

 

まあ、なんとも、判断が大変に難しいケースだが、

この加害者少女が、おいおい、少しでも、心中の正直なところを垣間見せてくるのを、根気よく待つしかないのだろう。

したがって、
誰ぞ愚か者のコメントで言うような、

「疲弊させて、頭が働かなくなるようにしろ」

なんてことは、もってのほかである。

ったく、「カルト連」のようなことを言うとはw

ちょっと考えたら、べつにアタマ良くなくても分かりそうなもんだが。

 

 

過去の「給食事件」のときも、

「勉強していることを小ばかにされ、不満を持っていた」

と、本人が述べて認めていたそうだから、

まずは、「異常性癖」の持ち主だったとしても、いったい何がトリガーとなるのかは究明しておきたいところだ。

 

もっとも、これだって、いかにも「らしい」理由で、子どもなりに言い訳したに過ぎないかもしれぬから、慎重な分析が必要だ。

 

いずれにしても、

今回の「同級生」事件、本当は、「解剖」さえできるなら誰でもよかったのであれば、どうして、わざわざ、自分と互角の相手を選んだか、

「給食」事件のときに狙った相手も、本当は、誰でもいいことだったのか どうか。

 

(続く)

Updated   
2014.08.01 (Fri)

「サイコパス」とは

 
ネットでは、またぞろ、テレビやアニメ、漫画等の「エログロ」的、猟奇的、残酷的、悪趣味的な描写からの影響について、ある!とか、否、ない!とかいう言い合いみたいになってるようだ。

 

私に言わせれば、

「ある」と言えば、あるし、

「ない」と言えば、ない。

 

もう少し詳しく述べると、

なるほど、あくまで「正常」状態、「普通」とか「まとも」の範疇に属していられたなら、

「エログロ」的、猟奇的、残酷的、悪趣味的な描写からの影響としては、単なる好奇心や物見高さで始まっても、結局は嫌悪や拒絶に向かい、
ひいては、普通の生活への愛おしさを再確認して終了することになろう。

一種の「カタルシス」ってやつか。


 
だが、問題は、

嫌悪や拒絶に向かい、
ひいては、普通の生活への愛おしさを再確認まで行って終了、
とは ならない種類の者が、ごく一部とは言え、存在するらしいことだ。

 

もちろん、極めて少数派のはず。

だったら、マイノリティの問題、として無視しておけばいいことだろうか?

 

 

 

ここで、また一つの小さなエピソードを記しておく。

これは、私自身が、過去の勤め先で、直接経験したこと。もう、ずいぶん経っているので、記憶が薄くなっている部分もある。


たしか、まだ小学校の1年生くらいの男児だったが、どうも、いま思えば、発達障害だったのだろう、もと学校長を務めた上司からも、

「あの子、ちょっと問題のある子だから、注意するように」と言われたことがあったと思う。

 

というのは、その頃の職場は、一般向けの公的な施設で、おとなだけでなく、子どもたちも多く出入りする場だったから、備品などの損傷に用心しなければならなかった。

で、

その男児は、家庭環境も良好とは言えないようだという話も小耳に挟んでいたのだが、

そこの母親などは、パート勤めだったかで、時間がなかったのか、自分の子どもが、当該施設で借り出していったらしい物を、期限が来ても返さなかったりで、やっと返却しても、所定ルールに従わず、そのへんに置いて帰ったり、という態度だった。

私が、そのことをボヤいたとき、上司は、

「まあまあ、どこに置いてあろうが、とにかく、ここまで足を運んで持って来たというだけでも、本人としては上出来なんだから」

とか言っていたが、

そのくせ、くだんの男児たちが、施設内に来ているあいだは、厳しく目を光らせていて、ときには声を荒げて叱りつけていた。

 

 

私はと言うと、何かキッカケがあったのか どうか、もう忘れてしまっているのだが、

その男児に対し、少しく不憫な気持ちを起こしていて、

仕事を終えたあとなどに、くだんの男児が、夕暮れ時を、家にも帰らず、所在無げに、ウロウロしているのを見かけたときなど、持っていた菓子を与えたりしていた。

立ち入るのを原則は禁止となっている事務室内に、施設に備えてある絵本を手にした男児が、いつもどおり、おかまいなくズカズカ入り込んでくると、上司が いないときは、こっそり、相手になっていた。

