2016.06.06 (Mon)
先日、当ブログでも、この騒ぎの話題についてのエントリーをアップしておいたので、ここに、もう一度、追加しておく。
どうも、新聞各社の配信記事も、回を増やすにしたがって、内容が微妙に変化していくので、読む側としても困惑してしまうのだが、たとえば、
そもそも、当該の男児が、
「人や車に向かって、小石を投げていた」
という経緯の一端だったものが、
最近になって、
土手に向かって投げているのを、その向こうにいる人や車に当たっては いけない、
と、親御さんが見咎めて、といった理由に変化していたようだ。
これが真相についての詳細だとすれば、
当該男児にしてみれば、あくまでも「土手」に向かって小石を投げていただけ(おそらく、野球のピッチングみたいな気分で?)なのに、
「人や車に当たったら どうするのだ」という叱責が、男児にとっては甚だ心外だったのかもしれない。
心外であれば、なおのこと、素直に反省する気になりにくいかもしれない。
私が当初から少し気になっていたのは、
もしかして、「人や車に当てない」当たるはずがない、という、幼児的万能感のような絶対的自信が、この男児を支配していたのかな?ということ。
まあ、まだ幼いのだからということは加味しなければ ならないにしても。
加えて、
今回は、こういう行為が、すでに2度目だったということが知れた。
ということは、
前回、親御さんは、どのように、お子さんを注意したのか しなかったのか?ということになろう。
危惧すべき行為が繰り返されたということは、少なくとも、前回のときの注意なり叱責は、効いていなかったということになる。
したがって、叱責がエスカレートしてしまったか。
私個人的に、一番、聞いてみたかったのは、
遠ざかっていく家族の車と反対方向へと歩き出したときの、男児自身の気持ちのことである。
とうとう捨てられてしまった、と絶望的に思ったのか、
だったら、こっちだって、、、という猛反発なのか。
まあ、なにしろ、まだ小学2年生である。
私自身は、家庭環境の影響からか、妙に大人びたところが あったので、良し悪しは さて置き、この男児とは大幅に異なった反応を示しただろうと思うけれど、親のほうも また、この男児の親御さんとは異なる言動を とっただろうと思う。
「許す」というコトバについても、
この子の おとうさんが発したコトバを、オウム返しのごとく用いて(子どもは普通にボキャ貧だものw)、とりあえずの意思表現したまでかもしれないし、
「優しいから」という理由のコトバには、いつ いかなるときも、自分に優しくしてもらいたい、という要望が込められているとも とれる。
男児の父親が、「世間体を優先した」と解するなら、ここまで大がかりの捜索を願い出るはずもないのだから、そういう決めつけは、いささか酷だと、私は思う。
『大和君「許すよ。お父さん優しいから許す」 父親が語る』
朝日新聞デジタル 6月5日(日)19時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160605-00000029-asahi-soci
碓井先生の紹介されている「ヤフー」個人ニュース記事のほうも拝読させていただいたのだけれど、
おっしゃるところの
「別の方法を考えることも必要でしょう。北風と太陽の話のように」
ならば、専門家として、これの実際的例示の一つくらいは挙げていただきたかったと思う。
この先生には、こういう感想を抱くことが多い(苦笑)
お人柄は、とても良いかただと思っているのだけれど。
当該男児については不明だが、
私自身も、職場で、発達障碍の子たちに接した経験が あるということを、近頃のエントリーで触れたとおり、
かなりの重度になってくると、いくら注意しても、トンと聞き入れてくれないのは勿論のこと、
優しく諭していても、対象の子どもの耳に全く入っていないらしいことは、はっきりと窺えた。
むろん、私のような聴覚障碍ゆえではない。
私も、注意されているのに、気づかずにいて、全然聞いていないものと誤解され、そのことを学校から伝えられた親が、激しく叱責してくることも多かったが、
どうやら、あのときの障碍の子どもさんは、まさに「馬耳東風」のごとくで、こちらの姿も、言っていることなども、全く、目に入らない、聞こえない、それは、無関心ゆえらしかった。
ただただ、偶然、自分が関心を持った目の前の事物に、ひたすら心奪われているようだった。
かと言って、
「優しく」と言っても、
もともと、せいいっぱい優しく注意しているのだから、それ以上、どう優しくしようが あるのだか、専門的知識もない私には分からなかった。
いまでも分からない。
