2016.04.23 (Sat)
♪生まれた街の匂い
やっと気づいた
……
街角に立ち止まり
風を見送ったとき
季節が わかったよ
……
最近、ちょっとばかり気になることが生じて、同時に、ここ数年来の予定事項を実行するにあたり、些かの決心を固めるためにもと、じつに数十年ぶりに、帰った。
旧ブログか過去エントリーの どこかでも触れたと思うが、生まれて最初の1年半ほどを過ごした「故郷」だ。
今回の「帰郷」にあたっては、なんせ、ン十年ぶりゆえ、念のためにと、めったに利用しない「グーグル マップ」や「ビュー」を使ったのだけれど、うちのパソコンのマウスの不調なのか、手元が狂ったか、途中で幾度も、とんでもない所へ飛んでいたりして、ここは何処だー?と、位置確認のため、急速に拡大したり縮小したりしているうち突然、連山のカタマリやら深海の表面やらが、わっとクローズ アップされて突き出されてきて、そのたびに、ウへッとなった。と言うのも、
私、こういうの見たくないんだよお
よく、こういうものを、ああ美しい~とかってウットリ口調で礼賛する人もいるんだろうけど、
ハッキリ言っちゃうが、
「ランドサット」撮影の地表とか
「ハッブル」望遠鏡による宇宙の写真画像って、キモチ悪いんだもの
ほとんどグロテスクだろお。え?そうは思わない??
ごく僅かながら、これなら まあ美しいと言うか、辛うじて見るに堪えると言っていいものもあるけれど、殆どの場合、NASAの「色付け」センス?を疑いたくなっちゃう。
むかし、例のQAサイトで質問したときに、宇宙の画像というものには、(われわれの視覚に)分かりやすく効果を強調するため、人工的に、毒々しいほどの色付けしてありますからねとかいう回答してくれた人もいたし、
私と同様、こういう写真画像は、自分も実は苦手なんですと言ってた人もいたけれど、われらは圧倒的に少数派のようなので、もしかして、こういう発言は、タブーなのかもしれないけど。
どうも、大自然・大宇宙礼賛者が圧倒的多数派の世のなかであるらしいので、肩身の狭さを感じて、ふだんは、あまりアカラサマには言わないで来たんだけどね。
うちの母親なんかでも、満点の星空を見ると、息が詰まりそうになるとか、深海なんてブキミだとか、ふとした おりに、吐き出すように言ってたけど、このへんは、私にも理解できるわ。ただ、いまどき、少なくとも都会と その周辺では、夜空を見上げてみても、満天の星空、とは いかないね。
母は、子ども時分の戦中に、田舎へ個人疎開してたそうだから、その頃は、文字どおりの満天の星空を見る機会もあったのだろう。
「息が詰まりそう」
そのとおりで、この世界は、物質で隙間なくギュウギュウの世界なのだと思う。これに対しているはずの、いわゆる「観念」でさえも、物質のうちであると。わしゃ、詳しいことまでは知らんけど。
んで、その「グーグル」で、列島の あちこち、意図せず飛びまくった、そのたびに、
つくづく、日本列島てのは、上下左右いずれ必ず、程なくして、どこかの海上に出てしまうこと、
本当に、ヒトだらけだということを、今さらながら、つよく感じた。
まあー、大概どこの谷底や海際までも、へばりつくように、人家または人工物が ひしめいているわ。
もう、全く、人が普通に住んでいない場所なんて、高い山のテッペンとか海のなかくらいしか残っていないのでは なかろうか。。。って感じ。
私は、いわゆる田舎での生活経験がないので、これまでに見聞してきた物事で想像するしかないが、「グーグル」の画像で見た限りでは、あんな山と山の隙間までも、人家が入り込んでビッシリ埋め尽くしているさまを見たら、なるほど、ヒトが増え過ぎな気も してくるよ。
それこそ、ゴキブリなんか軽く凌駕してるに違いないと思えるほど繁殖しとる。
あ、それと、
航空写真で、グーグルの画像読み込みスピードが追いつかない部分は欠けて出るけど、建物が密集している市街地なんかの上空からの画像の一部が真っ黒状態で表示されるようすは、かなりシュールですぞw
地表に突然出現したブラック ホールさながらww
と、本題から逸れたが、話を戻して、
そういうわけで、片道せいぜい2時間未満の距離なので日帰りながら、「故郷」の街に帰ってきたわけだが、
最後に訪れたン十年前の頃と殆ど変わらないままだったのは、最寄りの駅前の一帯のみ。
そこから、目抜き通りにあたる緩やかな坂を のぼりきった所が、私らが住んでいた場所なんだけど、
さすがに、当時の隣家の人たちも行方は知れず、表札も替わっていて、自宅が あったアパートの位置も、確定は おぼつかず、あたりには、見るからに高級な、どっしりしたマンションが幾つか新しく建ち並び、
こんな お高そうなマンションに、若いうちから住めるなんて、どれほどのセレブーやねん、
さしづめ、私が20代の頃、一時帰阪した叔母と落ち合った中之島のホテル内の高級料亭に、一人でブラッと食事に来ていた、隣の席の青年みたいな人かいな?
