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とりあえず、ひかりのくに
     
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Updated   
2016.09.25 (Sun)

こういう方面の問題も、専門筋の知見を問うてみないと、一般の門外漢は思い込みだけで、本質が分かってないものなんだなと気づかされるところなのだが、

そもそも、地方の、人里遠いような場所に、大規模な施設へ、多人数の弱者を集めておくのが、望ましいことでは ないのだと。

むしろ、普通の街なかに、つまり、それぞれの家族が足を運びやすいということでもある便利な街のなかに、小規模施設を分散させて置くような施策が、セキュリティ面も含めて、実は最も合理的なのだという。

 

私は、このような説明を聞いてからは、今回の『やまゆり園』建て替えの件についても、この際、思い切って、当該県内から率先し、従来の方針を大転換してみるほうが いいのでは ないかと思うのだが。

そのほうが、言わば、「災いを転じて」克服する方向に近づける契機に できるのでないかとも思えるのだが。

 

この点を、現神奈川県知事さんは、全く、お考えにならないのか、
単に、専門筋からの情報が不足で、ご存じないままなのか、
いや、それらを承知のうえで、何か別様の算盤を弾いているわけなのか。
はたして、どうなんだろう。。。

 

もったいないことに、あれだけの広大な施設を、一から建て替えるとなると、まずは、なんとしても、二度と同じことを起こさないためのセキュリティが、どんなことになるのだろうか、私には、ちょっと、想像も つき難い。
まさに隔離されるような、周囲から閉ざされるような かたちになるのでは、それこそ、本末転倒、
これまで以上に、オープンであることと、セキュリティとを同時両立させなければ ならないのだから。

ただ、すでに、ここで長年、生活してきた入所者にとって、環境の急激な変化が続くことは、負担が大き過ぎるということかもしれないし、ご家族の意向も無視できないほど大きいのだろうし、

もし、街なかで小規模施設を、ということになっても、そのほうが、現実には、よっぽど合理的なのだと、説明を尽くしても、
やっぱり、立地域の住民たちに、頑として反対されるのかしらね。。。

 

 

それにしても、

またぞろ、障碍者を侮辱するコメントが垂れ流され始めた。

ネットあきんど「ヤフー」
「ページ ビュー」のためか何か知らんが、あくどいコメント欄で稼ぐのも、いいかげんにしとけってemoji

「帰化した朝鮮人も出てけー!」と喚く「ヤフコメ」愛好者w、当の元朝鮮人が経営者であるサイトww、この滑稽きわまる構図()

 

 

どういう料簡なのか、よっぽど、オツムとか精神の問題を抱えているのだろうか、

叩く相手を、こうも毎度毎度、大間違えしてくれるもんだな。植松の同類どもemojiemoji

 

「税金がーがー」と言ったって、

そういう浅はかな主張を するオマエさんらの同類が、あの植松だろうが。

 

あやつが、あのような事件を起こしたために、
本来、いらぬことだった建て替えに、大金を費やしなおさねばならなくなったわけだが。これ、わかっとるか?あぁ??emojiemojiemoji

 

 

ところで、あるエピソードを思い出した。

たしか、落合恵子さんによる、新聞の連載エッセイだったかで、むかし、読んだ記憶が あるのだが、
彼女の御友人の入院先で、たまたま同室だった人は、もとが女医で、
それだけに、自身が患者となってみれば、病院側の不足や不備な点が、いろいろと、目についたのであろうか、
看護婦さんたちに対して、口うるさいほど、あれこれの注意を促したり、厳しく叱ったりしていたそうなのだが、落合さんが、ご友人の お見舞に、それから何度も通っているうちには、いつしか、その、もと女医さんは、すっかり、口を噤んでしまっていたと。
どうやら、諦めてしまったものらしい。

 

なにごとも、自分自身が、その立場になって、わが身を置いてみて、初めて分かることだらけだ。凡庸な人間は、皆、そうだろう。

 

 

こういった事件が起きていたそうだが、

看護師がインスリン過剰投与=10倍量、80代女性死亡―長崎
時事通信 923()2014分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160923-00000143-jij-soci

 

【速報】横浜市の病院で入院患者死亡 点滴に異物混入か 殺人事件で捜査カナロコ by 神奈川新聞 923()1925分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160923-00012172-kana-l14

 

上記の二つの医療事件では、根本的な動機に違いは あるのだろうが、

あたかも、親の問題が、子に押し付けられるごとく、

医療関係者の問題は、やがて、患者に向かう。

 

実は、母方の身内のなかに、私が小学生のとき、輸血間違いが原因で急死した叔父(すごいハンサムだった)が いる。
これも家庭環境の問題で、グレていた叔父は、若い頃から、素行に問題が多く、親や兄弟姉妹を、たびたび困らせていた。
当初は憤り、病院の致命的ミスを裁判に訴え出ようとしていた祖父たちを、この叔父の姉に当たる うちの母親が強硬に説得し、敢えて、止めさせたという出来事が あった。

 

