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とりあえず、ひかりのくに
     
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2014.07.30 (Wed)

『佐世保・同級生殺害、遺体損壊事件』について思うこと


こういうエピソードがある。

これは、むかし、私の母から聞いた話で、

(実を言うと、ある身内のことだったようにも記憶しているのだが、私自身の心理的に無自覚のうちの抵抗感があったものか どうか、そこのところだけ、いまでは曖昧になってしまっている。したがって)

一部に記憶違いもあるかもしれないのだが、おおよそとしての話は、こういうことだった。

 

私が生まれる前の出来事だそうだが、

ある日、母が、当時、住まっていたアパートの、とある窓の そばで、まだ小学生になるや ならずの年頃の女児、これは、日常的に接する機会の多かった顔見知りの近所の子であったそうだが、

この子が、どういうわけだか、小さな手に一個の煉瓦を携え、かなりの時間を、窓辺から見下ろしつつ過ごしているようすなのをフシギに思い、声を かけたということだった。

 

そこから どうなっていったか、話の詳細は忘れてしまったが、とにかく、

その後、間もなく明らかになった真相は、

くだんの女児は、自分が気に入らないクラスメートか誰かを狙いすまし、目当ての子が、窓下を通りかかるのを、非常な根気強さを発揮しつつ、じいっと待っていたのだった。

 

もちろん、狙う相手が通りかかった瞬間に、女児は、その手に持っていた煉瓦を落とすつもりだったというわけだ。

 

…世の中、こういう子も いるんだよ、と、母は言っていた。

 

 

という母自身、脳に局部的な異常があるらしいのを、本人は、かつての交通事故で、頭を強打したことが原因だと主張していたのが、死後になってみたら、実は先天性であったことがハッキリしたという話も、どこかのエントリーで書いたことがある。

 

私は長年、主には家族を中心に、私にとって不可解なる周囲の人々を見渡してきて、

ある程度、方面の知識量も増え、自分なりに推測してきた仮説が、それほど的外れではなかったことを、いろいろな専門家の説明で確認も して、

専門家や識者の説くところが不足と思えば、なお自前で推測を重ねもするのだが、

いまでは、このように思っている。

「父も母も同じくで、彼らは、まちがいなく一種の人格障害者でもあった」と。

第一には脳の質と、無関係であるはずが ないのだ。

 

私自身も、

また、世の殆どの人々も、多かれ少なかれ異常な、偏った側面を持ってはいるのだろうが、

それでも、今回の事件のような犯人の内面をスムーズに理解することは甚だ困難だと感じてしまうし、受容していくことにも抵抗感は非常に大きいのが普通というものだろう。

ここは、うちの父母と言えど、生きていれば、同じような感想を述べただろうと思う。

 

 

実の親子だからと言って、そのまんまに似るわけでは なさそうだが、

しかし、「パソコン乗っ取り・遠隔操作」事件の被告、また、その他の事件の場合にも感じられたが、今回起きた事件でも、加害者と、その親には、どこかしら似通ったところはあるのかもしれない。

 

 

母は生前、父のことをボロクソに言いつつ、まだ抵抗するすべにも乏しい幼い頃の私には特に、サンザン八つ当たりしてきたが、それでいて、

なるほど、夫婦間のことは分からないものだと昔から言うが、
女としてリクツ抜きで父に惚れていたのも確かだったと思うし、
そういうところは、また、父のほうとても、ほぼ近いものがあったのだろうし、

まあ、微妙温度差はあったとしても、要するに、

やはり、夫婦というものは、同レベルだからこそ、ひっつくものに違いない。

 

 

「ワザワザ産んでくれなくていいものを」

と、子どもの立場として言わせてもらえば、こちらとしては大変ご迷惑でしかない人たちだったのだがw

むかしは、私も、こういう方面の知識に乏しくて(進学先の一つに、心理学部を希望していたことの動機でもあった)、

うちの親たちのヘンなところ、どうしようもないところ、

言い換えれば、やはり「過剰

(父なんか、晩年になって、実は、若い時分からアル中だったことも発覚している。要するに「依存脳」だ。)

こうした面を、どう言語表現したら的確なのやら、さっぱり不明だった。

 

ところが、世間では、それなりに人望もあり、頭の良い、優秀な人、ということで通っていた。

 

 

実際、母などは、学校時分も成績が良く、音楽の才能にも恵まれ、手先は器用、弁が立ち、おまけに、大した美人で、
娘の私から見ても、他人さまが見ても、良過ぎるほど頭の回転が良かった。

