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Updated   
2014.08.28 (Thu)

ある科学者の死――そして、最近、日本で目立ち始めた、二種の「変動」

良記事だと思う。↓

特集ワイド:STAP問題、痛恨の笹井氏自殺 理研の危機管理は
毎日新聞 20140826日 東京夕刊

http://mainichi.jp/shimen/news/20140826dde012040002000c.html

被害者意識交じり泥仕合招く 退院直後にマスコミの矢面立たせ

上司の竹市雅俊センター長は「10日ほど前から、研究室の皆さんから最近、体調が悪そうだからケアしてあげる必要があると聞いていた。非常に苦しい状況だったのは明らかで、もう少し我慢してほしかったなと思います」と報道陣に語った。

 

 「精神的に追い込まれた部下に『我慢』を求める上司は管理職失格です」。田中氏は手厳しい。

 

 何が笹井氏を追い詰めていったのか。

 

 「危機管理では謝罪すべき加害側に誰がいて、被害側に誰がいるかを見極めることが大切ですが、理研には被害者意識が入り交じっている。さらにSTAP問題における『危機の本質』を理研が理解していないから事態がここまでこじれたのです」と田中氏は言う。「危機の本質」とは、ずさんな論文を発表したこと、それを大々的にPRして日本の科学技術の信頼を失墜させたことの二つだ。

 

 「ずさん論文の責任の重さは(1)小保方晴子・研究ユニットリーダー(2)笹井氏(3)理研の順ですが、大々的なPRの責任は(1)理研(2)笹井氏(3)小保方氏の順になる。こうしたねじれ現象は不祥事においては珍しくなく、別々に記者会見すれば責任のなすりつけ合いになるのは目に見えている。だからこそ謝罪会見は認識をすり合わせたうえで、全員一緒に開くのが原則なのです」

 

 だが理研は3月14日に小保方氏抜きで会見を開き、トップの野依良治理事長は「未熟な研究者がデータをずさん、無責任に扱った」などと小保方氏を批判。一方、小保方氏も弁護士同席で会見し、論文撤回には同意していないと理研の発表に反論。泥仕合になり、新たな疑惑が次々と浮上していく。

 

 その時、理研が事態沈静化のために頼ったのが笹井氏だった。4月16日の理研主催の会見で、笹井氏は3時間20分にわたって厳しい質問に答えている。ストレスで直前まで入院していた事実は報道陣には伏せられた。「笹井氏は一見うまく受け答えしているように見えましたが、何を聞かれるか分からず、厳しい質問が予想される記者会見は心理的負荷が極めて高かったはずです」。労働問題に詳しい小川英郎弁護士は指摘する。

 厚生労働省の職場復帰ガイドラインは、メンタル面の健康問題で休業した労働者を職場復帰させる際には職場の産業医と主治医、本人、家族や上司で相談して段階的に進めることと定めている。

(文字強調はブログ主による)

 

理研には被害者意識が入り交じっている」というのも、基本的に、同一組織内部で起きた問題だもんね。

ストレスで直前まで入院していた
これ、私も、笹井氏が亡くなられたときの報道で初めて知り、それは堪えるはずだわと思った。

それにしては、あの落ち着きはらった応答ぶり。。。

 

 

まあ、この記事中でも述べられている「産業医」なる存在価値が、どれほどのもんだか、私個人の経験では、小遣い稼ぎのアルバイト代わりじゃねえの?と思ったことはあるw

 

 

なんと言っても、もう、何もかもが遅きに失したという感が拭えない これまでと、そして、これからの予感なのだが、

振り返って第一には、
なるほど、基本的に「雇用者」の立場であった笹井さんは、上長にあたる立場の「竹爺」wこと竹市さんから、おまえ、オボカタを手伝ってやれや、との命を受けて、

また、そこに、貴重な研究時間を割いても自分自身にも見返りが見込めるというか、このさい、確実に見込めるように持って行ってやろうじゃないか、という野心的意気込みをもって、その類稀な手腕を注ぎ込み始めたと思う。