ただ、このような、発達障碍系で重度、と言っても、
同じような立場の子どもどうしにおいても、やはり、その子によって、障碍的特徴の現れかた、態度や感性にも個々の違いが あることは見受けられた。
【続く】
2016.06.04 (Sat)
『「意志強そうな子」=男児発見の自衛官―北海道』時事通信
『「寒い」「おなかすいた」=名前呼び掛けに「そうです」―不明男児保護・北海道』時事通信
『水だけで1週間、専門家「ぎりぎり」 珍しい子どもの例』朝日新聞デジタル
まさに「灯台下暗し」と言うか、
幼いうちは、大概の男の子は、女の子よりも怖がりなのに、夜は真っ暗になる所で籠城、立てこもりか(苦笑)いやはや、聞かん気な お子さんだ(笑)
スポーツを しているそうなので、並み以上の体力も あったんだろうね。
私なんか、若い頃に、ほんの3、4日ほど、多少キツめのダイエットを やった最中、このままでは死ぬかも、、、
と思ったほど、めっちゃくちゃ しんどくなったもん。もともとが虚弱だし。
あれは異様だった。餓死する人の状態が少しだけ分かった気が した。
寝ていても、心臓が おかしい感じになって、まじ、腕一本も動かせなくなってくるから。
それにしても、危ないところだった
水分だけで、1週間程度は維持できると聞くけれど、
消耗は極力、避けるべきである以上に、やはり、日に日に、自力で動けなくなっていく恐れは高いはずなのだから。
私も初めて見た自衛隊宿泊施設の「扉を開けたところ、1ヵ月前に、付近を捜索の かいなく、行方不明のままだった小学2年生の男の子と思われる」云々、、、となっていてもフシギは なかった。
親御さんを責めたてるネット民を多数見かけたけれど、
あの「パソコン遠隔操作事件」のときなんかは、のちに犯人と判明した者を庇っていたネット民も多かったようだが、
間違いなく、こやつが犯人だし、おそらくは発達系障碍の傾向ありと睨んでいた私も、今回の騒ぎの最中に、テレビのインタビューに答えている お父さんを見ていて、この親アヤシイとかいう感じは全く しなかったし、むしろ、一般家庭において往々ありがちなことだという意見のほうに共感していた。
子どもが、他人に申し訳ないことを した、
このままではマズイと思えばこそ、いまのうちに躾を厳しくして、罰を与えようと思うわけで。
ただ、いったん置いて去った場所が、あまりに悪かった(苦笑)
世のなか、人間が最も恐ろしいことを するとは言え、ヒグマが出るような場所はねえ。。。
くだんの親御さんとは、タイプが異なるけど、
うちの親父なんかも、傍迷惑な自分の みっともない所業の かずかずは棚上げして、人並み以上に、世間体を気にするところが あった。
なにしろ、私ら他の家族が出はらってて、一人で居たときに、
タバコの不始末でボヤを出しかけ、
それで、最初に やったことが、
雨戸を立てまわす
という行動。。。
べつに、パニック障害とかでは ないよ。
おやじ必死で雨戸立てまわしの最中に、
たまたま、母親が帰宅してきて、
玄関のドアを開けると漂ってきたキナくさい臭いと煙に仰天し、
「何やってんのよ?!」
と詰問すると、
「隣り近所に見られたらカッコ悪いから~」
というのが、
消火するより先に、まずは雨戸を立てまわし始めた本人の述べた理由だったという。
この話、旧ブログのサイトで、他のブロガーさんに大笑いされちゃったんだけども。
母が、最初の脳梗塞で倒れたときも、似たようなことだった。
倒れたひょうしに粗相して、廊下などを汚したそうなんだけど、
「おいっ!!おかあさんが倒れた!!すぐ来い!!」
大慌てで、私のところに連絡してきたので、
すぐ行くけど、救急車は、もう手配したよね?と念のため問いただすと、
まだだ、と言う。
とにかく、今すぐ、救急に連絡しておいて、と言い置いて、電話を切り、
実家へ駆けつけると、
まだ、救急を頼んでいないという。
一刻を争う事態なのに、何やってたの?!と詰問すると、
母が粗相した後始末を優先していたのだと言う。
救急隊員の人に見られたら、かっこわるいから、と。
こちとら、大急ぎで駆けつけて来て、
息が あがってるまま、脳天ブチ切れそうになりながら、親父を怒鳴りつけましたよ。
「電話で慣れない相手と話すのは、ほとんど聞き取れないのだから、私が ここへ来るまでに、とりあえず、おとうさんのほうから、救急連絡しておいてと頼んだやろ? 1分1秒を争うんやから、私が到着するまでに、なんで救急を呼ばへんのよ?!」
と、金切り声になりましたわ。。。声を嗄らして怒鳴りたおしても、まーだグズグズしていた、じつに不可解な親父。
やれやれ。
自分の親でもワカラン、つくづくと思う。
これでも、世間や他人さんには、そこそこ立派な人で通ってたんだよ?
