2014.09.02 (Tue)
『「悪意」を見た』
さて、先述したコメント投稿者だが、
「私は視覚障害の方ではないのですが、以前、聴覚障害者の方と接する生活、仕事をしていたことがあります。大半の方は、」云々とある。
まず、
「聴覚障害者の方と接する生活、仕事」とは、
いったい、どういう生活であり、仕事なのだろうか?
しかも、「大半の」という断定的文言ときた。
もしも、専門的な立場とか、あるいは、何らかの施設職員といった立場に就いていた経験からとして、そういうことを言うのであれば、
マッタク、そんなことだから、
「思いが伝わりにくくて短気を起こし、暴力的になる人とかも…」
出てきてしまうのは、ある意味、当然かと思ってしまった。
くだんのコメント者の投稿内容、これも また、冷静に、少しばかり緻密に検証さえすれば、如何にも奇みょうなことを述べていることが すぐ分かるていのものだ。
分からず、そのまま鵜呑みできる者は、世のなかに疎い子どもか年寄りか、よほどの迂闊者だろう。
このコメントが言うところの、「存在が近ければ近くなるほど」とは、まったく限ったことでなく、
手当たりしだい、
(まさに、今回、被害を受けた盲導犬のように)
見知らぬ他者であれ、あかの他人であれ、
自分と比べて、状況的に、絶対的に負ける恐れはないものと直感的に踏んだら、ひとたび目についた対象相手に向かって早速実行、身勝手な欲求を押し通すことはある、脳や精神面に異常なところがあっても、こういうときの判断だけは、なぜか、じつに素早いものがあるのでは ないか。
「自己保身」のための他者犠牲といった、ほぼ特徴的、類型的な迷惑行為を及ぼして恥じないという共通した性質は、私の経験では、家族内に、身内に、職場内の同僚にも、ことごとく見受けたけれど、
これは、たとえ、どんな「身体的障碍」を持っていたとしても、あくまで、
その個人個人の内面的資質、精神のほうの問題ゆえの発露
なのだ。
そういえば、
うちの母親も、むかし、本人が、まだ若かった頃、友人の家族である視覚障碍の人から、ひょんなことで誤解を受け、全く不当な、いわれなき疑いを向けられた不愉快な経験を したというので、ずいぶんと、視覚障碍者全体を指して、あれこれ批判めいたことを聞かされたことがあった。
そういう当の母はというと、
すでに述べてきたとおり、脳に一部異常を抱えていた、しかも、要領の良いこと人後に落ちない優等生だったのだから、
わが母親とは言え、聞かされた こちらも、なんとも返事に窮したことを憶えている。
で、彼女の娘である私自身は、聴覚障碍者の端くれだw
当事者の端くれである私自身も言っておきたいのだが、
聴覚障碍者は、必要な音声を拾うことが できないと同時に、ほとんどの雑音や不快な騒音の類からは必然的に免れているという現象でもあるので、そのせいか、
それこそ、「大半の」人は、
どちらかと言えば、もの静かで、のんびり・おっとりタイプな性格の人が多いのが特徴と言われている。これは、私自身も少なからず思い当たることで、
つまりは、
「障碍も個性となっていく」
という一つの喝破に繋がっているのだなと実感する。
ただ、中途で聴覚障碍を負うことは、高齢になると誰しも珍しくない。なので、ただでさえ気が短くなる人が多いという高齢者で、家族のなかにいても孤立した感じに苛まれてしまう場合、イライラと、身近の家族に当たるということは、あるのかも しれない。
私なんかは、父が歳を取れば取るほどに、持病の影響でか、ますます、聞き取りにくい喋り方をするようになり、母は、とうに亡くなっていて、他の きょうだいたちも皆、他人事で、私だけが、めんどうを みている状態のなか、
もともと、暴力的で、きらいな親だったこともあり、
だんだん繰りごとのような話を聞き取るのに、難聴者の私は骨が折れ、ますます、疲れとストレスを溜め込んだ時期があった。
私の障碍についても、過去、親としての義務を果たさず、いっこう無関心であり続けたことも、私のやり切れなさに拍車を かけたと思う。
でも、イライラしていても、私は、暴力は振るわない。暴力を振るうのは、いつも、「健常者」たる父のほうw
私は、人生の殆どを、辛うじて「健常者」のフリを とおして生きてきたので、私以外の同分野の障碍者に接した経験は、いまだに、ごく ごく少ないままだ。