うちの母って人は、大概の場合には、情味のある、基本的に親切な対処を するタイプだったのも たしかなのだが、

ときとして、なんと言うのか、凄まじいまでの容赦ない判断を下すことを、些かも躊躇しないところが あった。

祖父は、医薬に関わる職業だったし、母の弟の一人のように、母自身も、医者の適性が あったのかもしれない。手先も非常に器用だったし。

 

ただ、その根っこにある動機は、信念のカタマリのような本人が どのようなキレイごとに言い繕おうとも、やっぱり、エゴや利己的なものだったのだと、後年になってから、いろいろな真相を知った私は見抜けるようになったが。

叔父の事件から数年後、今度は母が、先のエントリーで述べたように、交通事故に遭い、そのおりの入院先での輸血で、肝炎に なっていたことを、その時点での われわれには、知る由も なかった。

見舞に行った私たちに、母が頻りに、奇妙なことを訴えていたことを思い出す。
それは、あの亡くなった叔父が登場する内容だった。

 

 

さて、私の経験から言っても、当然のことだろうが、看護師にも、いろんなタイプの人が いるし、能力も人がらもピンキリだ。

 

そう言えば、入院時に、偶然、小学校時代のクラスメートが、そこの看護師になっていて、再会にビックリということが あった。

思い起こしてみれば、クラスメートの数人は看護師になっているのだが、彼女たちは、学業優秀だったか、というと、全然、そうでもなかったし()

しかし、病院で事務を やっていた知人から聞いたところでは、
やはり、国家試験を通っているのだというプライドは、医療人の世界では殊のほかアカラサマに あり、
まさに「医師を頂点とするピラミッド型の階級世界だよ」と言っていた。

これも、以前に言ったことが あると思うが、

医者と看護婦は、したがって、意外と、結婚しているケースは少ないようだ。

なぜなら、医者のほうは、看護婦を「下に見て」いて、自分の結婚対象の範疇に入れていないことが多いからだそうな。

まあ、そういうことも含めて、うちの身内にも医者は いるので、だいたいのところ知っていたし、医者は変わり者が多いという話にも、あまり驚かなかったがw

 

 

私が入院していたとき、個室だったせいか、食事の時間が来ていたことに気づかないまま、すっぽかされていたことが あった。

そのことを、私自身は、べつに、腹が すいて困ったというわけでもないので、少し迷いつつも、しかし、投薬の都合も あるかもしれないと、一応、担当の看護婦の一人に伝えておいたところ、彼女は、かなりのショックを受けたという風情で、落ち込んだ ようすを見せた。

その場は、ちと気の毒な気もしたが、
あとから振り返ると、見せかけだけの反省だったようにも思える(苦笑)

 

私の手術を終えたあとで、やれやれと落ち着いてから、母が苦笑しながら話していたのだが、
主治医のデスクが置かれている部屋の前を通りかかると、室内から、見知っている看護婦の泣き声が聞こえてきて、それを、呆れたように宥める主治医の声も聞こえてきたと。
どうやら、看護婦どうしの争い事が あったらしい。

ちなみに、そのときの私の主治医は、まだ若い女性だったのだが、その話を、母から耳にして ほどなく、他の病院へと移られたようだった。

お医者さんや看護婦さんのあいだでも、患者の知らんところで、いろいろモメ事があるんやねえと、母と二人で苦笑したことが思い出された。

 

 

ちなみに、うちの母は、「看護婦に殺された」と言っていいほどの、あるキッカケが あった。

 

上掲の事件ニュースのような看護婦のケースは、職種も致命的レベルも全く異なるとは言え、私の同僚のなかにも、ある面で よく似たパターンが見受けられる人が いた(しかも、むやみとエラソーwもっとも、相手を選んでだが。要するに、根拠もないのに、やたらプライドばかり高かったのは間違いない。何らかの精神障害が あったのだろう、おかげで、トバッチリが全部、こっちへ来たわけ)

 

うちの母の場合、投薬の過誤とかいうわけでなく、
ずばり、看護婦の心ない仕打ちに、母の側のプライドが粉々に打ち砕かれて(母も、異常なくらい、プライドが高かった)

自分でも、死期が近いことは感じていたであろう母は、まだ60代だったのに、もはやコトバを発することも困難になっていて、
ただ、その晩、突如として、真夜中に叫び出し、それを境に、たちまち、容体が悪化、そのまま、持ち直すことなく、じきに亡くなってしまったという経緯。

私には、母が、なぜ、突然、夜中に叫び出したかという理由を、たぶん、理解できている。

 

その看護婦は、小柄な、まだ若くて、化粧が念入りだった。
まあ、年齢相応に普通の女性なわけだろうけど。

かつては、回り過ぎるほど達者だった頭脳と口から滑らかな声もロクに出せなくなっていた、衰えきった姿からは、まさかと、予想すら していなかったろうし、

看護婦である自分の行為が、患者である母の、最後まで辛うじて残っていたプライドを打ちのめし、死期を早めたなんて、いまだに、知りもしないで生きているんだろうと思う。

 

