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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2014.09.03 (Wed)

こっちのエントリーを先に書く予定だったのだ。

「社会還元」

 

私も、お役所特有の経済観念というのか、なんとも独特の処し方があることについての疑問は、若い頃から持っていた。

とは言え、

ただ、「ムダ」を削減する努力は当然としても、そこで、何を どう「ムダ」と考え、何を「必要だ」と判断するのかということにも、少なからぬ危惧感がある。

 

社会保障財源から国・企業負担減らし「日本に財源がない」という政府・財務省の異常、消費税が壊す社会保障
井上 伸 | 国家公務員一般労働組合執行委員、国公労連書記、雑誌編集者
2014
827 1511

http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140827-00038624/


「社会保障費の増減を見るには、額面上の数字を見るだけで判断するのではなく、国庫負担割合の低下を見る必要があるのです」

そこで、

「国における社会保障以外の支出(65兆円)がどう使われているのかという分析」

こういう作業は必須である。

 

数字の表面だけを見ていたら、本質を見誤るということは、よくあるのだろうし、詐欺的テクニックとしても、たびたび利用されてきているのだろう。

 

 

さて、「たかの友梨」問題でも、経営者の詭弁的言い訳やらの典型的な現象が見られたが、

要は、あまりの格差と乖離、これが平気で罷り通っていると、
「自分だって!」「自分だって!!」と思ってガンバった、そのことが化けて、俗に言う「姑根性」的いやらしさの連鎖を生じさせ、それが やがて、世間全体を殺伐とさせる大きな要因になって蔓延していくのだと思う。

 

「私だって!!」「ガンバったんだから!」とは、基本的に自分視点のみからの主張であり、おのれの言い分に過ぎない。

その主張、言い分に過ぎないものを、むやみ単純に押し付けていっても、目前の表面には見えてき難い何処かでシワ寄せが溜まってくるだけ。

 

その何処かとは、
およそ「弱者」と呼ばれる位置にスッポリ嵌めてしまわれることとなるのは必然。まず、乳幼児や子ども。

あらゆる個体間にも、差は大きく、いろいろあるものだ。

 

やはり、「最低限」としての基準設定は必要だし、そこからも外れていってしまうなんてものは、全体から見て、そんなに、割合が大きいはずも ない。

 

 

まあ、私とて、会社なり組織なり、その立ち上げ人に共感して、たとえ、相手が経営者、上長で、自分は単なる雇用者関係に過ぎなくても、相手も、自分と同様にボロを纏い、粥を啜って、苦しい状況のなかで頑張っているさなかの姿を目の当たりにしているなら、「意気に感ず」というのか、一心同体のつもりになって、自己犠牲精神とやらも辞さず、ついて行こうとする、かもしれない。

 

だが、自分の野心だけしか眼中になく、歪んだ手腕でもって成功にアグラを掻き、すっかりと思い上がり、人を人とも思わなくなった者を崇拝したり、黙って従い尽くすほど、おとなしくもオメデタくも ない。

 

 

もう一つ付け加えておく。

ネットというものに入り込んでも、あの「2ちゃん」の存在と同じく、数年に わたって、私が全く知らないでいたことの一つなのだったが、

近頃、例の「在特会」あたりが流行らせたものだろうか、「(どこそこ)から出て行け!!」なる要求。

これってね、

私個人的にも、なんか反射的に苛立ちや腹立ちを もよおさせるのだけれど、

考えてみれば、
うちの親が、かつての私に向かって、しょっちゅう言い放ったセリフを思い起こさせるんだな。

 

「おまえは、なんだ かんだ言っても結局、うちが居心地良いからこそ出ていく気がないんだろうよ」と。

こりゃ、単に、うちの親側の とんだ己惚れであって、

私自身は本当に本当に、一日も早く、実家を出て行きたかった。

けれども、

当の親自身が、このことを、世間に知られぬよう圧力を かけ続け、
私の自己認識を、自分たちの つごうに合うように、はたらきかけ続けた長年の その結果、
健常者からも、同じ障碍を持つ人々からも、孤立を余儀なくされたままで生きていた私自身の障碍ゆえに、容易に予測された職業上かつ生活上の困難が、

もう一つは、

父を、人として信用でき難かった私にとって、どんなに疎ましい親でも、母だけは、たった一人の「同志」という感覚に近かったというか、

ここでは、まさに「子の心、親知らず」という逆転が起きていて、

生まれながらの宿命のように罪悪感を背負わされた私にとり、母の存在は、この世で一番の心配の対象だったから、しょっちゅう凶暴になる酒乱の父のもとに残したまま、盾になってきた私が、ついに、母を捨てて出ていくことも含めて、怖かったのだ。

 

私自身は、幼い頃から、「おまえなんか捨てて出ていく」と、いつも脅されていたにも かかわらず。

 

そうして、それでも、やがて来た日に、(ある程度の親からの資金援助も含め)そうとうの無理を押して、意を決して、私は、実家を出たけれど、
そのことを、母の本音で、「おまえは、家を捨てて出ていった」という言い方をして寄こされたこともある。

なおかつ、反面では、
障碍にも かかわらず、健常者のなかに立ち混じって働きつつ、いつしか病気が重くなってしまっていても、やっとの思いで出た親の家に、以後、決して決して、戻ろうとはしなかった私の本音を、ごく少しだけでも理解したようだった。

 

 

そう。私は本当に、本心から厭だった。

己惚れやさんたちよ。少しは分かったかなw

 

 

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