(この若い男性を、こういうシチュエーション時の癖みたいに毎度のごとく、叔母は、気づかれないよう観察していたらしく、宿泊の部屋に戻ったとたん、
「あんた、見た?あれは間違いなく、どこぞの御曹司だわよ、ああいう男の人を掴まえなきゃ」
云々と早速うるさい お説教が始まったものだ。
へいへいと聞き流していた私自身は、贅を凝らしたらしき一皿一皿の「ちょっとずつイロイロ」盛られた、その量の、えげつないほど少いことに呆れて、大喰らいゆえ、その提供量についての怒りでアタマいっぱいになっていたというのにw)
等々と連想しつつ、
どうにか おぼろに思い当たる地形等から、だいたい、このあたりだろうと、かろうじて見当は つけたものの、そこまで こぎ着けるあいだに、何度ウロウロと繰り返し行ったり来たりを続けたことか。
幼少時の記憶に関しては、ひとかたならぬ自負ある私にとって、こっち側に、あれが あり、あっちのほうに、それが あってという、その記憶の位置が反転アベコベになっているらしいことを認めるのは、なんとしても気持ちが悪いのである。
なんだか、幼くして生き別れた、それでも、互いの肌と肌で知り尽くしている生みの母が、まるで別人格になってしまったかのようなショックに近いと言えば近い。
その間、まさに「瞼の母」を探し求めて切なく彷徨してでもいるかのような気分だった。
この気分が影響したせいなのかどうなのか、
はたして その夜の夢に、久しく思い出すこともなかったJ・レノンの楽曲『マザー』を、小さな声で歌っていた。
もっとも、この歌詞の内容と、私自身の実際の生い立ちとがピッタリ重なるということは ないと言うか、むしろ正反対に近いけれど。
(だって、私自身は、暑苦しくも親に必要とされていたからさ。とは言え、それは、あくまでも親側の利己的つごうに過ぎず、そのゆえに、私は、「必要とされる」だの「期待される」ということに恐怖すらも伴って、早々に忌避したくなる性向へ傾いてしまった。)
その街に居た私が生まれる前から、すでに建っていた懐かしい お店に入り、長時間ほっつき回って疲れ、ほてった からだを休めて、とりあえず、空腹を静めようと、冷たい麺類を頼んで、その歯応えと冷感を、ひとしきり楽しんだあとに、もう このままで、何も言わず、お勘定だけ済ませて出ようと思ったのだが、
そこの女将の にこやかな顔を向けられたら、もちろん、お互い、記憶に残っているわけもないのだが、なんだか、私の母親に似た感じすらしてきた女将の、さすがに何十年このかた客商売で鍛えられて身についたのか、いかにも、人を逸らさない、それでいて素朴な温もりに満ちた笑顔に、つい、話し出してしまい、訪れた経緯のことを告げ、地図を出してくれた店主夫妻と話し込んでしまった。
要は、あの当時、隣家に住んでいた人たちが見つかれば、私が訪ねた理由であるところの疑問のこと等も判明するかと思い、その街の変遷について、あれこれ教えてもらったわけだが、いかんせん、数十年の時間の流れが、幼少時の記憶鮮明なことだけは自信があったはずの私も、首を傾げざるを得ないほどに、ほとんどを磨りガラスの、あるいは紗の布を透かし見るのが関の山ていどにまでボヤかせてしまっていた。