隠れアル中で、自分の女房は勿論のこと、障碍のある娘の私にも激しい暴力ふるってたのを知ってる他人さんでもね、こう言うのよ。
「あんたが、仕事なんか辞めて、お父さんと同居して、身のまわりの世話を してあげるべき!おとうさんを大事に」
とね。
理由は分かってる。
そういうふうに説教する近所のオバはんや、腹違いの連中らは、
どこまで行っても、私に対するネタミとイヤミが本心。
というわけで、
うちの親父の判断力ってのも、自己保身第一で要領良く立ち回る、そのためには嘘を ついて、誰か(娘の私とかw)を悪者にすることも辞さない、という極端なところが あった。
こうした点は、しょせん夫婦というわけか、
母のほうも同様の性分で、特に私に対して酷かった。
母は、最初に倒れてからというもの、あのときの救急の遅れが災いしたのか、それから後も何度か繰り返し緊急事態になったのだが、
その頃から、私に対する依存の本音が剥き出しになってきて、
あるときなんかは、
たまたま、近所のスーパーマーケットへ普段の買い物に出ていた30分ほどのあいだに、じゃんじゃん電話を かけてきていたらしく、
帰宅してきて、けたたましく鳴り続けている電話に急いで出たとたん、
「どこに行ってたんや!!!」
という大音声。
ちょっと そこのスーパー、、、と言いかけても、
聞く耳持たぬ性分に拍車が かかっていて、
いつでも すぐに、電話に出ろー!!!
という要求と言うか、
命令。
とりたてて、重要な件が発生したわけでも ない。
わたしゃ、よっぽど、自分のほうが早く死にたくなりました。。。
ま、世間や他人の目を真っ先に気にするからこそ、社会的体面を必死に取り繕いもするわけで。
昨今、自衛隊など、国家的組織を動員しての救援に対して、非難轟々の世相だもんね。。。税金ガーと。
お子さんが見つかるまで、親御さんは、生きた心地しなかっただろう。
まあ、だいぶ おさまったみたいだけど、
ネット民たちも、この子の親御さんを責めるのもホドホドに。
もし、この坊やが投げた物で、誰かがケガでもしたら、
躾が なっとらーん!!こんなガキには、とことん厳しくせよー!!
と、激しく主張するんでしょ。
今回の騒ぎの主人公となった坊やは、野球か何か やっているらしいけど、
練習や試合でボールを投げるのとは違うのだから、
これからは、人や車に向けて、石を投げたりしては いけないよ。
2016.05.06 (Fri)
最近では、熊本方面の大地震。
人間が、必死こいて祭り上げ、拝んで拝んで拝み倒しても、
地震一発、がらがらドン。
あな哀れの御姿。
神よ仏よと伽藍うち建て、金銀・玉にて荘厳しようと、
一巻の終わり、
元のモクアミ、
一から出なおし、やり直し。
いっしょうけんめいに張った巣を何度やぶられようと、また同じ所へ同じように張ろうとする、
ただ諦めないのか、律儀と言うのか、単に忘れっぽいだけか、学習能力ゼロと言うのか、
そんなクモなみの人間どもw
『御柱てっぺんから転落、男性が死亡 長野・御柱祭』
朝日新聞デジタル 5月5日(木)19時8分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160505-00000045-asahi-soci
なるほど、
私も、
ひょっとして、ていのイイ見せかけによって、その実は「人柱」を補充しとるんか?