 

 

特徴的なことだったが、

とにかく、遠慮というものがない。

もの怖じがないと言えばいいのか、なれなれしいまでの口のききかたを する。

 

 

絵本を前にした男児を見ていて最初に気づいたことは、その独特な落ち着きなさの激しさだ。

 

一冊の絵本を めくりだしたと思ったら、ものの2、3ページまでで放り出し、次の絵本、また同様にして、次の絵本、と続いていく。

 

しかし、とある絵本を めくりだしたときは、せわしない しぐさが、いっとき、パタッと止まった。

 

それは、『スーホの白い馬』という絵本だったと記憶するのだが、

なかの挿絵に、馬がケガをしてか、血を流す場面が出てきたと思う。

男児は、その挿絵を見たとたん、何かに憑かれたように凝視し始め、絵の上を なぞるように触りながら、うわ言のように呟き始めた。

「血が出てる…血が…」

 

私は、

「そうだね。どうしてかな?お馬さん、かわいそうだよねえ」

と話しかけながら、そっと、ようすを見ていた。

 

男児は、私の問いかけに、かすかには頷きながらも、ほぼ完全に、うわのそらで、挿絵に描かれた馬の流す血の箇所を、頻りに撫で続けていた。

そして、熱に浮かされたように呟き続けていた。

 

「血が…血が出てる…血が出てる…血が…」


Updated   
2014.08.01 (Fri)


【続】『佐世保・同級生殺害、遺体損壊事件』について思うこと

 

「レクター博士」というキャラクターが、いま また引き合いに出された投稿を見かける。

私の最近のエントリーで書いたけど、

「サイコパス」って、「心が ない」だの、
冷静と言うか冷酷で、感情というものがトコトンまで希薄、みたいなイメージで語る人が多いみたいだ。

が、それって本当かな?

 

例によって遅ればせながら私も、最近になって、「レクター博士」が何故、猟奇的殺人を繰り返すことになったのかというストーリー設定を知ったのだけれど、

意外や、
非常に人間的で、極端に感情的な動機で始めているようではないか?

まあ、一言で言うと、「トラウマ」なんだわな。

 

普通に辞書検索してみた限りでは、
いま、騒ぎになってる最中の「同級生殺害・遺体損壊」事件の加害者についても当てはまると言って おかしくはないようだ。

要するに「人格障害」なわけだし、何らかの「発達障害」の傾向はありそうだし、結局、この両分野は重なってくるのだし。

 

今回の事件の加害者女子も、「冷静」「クール」どころか、

小学生時分に起こしたという「給食事件」の経緯を聞いても、常軌を逸したほどの根の持ちようと、プライドの高さ、これを言い換えれば、小心さだと思う。

 

 

うちの身内に、(また聞きだけど)IQ200近くあるとかいう医者が いるのだが、

その者なんかは、他人に何を言われようが、

「アホは相手にせん」

この一言で お終いw

 

自分の弟が(これも秀才なんだよ)、

「アニキぃ、勉強で分からないとこ教えてくれやぁ」

と頼んでも、

「せやから、おまえはダメ」

この一言で お終いw

弟や周囲が、

「なんでやねん?」

と尋ねると、

「この程度のことを、人に聞いてるようじゃ、もう、それだけでダメ。おまえは勉強するだけムダ」

と、グサッとトドメ刺して終了ww

 

たしかに、ひんやり冷たい性格してるよ(苦笑)

(ま、遺産の絡みで各自に思惑はあるらしいんだけどw)身内全員からも評判悪いしwww

 

 

殺人容疑の少女巡り、6月に電話相談 佐世保高1殺害
朝日新聞デジタル 731()1735分配信 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140731-00000039-asahi-soci

 長崎県佐世保市の県立高校1年の女子生徒(15)殺害事件で、殺人容疑で逮捕された同級生の少女(16)に関する相談が、6月に県の児童相談所に寄せられていたことがわかった。県は相談内容などは「個人情報」を理由に明らかにせず、「できる対応はとった」と説明する。だが、事件の約1カ月半前に少女の情報に接していたことになり、県は対応に問題がなかったか検証する。

