2014.04.05 (Sat)
私は、長らく、テレビも見なくなってるし、特に関心を持っている芸能人も殆どいないのに、こないだ、ふと、「そういえば、蟹江敬三という役者さん、まだ御存命だったっけ?」と、唐突に頭を過った。
まあ、わりと よくある現象なので、何かあるのかもしれないなと思いつつも、「まだまだ亡くなられるような年齢じゃないはずだわ」と、自分で即刻打ち消したのだけれど、きのうになって、すでに先月末ごろに亡くなっておられたという記事を目にした。
彼も また、個性の強い、スタイルのある、それでいて、どんな役でも演じる能力のある俳優さんだったなと思う。
役者・俳優というのは、どこか神秘的な部分があり、面白い職業ではと思うのだが、アクの強いタイプだと、おのずと演じる役柄が狭められてくるというのは、俳優本人の意向に関わらず、実際そうなってしまいがちなのだろうけれど、むしろ、そういう俳優のほうが、かえって、善玉でも悪玉でも お手のものというポテンシャルが高いのではないかという気がして、いっそう興味を惹かれる。
蟹江敬三さんは、むかし、何と言う番組名だったかのなかで、外国に出かけて行き、そこで何事かを行なう、という趣旨だったのだけれど、南米のどこかに到着し、現地のカッコイイ民族衣装を身に着けて(しかも、サマになってたし)、何か、露天商みたいな威勢の良いパフォーマンスを些かも臆することなく堂々とやってのけていた。
すると、土地の女性たちが、蟹江さんの勢いと風貌にググッときたらしく、しまいに抱きついたり、頬に嵐とキスしたりで、えらい騒ぎになってたのを憶えている(笑)
まあ、いまごろになって考えると、昨今モロバレになってしまった「演出」ということも多少はあったのかなと疑いたくもなるが、しかし、たしかに、彼の風貌には、ラテン男のそれを感じさせるものがあった。あちらの情熱的な女性たちの好みに合致していてフシギはないと思えたものだ。
『数多く悪役を演じた蟹江敬三 人は何に恐怖を感じるかを語る』
NEWS ポストセブン 1月31日(金)16時6分配信
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「当時は悪役ばかり来るわけですから、工夫しなきゃと思っていました。『その役を面白くする』ことを面白がるといいますか。そうやってその役の魂っていうか心根に入っていくわけです。そうすると、いい衝動が出てきたりするんですよ。」
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旧のブログでも書いたことがあるけど、
学校時分の行事で鑑賞させてもらった歌舞伎の、事前レクチャーとして、有名どころの役者さんが背広姿のまま見せてくれた、「見得を切る」所作(とてもカッコ良くて、そのべテラン役者さんに、女子高生の私が、たちまち惚れてしまったほどだが、その所作というものの完成度の高さを思い知ったことだった)、
また、お能の役者さんが、これもレクチャーにて、面を着けず、ある所作ただ一つによって一瞬に切り替わり、その役者さんの体内に、別の何者かが入り込む場面を、まざまざと見せてくれた。まさに、「憑依」。
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「役者にとって、悪は魅力的ですよ。普段の自分にはできない非日常なことをしているわけですから。もしかしたら、悪っていうのは自分にありえたかもしれない人生だと考えると、役に入りやすい。どんな人でも、そういう悪の芽をいっぱい持っているんじゃないでしょうか。
それから、あまり怖そうに演じない方がいいと思います。『俺は怖いんだぞ』ではなくて『私は普通ですよ』という人の方が怖いっていう気がします。実際に人を殺した人って、一見すると普通の人に見えることが多い。ところが、どこか目がイッている。そういうところに恐怖を感じるんだと思うんです。」
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こういう話って、興味深いなと、いつも思う。
深い人間心理に通底しているもので、観察眼を培えている人ならではだろう。
たぶん、歌舞伎でも お能の世界でも、役者さんには共通したものが潜んでいるのではないかしらん。
(※このあと、少し時間を置いて、「DNA」にまつわる、二つの事件につ
いてのエントリーをアップする予定)