2016.09.17 (Sat)
いつだったか、旧のブログでだったかな、
内容は殆ど忘れてしまったくらいの過去に、わりと似たような事件が報じられたときにも、ポーの『アッシャア家の崩壊』というのを思い出し、それに譬えたことが あったような。
でも、これは、たしか、狂った妹が、恐れおののく兄を、っていう話だったね。
今 市子さんのマンガ作品に、『僕は旅をする』という題名の、やっぱり姉と弟のストーリーが あって、シチュエーションが似た部分は あるけれど、本質的には全然、真逆で、現実界での事件の殺伐、酷薄さとは違って、じつに せつない話だ。
でも、この せつなさは、むしろ、現実的な、身につまされる感覚でもって理解できるものだと思うので、それだけ、現実に起きた事件との あまりな落差に、ことばも出なくなる。
大島弓子さんの『夏の夜の獏』と同じく、
うちの実家事情に、ちょっとばかり似たところが あるだけに、読んでて、なんだか他人事でなく迫ってくるものが あり、今さんの作品のなかでも特に好きで、地味ながら忘れがたい印象。オススメの一つです。
さて、
なぜだか、とっても愛想が良い人特有の不自然さ、みたいなものを感じることが ある。
あるいは、個人的に、むかしの職場の同僚で、いつもケラケラ笑っていて(なぜか私には、その笑い声が、悲鳴のように聞こえていた)、
周囲の全員から、明るく、ちょっと軽薄、でも、憎めない子、というキャラの若い女性が いたことを思い出すのだが、過去のエントリーで、この、元同僚女性のことをも思い出して述べた くだりが あったかと思う。
その同僚も、私と二人で、指定された仕事先に赴いて作業していた時期に、いつしか、互いのプライベートなことをも喋るようになっていたおり、彼女の生い立ちにも、幼い頃の両親の離婚以降、二人暮らしとなった母親からの暴力的言動という悩みを抱えていたことを知って、その外見の雰囲気との大きなギャップに驚いたことが ある。
離婚等の事情で片親となった母親の、子どもに対する態度の痛々しいほどの必死さといった傾向について、他の同僚男性からも、打ち明けられたことが ある。
かく言う私自身、見かけは、トンと苦労知らずな、どこぞの おっとり お嬢さま育ちに見えるらしいので、実際には、家庭内地獄と言うべき環境で生育したことを知った相手からは、やはり、大いに驚かれたという経験に事欠かないのだが。
そもそも、家庭内の問題なくして離婚するはずがないし、
さりとて、
辛うじて離婚しないからといって、問題が ないわけでないのはアタリマエだ。
何らかの、離婚できない裏事情、という問題も ある。ただ、一触即発の綱渡りなのだ。
ごく最近では、この事件でも、先述の同僚だった女性と似たようなものを感じた。
というのは、
ニュースで映し出された、容疑者の学校時分と思しき頃の写真、比較的最近のものと思しき写真を見て、まずは、
「こんなニコニコと愛想の良い顔して、よりによって、家族である血を分けた弟をか?」
という呆れ驚きと同時に、
やはり、その愛想の良さを全面に漲らせたような表情に対する、いくらかの違和感。
成人後のものと思しき写真では、かなりハッキリと、ある種の内面傾向を感じる。
それは、これまでに話題にしてきた同僚の一人で、精神的に隠れた問題を抱えていたことに、後日になって気づかされた、(例の、仕事できない)女性の顔の表情と共通したものが あるからだ。
この事件の姉というのは、接客態度は高評価だったそうで、仕事自体は、私の かつての同僚と違って、能力は高いほうだったのだろうが、
でも、二十代なのに、アルバイトなのだね。
さておき、どこが似ているのかというと、要するに、どこか演技的なのだ。
『「些細なことで弟ともめ事になり殺害した」』
日本テレビ系(NNN) 9月14日(水)11時1分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160914-00000020-nnn-soci
愛想が良過ぎるくらい良いタイプというのも、一面では、ある種、自分を守るための手段にしているのでは ないかなと思えることが あるものだ。
不穏な、また、危害を加えられそうだと感じるような、荒れた相手に対して、なだめるようにニコニコと接してみるというシチュエーションは、世間一般でも、わりと よくある対処的態度の一つでは あろうが、
その事件の容疑者である若い女の、満面にこやかな仮面の下に、どのような顔が押し込められているのだろうか。
調べて分析してみれば、押し込められていた歪みか何かしら出てくるのではと思える。
兄弟姉妹で暮らしているなかで、年齢と共に、そりが合わなくなってケンカになりやすいというパターンは、けっして、めずらしくは ないだろうが、
当該事件においても、まず、家族である弟を殺害したらしいことと、しかも、その遺体を激しく損壊してしまっているという異様さが際立つものの、
遺体の損壊については、全く理解不能というわけでもなく、やはり、事を隠蔽するにあたっては、さしあたって、こうするほか ないと判断したのだろう。それ自体は、まあ、せっぱ詰まったゆえのリクツでは あるのだろうが、やはり、もっと重大なのは、そこにまで至った動機のほうだ。
昨今、他人どうしが暮らす集合住宅でも、特に騒音の問題等は、殺人事件を引き起こすほどの一大原因になっている。
私自身も、過去の引っ越し先の何ヵ所かで、隣人の無自覚に響かせる乱暴な物音に悩まされ続けて、心臓の調子までが おかしくなった経験は あるし、
恐らく私自身も、知らず知らず、うるさい思いを させていたことも あっただろう。
聴覚障碍ゆえに、自分で気づけない場合もあるし、