 

「父親再婚には賛成」=逮捕の少女、弁護人に―高1殺害
時事通信 731()2313分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140731-00000170-jij-soci

 長崎県佐世保市の高校1年女子生徒(15)殺害事件で、逮捕された同級生の少女(16)が接見した弁護人に対し、「父親の再婚には初めから賛成していた」と話していることが31日、分かった。弁護人が同日、明らかにした。
 少女の母親は昨年秋に病死し、父親はその後、再婚している。弁護人によると、少女は「父親を尊敬している。再婚に反対していたという事実は全くない」と説明。父親の再婚相手についても、「母が亡くなり寂しかったので、新しい母が来てくれてうれしかった。仲良くしていた」と話した。
 殺害された女子生徒については、「トラブルはなく、とても仲の良い友人だった」と恨みなどを否定しているという。



またまたw
片山(丑田)被告を思い出したわww

 

この担当弁護士も、まじで言ってるのか?w

例の「PC乗っ取り・遠隔操作」事件担当弁護士も そういうふうだったよなあww

 

ただ、

私は、加害者が、就寝中の父親を、金属バットで襲撃したことがあったとき、父親は、それでも、転んだのだとか言って、自分の娘にやられたことを伏せていたとかいう内容の記事も読んでいたので、

じゃあ、その時点では、すみやかに、精神科を受診させるといった処置を とらなかったんだ?と思って、少し呆れていた。

 

ところが昨日、

そのおりに診察していたらしい医師が、当該事件が起きる前に、この加害者について個人特定は避けつつ相談していたという記事を読み、
では、やはり、精神科医に診せていたんだなと分かった。

そうとなれば、ますます、この親に呆れかえらざるを得ないというものだ。

 

それにしても、また今回も毎度の如くで、相談所お得意の、後手後手に回った。

「このままでは、人を殺しかねない」

という、せっぱ詰まった相談だよ?

なにが「助言」で済ませた、だよ(呆)

 

だったら、どこぞの学校の先生が言ってたように、

「これだけ深い心の闇を、事前に誰も察知できなかった」

のでは全然、ないわけだ。

 

 

そりゃあ、寝込みを襲われたんじゃ、おちおち寝てらんないし、はや身重だという新妻の身も案じられるでしょうよ。

だけどさ、大のオトナでも、精神状態が普通でない、ひどく不安定な状態のときに、一人で置いとけないよ?

 

まだまだ、家族の団らんというものが必要な15歳。

ましてや母親を亡くしたばかりで突然のように始まった、一人の生活。

毎日の食事も、ワンルームの部屋で、一人きりで済ませていたんだろうか。



書き忘れたが、追記すると、
私が常々思うに、
あの「オウム真理教」の信徒らに、驚くほど高学歴の優等生がゾロゾロいたことを思うにつけ、
こうした類の凶悪加害者のエピソード的に、やれ、何たらの小説やら映画やら漫画やらに影響を受けていたとか、無自覚的のうちに模倣していたのではといった指摘が多いところを見ると、

まあ「普通」の範疇の「優等生」というものは、かえって、批判精神が乏しいと言うか、ある意味で素直と言うべきか、
オリジナリティにも乏しく、真似っこだけは上手という、根は「洗脳」され易い性質を持つからこその「優等生」なのではなかろうかと。

 
(続く)

Updated   
2014.07.30 (Wed)

『佐世保・同級生殺害、遺体損壊事件』について思うこと


こういうエピソードがある。

これは、むかし、私の母から聞いた話で、

(実を言うと、ある身内のことだったようにも記憶しているのだが、私自身の心理的に無自覚のうちの抵抗感があったものか どうか、そこのところだけ、いまでは曖昧になってしまっている。したがって)

一部に記憶違いもあるかもしれないのだが、おおよそとしての話は、こういうことだった。

 