だが、

数多くの長所以上に、欠点も またデカかった

 

長所以上に欠点がデカかったのは、父も同じくだった。

 

 

とは言え、

私自身は、自分の親と、あまり似ている所が少ないと言うか、

つくづく私は、およそ身内の誰とも似なかったなあというのが実感だ。

 

だって、

私が、仮に私の親らの立場であったとしたら、彼らと同じこと

(すなわち、親としての、公の義務としての届け出を怠ったり、子の障碍を知っていて無視・無関心で放置しておいたり、暴言を吐きまくり、暴力を振るいまくり、それでいて、異様なほど依存してきたり、まあイロイロ)は到底できなかったと思うし、
とてもじゃないが、その感覚、同じ人間として、いまだに理解できないところが残っているのだ。

 

 

ただ、他の兄弟姉妹を見ていて思うのは、

もしも、うちの親らの凄まじいまでのエゴイスティックさ、身体の健康如何には無関係な独特のエネルギッシュさを受け継いでいたならば、こんな私でも、そうとうに大きなトラブルを起こしていただろうことは想像に難くない。

もし、そうなっていたら、さぞかし、彼ら親は、私に泣かされどおしの後半生になったことだろうw

自分たちに似なかったことを感謝すべきである(笑)

 

 

私は、お酒を飲むのが好きでないと言うか、そもそも、体質に合わないのだが、

うちの身内のなかで、酒が嫌いとか体質が受け付けないなんてヤワ者は、ただの一人たりとも存在しない。

皆、お酒が大好き(笑)

私一人だけ、身内のなかでも異端なのだ。w

 

 

以前、旧のブログで書いたかもしれないが、

私が、たとえば北朝鮮あたりに拉致されていたとする。

失踪したと騒ぐにしても最初のうちだけで、

やがて居場所が判明した時点で、すでに長い年数が経ってしまっていたら、もはや取り戻そうともせず、そのままに放置しかねない
(なので、横田さんたちが、どんなに愛情深い、まともな親御さんであるか、よく分かる)。

これは、私に、親の愛を得るだけの徳がないとかいう以前に、

うちの親は、そういう人種なだけ。

ただ自覚がないか、ぜったいに自覚しようともしないし、うしろめたいことは認めない。

あくまで自分の役に立たせられる子であるか否か、そこのところで、恐らくは意識せずに判断している。

 

 

私には、親らを理解しようと懸命に務めてきて、そうとう程度に達成したという自負もあるが、

それは同時に、子の立場としては見たくないものを直視せざるを得ない作業でもあった。

 

 

彼らが、私を、私の身になって理解しようと務めることは、ついに なかった。

 

あとに残ったものは、彼らの飽くなきエゴの痕跡だけ。

 

裏の利害関係以上のものは何もない。

 

 

餓鬼の如くに求め合っているのに、

深く渇いた者どうし喰うか喰われるかの潰し合いをエネルギッシュに繰り返してしまう綱渡りのサガは、

ペンペン草ですらも、やがて涸れ果てる荒れ地、夥しい血を吸った砂漠だけが広がっていく。

 

 

弱く、そして、弱さに敏く、

不安に怯えやまぬ本性は、常に自分よりも不利な立場の者を最低限は確保しておくことで逃げ場を つくり、

そこに向けて、不条理なシワ寄せを押し込んでいき、

理不尽に利用する能力をこそ誇って恥じぬ傲慢さに気づこうともせず、

あるいは承知で目を背け、

恩の押し売りに励み、恫喝し、騙し、

一転、

相手のほうが強者と判断すれば、とりあえず恭順の態度を見せておくか、

やはり、いつもの常套手段を駆使し、相手の弱みを確信して恩を売ることで依存させておき、自分の存在感を、がっちりアピールする。

いずれにせよ、

最終的には用済みとなれば、最初から何事もなかった如くアッサリ忘却できる。

 

 

自己のみの欲望をエネルギッシュに謳歌しおおせたとしても、

罪咎なきはずの者を、不幸に巻き込む能力は大いに発揮しても、

結局は誰一人さえも、本当に幸せにする能力だけが備わっていない。
いつまでも備わらない。

それが、自己愛肥大者ならではの限界。

 

しかたがないだろう。

このような者でも、世に生まれ出てきて存在することを、偉大なる自然界は許している。

 

 

 Sade “Love Is Stronger Than Pride

 
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