当初、「ヤフコメ」のなかでも、なぜか必死の ていで、竹市さんを擁護している投稿者が いたのを憶えているがw

 

ただ、私の想像するに、この笹井さんというかたは、基本的に、これは となると、こまやかに面倒見の良い面をも備え持っておられたのかなと思う。

御母堂の お話では、「ああ見えて、お父さんに似て、要領が悪い」ということだったそうだが、

こういう、医学とか理系筋に従事する人というのは、うちの身内なんかにも見るように、往々にして、怜悧を通り越し、なかなか冷酷な性質だったりもするのでw
医師となると、いったい、親切なんだか冷たいのだか、わかんないなあと思ってしまうこともあるのだが。
特に、学校の成績が良かったからという理由だけで、医学部に入って、医者になりました、とかいうの。
うちの身内も、まあ、そんなとこw
本当は、医者というよりも、アメリカあたりで研究するはずだったらしいんだけど、家庭の事情で、平凡な医者やっとりますわww

 

 

笹井氏の遺書「STAP細胞再現して」は最大級の嫌味とも解釈可
NEWS ポストセブン 820()76分配信 

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140820-00000007-pseven-soci

 

さて、小保方さんが、笹井さんを尊敬し慕う気持ち自体に些かの偽りは ないと思われるし、生前の笹井さん御自身も、そこは、よく承知しておられたことと思う。

 

小保方さんへの遺書には、「ぜったい、スタップ細胞を再現してください」というコトバが綴られていたそうだが、私が、読んで思わず考え込まされたのは、その次に続く、

「それが済んだら」

というコトバ。

 

「それが済んだら、新しい人生を一歩ずつ歩み直してください、きっと、きっと」

あったという。

 

それが済まなかったら。。。?emoji

 

 

厭味どころでは なく、むしろ、教え子を温かくも厳しく諭す教師のようでもある。

 

しかし、

なんという厳しさ、そして悲痛な諭しだろうか。

 

 

シミ一つだに ない、輝くばかりに栄光の経験しかなかったであろう、
人生最初にして最後の見込み違いのなかで、慣れぬ責め苦に疲れ果てて去って行かれた、かの人へ、あらためて哀悼を捧げる。

 

 

「コピペ」~博士から首相まで

 

 

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Updated   
2014.08.24 (Sun)

という記事を近頃は、よく目にするようになった。

地方の片田舎の、顔も名前も家庭事情も、近所どうしで、よく知り合っている場合でも、ある日のこと、ふと、行方不明になってしまい、それっきりという。

 

むかし、新聞記事等で、

自宅にいるというのに、「家へ帰りたい、帰りたい」と頻りに訴えて やまないようになった お年寄りの話を知り、こういうのって、当人にしてみたら、どんなに心細くて孤独で落ち着かない辛さだろうか、
また、目の前にいる家族の方も、なだめるのが大変と同時に、せつないだろうなあと思った。

 

で、「散歩に行ってくる」とて、長年慣れた近所に出て、それっきり、、、だという。

まあ、田舎というと、あちこち草深かったり、里山が近いということもあるだろうから、ちょっとばかり遠出して、いつしか、人が殆ど行きかうことのない地点にまで出てしまうことは大いにあり得ることなのかとも思う。

あるいは、

往々にして、時間の流れや、自身の来し方の順序を、どこかで とっ違えてしまっていることが、「認知症」の特徴として多いと聞くので、

それでなくとも、人間、若い頃の記憶のほうが根強く持続し、より鮮明な感覚を伴って残りがちだから、現役で仕事に邁進していた時期の自分に戻った錯覚を起こし、そのまま、仕事に行こうとして、遠方に向かってしまっている可能性もあろう。

ほんの隣りの市あたりでも、もう、見知った人は殆ど いないだろう。

 