そっち方面の、数少ない知人のうちで、私よりも、もう少し重い等級ゆえ、子ども時分から発語訓練や補聴器を手離さずにやってきていた人は、長年の補聴器使用自体の苦痛からも、重いストレスを訴えていたことがある。そのために、仕事も辞めざるをえなかったそうだ。
まあ使ってみないと分からない鬱陶しさというのは、そうとうトシを喰ってしまってから、遅れて使用する機会が訪れた私も、早々に音をあげたくらいなので、少しは理解できている。
さて、
「そういうので八つ当たりとかをされるのは、自分の子供だったり近場のごく親しい人だったり。盲導犬も近い存在かつ、刃向わないなので、そういう風に扱われる事もあったりするのではと」いう、くだんのコメント投稿者。
だが、
私の知るかぎりで、聴覚障碍者というのも、一般的な業務に従事していれば、まず間違いなく必ず要請される的確なコミュニケーションと、日常生活上のあらゆる場面で多かれ少なかれ危険性が伴うため、周囲の人たちを巻き添えにしてしまうような迷惑を かけまいとするあまりに、がまんを重ね続けてきた結果、かなりのストレスを溜め込んできてしまっているのが大部分の現実だ。
はっきり言わせてもらおう。
私自身の場合は、一応「健常者」として、家庭においても職場でも「健常者」なみの仕事と、
どうかすると、それは、「弱みにつけこまれて」というべきだったのかもしれないのだが、
並居る「健常者」たち以上にも重い役割を果たさざるを得なかったことが一番大きい原因だろうが、
こういう立場にいる者の、知られざる苦労や困難の かずかず、
そのなかには、誰あろう「健常者」たち自身
(↑ことに、「隠れ」的と言うべき、要するに「共有」ということを できていなかった精神的問題のある者たち)からの悪意ある言動の端々から齎される苦痛や、それに対して堂々と抗議し、対等にモノ申すことすら、往々難しい立場であったことも、このブログでも幾度かは言及してきた。
私にストレスを齎してきた主な相手は常に、家庭内においては、私の親であり兄弟姉妹だったし、
一歩、外に出れば、職場の同僚なり上司であり、つまり、「健常者」たちだ。
その彼らも また、全員が、精神面あるいは脳における、何らかの異常や歪みを抱え持つ「隠れ」的障碍者だった。
このことは当然、あかの他人であれば勿論のこと、いちいち確証を得るわけにいかなかったものの、
のちに、いろいろと知識を得た私が、あらためて、当時を検証した結果、あきらかに思い当たることであり
(たとえば、1時間以内に提出しなければならないものを、上司が黙っているかぎりは、2時間でも3時間でも、ヘタすると一日じゅうでも!かかりっきりで同じことを繰り返し確認し続けている、要するに強迫的行為である それは、自分のミスが発覚して叱責されることを異様に恐れ過ぎるほどプライドが高いゆえだったかとも思われ、
そのくせ、シワ寄せを及ぼされても、責めることなく引き受け、その先輩社員が1時間かけるものを、30分、15分、10分とガンバって仕上げていく私に、口を極めて居丈高なセリフを吐いたとか、
くそ真面目以外にトリエがなく無能な部下を、どう教育することも できず、ただ、優秀な部下一人に、薄給ながら押し付けて犠牲にし、そうして誤魔化すというセオリーでやってきた、管理職である自分自身の業績を守ることしかアタマにない、個人としてはヤリ手、上司としては無能者は、私の場合にも、こちらの障碍を いいことに、捌ききれない分すべてを背負わせていた、とか。
どう見ても、思考回路や精神がマトモでは なかろうというものだ)、
うちの家族や身内の場合なら、もう、はっきりと、それぞれ何らかの精神異常だったり、脳の一部異常だったりしたことは判明している。
何らかの専門的立場にでも従事していたのか?と匂わせつつも、根拠と言える根拠なく、ただ、目的は、聴覚障碍者全体への誤解を招き、重ねさせようという悪意を感じるコメント。
ひいては、障碍者全体、特に身体障碍者全体への偏見に繋がっていきかねず、拡散的効果が高いと思われる「ヤフー」コメントで、こうした問題投稿。
これは もう、社会問題と捉えるべきであり、はなはだしい卑劣ぶりと言わざるをえない。
とにかく、今回の「アイ メイト(盲導犬)」事件の加害者は、必ず捕えてもらって、
捕えたら、その内面性、動機等を、よくよく調査してもらいたいものだ。
内面性の問題があることだけは明白。