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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2016.05.09 (Mon)

冨田勲氏が、この5日に急逝されたという。

今年は、どういうものか、国内外ともに、音楽方面での著名人の訃報が いやに多いような印象が してきていたけれど、

氏の御年齢を知り、うちの親と同年配だったのだと分かって、少し意外な気が したくらいに、先進的なかただったなあと、あらためて思う。

あの世代も また、日本の新旧のハザマに位置していると言うべき存在と思うのだが、

冨田氏の場合も、『新日本紀行』あたりを聴くと、そのことを特に感じる。

 

巨匠逝く、冨田勲さんのあゆみ シンセサイザーの先駆け
MusicVoice 58()1951分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160508-00010007-musicv-musi

 

冨田氏の代表的作品の一つである『新日本紀行』に込められた、いろいろな日本民謡の面影を、私は従来から感じていて、
そのなかでも、『こきりこぶし』を取り上げ、旧ブログにて、私なりに少々、論じてみたことがある。
そのおりに、
当時、同じサイトでのブロガーの一人で、ご自身が現代音楽に携わっており、結婚後は、ずっとアメリカ在住で長年になるという人が、私のエントリー読後の感想コメントを寄せてくれた。

『君が代』の旋律に雅楽(もちろん、中国や朝鮮から伝来しているはず)の影響が あることは、私も容易に察していたのだが、同時に、上記の人は、たしか、『新日本紀行』には、『君が代』の影響も あるようだといったことを教えてくれた記憶が ある。今となっては うろ覚えなのだが、言われてみれば、なるほど、そんな感じも するので、とても興味深く思った。

そもそも、日本の古い民謡には、中近東の民族音楽が源流として息づいているという説も あるようだし、私個人の感覚でも、ほぼ違和感なく納得できるので面白い。
ちなみに、私は、アラブ方面の音楽も、若い頃から好む。

 

http://www.gokayama-info.jp/?page_id=78

旧ブログでも紹介させてもらったサイトなんだけど↑

ここのなかにあるコーナー「伝承団体:越中五箇山こきりこ唄保存会」をクリックすると、「こきりこ動画」というのを閲覧できます。
くだんの動画で、唄と太鼓などを担当しておられる男性がたの お顔が、双子さんかと思えるほどソックリなので、見るたびに、思わず しげしげと眺めてしまうのだが()やっぱり、ご兄弟なのだろうかね?
ま、それは ともかく、なかなか味わいのある祭り風景です。
ええ風情でっせー。飛び込みで一緒に踊りたくなってくる。

http://www.kokiriko.com/kokiriko-tv/index.html

 

 

学校時分、親しくしていたクラスメートに、幼い頃からピアノを習っていて、電子キーボード系へと興味を抱き始めていた友人が おり、その友人の薦めも あって、乏しい小遣いを はたき、ドビュッシーの曲ばかり集めてアレンジした冨田氏のレコード アルバムを手に入れてあり、いまでも大事に保管してある。

宇宙的壮麗、ロマンチック、だけでなく、どこかユーモラスな趣も含まれていたりするのが冨田氏の個性であったように思う。
『ゴリウォーグのケークウォーク』なんて、聴いていてズッコケたあと大笑いしたものだが、

私にとってドビュッシーは、クラシック系のなかでは特にムシの好くとしか言いようのない感覚を もよおさせる作曲家の一人で、
『亜麻色の髪の乙女』などは、学生時代にまつわる思い出の曲であり、原曲にしても、富田氏のアレンジ作品にしても、当時から特に気に入っていた。


  
 

クラシック音楽のアレンジと言うと、
エマーソン・レイク&パーマーの『展覧会の絵』も そうだけど、
いかにも それっぽい雰囲気のものでは、中学生だったか高校生だったかに、リック・ウェイクマンの『アラゴンのキャサリン』を聴いて、グッと気に入ったのを思い出し、youtubeで探してみたら、あった あった。
ただし、これは、一応、と言うべきであろうか?リック自身の作品なのである。ながいこと騙されてたわ(笑)



 

欧米圏のミュージシャンには、かつて「汚気・愚」(OK/goo)でも回答したことが あったように、それこそ、へヴィメタル バンドのメンバーでも、古典も古典のクラシックに親しんで育ち、かつ詳しい人が多いのは当然なのかもしれないが、リッチー・ブラックモアなんて、大昔の古楽器演奏さえも こなすくらいだ。

 

 

『新日本紀行』の話に戻ると、

「日本人なら誰でも」

という、普段、ウヨやネトウヨあたりが、さもエラそうにのたまっているのを見るたびに、

「おまえさん、それで日本人代表のつもり?emoji

と、血圧が激上がりそうになることが たびたびなのだがw

この作品に限っては、「日本人ならば誰しも」という評価が許されるのではないかと思える。

 

昔日の日本の姿、また、地方の風景にも、実際は疎いと言ったほうが、個人的には正確なのだけれど、『新日本紀行』というテレビ番組にリアルタイムで親しんでいた子ども時代を思い出せるせいなのか、日本人の、あるいは、日本の風土に抱かれて生育した者にしか分からないのでは なかろうかと思えるほどに、心の底の郷愁を掻き立てられ、じつに懐かしさ泡立つ出来栄えであることは特筆に値すると思う。

でも、もしかして、中国あたりの人にも共感されるかもしれないな。
『昴』とか『北国の春』の例もあることだし()

 

坂本龍一氏が作曲した『ラスト エンペラー』テーマ曲にも、『新日本紀行』テーマ曲の影響を認めているとのことだそうで。

数奇の家に生まれて

 

 

稲穂を揺らして渡る風。。。
風は少しく湿潤を含んで。。。

 

さきのアメリカ在住のブロガーも、私へのコメント文中で、

『新日本紀行』のテーマ曲を耳にすると、せつない思いに胸が いっぱいになり、泣きだしたくなってしまう、というふうに言っていた。
 

※まだ何かが残ってるな、、、と思ってて、あとから ついた。

どうも、『亡き王女のためのパヴァ―ヌ』あたりの要素も感じられる箇所が あるような。。。
これはラヴェル作品で、この作曲家も、私の特に好みなんだけど、
そうしてみると、『新日本紀行』1曲のなかに、どれほど多くの国や地域からの歌や楽曲が織り込まれているのやらemojiこうなると、日本の、とか、日本人だから、とか言ってる場合じゃなくて、もはや人類規模の。。。
まあ、音楽とは、そういうものなのだろうね。



   

  
  安野光雅『蓮華岳と爺ケ岳』(安曇野

 

 

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