 

ところで、

私、最近、「あっ」と思ったことがある。

 

大型スーパーストアにて買物中、店員さんが、陳列補充のため、ストック商品満載した運搬器具を押していて、そこに行きあった私に、「すみませーん」と頭を下げられたので、じゃまにならぬようにと方向転換した、
そのひょうしに、今まで、どこのコーナーにいて、次に、どこに向かおうとしていたのか、一瞬、わかんなくなっちゃったのだ(汗)emoji

 

「あれれ?」と思って、ぐるりと見渡してみたら、慣れ親しんだ店内が、あたかも初めて入った お店みたいな、、、

さっき物色してきた向こうの奥に見えてる お惣菜店も、反対側に見えてる お肉屋さんや果物コーナーも、いっぺんで、あたりの光景全体がサーッと ひいたみたいに、なんだか、みょうに遠い。。。(冷や汗)emoji

 

そのとき、つくづく思ったけど、だいたい、スーパーストアの店内なんて、どの場所に行っても似たり寄ったりの棚がズラッと並んでるもんね。

 

で、まあ、この変な感覚を、しばらく楽しんだあと(笑)
ああそうだったわぃ、とレジに向かい直したんだけども。

 

実は実は、

これに近いこと、二度目なんだよぉ。emoji

今年の、いつだったかにもあったのを思い出した。ガビ~ンemoji

今年は、実家絡みで、またまた怒髪天な出来事があったから、ストレスいや増しだったせいかなあ。。。?

 

さすがに、「わたしは誰?」までは いかなかったがw

 

実は実は実は、

小学生の頃、かなり「わたしは誰?」に近い、自分で「雲の上お散歩」wと呼ぶ状態に、かっきり一週間程度、おちいったことがあったんだけど。

その頃、その感覚のことを訴えたら、即、母親に思いっきり、どやしつけられましたww

 

 

だけどさ、自転車とか乗ってて、ふだんは行かない街角とか通らないでいた道筋とかに、ひとたび入り込んだら、そこが、自分の通常生活圏に、ごく近い場所であっても、たちまちにして見知らぬ所になってしまうし、
うろうろしてるうち、やっと、毎日通い慣れてる見慣れてる場所まで辿り着いても、「あれ?」と戸惑って、戻ってこれたことを、すぐには呑み込めないでいたりすることもありませんか?

あるでしょ?ねねね(滝汗)emoji

 

 

落とし穴は、すぐ そこにあるのだな。。。(あぶら汗)emoji

 

 

べつにカン係ないけど

レジ子スターの刺激


     ラジオ スターの悲劇

     


Updated   
2014.08.07 (Thu)

『理研』副センター長の、世界的権威の、という結構な肩書よりも、われわれ門外漢に過ぎない一般人にとっては、「スタップ細胞」大騒ぎの終始によって、たちまち、ほとんどの国民にも知れ渡る存在となられていた、笹井氏が、このたびは、非常に残念な かたちで、世を去られた。

 

まずは、哀悼の意を捧げます。

 

 

かく言う私も、このブログにて、笹井氏も対象に含め、多かれ少なかれの批判的見解を述べてきたという覚えはあるが、この今となっても、撤回する必要までは感じていない。

 

「スタップ細胞」の話題が、打ち上げ花火のごとく賑々しいかぎりの取り上げかたを され始めた当初、科学系の話題には、普段から関心が高いほうの私が、どういうわけか、ほとんど食指が動かずという状態で、関連のニュース記事にも、あまり、目を通さずにいたことは、以前のエントリーでも述べたし、

自分でも、いまだにフシギだが、ただ、

小保方さんに関しては、あとになって、問題の数々が発覚してから、やれ彼女の眼つきなどが どうだのとか、記者会見での態度が、なかなかに政治家ばりだ、とか、あたかも新興宗教の教祖ばりだのいう指摘なんかは、ああ、そう言われて見れば、そう見えなくもないなあ(笑)程度にしか思ってなかったが、