母自身は、娘である私の僅かなプライドさえ叩き壊しては喜悦してきた、ある意味、最低な親だったけれど、

母が亡くなった前後の、あの看護婦との経緯を思い出すたび、私自身が、いまだに、じんわりと惨めな気持ちになる。

ほとんど、誰に訴えたところで むなしく、長年、胸に秘め続けてきたことの一つだ。

 

 

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Updated   
2016.09.17 (Sat)

いつだったか、旧のブログでだったかな、

内容は殆ど忘れてしまったくらいの過去に、わりと似たような事件が報じられたときにも、ポーの『アッシャア家の崩壊』というのを思い出し、それに譬えたことが あったような。
でも、これは、たしか、狂った妹が、恐れおののく兄を、っていう話だったね。

 

今 市子さんのマンガ作品に、『僕は旅をする』という題名の、やっぱり姉と弟のストーリーが あって、シチュエーションが似た部分は あるけれど、本質的には全然、真逆で、現実界での事件の殺伐、酷薄さとは違って、じつに せつない話だ。
でも、この せつなさは、むしろ、現実的な、身につまされる感覚でもって理解できるものだと思うので、それだけ、現実に起きた事件との あまりな落差に、ことばも出なくなる。

 

大島弓子さんの『夏の夜の獏』と同じく、
うちの実家事情に、ちょっとばかり似たところが あるだけに、読んでて、なんだか他人事でなく迫ってくるものが あり、今さんの作品のなかでも特に好きで、地味ながら忘れがたい印象。オススメの一つです。

                                 

 

さて、

なぜだか、とっても愛想が良い人特有の不自然さ、みたいなものを感じることが ある。

 

あるいは、個人的に、むかしの職場の同僚で、いつもケラケラ笑っていて(なぜか私には、その笑い声が、悲鳴のように聞こえていた)
周囲の全員から、明るく、ちょっと軽薄、でも、憎めない子、というキャラの若い女性が いたことを思い出すのだが、過去のエントリーで、この、元同僚女性のことをも思い出して述べた くだりが あったかと思う。

その同僚も、私と二人で、指定された仕事先に赴いて作業していた時期に、いつしか、互いのプライベートなことをも喋るようになっていたおり、彼女の生い立ちにも、幼い頃の両親の離婚以降、二人暮らしとなった母親からの暴力的言動という悩みを抱えていたことを知って、その外見の雰囲気との大きなギャップに驚いたことが ある。

 

離婚等の事情で片親となった母親の、子どもに対する態度の痛々しいほどの必死さといった傾向について、他の同僚男性からも、打ち明けられたことが ある。

 

かく言う私自身、見かけは、トンと苦労知らずな、どこぞの おっとり お嬢さま育ちに見えるらしいので、実際には、家庭内地獄と言うべき環境で生育したことを知った相手からは、やはり、大いに驚かれたという経験に事欠かないのだが。

 

 

そもそも、家庭内の問題なくして離婚するはずがないし、

さりとて、

辛うじて離婚しないからといって、問題が ないわけでないのはアタリマエだ。

何らかの、離婚できない裏事情、という問題も ある。ただ、一触即発の綱渡りなのだ。

 

 

ごく最近では、この事件でも、先述の同僚だった女性と似たようなものを感じた。

というのは、

ニュースで映し出された、容疑者の学校時分と思しき頃の写真、比較的最近のものと思しき写真を見て、まずは、

「こんなニコニコと愛想の良い顔して、よりによって、家族である血を分けた弟をか?」

という呆れ驚きと同時に、

やはり、その愛想の良さを全面に漲らせたような表情に対する、いくらかの違和感。

成人後のものと思しき写真では、かなりハッキリと、ある種の内面傾向を感じる。

それは、これまでに話題にしてきた同僚の一人で、精神的に隠れた問題を抱えていたことに、後日になって気づかされた、(例の、仕事できない)女性の顔の表情と共通したものが あるからだ。

 

この事件の姉というのは、接客態度は高評価だったそうで、仕事自体は、私の かつての同僚と違って、能力は高いほうだったのだろうが、
でも、二十代なのに、アルバイトなのだね。

さておき、どこが似ているのかというと、要するに、どこか演技的なのだ。

 

「些細なことで弟ともめ事になり殺害した」
日本テレビ系(NNN 914()111分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160914-00000020-nnn-soci

 

愛想が良過ぎるくらい良いタイプというのも、一面では、ある種、自分を守るための手段にしているのでは ないかなと思えることが あるものだ。

 

不穏な、また、危害を加えられそうだと感じるような、荒れた相手に対して、なだめるようにニコニコと接してみるというシチュエーションは、世間一般でも、わりと よくある対処的態度の一つでは あろうが、

その事件の容疑者である若い女の、満面にこやかな仮面の下に、どのような顔が押し込められているのだろうか。

調べて分析してみれば、押し込められていた歪みか何かしら出てくるのではと思える。

 

