2014.08.07 (Thu)
『理研』副センター長の、世界的権威の、という結構な肩書よりも、われわれ門外漢に過ぎない一般人にとっては、「スタップ細胞」大騒ぎの終始によって、たちまち、ほとんどの国民にも知れ渡る存在となられていた、笹井氏が、このたびは、非常に残念な かたちで、世を去られた。
まずは、哀悼の意を捧げます。
かく言う私も、このブログにて、笹井氏も対象に含め、多かれ少なかれの批判的見解を述べてきたという覚えはあるが、この今となっても、撤回する必要までは感じていない。
「スタップ細胞」の話題が、打ち上げ花火のごとく賑々しいかぎりの取り上げかたを され始めた当初、科学系の話題には、普段から関心が高いほうの私が、どういうわけか、ほとんど食指が動かずという状態で、関連のニュース記事にも、あまり、目を通さずにいたことは、以前のエントリーでも述べたし、
自分でも、いまだにフシギだが、ただ、
小保方さんに関しては、あとになって、問題の数々が発覚してから、やれ彼女の眼つきなどが どうだのとか、記者会見での態度が、なかなかに政治家ばりだ、とか、あたかも新興宗教の教祖ばりだのいう指摘なんかは、ああ、そう言われて見れば、そう見えなくもないなあ(笑)程度にしか思ってなかったが、
『今度は、会見時の小保方さんの「視線」に対してw』
『追記:「小保方さん会見の装い」について』
笹井氏については、一目で、
「この人は、一言で言って、ある意味、『陰』を感じるな…」
と思っていた。なので、
渦中の人々のなかで一番クールに見えつつ、実は一番、滅入った気持ちを、内に深く抱え込んでしまうかも しれないぞ、という印象を、なんとなく感じていた。
それにしても、見るからに怜悧な、どんな小さな失敗も犯さずに来たであろうような、白衣を着用して診察を行なう医師の姿が最も似合っているのだろうと想像させられた笹井氏、
ああいう、感情を抑えて、どこまでも冷静な応答に つとめられる切り替えの迅速な資質を持ち合わせた人が、傍目に見ても、それまでとは ようすが異なる、衰えが感じられたというのであれば、とっくのむかしに、苦痛で切迫した状態に陥っておられたのだと思う。
理研の、また、「スタップ細胞」騒ぎの中心的立場にあった以上、致し方ないところはあったかと察せられるものの、もう少し早い段階で、とりあえずの処置でもいい、やすませてあげられるように、手を打つことは できなかったのだろうか。
部下や周辺の采配を行なわねばならない責任の大きい立場に あったから、自分の身の事は、どうしても後回しにならざるを得なかっただろう。
今回の事件では、一方で肯定、一方で否定、という奇妙に相反する立場を同時に維持せねばならないことから来る深刻な板挟みを どうすることもできず、自分の研究に没頭どころではなかったであろう、そのうちに、もはや耐え切れぬほどの限界が来てしまったということだろうか。
褒められこそすれ、子ども時代から、親にさえも責められたり叩かれたりに慣れてはいなかったろう、外から窺える以上に、プライドも自負も高かったはず。
到底「なっていない」ものでも、その手腕にモノ言わせ、「成っている」ように立たせてしまったほど優秀な彼も また、巨大な組織の、そして、その野心の犠牲になった面は、たしかにあるように思う。
しかし、ご本人自身、まぎれもなく内部の人だったわけで。。。
先日、あらたな訂正事項が生じたという若山教授も、この訃報にショックを受けたらしく、現在、急激な不調に陥っておられるそうだが、
一歩間違えば、若山さんが追い詰められて どうかなってしまったかもしれぬ恐れも皆無とは言えなかったところだろう。それだけに、ショックの大きさは、想像に難くない。
小保方さんについては、
「STAP細胞を必ず再現してください」
という、笹井氏の、「気遣い」というか、いまとなっては遺言が、彼女に、どういうかたちでの影響を与え残すだろうかということが、私には些か気にかかっている。
以前、当ブログで、上記エントリーをアップするときに、参考のための検索を している途中、初めて拝見していて、こちらのほうの記事も、すでに読ませていただいていた。
お断りも せずに、一部抜粋させていただく。
まさに、分野の専門家でいらっしゃるそうで、いま、あらためて拝読すると、いっそう、複雑な感慨を もよおす。
『STAP細胞に踊らされた人々』
http://explore525.blog45.fc2.com/blog-entry-277.html
~
人の運命とは分からないものである。個人のおかれた環境で否応無しに事件/出来事に巻き込まれてしまうことがある。特に、いい潮流に乗って大きな豪華客船が進んで行くときは、誰しもその船にのりたがる。一旦、乗ってしまうと、いい事ばかり夢見て、悪いことなんて思いもしない。STAP現象は夢のような、生物学史上に燦然と輝く、画期的な発見であるはずであった。多くの一流の研究者が疑う事もなく、船に乗ってしまった。降って湧いたような幸運の前に、疑ってかかれと言うのが酷なのかもしれない。船が座礁してやっと事態に気づくのが普通の人間であろう。
もしも自分だって、その船に誘われたら,喜んで乗ってしまったかも知れない。そして催眠状態に陥り、詰めが甘くなっていたであろう。本来なら、論文に名前を載せる以上、厳格にチェックして、責任を全うしなければならないのだけど、大きな名誉や利益がちらつくと、そうあって欲しい。信じたい。研究者のモラルとは。分かっているけど。自分が直接船の操船に関わってないのに、黄金の国に連れてってもらえ、黄金がざくざくいう甘いささやきが聞こえてくる。欲望はリスクを隠してしまう。 人間ってなんと弱い生き物か。
