2014.09.12 (Fri)
はてしなき水かけ論の川向かひ
渡りも つかで
腹を立つ波
とかいう古い川柳があったような。。。
ところで、毎日新聞は、こないだから、なんか面妖なこと書いてるなw
『<吉田調書公開>「原発撤退」報道否定狙う…政府』
毎日新聞 9月11日(木)21時53分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140911-00000111-mai-pol
私は、こういうエントリーで、疑問を述べていたのだけども。
『菅氏に「バカ野郎と言いたい」…主張に食い違い』
読売新聞 9月12日(金)8時41分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140912-00050008-yom-pol
◆「全面撤退」
東電が福島第一原発からの全面撤退を検討したかどうかに関し、菅政権幹部の証言はほぼ一致している。
菅首相は聴取に対し、海江田経済産業相から11年3月15日未明、「東電が(電話で)撤退したいと言ってきている」と知らされたと明言。菅氏は東電の清水正孝社長を首相官邸に呼び、「撤退は認めない」と通告した。菅氏は「清水社長からは、そんなことは言っていませんという反論はなかった」とも述べ、東電側が「全面撤退」を検討したと主張した。
清水氏から電話を受けた枝野官房長官も、「間違いなく全面撤退の趣旨だった」と断言。ただ、やはり清水氏の電話を受けた海江田氏は「覚えているのは『撤退』ではない。『退避』という言葉」としており、ニュアンスは若干異なる。
吉田氏は「(東電本店から全員撤退との指示は)全くない」と証言。ただし、一部の第一原発所員は第二原発に避難しており、「伝言ゲーム」が混乱を招いた様子がうかがえる。
政府と東電側の言い分が異なるため、政府事故調は最終報告で、「撤退」の経緯に関し「十分解明するに至らなかった」とした。
(文字強調は、当ブログ主による)
ここまで、可能な範囲で、できるかぎり噛み分けて吟味してみよう。
つまり、こういうことか。
海江田(元)経済産業相は
「東電が(電話で)撤退したいと言ってきている」
と、菅(元)首相に知らせたと言う。
そこで、菅(元)首相が「撤退は認めない」と、清水(元)社長に向かって宣告した。
菅氏としては、
「清水社長からは、そんなことは言っていませんという反論はなかった」
からと言うのだが、
これは、そういう方向性は一切、認められないぞ、という、首相側の言わば「釘を刺す」と言うか「事前通告」として、清水(元)社長側は受け止めたに過ぎないので、とくには反論しなかった、ということかもしれない。
少なくとも、以後、
吉田氏は、
「(東電本店から全員撤退との指示は)全くない」
と証言したという、このことは、まだ、明確な指令の かたちで、本社上層から発されるには至らず終わったのが実際なのだから当然だろう。
だが、
この吉田(元)所長として、社員たちが、「第二原発」へ「退避」ということは、のちになって、それがベターな判断だったと所長自身が思い直したにせよ
(私個人は、「第二原発へ退避」する前に、とりあえず、吉田氏へ知らせておくということを、誰一人しないで、さっさと退避していたのか?という疑問もある。知らないが)、
当初の吉田氏の頭にはなかったことも、ご本人の証言によって明白であるのは、それは、朝日新聞がスクープした、問題の「吉田調書」のとおりなのだろうから、
やはり、ここで問われるべきは、
「命令に違反して、撤退」あるいは逃亡した、という解釈を付けたことだろう。
たしかに、虚偽を報道したと言うよりは、「悪意ある解釈」に過ぎたというほうが正確なのだろうと思われる。
では、そうだとしたら、何故なのか?ということは、ここでは置いておく。
さて、
だが、いまになって、海江田(元)経産相は
「覚えているのは『撤退』ではない。『退避』という言葉」
だったという。
ここもツッコミどころかもしれない。
ひとまず海江田氏の言うとおりだったとして、では、
「撤退」という単語は、当時の社長からの話のなかで、一度も出なかったのか?
あるいは、
「退避」という単語を使っているにも かかわらず、海江田氏には、「撤退」のことだと解釈せざるを得なかったのか?
「退避」という単語の解釈を、海江田(元)経産相自身が、「撤退」と同じことだと理解し、そのように、菅(元)首相に説明したのか?
当時の海江田(元)経産相から首相への説明の持って行き方というものに問題があったのだろうか?
それとも、
菅氏が、自分で、「退避」は「撤退」のことだと置き換えたのか。
だが しかし、
枝野(元)官房長官も、
『間違いなく全面撤退」の趣旨』
だと受け止めた、という。
しかも、枝野氏も、自身で、清水(元)社長から電話を受けたうえで、そういうことだと受け止めた。
ところで、
日本の政治家に、意外と、ことばの問題に鈍感というのか、わが国語についての基礎的教養が欠けているらしいと思わされる事例に事欠かないのには驚かされる。
諸外国では どうなのか、特に、英語の伝達力というものが、日本語と比して どうであるのか、私には分からないけれど、
日本語が、とても曖昧になり易い言語だということは昔から言われてきたと言うし、実感もあるし、だからこそ、そこを利用する向きも存在することは承知している。
しかし、こういうことで、未曾有の混乱が弥増しになるのは大変困る。
今回の騒ぎについて、読売新聞の記事は、この部分が、特に重要なことを示唆していると思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140912-00050008-yom-pol
過熱して圧力の高まった原子炉からの「ベント(排気)」をめぐっては、急速に事態が悪化する中で対策に時間がかかり、いらだつ官邸側と東電が互いに不信感を募らせていたことが、当時の政権幹部の調書からうかがえる。
東電は、11年3月12日午前3時にベントの計画を発表したが、成功したのは午後2時半。海江田氏は「大変な事故ということが知れ渡ることに対する懸念があるのではないか」と疑った。吉田氏に、「とにかくベントをやってくれ」と迫った。
しかし、ベントの遅れは、弁を開閉するための電力を失っていたうえ、余震や放射線量の上昇で手動操作も困難を極めたことなどが原因だった。遅れを非難する声があったことに対し、吉田氏は調書で「現場が躊躇(ちゅうちょ)しているなどと言っているやつは、たたきのめしてやる」と憤りを示した。
(文字強調は、当ブログ主による)
「ベント」の遅れに遅れた原因・理由について、東電側の説明態度は、どうだったのか?
「産経」系サイトであることについても何を考えることなく、軽い気持ちでブログを再び始めた私だが、そこで、かれこれ3年ほどもやっていた旧のブログで、
あの大地震、続く原発大事故が起きた日から以後の様々な怒号と悲嘆と戸惑いの声々のなかで、私は、こう感じ、それを記した。
要するに、
「信なき時代」
なのであるかと。
そうだとしたら、なぜなのか。
それでも、日本の場合は、一般大衆が、指導層や権威筋に対して従順で、おとなしい傾向性を大きく持つと言われる。
(続く)