2016.04.10 (Sun)
『「誰かの光に」13カ月の生涯、娘との日々発信 5千人に1人の染色体異常』
西日本新聞 4月7日(木)17時21分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160407-00010016-nishinp-soci
おまえさんはね。。。やれやれ、飽きもせずに。
こういう話題になると、毎度の般若顔の面かぶって、ハリキッて出てくるね(嘲)
自分で、こういう話題には、このキャラで登場!と決めてるんだろ?(嗤)
ま、
「病は悪」とかいう毎度おとくいの主張に関しては、
なるほど、古代の人々は、災厄の一つとして恐れ、
たとえば、日本でも、豆撒いて鬼やらいとかいう風習が伝わっているわな。
専門筋の話だったと記憶するが、
犬や猫などの動物なんかでも、何らかの病気になり、しんどい痛い苦しい状態に陥ったのを、目には見えない敵のような何者かに攻撃されている、と感じるのだそうな。
だから、身を守るために、ひとりになりたがり、物陰に隠れようとしたりするのだそうな。
これと同じ思考レベルみたいね、この般若キドリは(嗤)
当ブログで何度か述べてきたように、
こやつが言い放つような、昔ながらの やりかたでいい、それこそが本来で良いというのが妥当なら、古今東西の人類の努力の意味が全く無になるだろ、つうの。
なんでも そうだよ。
厳しい厳しい自然と、殺伐たる生活条件のなかを、古人たちが決して、現状に満足することなく、簡単に諦めもせず営々と、血と涙が滲むような改善・努力に邁進してきた理由は完無視かい。だから冒涜だっつうの。
しかしなあ、
「労働基準法の適応がないから」
云々という、他の人の投稿にも、別の意味で、ちょっと引っ掛かりを感じた。
やっぱり、まともな人間扱いされてないのかなという。。。
もちろん、いわゆる健常者と同じに扱えることばかりでないのは当然とするしかない現実であるにせよ。
これの投稿者さんは、身障者の作業労働現場に携わっておられるそうだが、この点の疑問を感じことは ないのだろうか。
だって、おっしゃるところによれば、実際に社会の、特に経済に「貢献」できているというのでしょ?
実在の町工場から、「アテにしている」と言ってもらえるほどなのだそうだけれど、
よく読んでみて思うに、
取り引きのある町工場や企業側で機械化できるところを、敢えて、そうは せずに、単純作業として、人の手を使う余地を敢えて残しているのかなとも思えた。
何度か述べてきたように、私自身、まあ中クラスの身障者だけど、
かなりトシいくまで、自分が障碍者だということを、少なくとも、公に認める権利すら奪われていて
(わが子の身に後天的障碍を もたらした張本人のくせに、へんにミエっぱりゆえ、徹底的に隠蔽したがった親にサw)、
したがって、長年、「健常者」のフリを通して生きてきて、
就職の面接でも、質問されたコトバが聞き取れずに、冷や汗かきながら、必死で、少し本当のことを言ってみたら、経営者や面接担当者に、
「そんなカラダで、何しに来たの」
と嘲笑される屈辱もあったものの、
なんとか雇ってもらったならば、「健常者」のなかに混じって、「健常者」(モドキと言うかカクレ精神病者もいたけどねw)以上に働いてきた経験はある。だけど、
やっぱり、どうしても、何かの切っ掛けで、限界が見え隠れしだすと
(周囲の、デキの悪い「健常者」の お尻ぬぐいさせられる役回りで、オーバーワークになったりというケースも含み)、
たちまちにして、上司でも同僚でも、なんとなく気に入らないと思われていた相手から率先して、こちらの弱みにつけ込んでくるといった情況は、ままあった。それが、他の人たちにも移ってしまうと、もう、どうしようもない。
なぜか、私に助けられていた「カクレ精神異常者」ほど、そうなった途端率先して嘲笑する側にまわったりするという皮肉さよ。
それは、表面的には「健常者」でございで生きてこれた自分のセンスのなさ、無能さを、
「重度」でないとは言え、身障者の部類に入る私の能力のほうが圧倒的に上回っていたという現実に対する、おもしろくなさだったのだと、だいぶ年月が経ってから、やっと、その心理が理解できたこともある。
それまでは、親や身近の者たちから、
「それは、おまえのほうが、ねたまれているのだ。おまえは、自分の至らなさを、分かりやすく、障碍のせいにできるから、まだ、気がラクだろう。しかし、そうでない、普通であるはずの者は、自分の能力の低さの理由のつけようがないために、もっと辛いのだぞ」
と指摘されていたのだが、その当時は、よく理解できないでいた。
いまでも、少なくとも、私の障碍の原因者でありながら、完全に無視して逃げていた うちの親に、そんなことを言う資格があるものか、と腹立たしさは残っているが。。。
要するに、
いまどき、ネットに溢れかえっている、障碍者を含む「弱者」一般をバッシングしまくる「健常者」モドキたちのネタミひがみを分析してみれば、
言わば、
私が、自分の中途半端な聴障を苦にするあげく、いっそ、全く聞こえないほうがラクじゃないか、と(そういう場面も ないことはないのだが)、
または、四肢に障碍のある人が、自力では全く動けないほうが、いっそ、優遇されてラクなのに、、、と言ってのけるほどの、お門違いも甚だしい滑稽なこと。
ほとんど独学で身に着けてきた私の持ってるスキルは、それぞれ、ある程度以上のセンスなり技術なりを必要とする、わりと特殊な分野なので、大小含む一般企業で、「健常者」でも できないことが多い種類のものだ。
あるとき、縁あった福祉関係の人に連れられて、障碍者作業所を見学する機会が あり、
そこで、仮に、私が、持っているスキルを活かせる業務に就いたとしても、
払ってもらえる報酬は、やっぱり、「お小遣い」程度にしかならないのだと説明されたよ。
【続く】