2014.09.02 (Tue)
私も、「盲導犬」の存在については、そもそも動物としての、犬の本能的生理に、かなり無理を させている、つまり「虐待」スレスレと言われかねないのではあるまいかと心配するところがあったので、犬という動物が、ことのほか、人間からの情愛を得て、人間の役に立ち、褒められることに喜びを感じる傾向が高いらしいから、飼い主さんが精いっぱいに報いてあげられるのなら、それは それでと割り切りつつも、いささか複雑な思いはある。しかし、
なにも「盲導犬」でなく、そのへんの普通の犬でも、人間からの虐待は多い。
首輪を嵌められ、鎖に繋がれ、一日の殆どを、狭い場所から出て行けないことだけでも、本来、犬にとって大いに迷惑なことだろうし、極端な最後は、最悪、保健所送りで始末されることだ。
しょせん、動物の一種である人間、記憶力と知恵だけは突出して発達したので、ありとあらゆる生き物を上手く利用しながら、自身を延命させているわけで。
大昔から、使役する牛馬等家畜には、人間さまを差し置き、真っ先に、水を飲ませてやり、餌を食べさせ、丁寧に からだを洗ってやり、気候に合わせた寝床を拵えてやる。それも これも、結局は人間自身のためなのだから。
さて、↓この記事に付けたコメントのなかに、こういうことを投稿している者がいる。
『盲導犬の後つける若い男 沿線駅で目撃情報 オスカー事件との関連捜査』
産経新聞 9月2日(火)11時24分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140902-00000516-san-soci
あの「カルト連」のうちの誰それかと思い当たるような、まことに奇みょうな特徴ある言い分の投稿を見たとき、そのことを指して、当ブログで述べておいたことがあったと思うけど、
その時のハンドルと、今回の、この主コメ投稿者のハンドルというのが同じであっても、間違いなく同一人物の それだか どうかは、一般閲覧者には、もはや分からない。
一応、過去投稿の確認できるところを見てみたかぎり、やはり、そうとう殺伐とした趣きからして、あのときと同一人だろうかという印象は つよい。
ところで、なによりも、この「pom*****」という投稿者。
コメントが、これ一つっきりかwなるほどねww
さてさて、
とある「盲導犬」が、外部の不明なる通行人から悪意ある被害を蒙ったという、この話題のもとで、なぜに、聴覚障碍者の「わがまま」ということを挙げて指摘せねばならないのか、その必然性もサッパリ不明なのだが、
ことわっておくけれど、聴覚障碍者だから「わがまま」ということには全く ならない。
むしろ、私の知る限り、「わがまま」どころか、がまんにガマンを重ねつつ、世渡りしてきた人のほうが圧倒的に多いだろうことを指摘しておく。
ただ、
どのような障碍であっても、軽度・中度クラスの、ことに、内部障碍者の場合、それと分かりにくい状態で、「健常者」を主体として構築されている社会の ただなかに出て行き、働き、やがては高齢を迎えたからとて、障碍者としての特別な年金等を望めるわけでは ないので、周囲の理解が乏しい場所で、たとえ屈辱的なことがあっても、がまんして、身を置かざるを得ない苦労を強いられている人も少なくは ないことだろう。
こういう立場というものは、見て、すぐに察しが つくとか、
たいがい鈍くて、想像力に欠けるうえ、しまいには、あべこべに「障碍者に迷惑かけられる被害者」という偏見に満ち満ち、じつに無神経だったりする「健常者」にさえも、わりと追体験可能な重度障碍とは、また異なる苦労と苦痛が付きまとう。
しかしながら、
人間が視覚から得る情報は、はかり知れないのに、まったく見えないといったら、本当に、危険と隣り合わせを文字どおりで、生活されてきたであろうと、私なんかでも普段から思いは する。
もちろんのこと、重度障碍は大変なのだし、周囲も否応なく関わらざるを得ない度合いは飛躍的に高くなる。
およそ障碍者が、極端なほど社交性に欠けていたりすると、苦労も飛躍的だ。
「人嫌い」を打ち出してばかりいては、やっていけない。
それだけでも、実際問題として、「わがまま」は慎まざるを得ないというもの。
どんな人も、一人だけで生きていけないのだ。まして障碍者は。
だからと言って、「健常者」に、見下されたり、むやみと居丈高な発言を されていい理由には ならない。
ましてや、昨今、にわかに大っぴら叫ばれるようになった、「弱者の弱者叩き」。
私もコメントを受け付けなくなった原因に、精神科患者でありながら、私の身体障碍を嘲笑し、口汚く侮辱し続けたアラシのつきまといがあった。
やれ、
「身体障碍者は、精神障碍者よりも劣っている」
だの、
「目に見えない障碍のほうが苦労が多くて大変なのだ」
とか、
いったい、ネットのなかでは、何度ズケズケと言われたことだろうか。
それで、私が、
「では、内部障碍者で、かつ、身体、精神ともに障碍を抱えている人の場合は、どう考えているのか?」
と問いただしても、まったくダンマリ。
ただ ただ、同じ凄まじき勢いを落とさず、相変わらず「身体障碍者は~」と、ひたすら罵り続ける。
この不可解な現象は、何かとも共通しているなあと思っていたら、そうそう、
(主に親が金持ちとか、不労所得があるからという以外での)「ニート」やら、働けど働けど「ワープア」が、「生活保護」受給者を叩きまくる、つまり「弱者が弱者を叩いてる」という構図。
先日も、あるブロガーさんに対するコメントで見かけたけど、
「生活保護を受給するようになった者は、たちまちにして、良い服を着るようになったのを、自分は、身近で何十人も見てきた」
と、いかにも、おかしな話を平気で する。
この者は、自分も精神障碍者であると、自ら言っていた。
そうそう、また、
在日韓国・朝鮮人または中国人を「特ア」とか称して、反日許さんぞ!と叫ぶ、そういう「ネトうよ」と呼ばれている輩に、在日の友人・知人で、仲良しが何人もいるし、居住地域には、在日が大勢いると言う。
この奇みょうさのことも、先日のエントリーで指摘した。
いつだったか、ずっと前にも、
「ケースワーカー」だか何だったか専門職として、「生活保護」受給者たちと関わってきたキャリアありというので、そこで見聞してきたケースとて、いろんな話のなかで、「生活保護」受給者たちへの中傷すべき ありさまを、これでもかと言わんばかり述べたてていたが、
だが、こちらが少し冷静に検討しつつ読んでいけば、どれも これも作り話(=デマ)めいていて奇みょうで、ツッコミどころ満載なのだ。
このうえもなき悪意まんまんで、少し読んだだけで、胡散臭さが鼻につき、げんなりして、すぐに閲覧を中止した。時間のムダ以外のなにものでもない。
けれど、直接に詳しい知識や経験を持たない一般人のなかには、ただ驚いて、「正義」の怒りを掻き立てられてしまうことも、まま多いことだろう。だから、こんにち、おかしな風潮が蔓延し始めている。
いったい、こんなことを述べてばかりいるブログなど、誰かに頼まれてやっているのだろうか、
そうでは なく、
自発的に、あるいは、自らの抑えきれぬ欲求に駆りたてられてやっているというのか。
こういうところが、正直言って悪いけれども、精神障碍または精神科患者と自己申告しているひとたちのことを理解するのにも、はなはだ困難であると感じてしまうところ。
もっとも、精神障碍者、精神科患者であると一口に言っていても、その資質、内実、現実も様々だ。
(続く)