2016.08.26 (Fri)
「ヤフコメ」のなかに、「障碍者が生きることの価値を、納得できるような理論なんて あるのか?教えてくれ」みたいなことを投稿して、他の投稿者から、「自分で考えよ」とか諌められてるのを見かけたと思うが、下記の記事でだったか どうか、見失ったけれど。
『【相模原事件】植松容疑者は「モンスター」か? 再発を防ぐために精神科医は問いかける』
BuzzFeed Japan 8月24日(水)5時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160824-00010000-bfj-soci
例の、自民党議員である野田聖子氏に、そのあたりを問うてみたらいいのでは ないかしら。
彼女ならでは、身に染みて実感してきた思いや、そこから構築してきた考えを、しっかりと持っているはずでは ないかなと思うのだが。
~自民党の野田聖子氏の お子さんが、生まれながらに大変な状態であるということは、数年前の旧のブログ時に、ネット配信記事によって知ったのだが、
この、他人事で いられない野田聖子さんも、このたびの、重度重複障碍者襲撃事件を取りあげて、ブログで慨嘆なされたそうで、
下手人については、
「社会の どこかで誰かの話に食いついたのだ」
http://lite-ra.com/2016/08/post-2463.html
と指摘しているそうだが、
どこかの誰かの話、その「誰か」とは誰なのか、
何処を中心にして拡大されていったのか、
といったことについては、自民党内部の人であるゆえにか、決して、それ以上の分析と踏み込みは見せないようだ。
そして、
これからも、現政権を担っている与党の人間として望まれる行動を見せることは不可能なのだろうか。
しかし、
許されないことだ、と憤りを見せる専門家を始めとした識者や、一部「ネットウヨ」以外の一般のコメントが殆どであるとは言え、
なぜ、許されないことなのか、(重度)障碍者の生きる価値とは?ということに、明確な論を述べる人となると、たしかに、少ないのかなという気は する。
皆、どこか、歯切れが悪く、そのぶん、理論ではなく情緒的なほうへ傾いておくしか ないようにも見える。
上掲の記事に登場の、精神科医の御意見にしても、現場の従事者には当然のこととして判断される手続きと、知識に乏しい一般の人々の思い込みとのズレが あるのは窺えたが、
しかし、いかに重篤な「抑うつ」なり「躁」状態だったという診断が下されるにしても、そういう症状に陥っていたからといって、あの容疑者のような思考内容と行動を とると決まっているわけでは あるまい。
この医師も、ここでは触れておられないようだが、
措置入院から退院するときに、まずは親が同居すると言って引き取ったはずの話は、いったい、どうなっていたのか、あまり、つっこまれないままなのも怪訝に感じる。
むかし、うちの身内の場合は、診断内容は異なっていたけれど、退院時、主治医からの話で、患者本人の信頼する相手と日常を過ごすことの重要性を聞かされたものだ。
うちの身内は、症状が重くなると、とたんに、自己内部の疑心暗鬼が作り出す、荒唐無稽なストーリーを、現実の ちょっとした現象を引き合いにして、だから本当に事実なのだと強硬に主張し始め、そのたびに、
姉で ある うちの母(この人も、脳の異常持ちだったことが、のちに判明したことは、過去エントリーで述べてきた)が、
こっちまで のけぞるような大音声で どやしつけるので、
私が、ちとキツ過ぎやせんか?と抗議すると、
「そんな甘いことで、迂闊に同調していると、なんぼでも本人の思い込みを酷くするだけ!おかしなこと言い出したら、そのたびに、徹底的に叱りつけ、おまえの考えが おかしいと分からせて、叩き込まないと!!」
というふうに突っ撥ねていた。
どやされた本人は、顔いっぱいに むくれて、大いに不満を あらわにするか、めそめそ泣きっ面になるのだが、
最初の頃、若かった私が、なんとも なさけなく、哀れに思い、
よほど辛いことでも あったの?
と尋ねたとたん、機嫌が良くなり、かなり扱いやすい態度に豹変したこともあったので、
はたして、母が主張していた強硬な方法論と、どちらがベターだったのか、いまでも、よく分からない。
とにかく、服薬が第一になった。
心なしか、今回の事件では、比較的、容疑者の親が、あまり激しい罵倒や追及を浴びないでいることは、ネットでは非常に めずらしいことと思えるのだが、私の知らない場では、そんなこともないのだろうか。
小学生たちを襲撃した、「死刑願望」自己申告の犯人とは、犯行内容の類似性は高いように見えるが、あの事件と比べて、
むしろ、今回の容疑者への、軽薄な共感や、被害者たちと御家族へ向けた「セカンド レイプ」的コメントのほうが、わりと多い感じすら するのだが、
このことと、ひょっとして、容疑者の親についての先述のような現象との関係性が潜んでいるということは ないのだろうか。
あるいは、例の、佐世保の高校生事件で、父親が自殺してしまったことの反省からだろうか。
…そう言えば、作家の故 北杜夫氏も、ご自分で、かなり重篤な「躁鬱病」であると診断し、宣言されていたのでは なかったかしら。
でも、ご聡明な紳士で いらっしゃった。
やはり、「双極性障害」だろうが酷い「躁」だろうが、あのような思考回路に陥ることの、社会的背景も含めた分析は必要だと思う。
要は、ああいう思考に陥らせない、ドップリのめり込まさないことが、未然の防止策だろう。そこで、ネットの存在が、どう作用したか。
それにしても、この容疑者、本当に「孤立」していたのか?
いろんな事後記事を見たかぎりでは、それなりに活発な交友関係を持つ「リア充」タイプに思えたけども。
事件直前にも、知人女性と、食事を楽しんだらしいし。
しょせん、上っ面だけチョーシのいい つきあいということか。
容疑者の友人たちも、その考えは間違ってる!と、かなり どやしつけたり忠告したらしいのに、なぜ、納得させることが できなかったか。
徹底的に論破しきれなかった、ということなのか?
私の経験だけれど、正直に言って、身体障碍者を真っ向から侮辱したり、自分のほうが優位だと ひけらかして得意になっている手合いというものは、もちろん、「健常者」ならではの傲慢さや思考停止も見受けるけれど、そこが最もアカラサマに噴出していたのは、知能面や精神的疾患の問題を抱えている者に顕著だった。
ただし、この方面の障碍者にも、個々に様々な違いは ある。これまでにも何度も指摘してきたとおりだ。
障碍者が、障碍者を嘲笑する。
「底辺」「負け組」が、おのれの同類と見做した相手を侮蔑するの図、である。
それと、
すでに多くの人の指摘も あるように、ああした考えは、昨今、特にインターネットでは、めずらしくもない。
私も、「ん?」と思って、似たことを言い募るコメント投稿者らを確認してみれば、ほぼ例外なく、いわゆるネットウヨの典型的な類だった。
恐ろしい被害を受けながらも、辛うじて一命を とりとめ、まだ病床にある人たちは、
いわゆる健常者であっても、今後の人生に重大なPTSDやトラウマを抱えてしまうところ、
静かに就寝中だったのを、思いがけぬ襲撃の恐怖で、いまも、やすらかに眠りにつくことすら できないでいるのでは ないだろうか。。。