私が生まれる前の出来事だそうだが、

ある日、母が、当時、住まっていたアパートの、とある窓の そばで、まだ小学生になるや ならずの年頃の女児、これは、日常的に接する機会の多かった顔見知りの近所の子であったそうだが、

この子が、どういうわけだか、小さな手に一個の煉瓦を携え、かなりの時間を、窓辺から見下ろしつつ過ごしているようすなのをフシギに思い、声を かけたということだった。

 

そこから どうなっていったか、話の詳細は忘れてしまったが、とにかく、

その後、間もなく明らかになった真相は、

くだんの女児は、自分が気に入らないクラスメートか誰かを狙いすまし、目当ての子が、窓下を通りかかるのを、非常な根気強さを発揮しつつ、じいっと待っていたのだった。

 

もちろん、狙う相手が通りかかった瞬間に、女児は、その手に持っていた煉瓦を落とすつもりだったというわけだ。

 

…世の中、こういう子も いるんだよ、と、母は言っていた。

 

 

という母自身、脳に局部的な異常があるらしいのを、本人は、かつての交通事故で、頭を強打したことが原因だと主張していたのが、死後になってみたら、実は先天性であったことがハッキリしたという話も、どこかのエントリーで書いたことがある。

 

私は長年、主には家族を中心に、私にとって不可解なる周囲の人々を見渡してきて、

ある程度、方面の知識量も増え、自分なりに推測してきた仮説が、それほど的外れではなかったことを、いろいろな専門家の説明で確認も して、

専門家や識者の説くところが不足と思えば、なお自前で推測を重ねもするのだが、

いまでは、このように思っている。

「父も母も同じくで、彼らは、まちがいなく一種の人格障害者でもあった」と。

第一には脳の質と、無関係であるはずが ないのだ。

 

私自身も、

また、世の殆どの人々も、多かれ少なかれ異常な、偏った側面を持ってはいるのだろうが、

それでも、今回の事件のような犯人の内面をスムーズに理解することは甚だ困難だと感じてしまうし、受容していくことにも抵抗感は非常に大きいのが普通というものだろう。

ここは、うちの父母と言えど、生きていれば、同じような感想を述べただろうと思う。

 

 

実の親子だからと言って、そのまんまに似るわけでは なさそうだが、

しかし、「パソコン乗っ取り・遠隔操作」事件の被告、また、その他の事件の場合にも感じられたが、今回起きた事件でも、加害者と、その親には、どこかしら似通ったところはあるのかもしれない。

 

 

母は生前、父のことをボロクソに言いつつ、まだ抵抗するすべにも乏しい幼い頃の私には特に、サンザン八つ当たりしてきたが、それでいて、

なるほど、夫婦間のことは分からないものだと昔から言うが、
女としてリクツ抜きで父に惚れていたのも確かだったと思うし、
そういうところは、また、父のほうとても、ほぼ近いものがあったのだろうし、

まあ、微妙温度差はあったとしても、要するに、

やはり、夫婦というものは、同レベルだからこそ、ひっつくものに違いない。

 

 

「ワザワザ産んでくれなくていいものを」

と、子どもの立場として言わせてもらえば、こちらとしては大変ご迷惑でしかない人たちだったのだがw

むかしは、私も、こういう方面の知識に乏しくて(進学先の一つに、心理学部を希望していたことの動機でもあった)、

うちの親たちのヘンなところ、どうしようもないところ、

言い換えれば、やはり「過剰

(父なんか、晩年になって、実は、若い時分からアル中だったことも発覚している。要するに「依存脳」だ。)

こうした面を、どう言語表現したら的確なのやら、さっぱり不明だった。

 

ところが、世間では、それなりに人望もあり、頭の良い、優秀な人、ということで通っていた。

 

 

実際、母などは、学校時分も成績が良く、音楽の才能にも恵まれ、手先は器用、弁が立ち、おまけに、大した美人で、
娘の私から見ても、他人さまが見ても、良過ぎるほど頭の回転が良かった。

だが、

数多くの長所以上に、欠点も またデカかった

 

長所以上に欠点がデカかったのは、父も同じくだった。

 

 

とは言え、

私自身は、自分の親と、あまり似ている所が少ないと言うか、

つくづく私は、およそ身内の誰とも似なかったなあというのが実感だ。

 

