2016.03.17 (Thu)
【旧ブログの記録より】
望郷 2011/12/31 11:15
~食の好みは変わるものなのだ。~
そのとおりだと思う。
以前も書いたことかもしれないが、食物の味付けというものは、薄いなら薄いほうに、濃いなら濃いほうに、わりと簡単に馴らされるものらしいとは、子どもの頃から気づいていた。
そのあたりに関連することは、『青信号で今週も』シリーズの大和田先生も おっしゃってたと思う。
子どもの頃、家庭の事情で、母が長期間、上京していた時期があって、その間、私が学校から帰宅したら食べられるようにと、父が出社前に、卵焼きを拵えておいてくれたりした。
初めて、関東育ちの父の作った卵焼きを食べたとき、
甘ったるい味が付いていて、それまで、大阪で生まれ育った母の、だしの味で食べることに慣れていた私は、お菓子のような甘さに驚いた。
しばらくは、少々の抵抗感が伴ったものの、何度か食べてるうちに、いつしか馴染んでいたと みえて、今度は、帰って来た母が、早速つくってくれた卵焼きの味が、なんとも もの足りない。
子ども心に、「えらいもんだな」と思った。
そして、やはり、
だしの味で食べる卵焼きのほうに、たちまち、舌は戻っていった。
私が、人生で初めて、実家を出て、自活生活に入った頃。
すでに、からだの不調が しのび寄っていることにも気を留めず、
ただ ただ、この生活を維持していくために、心の どこかの部分を置き去りにしたままで、やみくもに働いていた。
職場と、ささやかな自宅との往復生活。。。
そんな あの頃、
そこに引っ越してくるまでは、見知らぬ街に過ぎなかった、帰宅途中の道で、どこからともなく漂ってくる夕餉の匂い。
いま思い返すと、ひどく孤独だった。
実家に居た頃は、料理上手な母の作る、昔ながらの煮付け料理など、さして おいしいとも、ありがたいとも思わず、文句すら言っていたのに、
むしょうに、母の作ったものが恋しくなっていた。
世のなかには、親の作ったものの味を全く知らないで生きてきた人たちも大ぜい いることだろう。
私は、父方も母方も、実の祖母を知らないのが、少し残念に思っていたけれど、
うちの両親は、それぞれの母親を、早くに亡くしたせいで、子どもの頃から、自分で作って、家族にも食べさせることに、深く慣れていた。
過去のエントリーで、母の母親(つまり、私の祖母)を亡くして間もない頃、
まだ乳飲み子の末子を含め数人の子らを抱えてヤモメになってしまった父親を、少しでも手伝ってやろうとして、
皆まだ就寝中の早朝に一人で起き出し、
それまで作ったことのない味噌汁を、まだ幼い母が、小さな手で作ろうとして、
ワカメの扱いかたを知らずに、砂混じりのまま投入してしまい、
起きてきた祖父に怒られたという話。
それを私に聞かせた母は、どこか悲しそうだった。
そんな母も亡くなってから、しばらくした いつ頃だったか、ある晩の夢に、母の手料理を、心ゆくまで味わっている夢を見た。
それは夢でありながら、珍しいほどリアルな味覚が伴っていたものだから、目覚めて思わず、トクしたなあとニンマリした(笑)
『だしと卵 』
http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2435434/
【注:すでに閉鎖されたサイトなので、アクセス不可】
そうそう、トビウオの「あごだし」。
母が亡くなったあと、ヘルパーさんを頼むまでは、私が毎日、父の食事を作っていた頃、
味噌汁の だしを、トビウオで引いてみたことがあって、味噌汁が好物の父は一口飲むなり、
「あっ、このダシ、いつもよりコクがある。そうか、やっぱりトビウオ使ったのか。全然ちがうなあ」
と言ってた。
むかし、実家で保存してあったトビウオの干物を、お料理が得意な貧乏男子に分けてあげようと持ち出そうとしていたら、父が、
「おい!おれのトビウオを、そんなに持っていくな!
」
と慌てていたw
トビウオは高級品なんだって、
あの当時は私、そういうことも、ほとんど知らなかったのだ。
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カテゴリ: リビング > 食
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