逆に、聴覚障碍である私でさえ、思わずビックリするほど、大きな物音を立て続ける隣人も いた。
だいたい、近年の集合住宅の類は、
ハハァ、いま、ラーメンか何かズルズルすすってるなと、この聴障の私にも察せるほど、隣家とのあいだの壁が極薄とか、そのわりに、けっこうな高額の家賃は取られるが、
そもそも建物の造り自体にも大きな問題が あるのでは ないかと思うのだが、
看護婦でも会社員でも、職業には関係なく、特に若い人、また意外なことに、女性のほうが無神経な物音を立てることも多く、夜中に、友人たちを連れ込んで騒いでいたりもするし、
なかには、女性側が借りている部屋で半同棲している男性側の立てる生活音が大きくて、たまりかねて注意したら、あべこべに、その大柄な男性から食ってかかられたことも あった。
本当は、大家なり住宅の管理者に申し入れて、間接的に注意してもらうほうが得策なのだろうが、やんわりと冷静に注意したくらいで やむことは、結局、なかった。なので、何度も管理者に申し入れることを躊躇い、
やはり、最後には、被害側と加害側の双方が入り乱れ、当事者どうしの争いになりやすい。
それにしても、一部の「ヤフコメ」投稿者らが主張するような「普通は」と言うのなら、
思い余ったすえ、とうとう、殺害してしまったにせよ、それこそ「普通は」、自分が殺人を犯したということ自体に驚愕して、とにもかくにも、警察へ赴き、事情を話そうとするはずである。
あえて冷静な計算と言うならば、情状酌量というものも見込めるわけで。
ところが、
この事件の下手人である姉というのは、とにもかくにも、自分の犯したことを隠蔽するほうへ隠蔽するほうへと、アタマを めぐらしたらしい。そこが、まさに、「普通の」「常人」の感覚ではない、ということなのだ。
つまり、
自己保身、自分を守ろうとする衝動の激越さが、人を殺し、かつまた、
それを隠蔽し通そうとすることにのみ、乏しい思考を働かせている。
なぜかは知らないが、警戒心の強さゆえに殊更ニコニコとしていて、
それが、要は自分を守るための、自覚薄きながらの対処方法だったのであれば、問題は、
べつに、そのような危険性もないはずなのに、自己防御のための、必要以上に愛想良い態度を崩さないタイプの、人知れぬストレスというものが あると思う。
当該事件では、被害者である弟のほうにも、若い男性らしく無頓着な生活態度が、同居している、これも まだ若い姉を激怒させた原因は大きに あったのだろうが、
弟の友人たちも、実際のところ、連日のように やって来ては、夜遅くまで、いろんな音を垂れ流していたのなら、真面目にアルバイトしていた姉側の迷惑を、ちっとも考えていなかったことになる。
不機嫌な態度を、勤務先では一切、出そうとしなかったという姉のストレスは、なおのこと、高まっていっただろう。ノイローゼに近い状態だったということも あり得る。
弟の友人たちも、そこの家の姉に、自分たちが、けっして歓迎されていないこと、内心で疎まれていたことは、あるていど感じていたからこそ、急に、連絡が途絶えた友人である弟側の不在を怪しみ、追及を やめなかったのでは ないのか。
要するに、姉弟の仲が悪かったという以前に、弟の友人たちの非常識さのほうが、大きく作用したのかもしれない。
日常生活のなかで、仕事や近所の人々等、人間関係のトラブルを極力 避けつつ、何事も真面目に やってきた当の本人の内心は、事情を知らない他人からは窺い知れないことだけれど、
つよい被害意識が、おりおりに降り積もっていき、凝固してしまっていたのでは なかろうか。
この凄まじい自己防御、自己保身は、もはや通しきれぬとなったら、誰であれ、目の前の相手を徹底排除することを躊躇しない。
そして、当然のごとく、次には、自分が犯したことの隠蔽策を講じることを最優先する。
虚弱体質の私なんかは、元来めんどくさがりなので、これは かかわりたくないと思うに至った相手になんど、ただでさえ乏しい貴重なエネルギーを費やし続けるのがアホらしくてアホらしくて、遅かれ早かれ、どこかの時点でスッパリ切り捨てることになるのだが、そうなったら、身内であれ他人であれ、もう二度と、振り向くことは ない。それでスッキリできる。
争うことでエネルギーが充満してきて、むしろ、張り合いが出て、イキイキしてくるのだ、と言い放った女が いた。
私に対して、ネット ストーキングを はたらいては、言いがかりをフッかけてきたうちの一人だが、この女、自己申告通りに自己愛性人格障害者だった。
ありがちな姉の立場として、従来、弟は、自分が支配し従えるべき存在だったのかもしれない。
押し掛けてくる弟の友人たちとの問題が なければ、弟自身の生活態度が多少だらしなくても、姉らしい面倒見でコントロールできているうちは、多少は受容しながら、共に暮らしていけたのかもしれない。
男性と女性では、根本的な生活感覚の違いも多かれ少なかれ あろうし、
しかも、双方とも まだ若く、同時に、独立しているべき成人年齢には達しており、これから自分なりの生活スタイルやルール、世界観を、模索しつつ取り入れ、コツコツつくりあげていこうとする意欲の高まる時期でも ある。
当該事件の姉と弟の生活ぶりは、冷蔵庫や洗濯機等の家電製品をも各々で持っていたということで、それぞれのテリトリー意識が徹底していて非常に旺盛だった傾向を窺わせる。
それは、
つまり、そもそも当初から、あくまで、互いとの共同生活を基本として据えていたからこそ、つごうの悪いところは線引きしつつ、うまく構築していくことに真剣であったことの現れの一つだったろうが、
互いのテリトリー意識が激しく嵩じるにつれ、一歩も引かぬ熾烈な争いに発展しやすいことは、ま、国家間の領土争いでも起きることだね。