兄弟姉妹で暮らしているなかで、年齢と共に、そりが合わなくなってケンカになりやすいというパターンは、けっして、めずらしくは ないだろうが、

当該事件においても、まず、家族である弟を殺害したらしいことと、しかも、その遺体を激しく損壊してしまっているという異様さが際立つものの、

遺体の損壊については、全く理解不能というわけでもなく、やはり、事を隠蔽するにあたっては、さしあたって、こうするほか ないと判断したのだろう。それ自体は、まあ、せっぱ詰まったゆえのリクツでは あるのだろうが、やはり、もっと重大なのは、そこにまで至った動機のほうだ。

 

昨今、他人どうしが暮らす集合住宅でも、特に騒音の問題等は、殺人事件を引き起こすほどの一大原因になっている。

私自身も、過去の引っ越し先の何ヵ所かで、隣人の無自覚に響かせる乱暴な物音に悩まされ続けて、心臓の調子までが おかしくなった経験は あるし、

恐らく私自身も、知らず知らず、うるさい思いを させていたことも あっただろう。
聴覚障碍ゆえに、自分で気づけない場合もあるし、
逆に、聴覚障碍である私でさえ、思わずビックリするほど、大きな物音を立て続ける隣人も いた。

 

だいたい、近年の集合住宅の類は、
ハハァ、いま、ラーメンか何かズルズルすすってるなと、この聴障の私にも察せるほど、隣家とのあいだの壁が極薄とか、そのわりに、けっこうな高額の家賃は取られるが、

そもそも建物の造り自体にも大きな問題が あるのでは ないかと思うのだが、

看護婦でも会社員でも、職業には関係なく、特に若い人、また意外なことに、女性のほうが無神経な物音を立てることも多く、夜中に、友人たちを連れ込んで騒いでいたりもするし、

なかには、女性側が借りている部屋で半同棲している男性側の立てる生活音が大きくて、たまりかねて注意したら、あべこべに、その大柄な男性から食ってかかられたことも あった。

 

本当は、大家なり住宅の管理者に申し入れて、間接的に注意してもらうほうが得策なのだろうが、やんわりと冷静に注意したくらいで やむことは、結局、なかった。なので、何度も管理者に申し入れることを躊躇い、

やはり、最後には、被害側と加害側の双方が入り乱れ、当事者どうしの争いになりやすい。

 

 

それにしても、一部の「ヤフコメ」投稿者らが主張するような「普通は」と言うのなら、

思い余ったすえ、とうとう、殺害してしまったにせよ、それこそ「普通は」、自分が殺人を犯したということ自体に驚愕して、とにもかくにも、警察へ赴き、事情を話そうとするはずである。

あえて冷静な計算と言うならば、情状酌量というものも見込めるわけで。

 

ところが、

この事件の下手人である姉というのは、とにもかくにも、自分の犯したことを隠蔽するほうへ隠蔽するほうへと、アタマを めぐらしたらしい。そこが、まさに、「普通の」「常人」の感覚ではない、ということなのだ。

つまり、

自己保身、自分を守ろうとする衝動の激越さが、人を殺し、かつまた、
それを隠蔽し通そうとすることにのみ、乏しい思考を働かせている。

 

 

なぜかは知らないが、警戒心の強さゆえに殊更ニコニコとしていて、
それが、要は自分を守るための、自覚薄きながらの対処方法だったのであれば、問題は、

べつに、そのような危険性もないはずなのに、自己防御のための、必要以上に愛想良い態度を崩さないタイプの、人知れぬストレスというものが あると思う。

 

当該事件では、被害者である弟のほうにも、若い男性らしく無頓着な生活態度が、同居している、これも まだ若い姉を激怒させた原因は大きに あったのだろうが、

弟の友人たちも、実際のところ、連日のように やって来ては、夜遅くまで、いろんな音を垂れ流していたのなら、真面目にアルバイトしていた姉側の迷惑を、ちっとも考えていなかったことになる。

 

不機嫌な態度を、勤務先では一切、出そうとしなかったという姉のストレスは、なおのこと、高まっていっただろう。ノイローゼに近い状態だったということも あり得る。

 

弟の友人たちも、そこの家の姉に、自分たちが、けっして歓迎されていないこと、内心で疎まれていたことは、あるていど感じていたからこそ、急に、連絡が途絶えた友人である弟側の不在を怪しみ、追及を やめなかったのでは ないのか。

要するに、姉弟の仲が悪かったという以前に、弟の友人たちの非常識さのほうが、大きく作用したのかもしれない。

 

 

日常生活のなかで、仕事や近所の人々等、人間関係のトラブルを極力 避けつつ、何事も真面目に やってきた当の本人の内心は、事情を知らない他人からは窺い知れないことだけれど、

つよい被害意識が、おりおりに降り積もっていき、凝固してしまっていたのでは なかろうか。

 

この凄まじい自己防御、自己保身は、もはや通しきれぬとなったら、誰であれ、目の前の相手を徹底排除することを躊躇しない。

そして、当然のごとく、次には、自分が犯したことの隠蔽策を講じることを最優先する。

 

