2016.03.12 (Sat)
哲学そのものでは なくて哲学史、みたいな むなしさもチラリw
さて置き、もともと、心理学の源流は哲学だそうですよ。
『人々を惹きつけるアドラー心理学 原因ではなく目的を考える』
NEWS ポストセブン 3月11日(金)7時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160311-00000005-pseven-soci
フロイトは、私10代の頃に一読して、お世辞にも科学的とは言えない面が多々あるのを、すぐさま感じたので、あくまで読物として興味深い位置付けに留めておき、ついぞ重視したことまでは ない。
心理学が、ヘタすると「作文」呼ばわりされることの危惧をも感じさせられるからだ。
まあ、何と言っても、フロンティア的第一人者なので、仕方ない面は あろう。
どこかで読んだには、
ある日本人の学者が、生前の彼に会ったことがあるそうだが、フロイトは人種差別意識が激烈だったそうな。
アドラー自体は未読だけど、この記事の、いかにも通俗的解説を読んだかぎりでは、実際的効果のほうを重視していることは分かる。
いったん横に置いといて、いま やるべきことに集中しようというプラグマティックな感じが するね。
仏教の始祖、それこそ、心理学の本当の始祖と呼んでも良さそうな釈迦の唱えた説に共通した感じもする。
世間でいう「毒親」、こういう親との距離感が保ち難い人なども、参考にしたら いいかも。
とは言え、
自分の親が「毒親」の類だということに気づくことからして、なかなか困難なのだけれど。
本当に深刻な場合ほど、そうなりがちだ。一種の洗脳状態だからね。
さて、
~“大声を出して相手を支配しようとする”~
だから、
なぜ、大声出してまで支配しようとするのか?
ってことよw
支配することで、ある程度なだめられるところの起因や原因があるからでしょうに?
例として挙げている「部下を叱る」ことにも、原因と目的があるわけでしょ。
ただ叱るために叱るのか?wそうかもだけどww
そういえば、
「泣くから悲しいのだ」
という説もあるね。
ということは、
腹を立てるから怒るわけかw
いや、腹を立てるために怒る?ww
もっと言えば、
おなかが すくから、すいたから食べる、のではなく、
食べるから、おなかが すくのか。
なんだか、そんな気もしないではないような気が してきたがw
ま、すべては、ひとえに、可愛い自分(あるいは自分に繋がるもの)を守り保持しようとすることに源が あるのだろう。
では、
なぜ、自分が可愛いのか、思わずして守ろうとすることの根拠はと問われても、これが意外なことに、謎だ。
(直接的には、種々の苦痛から逃れようとすることにあるだろうが。メカニズム的な機能保全と根底で結び付いているように思う。)
ふと思った。
よく、刑罰が、犯罪予防になるか否かということが議論のタネにもなるけれど、
実際、死刑を目的にして、殺人事件を犯したという者もいるには いた。
となると結局、殺人を防ぐことは できなかったどころか、皮肉にも、むしろ助長したことになってしまう。
だが、結局は同じこと。
アドラーが唱えた「目的ありき」説も、それ自体で原因ということになるのだから。
そもそも、殺人を犯してまでも死刑になりたいと望むに至った起因・原因のほうを、やはり突き止めるべきなのだ。
原因を突き止めていくことの、それこそ目的は、やはり、予防や別の道を考えているからだ。
ちなみに、
三木 清は、感情こそは社会化されたもの、というアッパレな看破を遺しておられる。