むしろ、10代から20代の頃にかけて2、3度訪れたおりの記憶のほうが、もっと曖昧な断片にバラケてしまっている始末。
ただ、一つ、かなりハッキリしたことがある。
それは、やはり、この街の出身者で、近年、亡くなったそうだが、日本国内のロック シーンで活躍した有名な歌手の生家が、私の記憶のなかでも、ことに懐かしい対象だった屋敷であり、そこの子息その人であったこと。
その日本屋敷の重厚な門構えを挟んで両側に伸びめぐらせた塀に付属して、おとなの腰の高さあたりに組まれた石垣を毎日よじ登っては、その上に並んだ植栽を踏み荒らして遊んでいた近隣のガキども、
そのなかに混じっていたヨチヨチ歩きの私と、私よりも幾つかは年上の、くだんの有名歌手の男性は、お互い誰だか全く知らないままに、幼なじみであったかもしれないことに気が ついて、今さらながら、いささか驚いた。
その お屋敷周りの植木を、私ら近隣の子どもが、さんざんに踏んで痛めつけ、根こそぎ荒らしていくさまは、当時の写真を時系列で見ていくと、ついに枯れ果てるところまでいったことが明白に分かるのだが、
その お屋敷の人に叱られたということが、ただの一度もないのである。
母は、あの時代は まだ、おおらかな人が多かったからなあ、と笑っていたが、いまどきの時代なら、どれだけの苦情を申し寄こされたことだろうか。
私が、実家を出て、自活を開始した最初の地で馴染んだ、ちょっと高級筋のスーパーマーケットが近くに出来ているのを知り、お土産ではないけれど、懐かしさもあって、少々の食材を購入し、帰宅後に食しながら、その日一日の光景を思い浮かべて、
それにしても、庶民クラスの日常生活にとっては、お世辞にも暮らしやすいとは言えない、あんな お屋敷街で、そのスーパーが出来る前までは、もう少し距離のある場所に設けられているという古いアーケード街まで、皆、えっちら おっちら、坂を上がり降りしながら買い物に出ていたのだろうか、
いまどきは、大都会であるはずの大阪のなかであっても、アーケード街が「シャッター街」と化した凋落ぶりは、地方の嘆きと何ら変わりないようなのだが、、、
と考えを めぐらしていて、ああ そうかぁと気づいた。
ああいう、いわゆる高級住宅街の住人は、その殆どが、高級車で、自宅周辺の幾つもの坂を涼しい顔でス~イスイ走り抜け、大阪ど真ん中のターミナル駅周辺の、選り取り見取りの店舗やデパートにでも乗りつけて、車いっぱい載せられるだけ、高級食材やら高品質な日用品を買い出しに行けるんだわね。
生まれた街は私にとって、いつまでも恋しい「瞼の母」、を言い替えるならば、幼い初恋相手にして初婚の、そして、間もなく別れてしまった、内心では まだ想いの残る、かつての伴侶のような感じでもある。
いまも変わらずに、品良い美しさを保っている、その相手と、ひそかにデートしたあと、
共に暮らして長年になる、別の相手のもとへ帰って来て、かなり雑多ながらも、それなりの洒落っ気や可愛げもあり、庶民らしい気安さ、屈託のなさに、これは これで、おしとどめようもなく寛ぎを感じている。
上下左右あらゆる方面において、私は、言わば、どっちの方向世界にも自在に入って行けると同時に、常に「境界」の位置に立って居る、それが宿命のポジションであるかのように感じられもする。