 

虚弱体質の私なんかは、元来めんどくさがりなので、これは かかわりたくないと思うに至った相手になんど、ただでさえ乏しい貴重なエネルギーを費やし続けるのがアホらしくてアホらしくて、遅かれ早かれ、どこかの時点でスッパリ切り捨てることになるのだが、そうなったら、身内であれ他人であれ、もう二度と、振り向くことは ない。それでスッキリできる。

 

争うことでエネルギーが充満してきて、むしろ、張り合いが出て、イキイキしてくるのだ、と言い放った女が いた。

私に対して、ネット ストーキングを はたらいては、言いがかりをフッかけてきたうちの一人だが、この女、自己申告通りに自己愛性人格障害者だった。

 

 

ありがちな姉の立場として、従来、弟は、自分が支配し従えるべき存在だったのかもしれない。

押し掛けてくる弟の友人たちとの問題が なければ、弟自身の生活態度が多少だらしなくても、姉らしい面倒見でコントロールできているうちは、多少は受容しながら、共に暮らしていけたのかもしれない。

 

男性と女性では、根本的な生活感覚の違いも多かれ少なかれ あろうし、

しかも、双方とも まだ若く、同時に、独立しているべき成人年齢には達しており、これから自分なりの生活スタイルやルール、世界観を、模索しつつ取り入れ、コツコツつくりあげていこうとする意欲の高まる時期でも ある。

 

当該事件の姉と弟の生活ぶりは、冷蔵庫や洗濯機等の家電製品をも各々で持っていたということで、それぞれのテリトリー意識が徹底していて非常に旺盛だった傾向を窺わせる。

それは、

つまり、そもそも当初から、あくまで、互いとの共同生活を基本として据えていたからこそ、つごうの悪いところは線引きしつつ、うまく構築していくことに真剣であったことの現れの一つだったろうが、

互いのテリトリー意識が激しく嵩じるにつれ、一歩も引かぬ熾烈な争いに発展しやすいことは、ま、国家間の領土争いでも起きることだね。

 

 

Updated   
2016.08.26 (Fri)

「ヤフコメ」のなかに、「障碍者が生きることの価値を、納得できるような理論なんて あるのか?教えてくれ」みたいなことを投稿して、他の投稿者から、「自分で考えよ」とか諌められてるのを見かけたと思うが、下記の記事でだったか どうか、見失ったけれど。

 

【相模原事件】植松容疑者は「モンスター」か? 再発を防ぐために精神科医は問いかける
BuzzFeed Japan 824()50分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160824-00010000-bfj-soci

 

例の、自民党議員である野田聖子氏に、そのあたりを問うてみたらいいのでは ないかしら。

彼女ならでは、身に染みて実感してきた思いや、そこから構築してきた考えを、しっかりと持っているはずでは ないかなと思うのだが。

 

【続・続】誰も言わない「障碍者の価値、その生存の価値」

 

~自民党の野田聖子氏の お子さんが、生まれながらに大変な状態であるということは、数年前の旧のブログ時に、ネット配信記事によって知ったのだが、

この、他人事で いられない野田聖子さんも、このたびの、重度重複障碍者襲撃事件を取りあげて、ブログで慨嘆なされたそうで、

下手人については、

社会の どこかで誰かの話に食いついたのだ

http://lite-ra.com/2016/08/post-2463.html

と指摘しているそうだが、

どこかの誰かの話、その「誰か」とは誰なのか、

何処を中心にして拡大されていったのか、
といったことについては、自民党内部の人であるゆえにか、決して、それ以上の分析と踏み込みは見せないようだ。

そして、

これからも、現政権を担っている与党の人間として望まれる行動を見せることは不可能なのだろうか。

 

 

しかし、

許されないことだ、と憤りを見せる専門家を始めとした識者や、一部「ネットウヨ」以外の一般のコメントが殆どであるとは言え、

なぜ、許されないことなのか、(重度)障碍者の生きる価値とは?ということに、明確な論を述べる人となると、たしかに、少ないのかなという気は する。

皆、どこか、歯切れが悪く、そのぶん、理論ではなく情緒的なほうへ傾いておくしか ないようにも見える。

 

上掲の記事に登場の、精神科医の御意見にしても、現場の従事者には当然のこととして判断される手続きと、知識に乏しい一般の人々の思い込みとのズレが あるのは窺えたが、

しかし、いかに重篤な「抑うつ」なり「躁」状態だったという診断が下されるにしても、そういう症状に陥っていたからといって、あの容疑者のような思考内容と行動を とると決まっているわけでは あるまい。

 

この医師も、ここでは触れておられないようだが、

措置入院から退院するときに、まずは親が同居すると言って引き取ったはずの話は、いったい、どうなっていたのか、あまり、つっこまれないままなのも怪訝に感じる。

 

むかし、うちの身内の場合は、診断内容は異なっていたけれど、退院時、主治医からの話で、患者本人の信頼する相手と日常を過ごすことの重要性を聞かされたものだ。

 