 

今度は、会見時の小保方さんの「視線」に対してw
追記:「小保方さん会見の装い」について

 

笹井氏については、一目で、

「この人は、一言で言って、ある意味、『陰』を感じるな…」

と思っていた。なので、
渦中の人々のなかで一番クールに見えつつ、実は一番、滅入った気持ちを、内に深く抱え込んでしまうかも しれないぞ、という印象を、なんとなく感じていた。

 

それにしても、見るからに怜悧な、どんな小さな失敗も犯さずに来たであろうような、白衣を着用して診察を行なう医師の姿が最も似合っているのだろうと想像させられた笹井氏、
ああいう、感情を抑えて、どこまでも冷静な応答に つとめられる切り替えの迅速な資質を持ち合わせた人が、傍目に見ても、それまでとは ようすが異なる、衰えが感じられたというのであれば、とっくのむかしに、苦痛で切迫した状態に陥っておられたのだと思う。

 

理研の、また、「スタップ細胞」騒ぎの中心的立場にあった以上、致し方ないところはあったかと察せられるものの、もう少し早い段階で、とりあえずの処置でもいい、やすませてあげられるように、手を打つことは できなかったのだろうか。

 

部下や周辺の采配を行なわねばならない責任の大きい立場に あったから、自分の身の事は、どうしても後回しにならざるを得なかっただろう。

今回の事件では、一方で肯定、一方で否定、という奇妙に相反する立場を同時に維持せねばならないことから来る深刻な板挟みを どうすることもできず、自分の研究に没頭どころではなかったであろう、そのうちに、もはや耐え切れぬほどの限界が来てしまったということだろうか。

褒められこそすれ、子ども時代から、親にさえも責められたり叩かれたりに慣れてはいなかったろう、外から窺える以上に、プライドも自負も高かったはず。

 

到底「なっていない」ものでも、その手腕にモノ言わせ、「成っている」ように立たせてしまったほど優秀な彼も また、巨大な組織の、そして、その野心の犠牲になった面は、たしかにあるように思う。

しかし、ご本人自身、まぎれもなく内部の人だったわけで。。。

 

 

先日、あらたな訂正事項が生じたという若山教授も、この訃報にショックを受けたらしく、現在、急激な不調に陥っておられるそうだが、
一歩間違えば、若山さんが追い詰められて どうかなってしまったかもしれぬ恐れも皆無とは言えなかったところだろう。それだけに、ショックの大きさは、想像に難くない。

 

小保方さんについては、

「STAP細胞を必ず再現してください」

という、笹井氏の、「気遣い」というか、いまとなっては遺言が、彼女に、どういうかたちでの影響を与え残すだろうかということが、私には些か気にかかっている。

 

 

「蓑虫の父よと鳴きて母もなし」(高浜虚子)

以前、当ブログで、上記エントリーをアップするときに、参考のための検索を している途中、初めて拝見していて、こちらのほうの記事も、すでに読ませていただいていた。
お断りも せずに、一部抜粋させていただく。

まさに、分野の専門家でいらっしゃるそうで、いま、あらためて拝読すると、いっそう、複雑な感慨を もよおす。

 

STAP細胞に踊らされた人々』

http://explore525.blog45.fc2.com/blog-entry-277.html

 人の運命とは分からないものである。個人のおかれた環境で否応無しに事件/出来事に巻き込まれてしまうことがある。特に、いい潮流に乗って大きな豪華客船が進んで行くときは、誰しもその船にのりたがる。一旦、乗ってしまうと、いい事ばかり夢見て、悪いことなんて思いもしない。STAP現象は夢のような、生物学史上に燦然と輝く、画期的な発見であるはずであった。多くの一流の研究者が疑う事もなく、船に乗ってしまった。降って湧いたような幸運の前に、疑ってかかれと言うのが酷なのかもしれない。船が座礁してやっと事態に気づくのが普通の人間であろう。

