2014.09.23 (Tue)
障碍者のなかでも話題が集中している視覚障碍者に関しては、こちらの、塩谷靖子さんと おっしゃるかたのコラムが参考になる。
以前のエントリーで、たしか、テレビ ドラマ『明日、ママがいない』とかいう題名の番組が問題として話題になったおりだったかにも紹介したことがあったと思う。なぜかと言うと、
一見、無関係な話題のようだけれど、そこで述べられている内容を読んでみれば分かることで、小説等の文学作品を、ここではテレビ ドラマ等に置き換えてみれば、隠れがちな問題の共通点が浮かびあがってくるからだ。
『ご存知ですか谷崎さん』
http://www.nobuko-soprano.jp/essay/tanisaki.htm
あと、こちらも。
『文学にみる障害者像』
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n176/n176_035.html
さてさて、
『外出で恐怖7割、性被害や暴力行為も 県視覚障害者協会アンケート』
埼玉新聞 9月21日(日)16時24分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140921-00010004-saitama-l11
私自身は、まだ20歳台の頃だったか、小田急線にて、同じ駅で降車した人のなかに、たまたま、白杖を携えていた視覚障害者を見かけたので、駅を出るところまで付き添ったことがあって以降は、地元に戻ってからも殆ど見かけたことがなく、ましてや、「白杖ブンブン振り回しながら、もの凄い勢いで歩く視覚障害者」というのには全く遭遇したことがないので、そんなことってあるんだろうか?と、訝しさが先に立ってしまうばかりだ。
さて置き、
この記事に付いた「ヤフコメ」への、またコメなんだけどさ
(↓クリックどうぞ)
まあ、「カルト連」のボスstomachmanあたりと、その仲間の臭いがプンプンなのよw特に、この「tantan」とかいうヒマ人ww
「自己責任」ってコトバを振りかざすのは、
「汚気愚」会員の一人で、始めの頃は、だいたい心理学カテ中心だったはずが、いつの間にやら、「ぶらゲロんぬ」爺さんのスレを中心に、テツ カテに「居着き」となった「ハコブル」つうひとも そうだったけどさ、
まあ、哲学的に考えたとき、「自己責任」というコトバほど、無根拠で薄っぺらいコトバもないもんだ(爆)
「満足に真っ直ぐ走る事すら出来んのに」と言うておられるのだよ?
なにズラしてんだw
「障害を優遇してれば、人口に占める障害者が増える。」
はあ?またデタラメで非科学的なことをwどっからツッコもうか迷うわww
「小さな政府派」
ははあ、「littlekiss(にゃんこ~!)」と同じ考えなのねwww
…あのカルト連との遣り取りで、何にウンザリさせられたかというと、何度か言ってきたことかと思うけど、
議論の出発点からして大きくズレてるもんだから、とにかく堪えて、そのまま相手になってやっていても、「ボタンの掛け違え」を正さないかぎり、あとはドンドンずれていくしかない、それと同じことで、
話の方向がズレにズレ、いつまで たっても、目的に着きはしない。
なにかと失礼な言動を寄こしては、私の反応を窺い、せせら笑ってる、他の古参メンバーたちは ともかくとして、
2度にわたり勧誘してきた「ボス」を信用して参加し始めたものの、これが全く頼りないだけでなく、じきに、挙動不審の様相さえ帯び始め、
最初に聞かされていたサイトの設立趣旨とは全然違うことやってばかりだから、次のステップに全く進んで行けない、
そのうち、古参の失礼さはエスカレートするわで、だんだんと、不審感が芽生え、
こちとら私もヒマ人ではないから、募る苛立ちと腹立たしさを堪えたところで、あとに残るのは、ただ不毛感と徒労感だけだった。
そういう連中の、しかも なお、
何が鼻について たまらなかったかと言うと、これも何度も言ったように、
あまりのやすっぽさよ(嗤)
なんと言うか、「田舎者臭い」と言っていいのか どうか、わかんないけども、
ある種独特な やすっぽさなんだが(苦笑)
要するに、洗練性とかセンスが ないのかねえ。
たぶん、何かしらを真似てるのだろうとは思うけど、
それは、他の誰かユーザーなり、古今の有名人なり、書物なり、ゲームなりを。
私は、そういったものごとには、どちらかと言えば、関心薄く、持てる知識も乏しいから、漠然とした印象だけどさ。
根本的な的はずしに加えて、こういう、どうしようもなく履き違え、センスに欠けたナルシシズムは、私には吐き気がして耐えられんw
まずね、
多くの人がカン違いしてるというか、見落としてるのは、
身体障碍者と言えど、その殆どは、何か一つ二つの機能問題を抱えているのみであって、その たった一つ二つの障碍から波及していく社会的な問題点は様々ではあるけれど、その障碍部分をカバーする、ほんの少しの手助けやアドバイスあるいは一時的なサポートさえあれば、あとは、障碍者本人が自分で判断して、周囲に大きくは迷惑かけないで済むよう、なんとか できる、ってこと。
これまでのエントリーでも、そこは言ってきた。
だから、たとえば、私みたいに、耳が不自由でも、仕事柄、目を酷使してきて痛めては いるけれど、視覚障害者の お手伝いは、私でも でき得るってこと。
逆に、
聴覚障碍と、それに伴う発話障碍がある人のサポートを、視覚障碍者が行なうこともできる。
したがって、なにも、ことは、「健常者」と障碍者との図式では ないよ。
助け合いは、障碍者どうしでも可能。
ただ、精神とか知能の問題や障碍を抱えている人の場合、一般的身体障碍のみの者と違って、ある特定部分に関してだけの手助けやサポートでは済まない、それこそ全人的に受け止めて、こちらが生活全体に及ぶほど振り回され続け、くたびれはてるリスクをも覚悟して、つきあわないとならない場合も、世に少なくは ないようだ。
からだや体格自体には特段の問題ない場合は、それだけに、周囲の人にとって、大なり小なり困惑する事態や始末の悪いことも多々あるかもしれないよね。