だって、

私が、仮に私の親らの立場であったとしたら、彼らと同じこと

(すなわち、親としての、公の義務としての届け出を怠ったり、子の障碍を知っていて無視・無関心で放置しておいたり、暴言を吐きまくり、暴力を振るいまくり、それでいて、異様なほど依存してきたり、まあイロイロ)は到底できなかったと思うし、
とてもじゃないが、その感覚、同じ人間として、いまだに理解できないところが残っているのだ。

 

 

ただ、他の兄弟姉妹を見ていて思うのは、

もしも、うちの親らの凄まじいまでのエゴイスティックさ、身体の健康如何には無関係な独特のエネルギッシュさを受け継いでいたならば、こんな私でも、そうとうに大きなトラブルを起こしていただろうことは想像に難くない。

もし、そうなっていたら、さぞかし、彼ら親は、私に泣かされどおしの後半生になったことだろうw

自分たちに似なかったことを感謝すべきである(笑)

 

 

私は、お酒を飲むのが好きでないと言うか、そもそも、体質に合わないのだが、

うちの身内のなかで、酒が嫌いとか体質が受け付けないなんてヤワ者は、ただの一人たりとも存在しない。

皆、お酒が大好き(笑)

私一人だけ、身内のなかでも異端なのだ。w

 

 

以前、旧のブログで書いたかもしれないが、

私が、たとえば北朝鮮あたりに拉致されていたとする。

失踪したと騒ぐにしても最初のうちだけで、

やがて居場所が判明した時点で、すでに長い年数が経ってしまっていたら、もはや取り戻そうともせず、そのままに放置しかねない
(なので、横田さんたちが、どんなに愛情深い、まともな親御さんであるか、よく分かる)。

これは、私に、親の愛を得るだけの徳がないとかいう以前に、

うちの親は、そういう人種なだけ。

ただ自覚がないか、ぜったいに自覚しようともしないし、うしろめたいことは認めない。

あくまで自分の役に立たせられる子であるか否か、そこのところで、恐らくは意識せずに判断している。

 

 

私には、親らを理解しようと懸命に務めてきて、そうとう程度に達成したという自負もあるが、

それは同時に、子の立場としては見たくないものを直視せざるを得ない作業でもあった。

 

 

彼らが、私を、私の身になって理解しようと務めることは、ついに なかった。

 

あとに残ったものは、彼らの飽くなきエゴの痕跡だけ。

 

裏の利害関係以上のものは何もない。

 

 

餓鬼の如くに求め合っているのに、

深く渇いた者どうし喰うか喰われるかの潰し合いをエネルギッシュに繰り返してしまう綱渡りのサガは、

ペンペン草ですらも、やがて涸れ果てる荒れ地、夥しい血を吸った砂漠だけが広がっていく。

 

 

弱く、そして、弱さに敏く、

不安に怯えやまぬ本性は、常に自分よりも不利な立場の者を最低限は確保しておくことで逃げ場を つくり、

そこに向けて、不条理なシワ寄せを押し込んでいき、

理不尽に利用する能力をこそ誇って恥じぬ傲慢さに気づこうともせず、

あるいは承知で目を背け、

恩の押し売りに励み、恫喝し、騙し、

一転、

相手のほうが強者と判断すれば、とりあえず恭順の態度を見せておくか、

やはり、いつもの常套手段を駆使し、相手の弱みを確信して恩を売ることで依存させておき、自分の存在感を、がっちりアピールする。

いずれにせよ、

最終的には用済みとなれば、最初から何事もなかった如くアッサリ忘却できる。

 

 

自己のみの欲望をエネルギッシュに謳歌しおおせたとしても、

罪咎なきはずの者を、不幸に巻き込む能力は大いに発揮しても、

結局は誰一人さえも、本当に幸せにする能力だけが備わっていない。
いつまでも備わらない。

それが、自己愛肥大者ならではの限界。

 

しかたがないだろう。

このような者でも、世に生まれ出てきて存在することを、偉大なる自然界は許している。

 

 

 Sade “Love Is Stronger Than Pride