 もしも自分だって、その船に誘われたら,喜んで乗ってしまったかも知れない。そして催眠状態に陥り、詰めが甘くなっていたであろう。本来なら、論文に名前を載せる以上、厳格にチェックして、責任を全うしなければならないのだけど、大きな名誉や利益がちらつくと、そうあって欲しい。信じたい。研究者のモラルとは。分かっているけど。自分が直接船の操船に関わってないのに、黄金の国に連れてってもらえ、黄金がざくざくいう甘いささやきが聞こえてくる。欲望はリスクを隠してしまう。 人間ってなんと弱い生き物か。
 ただ今は、幻想ではなく黄金の国が本当にあることを祈りたい。

 

 

ところで、

世界的傾向のようにも とれるけれど、近頃、わが国の自然の動向と言うか、気候の奇妙な変化は、多くの人が感じ取っていると思われるが、

特に、夏場の雨の降りかたは、私の子ども時分と比べて、明らかに違いを感じる。

 

20年前30年前だろうか、まだ、その頃までの夏場には、時間を計ったかのように、夕方になると、まさに「スコール」さながら、たちまちザーッと降ってきて、雷鳴が一頻り轟き、しばらくしたら、何事もなかったかのようにケロッと去って行き、幾分か涼しくなった空気のなか、入れ替わりみたいに戻ってきた太陽の光が、夕暮れ前の ひとときを精いっぱい輝き照らしたものだったが……。

 

この数年の雨の降りかたというのは、、、思わず、首を傾げさせる。

とは言え、私が住んでいる所の周辺では、大きい被害が起きたとか起きかねないというほどのことは ないものの、

思えば、3年前の東北大震災があった同じ2011年、夏の終わる頃に、和歌山県では大水害と、それに伴った大変な規模の災害が起きた。

 

あれ以来毎年、同じような水害騒ぎに慄いているような気がする。

 

 

2011年は、未曾有の大地震に続く津波と同時に、原子力発電所の大事故も伴い、それと共に、かつてなかったほどの激しさで、その方面の学者や専門家たちの権威失墜が始まった。

 

 

さて、「エリート」とは、まず、大いに恵まれている者に ほかならない存在であって、ただに自分の刻苦勉励、努力したから云々と主張し、あまつさえ自慢するなどはナンセンスということ、少し深く考えれば分かる程度のことだ。

 

この考えに立てば、自分自身が、なんらかの「障碍」を背負ったことで、生活上の労苦に煩わされずに済んでいることの奇跡も理解できよう。

あらゆる犯罪についても、これを犯さずに済んでいる身の幸運また然りだ。

 

 

私が最も、投票したくないと思うタイプの議員である「片山●つき」氏あたりは、そのへんの洞察と思考力にもトンと欠けておられるらしいが、およそ「哲学」に欠けているとも言い換えられることだろうか、さすがは自民党議員になるだけのことはある(嗤)

 

 

一点のシミも見えないような、絵に描いたように恵まれて、順風満帆な「エリート」たち、また、あらたに起きた「佐世保・同級生殺害・遺体損壊」事件に見られるように、彼ら「エリート家庭」の裏側をも含めて、
激しい失墜と転落、暴露の地滑りが始まったかのような世相だ。

 

(それにつけても、「早稲田大学」w「政経」学部wwとか)

 

なにが「勝ち組」「負け組」だかも混沌の様相を帯び始めた。

 

 

ちなみに、小保方さんの博士号剥奪できないことを疑問視する人たちは多いと思われるが、小保方さん個人の社会的生活を破壊することになるからとかいう理由は、そもそも、大学側のシステムに欠陥あったゆえが実態なのであれば、「温厚な」学者センセイらしく装った、いかにも恩着せがましい言い様であり、これぞ詭弁というものだ。