という、勘繰りめいた印象を抱きかけたが、
たしかに、洋の東西を問わず、古来、祭祀の根底にあったのは、
ひとえに、自然の脅威に対する恐れと慰撫(ショック療法的なものも含む)が出発点だったのだろう。
「依り代」なのかな、モミの木を用いるんだね、それも興味深いなと思ったが、
大なり小なり長細い形状には、古代から特別な意味を持たせているようで、
これについても、何年か前の過去に、あの、時間のムダと不快を買いにいくようなものでしかない「汚気・愚」の科学系カテゴリーにて、光の動的性質あるいは雷・電気の性質についての話題に関連させてだったか、私なりの見解を披露した記憶が ある。
ほとんど誰も、関心を持ってくれなかったがw
長い形状のもの、というと、男性器も、祀られる対象なんですなあ(笑)
西欧圏でも、ポール建てて、その周囲で踊ったりする祭りが あるし。
振動とか波長とかね。
「祟り神」云々という共通点では、
「みだりに、その名を唱えるべからず」
と警告されるほど恐れられてきたという、ユダヤの神の伝説も伝わっている。
まあ、わざわざ「祟り神」などと殊更おどろおどろしく名付ける必要もないだろうに、
この地表に へばり付いて息している生物たちのうちに含まれる人間どもにとって、自然界の荒々しい側面は、ただ艱難、ひたすら猛威、でしか ないのが実感だもの。だから、祀り、祭る。
日本では、古来の「言霊」というものにも込められているという、言わば「先取り」の心、
これは、和服を着る時の心得ごととしても、いまどきの時代においてすら教わるようだが、
いわゆる「人柱」だの「人身御供」だの「生贄」といったものも、つまりは、災厄の先取りかつ逃れるということを期しているのだろうと思われる。
単に恐れ おののき、かりに「神」と名付け呼ぶところの対象へ捧げ奉るという以上に。
なまじに知恵が発達しただけに。
上手く やり過ごす、コントロールするためのシミュレーションとして。
たとえばスペインの闘牛とかでも、ああいう種類の祭りや行事には、その根本に、「災厄の先取り、逃れ」といった見立てが込められていたのでは ないのかな。
だから、われわれ現代人から見ると、もはや無意味に残酷だったり、
やたら危険度が高かったりを、敢えて設定してきたのかな。
国内でも田舎と言うと、祭りと夜這いの伝統やら風習やら連想してしまうのも たしかなのだが、
どちらにも、乏しいレクリエーションとしての側面を持つと同時に、
地域的教育の場(なので往々にして、現代では悪いことになっていても大っぴらに教えたり教えられたりする、未成年の飲酒とかね)、
命や共同体の存続という切実さも孕んでいたであろうこと、
そこに、古人の思考や喜怒哀楽の生々しさを、いまに感じ取り、
彼らの生きた時代や地域性から来る艱難、苦労を偲ぶこと、
そこにこそ、伝統を重く見ることの意義が あるのだと思う。
ただし、
そこにおいては、現代人である われらの生活が、古人たちの生活、その試行錯誤と艱難辛苦の積み重なった歴史のうえに あって、
いまは もう、恐れなくとも よくなったことや、安全のための方策や技術の進歩を得るに至ったことへの思い起こしと感謝が あってこその、「伝える意義」で あると、私は思う。
それを忘れて、ただの時代錯誤に終始していては、かえって、苦労した先人たちに申し訳ないことだ。
現実的な話としては、
お祭り最中ということではなく、何やら後始末中の事故だったということだそうなので、事故なら事故としての調査・検討・改善が必要だよ。
むざむざと人死にを出し続けていいはずは ない。
こう何度も繰り返すようだと、地元の見識を疑うし、全国から顰蹙を買うことにもなりかねない。
2016.04.29 (Fri)
『新潟・乳児殺害、逮捕の母親「出産直後に殺害」』
TBS系(JNN) 4月27日(水)13時8分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160427-00000025-jnn-soci
『「中絶相談も応じてもらえず」赤ちゃんを山中に…』
テレビ朝日系(ANN) 4月27日(水)17時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160427-00000042-ann-soci
「取り合ってもらえなかった」という、くだんの女性の供述は、じゅうぶん あり得ることだと思う。
エゴの強い者は、立場の弱い者の訴えに、耳を貸すことは ない。
私の親も、私が、学校時分は もとより、就職の時期にあたって、いよいよ せっぱ詰まったあたりから、障碍の問題について、この先の危惧を訴えても、一切、取り合わなかった。
自分一人だけで なんとかせよ、親に持ってくるな、こっちは関係ない、
というメッセージだったと解している。
