2014.09.11 (Thu)
自宅の玄関がある階からは、東方向が特に見渡しやすく、先日八日の夕暮れ時、玄関先で見た月は確かに大きかったのだが、
私は、てっきり、あすが「スーパームーン」とやらの前夜だからなのかなと思っていたら、陰暦で言う「仲秋の名月」にあたっていたそうで。
『夜空に輝くスーパームーン。長居公園でウォーキングがてら眺める人も/大阪』
THE PAGE 9月9日(火)23時11分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140909-00000023-wordleaf-l27
紺碧のビロードの上に大粒の真珠を一つだけ転がしたような月
以前のブログでも書いた話だけど、
むかし、まだ実家にいた頃、やはり満月の夜、私の大型双眼鏡を使い、うちの親や、お隣のおじさんたちと代わる代わる月を眺めていたら、隣家で飼ってた黒猫がハシャイで、くるくる走りまくってたことを思い出した(笑)
萩原朔太郎の詩のなかに住む猫も「まつくろけ」だけど、月は三日月だったか。
...
「おわあ、こんばんは」
「おわあ、こんばんは」
「おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ」
「おわああ、ここの家の主人は病気です」
黒猫と月。絵になる取り合わせだよなあ。
近頃、仲良くなった黒猫ちゃん(犬も猫も、私は白い子に縁が多かったし、また好みなので、わりと珍しいこと)、自転車を片づけるあいだもベタベタまとわりついてくるので、うっかり、小さな足先を少し踏んでしまったらしいのだが、一声も鳴かずに、ちょっとだけ離れた所に行って、ちんと座って待っていた、お利口な猫ちゃん。
この子は最初に出会ったとき、壁の向こうの端から顔半分、
本当に、半分だけを出し、宝石みたいにピカピカした緑色の眼をパチクリさせて、こちらを見つめているのが可笑しくって。
出遭うたびに、それを繰り返しているうち、挨拶してくれるようになった。
仲間の猫たちと共に、ご近所で可愛がられているようで、とっても人懐こい。
最近は、ずっと私に ついてきて、玄関先までも上がってくることは控え、階段の上がり口に前足を のせたまま、名残惜しそうにバイバイするようになってくれた。
この日も、ひとしきり戯れたあと、玄関前に戻って再び見上げた月は、夜も更け始めたせいか、わりと普通の大きさになっていた。
翌九日の月は、もう見ないまま過ぎたけれど。
しかし、けっこう暑い。。。
Hassam(1859-1935)On the Balcony(1888)
ペイパームーン“It's Only A Paper Moon”
あなたから離れていると
ものごとがリアルに感じられない
あなたに抱きとめられていないと
世界は臨時の駐車場
つかの間のシャボン玉
あなたが微笑むと
虹が浮かぶ
ボール紙の海の上に ぶら下がってるのは紙の お月さま
でも私を信じれば、ニセモノで なくなる
モスリンの木の上にはキャンバスに描いた空
でも私を信じるなら、ニセモノで なくなる
あなたの愛がなければ、ただの騒がしいパレード
あなたの愛がなければ、ゲーム・センターで鳴ってる音楽
まがいものだらけのサーカスみたいな世界
でも私を信じるなら、すべては ほんものになる