それは、分かりやすく喩えてみれば、入学試験の問題設定に、実施者側の重大ミスがあったために、正解か否かを問わず、すべての回答に得点を与えるのを余儀なくされたり、入学を認めざるを得ないようなものかと思う。
苦肉の策だったかもしれないが、恩着せがましく言って済ませようとするほうが本来おかしいのだ。

ただ、私が気になっているのは、
いわく「『性善説』の科学学問界」で、「コピペ」的剽窃の類は昔から実態として蔓延していたのか、
それとも、「ネット時代」を迎えてから一気に深刻化したのか どうかということ。
学者の基本的クオリティというものに かかわってくるはずと思うから。

 

 

そうそう、こんな記事があったw

うそつき、脳で分かる? =活動領域で解明―京大
時事通信 86()617分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140806-00000013-jij-soci

報酬への期待が大きい人は、側坐核の活動が活発だった。



つかなくていいはずの嘘とか、いったい何が目的で?とサッパリ理解できない嘘を つく、俗に言う「息を吐くように」嘘を つくという性癖の者もいるそうだが、
こうした場合、嘘を つくこと自体が「快感」という「報酬」に当たるんだろうか?

小説家などにも いてそうだがwそりゃあ、創作意欲が尽きないわなww

 

 

とあるブロガーは、自身も知能系障碍(IQが標準に達していないとか)を持っているらしかったが、本人の子どもも また、発達障害だということを述べていて、やはり、必要もないのに嘘を つきまくる癖があったそうだ。

どうやら、自分の嘘で、周囲の人たちが戸惑ったり、右往左往するのが快感だったようだ、ということだった。

 

 

「ネコの目ん玉はコロコロしている」二面性ある少女Aに不安漏らした母親〈週刊朝日〉
dot. 87()77分配信

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140807-00000000-sasahi-soci

「『ネコの目って知ってる?~』~」

 

なんか、自慢しとんの?って感じの口調。。。emoji

 

 

蟹江敬三さん

 

 


Updated   
2014.08.03 (Sun)

 

【続・続】『再び『佐世保・同級生殺害、遺体損壊事件』について考えること』

http://schneewittchen.7narabe.net/%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%83%BB%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%83%BB%E7%8A%AF%E7%BD%AA/%E3%80%90%E7%B6%9A%E3%83%BB%E7%B6%9A%E3%80%91%E3%80%8E%E5%86%8D%E3%81%B3%E3%80%8E%E4%BD%90%E4%B8%96%E4%BF%9D%E3%83%BB%E5%90%8C%E7%B4%9A%E7%94%9F%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E3%80%81%E9%81%BA%E4%BD%93%E6%90%8D%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%80%8F

 

ま、

更生する可能性すら認めるな

ということで、

なんかナチスみたいだが、

「規格外」には死を!ってことか。

 

そのナチスは、人間を、まさに「物」として扱った。

 

 

この社会で、常軌を逸した犯罪を仕出かした大迷惑者ほど、ただスムーズに死なせるだけでなく、様々な検証対象として、とことん、社会の役に立ってもらい、もって、贖いの一端を実行してもらってからでいいのにとも思うのだがwかく言う私にも、いたって冷たいところがあるのかもしれないww

 

なので、(精神等)鑑定は必要w

それは、数回の鑑定等を行なった程度では到底かたづかないだろうし、

ひいては治療技術へと発展させる目的を持つなら、長い観察時間を要するだろう。

 

現実的に考えるなら、

犯行者を、単に排除し、この社会から抹殺してしまっただけでは、なんらの進歩もない。

 

 

現状では、防御と抑止の効を成せていないというのなら、すみやかに見直しと改善が必要になり、議論も起きる。

だが、単に「先祖がえり」的時代錯誤な視点は有害なだけだ。

 

そう言えば、国際外交や国防方面の問題でも、同じような議論が起きてきている。

 

 

さて、

「冷静」とは何だろうか。

それは、精神の「マトモ」さを示すものとイコールだろうか。

 

