2016.04.29 (Fri)
『新潟・乳児殺害、逮捕の母親「出産直後に殺害」』
TBS系(JNN) 4月27日(水)13時8分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160427-00000025-jnn-soci
『「中絶相談も応じてもらえず」赤ちゃんを山中に…』
テレビ朝日系(ANN) 4月27日(水)17時16分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160427-00000042-ann-soci
「取り合ってもらえなかった」という、くだんの女性の供述は、じゅうぶん あり得ることだと思う。
エゴの強い者は、立場の弱い者の訴えに、耳を貸すことは ない。
私の親も、私が、学校時分は もとより、就職の時期にあたって、いよいよ せっぱ詰まったあたりから、障碍の問題について、この先の危惧を訴えても、一切、取り合わなかった。
自分一人だけで なんとかせよ、親に持ってくるな、こっちは関係ない、
というメッセージだったと解している。
日本でも、昔は、「間引き」ということが多々横行してた時代が あったことは伝わっている。
出産直後の疲労した母親に、到底そんなことは できないはず云々という意見を投稿している者たちも いるけれど、まあ、出産経験だけは ない私個人として言えることもないのだが、
昔の、いわゆる「間引き」は、出産直後の母親自身で、赤子の鼻と口を塞ぎ、、、という話も読んだ記憶が ある。
昔の、それも、子ども時分から身を粉に重労働してきた厳しい気候の地の人は、女性と言えど、いまどきのヤワな日本人とは断然、くらべものにならないのではとも思うし、
たいがいは、鼻と口もとに、濡れた布を被せ、、、という簡単な やりかたで、
産婆を頼めた場合なら、障碍を持って生まれた場合、気づいた産婆が、真相は親にも知らせず、「死産」というタテマエにて、上記の方法で すみやかに そっと始末、、、
という話も、知ってる人は少なくないだろう。
特に、この事件の舞台となった新潟を東北に含めていいのやら微妙だということらしいが、まあ、あのあたり一帯では、日本列島のなかでも、ことに気候風土の厳しさから、飢饉等に伴って、「間引き」も多かったのでは なかろうかということは、私のような疎い者でも容易に察せられるだけに、因果な印象も いや増しだ。
生まれたばかりの あかんぼうなんて、小柄な場合は、ほとんど、おとなの片手のひらに乗ってしまうほどの大きさだし、大の男が手を下さなくても、女の手でも、片手で強く押さえつけただけで絶命するだろうし、敢えて、裸のまま放置しておいただけでも死ぬだろう。
しかも、
これはカン違いしてる者も見かけるが、切断ではない、にせよ、たかだか生まれて間もない赤子の首をば、わざわざ刃物を用いて切ったというのだから、やはり、なみなみならぬ心理の表出を感じてしまうところだ。
まったく、望まれてもいないし、愛されてもいない。
この私も、多少は似たか寄ったかの出生で あったのだろうが(もちろん、うちの親でさえ、さすがに そこまでアカラサマに言ってのけるほどの勇気は なかったようだがw似たようなことは口走ったことが ある。
もっとも、自分ではなく、飽くまで相手のせいにして、だったがww)、
それでも、
かろうじて曲がりなりにも育てているうちには、多少は親らしい情みたいなものは発生してくるのが自然の成り行きでは あろう。
が、しょせん、親らにとって、つごうの悪い存在の子でしかない。
なんぼかは育てられたところで、おさだまりの虐待、こうした親なら、どのみち、殺してしまうかもしれないし、
なんとか生育したところで、
今度は子どもが年頃になってから、親を恨んで殺害に及ぶ恐れも あるし、親に似てか似ずか、おとなしい従順な性格の子なら、身勝手な親に、最後の最後までトコトン振り回されることも大いに あり得る。
いずれにせよ、結局は不幸な人生に終始してしまう恐れが高い。
そこを考えると、私個人は、この不憫な赤子が、まだ無我のうちに、この世を去ったことが、せめてものだった、という思いを禁じえないのだ。
日本の世間も、けっして、温かいとばかり言える所では ない。
さて、
だいぶ以前にも、たぶん旧ブログで述べたのだろうと思うが、