日本でも、昔は、「間引き」ということが多々横行してた時代が あったことは伝わっている。
出産直後の疲労した母親に、到底そんなことは できないはず云々という意見を投稿している者たちも いるけれど、まあ、出産経験だけは ない私個人として言えることもないのだが、
昔の、いわゆる「間引き」は、出産直後の母親自身で、赤子の鼻と口を塞ぎ、、、という話も読んだ記憶が ある。
昔の、それも、子ども時分から身を粉に重労働してきた厳しい気候の地の人は、女性と言えど、いまどきのヤワな日本人とは断然、くらべものにならないのではとも思うし、
たいがいは、鼻と口もとに、濡れた布を被せ、、、という簡単な やりかたで、
産婆を頼めた場合なら、障碍を持って生まれた場合、気づいた産婆が、真相は親にも知らせず、「死産」というタテマエにて、上記の方法で すみやかに そっと始末、、、
という話も、知ってる人は少なくないだろう。
特に、この事件の舞台となった新潟を東北に含めていいのやら微妙だということらしいが、まあ、あのあたり一帯では、日本列島のなかでも、ことに気候風土の厳しさから、飢饉等に伴って、「間引き」も多かったのでは なかろうかということは、私のような疎い者でも容易に察せられるだけに、因果な印象も いや増しだ。
生まれたばかりの あかんぼうなんて、小柄な場合は、ほとんど、おとなの片手のひらに乗ってしまうほどの大きさだし、大の男が手を下さなくても、女の手でも、片手で強く押さえつけただけで絶命するだろうし、敢えて、裸のまま放置しておいただけでも死ぬだろう。
しかも、
これはカン違いしてる者も見かけるが、切断ではない、にせよ、たかだか生まれて間もない赤子の首をば、わざわざ刃物を用いて切ったというのだから、やはり、なみなみならぬ心理の表出を感じてしまうところだ。
まったく、望まれてもいないし、愛されてもいない。
この私も、多少は似たか寄ったかの出生で あったのだろうが(もちろん、うちの親でさえ、さすがに そこまでアカラサマに言ってのけるほどの勇気は なかったようだがw似たようなことは口走ったことが ある。
もっとも、自分ではなく、飽くまで相手のせいにして、だったがww)、
それでも、
かろうじて曲がりなりにも育てているうちには、多少は親らしい情みたいなものは発生してくるのが自然の成り行きでは あろう。
が、しょせん、親らにとって、つごうの悪い存在の子でしかない。
なんぼかは育てられたところで、おさだまりの虐待、こうした親なら、どのみち、殺してしまうかもしれないし、
なんとか生育したところで、
今度は子どもが年頃になってから、親を恨んで殺害に及ぶ恐れも あるし、親に似てか似ずか、おとなしい従順な性格の子なら、身勝手な親に、最後の最後までトコトン振り回されることも大いに あり得る。
いずれにせよ、結局は不幸な人生に終始してしまう恐れが高い。
そこを考えると、私個人は、この不憫な赤子が、まだ無我のうちに、この世を去ったことが、せめてものだった、という思いを禁じえないのだ。
日本の世間も、けっして、温かいとばかり言える所では ない。
さて、
だいぶ以前にも、たぶん旧ブログで述べたのだろうと思うが、
一般家庭内で、しかも実の父親が娘を、、、といった事例が、はたして「稀なこと」であるのかどうか、
あいにく、私の生育家庭は、けっして「一般的」「普通」とは言えない内情だったのが本当のところなので、うちの事例を挙げてみても しょうがないのかもしれないけれど、
ただ、世界的女優とか、有名人の場合は、半生記や自伝のようなものを発表することが多いので、それらを鑑みると、やはり、けっこう多いようだと言っていい事態であることは察せられる。
近年では、ナスターシャ・キンスキーの告白も驚きを誘ったし、
私の若い頃に、ちらっと読んだ記憶のある、フランスか あのあたりの国の女性作家が、子ども時分のことで、実父との、微妙ながらも性的出来事を記していた。この程度のことなら、
と言っても、当事者にとっては、「この程度」とは言い難い気分もあろうが、私自身にも、思い当たることは ある。
うちは、両親とも、いわゆるダブル不倫によって一緒になる前、母のほうは、最初の結婚相手とのあいだに もうけていた娘を手離しているのだが、
こんにちの私が考えるに、
実の父親のもとで育ったにも かかわらず、苦労を重ねた姉の身の上を考慮しても、母の言い分とは逆に、私の父親のもとに来なかったことのほうが、さいわいだったかもしれないと思うのである。
その、異父姉の場合、17歳の身で、時代錯誤にも、姉の父親らに一方的に決められていた「婚約者」を嫌って、他の男との男児を産んだのだが、後日、結局、相手側へ手離した その子と共に、出産して間もない一時期、うちの親の家に逗留し、子育てを していた。