「健常」と「異常」のあいだの河は浅いか深いのか。

 

 

Updated   
2014.08.03 (Sun)
 

【続】『再び『佐世保・同級生殺害、遺体損壊事件』について考えること』

 

今回の犯行者は、非常に若く、しかも、女子である。
前代未聞と言って過言でないほどの事件だ。

 

「罪」も、「法」も「倫理」も、この世において社会を つくり、生きている「人」というものが拵えている。

その根本にある出発点は、やはり、素朴な「自分可愛さ」なのである。

 

りくつ抜きに自分の身が可愛いからこそ、他者の身も、一応であったとしても尊重してみせる。

たとえ「人間の心を持たない」者に見えたとしても、本当に そういう者であっても、自分は可愛いはずなのだ。

 

そこを広範囲に広げていった、言わば、社会の「精華」的なものであって、そうなれば、もはや、個々人の感情を超え、つまり、「普遍」的のものでなければならぬわけで、だからこそ、公として刑罰も実行される。

 

 

どんな者でも自分は可愛いはずなのに、

誰しも そうだろうということは容易く想像でき、分かるはずなのに、

他人の存在を、いとも簡単に抹殺してしまうとは、いったい、どういうことか。

そこで何が起きているのか。

 

 

およそ社会の法律となれば、それは普遍に共有されるべきものであって、

なんぴとと言えど、個人のものでは ない。

この基本は大前提なのだが、

近頃、ネットの、特に「ネトうよ」と思しき傾向の、徒党を組んだ如くして、大勢での投稿に夥しく見かけるような主張の一つ、

「死刑にしろ」だ、「極刑キボンヌ」と、安易な投稿に いそしむ前に、このことは、深く自問しておくが よいだろう。

すなわち、

人間の心」も「法」も「倫理」も一顧だにせずに、あっさりと、他者の存在を抹殺してしまおうとした犯罪者の心理、根底では、おのれ自身も同様かもしれないぞ、ということを。

 

 

まあ、一応にしろメシ食って寝るという最低限の生活を してるじゃないかというだけで、そんなのゼッタイ許せんという向きのひとたちは、呼吸を させているだけでも許せないという感情なのだろう。

これは、「不正」でなくとも、とにかく「生活保護」を受給していること自体を叩かずにおれないのと畢竟、同じ感覚・感情に発していると窺える。

そう考えると、

生活保護受給者は犯罪者と同じなのだから、飢え死にしないだけでも感謝しろ」などと主張していた、旧『イザ!』の「人気ブロガー」だった福島県民(「ゆさこを●ち」さんだっけねwこのひとのお陰で、福島県民に対するイメージが幾らかは下がったかもヨww)が いたことも思い当たる。

なるほど、産経記者と懇意だという ご本人(と、その取り巻き的常連)は、これが「正義」と確信しているようすではあったが、

「えらくギスギスしてるが;なんと余裕のないと言うか、魅力ないオッサンだのうw」

としか、私には思えなかった。

 

 

また、

極刑望まない親」「遺族感情」と言えば、

実際、アメリカでの犯罪で、幼い娘の命を奪った犯人に対する死刑執行を反対した遺族もいる。

 

一見、突飛な意見と見えるだろうが、私も、見出しを見ただけの時点では驚いたけれど、

よくよく伺えば、けっして、他人にも不可解な主張では なく、キリスト教が関係した影響もあるのかと思うが、

当の被害者の母親の述べるところを聞けば、一言で言って、
母親は、幼くして犠牲になった自分の娘の存在そのものを、一点の汚れもない、聖的な、清らかなままに置いておきたかったということらしい。

死刑を願う以上にも実に切ない心情に満ちたものだと思った。

 

一方で、同じくアメリカにおける有名な連続凶悪殺人犯の事例のなかには、犯罪が公に知れ渡っているさなかにて、過去の知人と結婚し、その家庭内では、家族を歯牙にかけたわけでもなく、穏やかな家庭人であったらしい。

