2014.09.19 (Fri)
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私、つい最近、第二次大戦時に暗躍したという、ある人物(日本の軍人)に関する話を読んでいて、
「絶対悪」なるコトバについて、首を捻りつつ思い巡らすうち、ハタと思い当たったのだけど。
「絶対悪」
とは、いかなる者、いかなる状態を指すのか、ということ。
案外と、前記のアラシごとき、こうした者は、自己の思考や思想に対するマトモな検証能力も乏しいままに、自分の考えと行動は「絶対正義」なのだと、むやみやたら思い込んでいるのかと。
ま、「ヒットラー」信奉者ゆえなのかもしらないがw
そういうことも、かつて、あの「カルト連」のtokiから仄めかされたことがあったものだ。
で、
旧のブログへ、くだんのアラシが 押し掛けてきたあのときも、先に、他の人からコメントを もらっていて、たまたま、「サイコパス」の話題になり、
「サイコパス」とは どういうものかということを、あまり よく理解できないでいる私に、その人がアドバイスしてくれてたんだけど、遣り取りのなかで、
「悪魔的」という喩えが出て、そこに噛み付いてきた、あのアラシ。
まさに、上記「ヤフコメ」と同じく、
「悪魔て。。。そういう安易なレッテル貼りで理解するのは愚かしい」
と同内容の主張を、罵詈雑言でもってギャイギャイ吠えたくったわけ。
ただし、あのとき私のほうで言ったのは、
「悪魔」ではなく、「悪魔的」という言い方だったんだけどもね。
そりゃそうでしょ。
「悪魔」というのは、人間の想像物であって、現実、どんなに凶悪な行ないを する者であろうと、それは、ヒトの一種がやったには違いないことだ。
だいたい、「カルト連」のなかでも「ボス」と呼ばれてたstomachmanが、まさに、こう言ってた。
「常識・良識くそ喰らえ」ってさw
当然、まともな感覚と思考を持ってる人には受容できかねるような、呆れ果てるような主張をトクトクと述べたてる癖がある連中なんだけども、
それだから、いくらハンドルや文体を目まぐるしく変えていても、あまりに奇矯な屁リクツだったり、ひとりよがりに過ぎる主張なので、すぐ目につくし、ハハンwここでも、また やってるのか、と察しが ついてしまうわけ。
いろんなとこで、いろんなハンドルに取っ替え引っ替え、
文体もチョコチョコと、あるいは「bragelonne」の言い方では、「思い切った」文体に変えてみても、
そうやって、つみ重なっていくうち、いよいよと輪郭は明瞭になっていき、その なかみの正体あらわに浮かびあがってくる。
『ほうっておくと積もってくる埃はらいを兼ね、たまに総ざらいw【続き】』
さて、いちばん言いたいこと。
第一には、脳生理学・脳医学の分野になるのだろうけれど、やはり研究・分析は必要です。
予防のためにも、諦めちゃいけない。
せんだっても言ったけれど、
こういう問題において、周囲の一般人にも できることとしては、まず、
「共有」すること
だと考える。
ということは、つまり、隠さない、ということだ。
このことは、決して、問題となる本人を、共同体から排除・排斥することが目的なのではない、それだと、肝心の分析もできなくなる、予防にならないから。
とにかく、犯罪行為を犯させない未然の対処が、本人にも周囲にも肝心かなめ。
したがって、
あと、なお残る恐れのある問題としては、
「共有」すなわち、事前に、懸念の点や事案を明るみに出しておくことによって、周囲の人々が警戒し、遠ざけたり、敵視するといった事態が生じ、
その結果、問題の当人を孤立させてしまうだけかもしれない、これを避けるための方策が最重要だということになる。
ここでは、全員の協力が欠かせないし、各自の安全のためにも無関心は許されず、必然として、意識変革も要請されることになるのではないだろうか。