うちの身内は、症状が重くなると、とたんに、自己内部の疑心暗鬼が作り出す、荒唐無稽なストーリーを、現実の ちょっとした現象を引き合いにして、だから本当に事実なのだと強硬に主張し始め、そのたびに、
姉で ある うちの母(この人も、脳の異常持ちだったことが、のちに判明したことは、過去エントリーで述べてきた)が、
こっちまで のけぞるような大音声で どやしつけるので、

私が、ちとキツ過ぎやせんか?と抗議すると、

「そんな甘いことで、迂闊に同調していると、なんぼでも本人の思い込みを酷くするだけ!おかしなこと言い出したら、そのたびに、徹底的に叱りつけ、おまえの考えが おかしいと分からせて、叩き込まないと!!」

というふうに突っ撥ねていた。

どやされた本人は、顔いっぱいに むくれて、大いに不満を あらわにするか、めそめそ泣きっ面になるのだが、

最初の頃、若かった私が、なんとも なさけなく、哀れに思い、
よほど辛いことでも あったの?
と尋ねたとたん、機嫌が良くなり、かなり扱いやすい態度に豹変したこともあったので、
はたして、母が主張していた強硬な方法論と、どちらがベターだったのか、いまでも、よく分からない。

とにかく、服薬が第一になった。

 

心なしか、今回の事件では、比較的、容疑者の親が、あまり激しい罵倒や追及を浴びないでいることは、ネットでは非常に めずらしいことと思えるのだが、私の知らない場では、そんなこともないのだろうか。

 

小学生たちを襲撃した、「死刑願望」自己申告の犯人とは、犯行内容の類似性は高いように見えるが、あの事件と比べて、

むしろ、今回の容疑者への、軽薄な共感や、被害者たちと御家族へ向けた「セカンド レイプ」的コメントのほうが、わりと多い感じすら するのだが、

このことと、ひょっとして、容疑者の親についての先述のような現象との関係性が潜んでいるということは ないのだろうか。

あるいは、例の、佐世保の高校生事件で、父親が自殺してしまったことの反省からだろうか。

 

 

…そう言えば、作家の故 北杜夫氏も、ご自分で、かなり重篤な「躁鬱病」であると診断し、宣言されていたのでは なかったかしら。

でも、ご聡明な紳士で いらっしゃった。

 

やはり、「双極性障害」だろうが酷い「躁」だろうが、あのような思考回路に陥ることの、社会的背景も含めた分析は必要だと思う。

要は、ああいう思考に陥らせない、ドップリのめり込まさないことが、未然の防止策だろう。そこで、ネットの存在が、どう作用したか。

 

それにしても、この容疑者、本当に「孤立」していたのか?

いろんな事後記事を見たかぎりでは、それなりに活発な交友関係を持つ「リア充」タイプに思えたけども。

事件直前にも、知人女性と、食事を楽しんだらしいし。

しょせん、上っ面だけチョーシのいい つきあいということか。

 

容疑者の友人たちも、その考えは間違ってる!と、かなり どやしつけたり忠告したらしいのに、なぜ、納得させることが できなかったか。

徹底的に論破しきれなかった、ということなのか?

 

 

私の経験だけれど、正直に言って、身体障碍者を真っ向から侮辱したり、自分のほうが優位だと ひけらかして得意になっている手合いというものは、もちろん、「健常者」ならではの傲慢さや思考停止も見受けるけれど、そこが最もアカラサマに噴出していたのは、知能面や精神的疾患の問題を抱えている者に顕著だった。

ただし、この方面の障碍者にも、個々に様々な違いは ある。これまでにも何度も指摘してきたとおりだ。

障碍者が、障碍者を嘲笑する。

「底辺」「負け組」が、おのれの同類と見做した相手を侮蔑するの図、である。

 

それと、

すでに多くの人の指摘も あるように、ああした考えは、昨今、特にインターネットでは、めずらしくもない。

私も、「ん?emoji」と思って、似たことを言い募るコメント投稿者らを確認してみれば、ほぼ例外なく、いわゆるネットウヨの典型的な類だった。

 

 

恐ろしい被害を受けながらも、辛うじて一命を とりとめ、まだ病床にある人たちは、
いわゆる健常者であっても、今後の人生に重大なPTSDやトラウマを抱えてしまうところ、

静かに就寝中だったのを、思いがけぬ襲撃の恐怖で、いまも、やすらかに眠りにつくことすら できないでいるのでは ないだろうか。。。

 

 

Updated   
2016.08.23 (Tue)

アメリカでの事件だが、下記の記事では、経緯詳細の不明点が多過ぎて、断定的なことは言えない。

ただ、まず言えそうだと思われることは、やはり、ここでも、ほとんどの人が指摘するように、「銃社会」ゆえの悪循環に陥っているのでは ないかということ。

こんにちの日本国内で、銃器による一般市民間での事件が少ないことの最大要因が、そもそも、敗戦後の日本において「刀狩」を行なった占領時アメリカの施策によるものというのだから、いまでは、「銃社会アメリカ」を軽蔑する日本人と併せて、なんとも皮肉なことだ。