母も、へんに教育的なところを、ここぞとばかり発揮して、幼い頃に離した長姉に対し、私に対するとき以上に、親の権威的態度を ふりかざし、タバコを絶てと厳命したり、子どものためには、それが一番と、母乳での育児を勧めて、そのように させていたのだが、
17歳の姉が、静かに授乳中の部屋に入り込んで行ったり、入浴中に、浴室の戸を、そらぞらしくも間違ったフリして親父が覗こうとしたこと、
この事件の報道を読んで、私は たちまち思い出した。
以前、どこかのエントリーにて思い起こして述べたことが あったと思うが、
私は、体格がズバ抜けてと言うよりも、出生時の異常のせいではと思うのだが、体格の成長が、一般レベルより早かったにも かかわらず、小学高学年に さしかかる頃まで、父親とも平気で入浴していた。
その頃は、内風呂のない住まいだったので、近所の銭湯通いだったのだが、
たまたま、クラスメートの男子と、男湯内で遭遇したことがキッカケにならなかったら、ヘタすると、小学校を卒業するまで、父と、男湯での入浴を続けていたかもしれない。
そんな私自身にも、家に風呂場が出来、十代の終わり頃だったか、そのあたりから20歳代にかけて、親父に、入浴中の戸を開けて覗かれる、ということが、たびたび起きた。
立腹して、母に、それを訴えたこともあるのだが、
うちの母親は、日ごろ、かなり、正義感が強いほうの性格で、気性も激しく、プライドも高く、それに見合う口調もハッキリとしていて、ひとたび怒ると容赦のないモノ言いを するのが常であったにも かかわらず、
そのときは、どういうわけか、父親を責めるでもなく、私の苦情にも、どこか苦い表情で、何やら口ごもっていただけだった。
ちなみに、
母も、先述の姉も、腹違い長姉も、私以外の女は皆、ファザコンであるw
父親の違う姉は、実父を嫌って、むしろ、うちの親父のほうを、おとうさん おとうさんと好いていたので、複雑さが増すのだがww
うちの母親に関しては、毎度の父親との どハデな夫婦ゲンカのたびに、なぜか、押し入れから、特に上段に積み上げてあった重い荷の入った段ボール箱を次から次へと下ろし始める癖が あったので、
私は幼い頃、見ていて泣きながらも怪訝に思っていた。
おとなになってから、その理由に気づいた。
当時、母は、妊娠中だったのだ。
そのせいなのだろうか、
後日、生まれたら私の、唯一、「義理」と付かない きょうだいにあたる子を流産した。
生まれて来なくて よかったね、(たぶん)おとうと。。。(涙)
その後、たまりかねて、自分で、簡単な錠を買ってきて、浴室の戸に取り付けたことが あったのを、きょうまで長らく忘れていたのだった。
実を言えば、実態は、もっと いろいろドロドロ あった。
でも、いちいち思い出すのも疲れるし不愉快だ。
2016.04.27 (Wed)
『男は女が大好きw』の続き。
もう一度はっきり言いますよー。
3歳前後の幼い子どもにさえも、ヘンなひとだなあと思われるよ、つうの。
ね?恥ずかしくないか??(嗤)
そんなわけだから、
私自身、いまに始まったことじゃなく、世の男に昔から「ロリコン」が多いというのには実感が ある。
ただ、レイプにまで及ばれたら、そりゃあ悲惨なことになってしまったはずだろうけど、
あのオニイチャンらは、おのが同年配の女性を相手にしているかのようにロマンチックかつエロチックな言動をヒソヒソと、
よりによって小児の私に向かって大マジメに?垂れ流してたくらいなので(その異様な雰囲気は、幼い子どもでも、なんとなく察することは できる。逐一の意味内容は よく分かっておらなくても。私は、おとなに囲まれて育ったような環境だから、一般的な家庭の子どもよりはマセていたことも あるかもしれない。おまけに、こちとら聴障なのだから、そもそも何を頻りにゴニョゴニョ囁かれてるのやら、殆ど聞き取れなかったというマヌケな場面w)、
いまでこそ、そういうのも、リッパな?性犯罪の範疇に相当するのかどうか分からないけれど、ある意味では、それ以上に剥きつけられた深刻な事態に陥ることだけは辛うじて免れたのが、振り返ればフシギなほどの幸いだったと思う。
ただ、さっきもチラッと述べたように、幼い私に対して、性的行為に及んだ者のなかには、人格障害の女も含まれていたという事実。
だから、必ずしも、性別だけで括っていいことでは ないのだろう。
しかし、圧倒的割合で、男性が不利なことは明白な事実だと認めざるを得ない。痴漢から強姦まで、およそ性犯罪者の殆どは男性である。このことについては、誰であろうと、反論の余地も ないはずだ。
なので、男性がたは、
特に、ネットのなかでしか、女性に呪詛を吐けないらしいナサケナイ男性は、文句を言う相手を間違ってるということに、いいかげん、気づきなさい。
私が、もし、男性ならば、自分の持って生まれた性を恥じたであろうほどに、男性の肩身を狭くしているとしたら、
それは、あなたがたの同性である男性たち自身なのです。そうでしょうが?
