2016.03.24 (Thu)
という場面を連想してしまった。
そう、映画『ネバーエンディング ストーリー』の。
『“麻酔一番効いた状態で池に”シマウマ死ぬ』
日本テレビ系(NNN) 3月23日(水)19時5分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160323-00000080-nnn-soci
急に、環境が変わったことで、シマウマくんは不安になって逃亡したのだろうか。
思わぬ捕物帳を演じるハメになった関係者各位を責める気までは ないけれど、いかにも下手くそだなあ。。。
首に縄かけるときの不手際さには、つい、
もう、カウボーイ呼んでこいや!
と言いたくなった(苦笑)
馬系ってのは、動物としては知能も高いだけに、繊細で、警戒心も高く、非常に神経質な性質の動物だと聞いている。
うちの親父は、何かの話の途中で、軍隊時代、自分専用の馬(軍馬)を持っていた経験から、
「馬ってのはな、ほんとうに、人の気持ちが分かるんだぞ」
と、感に堪えたように語ったことがあった。馬ほど可愛い動物はない、と。
だから、戦争が終わって、自分の馬と別れるとき、とても悲しかったんだって。
馬のほうでも、そのことを感づいてたんだ、と。
シマウマの場合、実は、驢馬に近いそうなのだが、
しかし、私は、シマウマなんて、日本では、公の動物園くらいでしか見ることはないものだと思っていたけど、
どうして、シマウマとか、特に、人に懐きにくい傾向で、扱いに大きく注意を要することが分かっている動物を、個人で購入したり飼ったりしようとするのか、あまり理解できないでいる。
鳥でも何でも野性の、あるいは、野性に近い性向を濃く残している動物たち一般を、おりにふれて見ていると、
特に、その生死の極限が迫ったときの ようすには、
われわれヒト属、とりわけ、スポイルされている如き日常生活にドップリ浸かって弛緩した、いわゆる「文明人」だの「先進国民」だの「文化人」「都会人」だのだのには希薄になってしまった、それこそ「凛とした」気品のようなものを感じることが多い。
ただ黙して、あたりの ようすを鋭敏に窺っているときの静謐な佇まい。
怒るときの激しく徹底した容赦ない怒り。
ひとたび、気を許し、好意や必要性を感じた対象に、何度はねつけられようと、めげず諦めず大胆に迫っていく一途さ。
必死に抵抗し続け、もはや これまでと覚ったときの、うってかわって従容と しきった態度。
野生動物たちに、われわれの人間社会で有難がるような「お血筋」だの権威だのは全くないはずだろうし、
はたして、「お育ち」やら教育でもって身に付く気品なんてものが ありや なしや、
それこそ、どこぞの王侯貴族の類、首相や政治家たちのように、「エリートの血筋」などと目されつつありながら、その内面外面ともに下品・下劣な連中の例には枚挙に事欠かない。
実を言うと、むかしから、私にとって、ヒト属の男なんかよりも、「野性の品格」を残す動物たちのほうが、よっぽど魅力的で、ビビッと来たりも する。
そのせいか、古今東西に伝わる「異種婚姻譚」の類に、それほど違和感ない。
ぶっちゃけ、ヒト属♂のほうが、もっと違和感あったりするw
まだ たった2歳だったという、結果的に可哀そうなことを してしまった彼、くだんのシマウマくんにも、
人間どもを遠ざけるときは、逞しい後ろ足を可愛らしくピャッと蹴りあげておいて徹底的に拒絶しつつ、
合間合間、遠く彼方を見つめる眼には、途方に暮れるようすでありつつも、
あたりまえに受け入れている孤独と、どこか、凛としたものが あった。
もうガチャガチャ煩い人間どもは追いかけてこれないから、安心して、
広大無辺な天の野原を駆けてゆけ。。。