 

スピード違反の命令聞こえず? 聴覚障害の米男性、警官が射殺
AFP=時事 823()134分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160823-00000020-jij_afp-int

 

旧日本軍の場合も そうだったらしいが、

誰もが「ゲリラ」である疑いが払拭でき得ないと、現代でも、“IS”あたりを中心とした「イスラム過激派」の「自爆テロ」等に対する警戒に窺えるように、疑心暗鬼のすえは、無差別殺戮に陥りがちだ。

 

さて、「ヤフコメ」をザッと眺めていて、やっぱりなぁ、と思ったことを記しておく。

 

聴覚障碍者は、のんびりしている人が多いんですわ。

 

そこへ加えて、もちろん、その個人の性格も左右するだろうが、

周囲の雑音が聞こえないゆえに、たまたま、何かに気を取られていたりすると、おそらく、健聴者には理解しがたいほどに、周辺情況に無頓着になりがちだったりすることが起き得るということ。

 

それだけに、聴覚障碍者が、何かしらの作業に没頭したりしているときは、非常に集中して できる人も いるだろうと思う。

 

聴覚障害者について、こういう障碍を持ったことがない人は勿論のこと、当の聴覚障碍者自身も、無自覚な人が多いのかもしれない。

専門家筋の人の指摘も見たことは あるが、私自身、自分で、中学時代頃には気づいていた。

それは、
聴覚障害者に往々見受けられる特性的傾向として、のんびり、おっとりした性格の人が多い、ということ。

 

この理由としては、健聴者が聞き取れる不快な雑音類から、ある意味では「守られている」ということが、理由として挙げられるかと思う。

言い替えれば、自分の世界に一人で没頭してしまう傾向が、多少は あるかもしれないということ。

 

 

視覚障碍者の場合は、一般的な人の場合の情報取り込みが、大部分は視覚から得るという通常パターンから妨げられていることで、かえって、聴覚その他の感覚が鋭敏になるらしいことは、世間でも比較的に知られているし、また、経験していない者にも想像しやすいことだと思われるが、

うちの母親などは、若い頃、友人の母親が全盲者だったことから、ある嫌疑を蒙って、非常に不快な思いを したことが あったと語っていた、
その内容も、閉鎖された旧ブログで紹介したことが あるのだが、ここでは省く。

 

要するに、
視覚障碍者、特に全盲の場合、普通に目が見える人が得る情報の殆どを、視覚以外から取り込むしかないので、うちの母親の表現を借りれば、「視覚障碍の人は、性格がキツイ」ということになりがち、なのかもしれない。

私なんかは、

「一番、情報を取得し易い視覚がアテにならない分、命に かかわるだけに、生きていくうえで、視覚障碍者は、鋭敏なほど、しっかりせざるを得ない」のだろうなと察するわけだが、

私自身が背負っている聴覚障碍の場合には、視覚障碍者と逆に出てくるということが、

のんびり、おっとり、自分の世界に没頭しがち、

という傾向だ。

 

 

補聴器が、ほとんどと言うか全く役に立たない私は、自動車免許を取得することなく きているが、やはり、その理由には、自信が持てないということが大きいのだけれど、

とは言え、大半の自動車事故の原因には、健常者でも圧倒的なように、横着慢心の他には、「どんくさい」、要するに、反射能力の鈍さが、最も致命的な要因だろうと思う。
こういった点で、老齢のドライバーが不利なのは自然当然だろう。しかも、もともとの田舎住まいほど、長年の慣れた道だ。

 

 

私は、自転車のベルなんかも、他に注意が行っている歩行中は尚更で全く聞こえないのだが、そんな私は、自分が自転車に乗っていて、歩いている人の背後で、しかたなくベルを鳴らすときには、遠慮がちに、できるだけ小さく小さく鳴らしているつもりなのだが、それでも、幼い子どもですら敏感に、後ろを振り向くし、大概の大人は、振り向くまでもなくササッと、道の端に よけてくれたりするので、なんとなく感心してしまう。

 

クラクションにも、背後から接近している車にも気づかず、
連れ立って歩いていたクラスメートに、「危ない!」と、腕を急に掴まれ、引き寄せられてビックリしたり、

実際、いまでも、少し気を抜くと、からだの横スレスレに、スピードを落としもせず すり抜けていく車に、肝を冷やす経験はゴマンとあるので、いつしか、外を歩行中などは、できるかぎり、道の端に端に寄り、なおかつ、しょっちゅう、後ろを振り返って歩くクセが ついた。

事情を知らない人が見たら、何者かに つけられているのを警戒しているのかと思われそうなくらいだ。

 

 

旅行の宿泊先で、いや、自宅でさえも、一人で就寝中、もしも、火事などが起きて、外から大声で呼び起こされても、たぶん、気づかないだろうと思う。その覚悟で いるしか ない。