女にヤツアタリするな、みっともねえぞ
女が好きで好きで、どうしようもないくせに(嗤)
私の推察では、女が好き過ぎて、女性に性転換した者さえも、いくらかは混じってるんじゃないか?って くらいだ。
むかし、あるオッサンなどは、実の娘を犯してみたいと告白してきよったが、どうやら、自分自身が女だったらという、まぎれもなく、その自分の血や遺伝子を受け継いだ、しかも異性でもある娘に対する投影からの興味が、幾分かは心理的に混じり込んでいるように思えた。
ところで、
『熊本地震 女性が安心できる避難所を!』
木村正人2016年4月22日 17時36分配
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20160422-00056920/
男はねえ、女の排泄の姿や臭いにすらも欲情するらしいからね(爆)
一般的な女性には到底、理解できかねる感覚のはずだろうけど、
ほんと、男性という性は、元来は女性性の変形されて思いっきし偏った性であるらしいだけに、ときとして、哀れだなあ、、、と思えるほどだ。
これも、私個人の経験から。
むかし勤務していた公的施設の職場では、スタッフが少人数だったせいもあり、同僚のなかの一人の男性と、二人だけになる時間帯も多かったんだけど、
各自の職務分担区分は、かなりハッキリしていて、その男性は、力仕事から軽作業までを含む雑務全般を担当、トイレ掃除も、彼の仕事のうちに入ってた。
これは、私側にも用心が足りなかったとするべきなのか、
あとから振り返ると、まあ、ウッカリしてたなあとは思うんだけど、
トイレを使ったあと、時おり処分したナプキンの類なんかも、その同僚が仕事として始末する。
時間帯等によっては、トイレを使用する者の出入りが、ほんの数人程度に限られている場合、今さっき、誰が使ったあとか、容易に分かるわけだ。
この、栃木だか茨城だか、あのあたりの田舎出身の男が、
あるとき、ニヤニヤしながら言って寄こしたことが ある。
遠まわしを要するに、
私が使用して処分したナプキン等を、汚物入れにセットしたポリ袋のなかからワザワザ取り出して、その臭いを嗅ぎ、とっくりと観察していたらしい。
一言で言うと、ヘンタイとしか言いようが ないわな。
いまどきなら、まさにセクハラと糾弾していい対象だ。
だけど、男性たちにとっては、それほど奇異なシュミというほどでもないのかもしれない。
女子高生を中心に、若い女性の下着、それも、「ナマ下着」とか言うのだろうか、できるだけ、経血等の汚れが付着したものをと所望する向きも あるとか。
こういうのって、チャンスさえあれば、自分自身に対しても否定しきれない男性は、女性には考えられないほど意外に多いんじゃない?(嗤)
ま、若い頃なら、さすがの私も、かなりのショックを受けただろうけど、
「ふーん、そんなに嗅ぎたかったかぃ。せいぜい、気の済むまで嗅いどけや(嘲)」
と、侮蔑しか感じなくなった私、こういうのは、トシの功と言っていいのかどうなのか、われながら、根性すわったなーと、自分自身に感慨深くも あるwww