(その男の顔を正面から写した記録写真を見たとき、恐らくは二重性格的な傾向が あらわに出た異様な眼つきを していると感じ、私は思わずゾッとしたが。)

 

 

 

人間の可能性ということ、

これは当然、未来への展望と希望の維持に繋がることであり、尊厳ということに関わってくる。

それは、ただ「人間だから」ということに尽きるであろう。

 

なぜ、「人間だから」なのかということに、根拠らしい根拠があるわけもないし、

ただ、われわれが、人間として育てられ、扱われるべき人間として生まれた、それだけのことだろう。

 

 

そもそも、「死刑」という罰には、必然的に根本的矛盾を孕んでいるわけだが、

「野放し」は剣呑とは言え、死刑に処したところで、すでに「あとの祭り」で、

実際、犯行を未然に防ぐことが出来なかった

(つまりは、すぐ足もとにおいてすら、共有が できていなかったということ。今回また、相談所の事例にも現れてしまった。)

われわれが、極端な判決を下すに至る前には、将来への責任、未来へ繋げていく微かな希望として、諦めずにやるべきことが多岐にわたって多い。

しかも、おのおの大変な緻密さを要請されるべきものである。

 

それは、防御と、まさに「抑止」のためであり、

これまでの人類の歴史上、あらゆる学問、ことに、人類の希望を一身に担い、体現してきた医学において、その発展に欠かせなかったことは何であったか。

 

 

 

まあ、くだんの事件を起こした加害者の父親ら家族には、精神病棟にて、ずっと隔離してもらえれば、それが一番、つごうがいいのも たしかだろう。

家庭から「厄介払い」しておいて、またも事件を起こされる心配だけは免れるわけで。

 

 

更生は、真摯な反省あってこそのこと。

反省したうえで、死刑なら死刑にも、従容と赴くことが肝要であって、

反省なき刑罰は、ただ反発と被害意識を募らせるだけ、
つまり、社会や、われわれは、ただ単に逆恨みを買うのみというわけになりかねない。

それで結構、という人もいるだろうけど。

 

 

ヒト以外の動物ならば、人間社会を構成する・してきた一員としての価値を付与されては いないので、ただの動物は「器物」なみの扱いであり、一度でも、人を襲ったときは、すみやかに殺処理する。

いちいち、その背後の よんどころない事情とかを探ったり調べたりは しない。

 

人であっても、幼い子どもに対しては、一部似たような扱いを する。
(ハナから責任を問えない対象として)

このへんは、昔の(?)欧米式の考えかたに影響を受けているのだろうか。

 

 

人間は、同じ「殺し」行為でも、虫を殺して犯罪に問われることは ない。

だから、気に入らぬ他国人や他民族、個人に対しても、「虫けら」呼ばわりしてみせる手合いが いる。

 

戦争ともなれば、おおっぴらに殺人する。

 

では、兵士たちは皆、精神異常か。

だから、無罪放免なのか。

 

 

「一寸の虫にも五分の魂」

「狂人にも狂人なりの論理」

 

私は、身内が、それこそ「自我つよき」ゆえ、プライドが脆くも崩れ、これまでのような結構な生活を維持できなくなるのではという深い恐れから狂うのも見てきた。

 

 

精神に甚大な問題があった場合でも、犯行相応の刑に服させよ、という主張に大いに頷けるものがあると、私も思うが、

敢えて無罪とすることもあるというのは、要するに、野生動物に対して、人間なみ倫理観を持って反省を求めてもしょうがないだろう、ということのようにも思えるw

だとすると、

もう とにかく死刑で排除することを主張する向きは、

「野生動物と同じに受け止めてよいから、さっさと射殺せよ」ということかww

…と思ってたら、
まさにズバリで、そういうことを主張してる投稿者が いたwww

 

(続く)