一般家庭内で、しかも実の父親が娘を、、、といった事例が、はたして「稀なこと」であるのかどうか、
あいにく、私の生育家庭は、けっして「一般的」「普通」とは言えない内情だったのが本当のところなので、うちの事例を挙げてみても しょうがないのかもしれないけれど、
ただ、世界的女優とか、有名人の場合は、半生記や自伝のようなものを発表することが多いので、それらを鑑みると、やはり、けっこう多いようだと言っていい事態であることは察せられる。
近年では、ナスターシャ・キンスキーの告白も驚きを誘ったし、
私の若い頃に、ちらっと読んだ記憶のある、フランスか あのあたりの国の女性作家が、子ども時分のことで、実父との、微妙ながらも性的出来事を記していた。この程度のことなら、
と言っても、当事者にとっては、「この程度」とは言い難い気分もあろうが、私自身にも、思い当たることは ある。
うちは、両親とも、いわゆるダブル不倫によって一緒になる前、母のほうは、最初の結婚相手とのあいだに もうけていた娘を手離しているのだが、
こんにちの私が考えるに、
実の父親のもとで育ったにも かかわらず、苦労を重ねた姉の身の上を考慮しても、母の言い分とは逆に、私の父親のもとに来なかったことのほうが、さいわいだったかもしれないと思うのである。
その、異父姉の場合、17歳の身で、時代錯誤にも、姉の父親らに一方的に決められていた「婚約者」を嫌って、他の男との男児を産んだのだが、後日、結局、相手側へ手離した その子と共に、出産して間もない一時期、うちの親の家に逗留し、子育てを していた。
母も、へんに教育的なところを、ここぞとばかり発揮して、幼い頃に離した長姉に対し、私に対するとき以上に、親の権威的態度を ふりかざし、タバコを絶てと厳命したり、子どものためには、それが一番と、母乳での育児を勧めて、そのように させていたのだが、
17歳の姉が、静かに授乳中の部屋に入り込んで行ったり、入浴中に、浴室の戸を、そらぞらしくも間違ったフリして親父が覗こうとしたこと、
この事件の報道を読んで、私は たちまち思い出した。
以前、どこかのエントリーにて思い起こして述べたことが あったと思うが、
私は、体格がズバ抜けてと言うよりも、出生時の異常のせいではと思うのだが、体格の成長が、一般レベルより早かったにも かかわらず、小学高学年に さしかかる頃まで、父親とも平気で入浴していた。
その頃は、内風呂のない住まいだったので、近所の銭湯通いだったのだが、
たまたま、クラスメートの男子と、男湯内で遭遇したことがキッカケにならなかったら、ヘタすると、小学校を卒業するまで、父と、男湯での入浴を続けていたかもしれない。
そんな私自身にも、家に風呂場が出来、十代の終わり頃だったか、そのあたりから20歳代にかけて、親父に、入浴中の戸を開けて覗かれる、ということが、たびたび起きた。
立腹して、母に、それを訴えたこともあるのだが、
うちの母親は、日ごろ、かなり、正義感が強いほうの性格で、気性も激しく、プライドも高く、それに見合う口調もハッキリとしていて、ひとたび怒ると容赦のないモノ言いを するのが常であったにも かかわらず、
そのときは、どういうわけか、父親を責めるでもなく、私の苦情にも、どこか苦い表情で、何やら口ごもっていただけだった。
ちなみに、
母も、先述の姉も、腹違い長姉も、私以外の女は皆、ファザコンであるw
父親の違う姉は、実父を嫌って、むしろ、うちの親父のほうを、おとうさん おとうさんと好いていたので、複雑さが増すのだがww
うちの母親に関しては、毎度の父親との どハデな夫婦ゲンカのたびに、なぜか、押し入れから、特に上段に積み上げてあった重い荷の入った段ボール箱を次から次へと下ろし始める癖が あったので、
私は幼い頃、見ていて泣きながらも怪訝に思っていた。
おとなになってから、その理由に気づいた。
当時、母は、妊娠中だったのだ。
そのせいなのだろうか、
後日、生まれたら私の、唯一、「義理」と付かない きょうだいにあたる子を流産した。
生まれて来なくて よかったね、(たぶん)おとうと。。。(涙)
その後、たまりかねて、自分で、簡単な錠を買ってきて、浴室の戸に取り付けたことが あったのを、きょうまで長らく忘れていたのだった。
実を言えば、実態は、もっと いろいろドロドロ あった。
でも、いちいち思い出すのも疲れるし不愉快だ。