そういうときは、ドアを思いっきりガンゴン叩いていただけたら、だいぶ助かるかと思うので、なにとぞ、よろしく お願いしますm(-_-)m

 

 

Updated   
2016.07.29 (Fri)

【続】なるほど“Beautiful Japan”()

 

戦後最悪の政権である

とは、第二次安倍政権発足して間もなくから、私は言い続けてきたのだが、

まさに、

この政権にして起きた事件と言えよう。

 

なにせ、第二次安倍政権イの一番にやったことは、生活保護費の削減からで(その後も継続している)、

私は当時、『産経』系サイトでブログを やっていたので、まわりは殆ど、いわゆるネトウヨばかりだったが、そのなかのバリバリ自民党支持者のオッサンが、そのニュースが掲載されているのを見て、コメントを付けていた。

政権に返り咲いて最初にやる仕事がコレかよ。。。」

と。

心底呆れていたらしいのを憶えているが、

自民党・安倍政権の熱心な支持者と思しき手合いですらも、このように言っていたのだよ。

これ一事だけでも、安倍政権の本質と目指すところは明白だ。

 

障碍者、特に重度障碍者は、

国に迷惑かける「弱者」は、いずれ、徴兵制を目指す(言っとくが、『日本会議』あたりが明言している)うえでも、「健常者」たちから、不公平だ!という不満を呼び込まないために、撲滅すべき対象であるのだろう。

 

私なんかは、

今回の事件、わざと見逃しておき、もし実行したならば、これチャンスと、大衆の反応を窺い、幸い、この犯行に共感的な声が少なくないようだと見たならば、本当に、社会的弱者「安楽死」制度を整える切っ掛けにするつもりだったんじゃねえの?

と勘繰りたくなった。

実際、やりかねんからなあ、あの政権は。

 

 

バカ力と似たようなもので、

バカに、なまじっか行動力が備わっていると、はなはだ始末が悪いことになるという典型のような事件。。。

 

なるほど、

行動するホシュ」?()

 

 

言っておくが、

「在日」に対する、ウヨの言動と同じだ、と指摘しているコメントが幾つか あるが、

ネットウヨまたはウヨの、障碍者蔑視、抹殺シンパシー的言動は
「在日」についての主張と並行して行われてきている
よ。

 

私が常々「カルト連」と呼んでいる、過去に、さんざんネットストーキングと投稿妨害された連中は、はっきりと、ナチスへの親近感と礼賛欲求を剥き出しにしていた。

 

 

ま、私が、どこかのメディアの記者稼業なら、あの石原チンタロー爺さんあたりにマイクを向けて、

「この犯人は、妥当なことを やったのだという見解を お持ちでしょうねえ~?」

と、イヤミを込めてインタビューしたい欲求を抑え切れないかもw

 

 

当該犯人は、事件後、大麻の反応検査を拒んでいたという記事も あるが、

すでに、大麻による影響が、ほぼ消失している、そのうえで起こした凶行だったことがバレたくなかった、というわけなのだろうか。

もしも そうなら、やはり、それなりにキッチリ計算してのことであったのは明白であるとしか思えない。

 

それにしても、

刃物を振るっている自分自身も、返り血等で、手が滑り、大ケガを する危険が あるのに、

50分ほどの犯行時間帯に、じつに50人近くを次々と深く刺傷していったという異様なエネルギーと言うかバカ力は、何の薬物の影響なのだろうか。

 

 

ネットウヨの おとくい、

「死刑!死刑!すぐ死刑!!」
という相変わらず喧しい投稿もバカまる出しの極致、

こういう事件のときほど、様々な背景事情を徹底的に追究するべきなのだ。

さっさと死なせれば済むことでは ないのだぞ。

 

 

話は移るが、

近年、佐世保にて起きた、同級生殺害・遺体損壊事件の女生徒も、専門筋が、他害の高危険性を指摘していたにも かかわらず、結局うやむやのまま、野放しにしてしまっていたと聞く。

 

今回の事件でも、措置入院前後の見極めと対処が、各方面・各部署で、それぞれの要所要所に、どこか甘い傾向が、どうしても感じられる。

 

きのう、とある記事で読んだには、

下手人が押し入って犯行の最中、一人だけが、かろうじて身を隠し、
外部の職員宅に、「ライン」で連絡を取った男性が いたそうなのだが、

警察に直接通報できても、住所地や現況について、少しは尋ねられるであろうし、あのような緊急事態では、それも また危険なので、

この職員の行動は、インターネット社会ならでの利便性の良の側面では あるものの、

「やばいことが起きた。すぐ来て」

という内容は、記事のとおりの事実なのであれば、

こうした緊急事態に備えての職員の教育も浅いように思えた。

 

「すぐ来て」と呼んで、
それが また重ねて巻き添えになるだけでは、無意味に終わる。

 

やはり、まずは警察に連絡してくれるよう要請するのが最優先事項だ。

その後に続けて、あくまで可能な範囲で、
いま起きていることの掻い摘んだ説明を添えるのが賢明だろう。

【続く】