2016.06.06 (Mon)
先日、当ブログでも、この騒ぎの話題についてのエントリーをアップしておいたので、ここに、もう一度、追加しておく。
どうも、新聞各社の配信記事も、回を増やすにしたがって、内容が微妙に変化していくので、読む側としても困惑してしまうのだが、たとえば、
そもそも、当該の男児が、
「人や車に向かって、小石を投げていた」
という経緯の一端だったものが、
最近になって、
土手に向かって投げているのを、その向こうにいる人や車に当たっては いけない、
と、親御さんが見咎めて、といった理由に変化していたようだ。
これが真相についての詳細だとすれば、
当該男児にしてみれば、あくまでも「土手」に向かって小石を投げていただけ(おそらく、野球のピッチングみたいな気分で?)なのに、
「人や車に当たったら どうするのだ」という叱責が、男児にとっては甚だ心外だったのかもしれない。
心外であれば、なおのこと、素直に反省する気になりにくいかもしれない。
私が当初から少し気になっていたのは、
もしかして、「人や車に当てない」当たるはずがない、という、幼児的万能感のような絶対的自信が、この男児を支配していたのかな?ということ。
まあ、まだ幼いのだからということは加味しなければ ならないにしても。
加えて、
今回は、こういう行為が、すでに2度目だったということが知れた。
ということは、
前回、親御さんは、どのように、お子さんを注意したのか しなかったのか?ということになろう。
危惧すべき行為が繰り返されたということは、少なくとも、前回のときの注意なり叱責は、効いていなかったということになる。
したがって、叱責がエスカレートしてしまったか。
私個人的に、一番、聞いてみたかったのは、
遠ざかっていく家族の車と反対方向へと歩き出したときの、男児自身の気持ちのことである。
とうとう捨てられてしまった、と絶望的に思ったのか、
だったら、こっちだって、、、という猛反発なのか。
まあ、なにしろ、まだ小学2年生である。
私自身は、家庭環境の影響からか、妙に大人びたところが あったので、良し悪しは さて置き、この男児とは大幅に異なった反応を示しただろうと思うけれど、親のほうも また、この男児の親御さんとは異なる言動を とっただろうと思う。
「許す」というコトバについても、
この子の おとうさんが発したコトバを、オウム返しのごとく用いて(子どもは普通にボキャ貧だものw)、とりあえずの意思表現したまでかもしれないし、
「優しいから」という理由のコトバには、いつ いかなるときも、自分に優しくしてもらいたい、という要望が込められているとも とれる。
男児の父親が、「世間体を優先した」と解するなら、ここまで大がかりの捜索を願い出るはずもないのだから、そういう決めつけは、いささか酷だと、私は思う。
『大和君「許すよ。お父さん優しいから許す」 父親が語る』
朝日新聞デジタル 6月5日(日)19時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160605-00000029-asahi-soci
碓井先生の紹介されている「ヤフー」個人ニュース記事のほうも拝読させていただいたのだけれど、
おっしゃるところの
「別の方法を考えることも必要でしょう。北風と太陽の話のように」
ならば、専門家として、これの実際的例示の一つくらいは挙げていただきたかったと思う。
この先生には、こういう感想を抱くことが多い(苦笑)
お人柄は、とても良いかただと思っているのだけれど。
当該男児については不明だが、
私自身も、職場で、発達障碍の子たちに接した経験が あるということを、近頃のエントリーで触れたとおり、
かなりの重度になってくると、いくら注意しても、トンと聞き入れてくれないのは勿論のこと、
優しく諭していても、対象の子どもの耳に全く入っていないらしいことは、はっきりと窺えた。
むろん、私のような聴覚障碍ゆえではない。
私も、注意されているのに、気づかずにいて、全然聞いていないものと誤解され、そのことを学校から伝えられた親が、激しく叱責してくることも多かったが、
どうやら、あのときの障碍の子どもさんは、まさに「馬耳東風」のごとくで、こちらの姿も、言っていることなども、全く、目に入らない、聞こえない、それは、無関心ゆえらしかった。
ただただ、偶然、自分が関心を持った目の前の事物に、ひたすら心奪われているようだった。
かと言って、
「優しく」と言っても、
もともと、せいいっぱい優しく注意しているのだから、それ以上、どう優しくしようが あるのだか、専門的知識もない私には分からなかった。
いまでも分からない。
ただ、このような、発達障碍系で重度、と言っても、
同じような立場の子どもどうしにおいても、やはり、その子によって、障碍的特徴の現れかた、態度や感性にも個々の違いが あることは見受けられた。
【続く】