ただ今は、幻想ではなく黄金の国が本当にあることを祈りたい。
~
ところで、
世界的傾向のようにも とれるけれど、近頃、わが国の自然の動向と言うか、気候の奇妙な変化は、多くの人が感じ取っていると思われるが、
特に、夏場の雨の降りかたは、私の子ども時分と比べて、明らかに違いを感じる。
20年前30年前だろうか、まだ、その頃までの夏場には、時間を計ったかのように、夕方になると、まさに「スコール」さながら、たちまちザーッと降ってきて、雷鳴が一頻り轟き、しばらくしたら、何事もなかったかのようにケロッと去って行き、幾分か涼しくなった空気のなか、入れ替わりみたいに戻ってきた太陽の光が、夕暮れ前の ひとときを精いっぱい輝き照らしたものだったが……。
この数年の雨の降りかたというのは、、、思わず、首を傾げさせる。
とは言え、私が住んでいる所の周辺では、大きい被害が起きたとか起きかねないというほどのことは ないものの、
思えば、3年前の東北大震災があった同じ2011年、夏の終わる頃に、和歌山県では大水害と、それに伴った大変な規模の災害が起きた。
あれ以来毎年、同じような水害騒ぎに慄いているような気がする。
2011年は、未曾有の大地震に続く津波と同時に、原子力発電所の大事故も伴い、それと共に、かつてなかったほどの激しさで、その方面の学者や専門家たちの権威失墜が始まった。
さて、「エリート」とは、まず、大いに恵まれている者に ほかならない存在であって、ただに自分の刻苦勉励、努力したから云々と主張し、あまつさえ自慢するなどはナンセンスということ、少し深く考えれば分かる程度のことだ。
この考えに立てば、自分自身が、なんらかの「障碍」を背負ったことで、生活上の労苦に煩わされずに済んでいることの奇跡も理解できよう。
あらゆる犯罪についても、これを犯さずに済んでいる身の幸運また然りだ。
私が最も、投票したくないと思うタイプの議員である「片山●つき」氏あたりは、そのへんの洞察と思考力にもトンと欠けておられるらしいが、およそ「哲学」に欠けているとも言い換えられることだろうか、さすがは自民党議員になるだけのことはある(嗤)
一点のシミも見えないような、絵に描いたように恵まれて、順風満帆な「エリート」たち、また、あらたに起きた「佐世保・同級生殺害・遺体損壊」事件に見られるように、彼ら「エリート家庭」の裏側をも含めて、
激しい失墜と転落、暴露の地滑りが始まったかのような世相だ。
(それにつけても、「早稲田大学」w「政経」学部wwとか)
なにが「勝ち組」「負け組」だかも混沌の様相を帯び始めた。
ちなみに、小保方さんの博士号剥奪できないことを疑問視する人たちは多いと思われるが、小保方さん個人の社会的生活を破壊することになるからとかいう理由は、そもそも、大学側のシステムに欠陥あったゆえが実態なのであれば、「温厚な」学者センセイらしく装った、いかにも恩着せがましい言い様であり、これぞ詭弁というものだ。
それは、分かりやすく喩えてみれば、入学試験の問題設定に、実施者側の重大ミスがあったために、正解か否かを問わず、すべての回答に得点を与えるのを余儀なくされたり、入学を認めざるを得ないようなものかと思う。
苦肉の策だったかもしれないが、恩着せがましく言って済ませようとするほうが本来おかしいのだ。
ただ、私が気になっているのは、
いわく「『性善説』の科学学問界」で、「コピペ」的剽窃の類は昔から実態として蔓延していたのか、
それとも、「ネット時代」を迎えてから一気に深刻化したのか どうかということ。
学者の基本的クオリティというものに かかわってくるはずと思うから。
そうそう、こんな記事があったw
『うそつき、脳で分かる? =活動領域で解明―京大』
時事通信 8月6日(水)6時17分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140806-00000013-jij-soci
~報酬への期待が大きい人は、側坐核の活動が活発だった。~
つかなくていいはずの嘘とか、いったい何が目的で?とサッパリ理解できない嘘を つく、俗に言う「息を吐くように」嘘を つくという性癖の者もいるそうだが、
こうした場合、嘘を つくこと自体が「快感」という「報酬」に当たるんだろうか?
小説家などにも いてそうだがwそりゃあ、創作意欲が尽きないわなww
とあるブロガーは、自身も知能系障碍(IQが標準に達していないとか)を持っているらしかったが、本人の子どもも また、発達障害だということを述べていて、やはり、必要もないのに嘘を つきまくる癖があったそうだ。
どうやら、自分の嘘で、周囲の人たちが戸惑ったり、右往左往するのが快感だったようだ、ということだった。
『「ネコの目ん玉はコロコロしている」二面性ある少女Aに不安漏らした母親〈週刊朝日〉』
dot. 8月7日(木)7時7分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140807-00000000-sasahi-soci
~
「『ネコの目って知ってる?~』~」
なんか、自慢しとんの?って感じの口調。。。
『蟹江敬三さん』