2016.05.06 (Fri)
最近では、熊本方面の大地震。
人間が、必死こいて祭り上げ、拝んで拝んで拝み倒しても、
地震一発、がらがらドン。
あな哀れの御姿。
神よ仏よと伽藍うち建て、金銀・玉にて荘厳しようと、
一巻の終わり、
元のモクアミ、
一から出なおし、やり直し。
いっしょうけんめいに張った巣を何度やぶられようと、また同じ所へ同じように張ろうとする、
ただ諦めないのか、律儀と言うのか、単に忘れっぽいだけか、学習能力ゼロと言うのか、
そんなクモなみの人間どもw
『御柱てっぺんから転落、男性が死亡 長野・御柱祭』
朝日新聞デジタル 5月5日(木)19時8分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160505-00000045-asahi-soci
なるほど、
私も、
ひょっとして、ていのイイ見せかけによって、その実は「人柱」を補充しとるんか?
という、勘繰りめいた印象を抱きかけたが、
たしかに、洋の東西を問わず、古来、祭祀の根底にあったのは、
ひとえに、自然の脅威に対する恐れと慰撫(ショック療法的なものも含む)が出発点だったのだろう。
「依り代」なのかな、モミの木を用いるんだね、それも興味深いなと思ったが、
大なり小なり長細い形状には、古代から特別な意味を持たせているようで、
これについても、何年か前の過去に、あの、時間のムダと不快を買いにいくようなものでしかない「汚気・愚」の科学系カテゴリーにて、光の動的性質あるいは雷・電気の性質についての話題に関連させてだったか、私なりの見解を披露した記憶が ある。
ほとんど誰も、関心を持ってくれなかったがw
長い形状のもの、というと、男性器も、祀られる対象なんですなあ(笑)
西欧圏でも、ポール建てて、その周囲で踊ったりする祭りが あるし。
振動とか波長とかね。
「祟り神」云々という共通点では、
「みだりに、その名を唱えるべからず」
と警告されるほど恐れられてきたという、ユダヤの神の伝説も伝わっている。
まあ、わざわざ「祟り神」などと殊更おどろおどろしく名付ける必要もないだろうに、
この地表に へばり付いて息している生物たちのうちに含まれる人間どもにとって、自然界の荒々しい側面は、ただ艱難、ひたすら猛威、でしか ないのが実感だもの。だから、祀り、祭る。
日本では、古来の「言霊」というものにも込められているという、言わば「先取り」の心、
これは、和服を着る時の心得ごととしても、いまどきの時代においてすら教わるようだが、
いわゆる「人柱」だの「人身御供」だの「生贄」といったものも、つまりは、災厄の先取りかつ逃れるということを期しているのだろうと思われる。
単に恐れ おののき、かりに「神」と名付け呼ぶところの対象へ捧げ奉るという以上に。
なまじに知恵が発達しただけに。
上手く やり過ごす、コントロールするためのシミュレーションとして。
たとえばスペインの闘牛とかでも、ああいう種類の祭りや行事には、その根本に、「災厄の先取り、逃れ」といった見立てが込められていたのでは ないのかな。
だから、われわれ現代人から見ると、もはや無意味に残酷だったり、
やたら危険度が高かったりを、敢えて設定してきたのかな。
国内でも田舎と言うと、祭りと夜這いの伝統やら風習やら連想してしまうのも たしかなのだが、
どちらにも、乏しいレクリエーションとしての側面を持つと同時に、
地域的教育の場(なので往々にして、現代では悪いことになっていても大っぴらに教えたり教えられたりする、未成年の飲酒とかね)、
命や共同体の存続という切実さも孕んでいたであろうこと、
そこに、古人の思考や喜怒哀楽の生々しさを、いまに感じ取り、
彼らの生きた時代や地域性から来る艱難、苦労を偲ぶこと、
そこにこそ、伝統を重く見ることの意義が あるのだと思う。
ただし、
そこにおいては、現代人である われらの生活が、古人たちの生活、その試行錯誤と艱難辛苦の積み重なった歴史のうえに あって、
いまは もう、恐れなくとも よくなったことや、安全のための方策や技術の進歩を得るに至ったことへの思い起こしと感謝が あってこその、「伝える意義」で あると、私は思う。
それを忘れて、ただの時代錯誤に終始していては、かえって、苦労した先人たちに申し訳ないことだ。
現実的な話としては、
お祭り最中ということではなく、何やら後始末中の事故だったということだそうなので、事故なら事故としての調査・検討・改善が必要だよ。
むざむざと人死にを出し続けていいはずは ない。
こう何度も繰り返すようだと、地元の見識を疑うし、全国から顰蹙を買うことにもなりかねない。