2014.08.01 (Fri)
ネットでは、またぞろ、テレビやアニメ、漫画等の「エログロ」的、猟奇的、残酷的、悪趣味的な描写からの影響について、ある!とか、否、ない!とかいう言い合いみたいになってるようだ。
私に言わせれば、
「ある」と言えば、あるし、
「ない」と言えば、ない。
もう少し詳しく述べると、
なるほど、あくまで「正常」状態、「普通」とか「まとも」の範疇に属していられたなら、
「エログロ」的、猟奇的、残酷的、悪趣味的な描写からの影響としては、単なる好奇心や物見高さで始まっても、結局は嫌悪や拒絶に向かい、
ひいては、普通の生活への愛おしさを再確認して終了することになろう。
一種の「カタルシス」ってやつか。
だが、問題は、
嫌悪や拒絶に向かい、
ひいては、普通の生活への愛おしさを再確認まで行って終了、
とは ならない種類の者が、ごく一部とは言え、存在するらしいことだ。
もちろん、極めて少数派のはず。
だったら、マイノリティの問題、として無視しておけばいいことだろうか?
ここで、また一つの小さなエピソードを記しておく。
これは、私自身が、過去の勤め先で、直接経験したこと。もう、ずいぶん経っているので、記憶が薄くなっている部分もある。
たしか、まだ小学校の1年生くらいの男児だったが、どうも、いま思えば、発達障害だったのだろう、もと学校長を務めた上司からも、
「あの子、ちょっと問題のある子だから、注意するように」と言われたことがあったと思う。
というのは、その頃の職場は、一般向けの公的な施設で、おとなだけでなく、子どもたちも多く出入りする場だったから、備品などの損傷に用心しなければならなかった。
で、
その男児は、家庭環境も良好とは言えないようだという話も小耳に挟んでいたのだが、
そこの母親などは、パート勤めだったかで、時間がなかったのか、自分の子どもが、当該施設で借り出していったらしい物を、期限が来ても返さなかったりで、やっと返却しても、所定ルールに従わず、そのへんに置いて帰ったり、という態度だった。
私が、そのことをボヤいたとき、上司は、
「まあまあ、どこに置いてあろうが、とにかく、ここまで足を運んで持って来たというだけでも、本人としては上出来なんだから」
とか言っていたが、
そのくせ、くだんの男児たちが、施設内に来ているあいだは、厳しく目を光らせていて、ときには声を荒げて叱りつけていた。
私はと言うと、何かキッカケがあったのか どうか、もう忘れてしまっているのだが、
その男児に対し、少しく不憫な気持ちを起こしていて、
仕事を終えたあとなどに、くだんの男児が、夕暮れ時を、家にも帰らず、所在無げに、ウロウロしているのを見かけたときなど、持っていた菓子を与えたりしていた。
立ち入るのを原則は禁止となっている事務室内に、施設に備えてある絵本を手にした男児が、いつもどおり、おかまいなくズカズカ入り込んでくると、上司が いないときは、こっそり、相手になっていた。
特徴的なことだったが、
とにかく、遠慮というものがない。
もの怖じがないと言えばいいのか、なれなれしいまでの口のききかたを する。
絵本を前にした男児を見ていて最初に気づいたことは、その独特な落ち着きなさの激しさだ。
一冊の絵本を めくりだしたと思ったら、ものの2、3ページまでで放り出し、次の絵本、また同様にして、次の絵本、と続いていく。
しかし、とある絵本を めくりだしたときは、せわしない しぐさが、いっとき、パタッと止まった。
それは、『スーホの白い馬』という絵本だったと記憶するのだが、
なかの挿絵に、馬がケガをしてか、血を流す場面が出てきたと思う。
男児は、その挿絵を見たとたん、何かに憑かれたように凝視し始め、絵の上を なぞるように触りながら、うわ言のように呟き始めた。
「血が出てる…血が…」
私は、
「そうだね。どうしてかな?お馬さん、かわいそうだよねえ」
と話しかけながら、そっと、ようすを見ていた。
男児は、私の問いかけに、かすかには頷きながらも、ほぼ完全に、うわのそらで、挿絵に描かれた馬の流す血の箇所を、頻りに撫で続けていた。
そして、熱に浮かされたように呟き続けていた。
「血が…血が出てる…血が出てる…血が…」