2016.08.18 (Thu)
「あっ、そ~ぅ」
が つとに知られていた昭和天皇の御生前、侍従の どなたかに、
自分は口下手なので、、、
という お悩みを こぼされたことが あったそうな。
だからこその、万感を込められての
「あっ、そぉ~ぅ」
だったのだろう(笑)
このエピソードを思い出すたび、
いずれ、「天皇」の地位に就くことになるのであろう立場に おられる人の苦悩を思わずに いられない。
仮に、
現皇太子家の一人娘さんである愛子内親王が、「女性天皇」あるいは「女系天皇」となられるとしよう。
これまでの各社ニュース記事等から窺える印象では、
見ず知らずの誰とでも気楽に雑談等こなすのが お得意そうなタイプでは、けっして なさそうに見受けるのだけれど、
長じるにしたがって、場慣れも あろうかとは思うけれど、
ある程度の変化は あり得るにしても、人間もともとの性質は、あまり大きく変わらないだろうし、しかし、そんなことを言って避けているわけに いくまいから、先々を想像すると、なんだか お気の毒な感じさえ するのだ。
昭和天皇までは、いかに悲惨な戦争そして敗戦という結末を招いた御代とは言えど、
最後の「帝王教育」を施されて生育したという天皇と、「現人神」なる刷り込みを施されていたシモジモ国民の時代だったのだから、
たった一言に、せいいっぱいの気遣いと万感を込め、鷹揚に頷いておられるだけで、人々は有難がって済んでいたのかもしれないが、
現代においては、すでに、そんな大らかなことでは通らなくなっている。
公務を怠けている!という俗世間でのイメージに左右されたか愚か者が、威丈高な憤りを見せて、目の前の皇太子妃に掴みかからんばかり口汚く罵りながらの無礼な ふるまいが、公衆の面前にて起きたことが あった。
いまの民衆は、情報が溢れるばかりの時代にあって、ますます、分かり易さ、かつ、自発的に そうあろうと努める存在を求めている。
だから、『日本会議系』御用学者の「八木」某あたりが言ったという、まさに、「菊のカーテン」の「奥に まします」的な やりかたでは、現代の民心は、もっと離れていき、もっと無関心になるだろう。
こういうところからして、『日本会議』系の連中は、時代錯誤が酷過ぎて、わざとじゃないのなら、何も分かってないとしか言いようがない。
それこそ、麻生さんの「ナチスに学べ」じゃないが、
民衆が気づかないうちに着実に遣り遂げられていた静かな革命、
現天皇のほうが、その辺の現実を、よく分かっていらっしゃったわけだ。
ところで、
一般人ならば、誰から敬意を以て遇されることも一切なく、ひたすら孤立無援の、しがない労働者として働かざるを得ない情況も、めずらしいことでは ないが、
そんな生活のなかで、どうにも性に合わない仕事に明け暮れているうちには、精神力が強靭でないことには、やがて、鬱にもなってしまうことだろう。それだからと言って、
仕事を休むことも ままならず、医者に通うのも躊躇い続け、
最後は、人生そのものが転落していき、最低限レベルの生活を することすら困難となる、そんな事態も、現代日本の民衆に あり得ることとなって久しい。
世界有数の金持ち国にて生育しているはずの小児たちが餓えることも、殺められ、行方知れずになることも、さほど まれな現象で なくなった。
何々の「宮」と生まれ、名付けられた、ただただ それゆえに、とびっきり高価な宝冠で飾られて当然とされる、どう見ても、普通の人にしか見えない、何の実績もない若い女性。
あまりに強烈な対比の構図には、感想のコトバも容易には出てこない。
相変わらずの「ヤフー」名物(?)醜悪コメント勢揃いコーナーのなかには、
「天皇外交」の おかげで日本は云々と、むやみに有難がっている者が いるけれど、
カン違いしては いけない。
天皇家や皇室の外交というものは、基本的に日本国として、友好関係を確立できている相手国以外へは赴かせるはずがないのだ。
したがって、すでに友好関係に あると見做されている相手国との親睦を深める意義は少しは あるにせよ、
あたかも、国家間外交を、天皇家や皇室が切り開き、揺るぎなく良好な関係を築いているかのような有難がりは、これまた、あまりに短絡的で滑稽である。
むしろ、過去の歴史を少しでも振り返れば分かるように、
各時代の権力筋が、邪まに利用するため、つごうのいい存在となる危険性のほうが圧倒的に高かったわけだ。明確に主権を有していた時代の天皇でさえもだ。
それにしても、
現天皇の、先日の発表で吐露された「全身全霊」という、それは、
いったい誰が判断するのだろうか。
最悪のケースから考慮してみれば、
もし、どう見ても、「全身全霊」とは言えない、それどころか、傍から見ていても、普通、 まとも、とすら言えないほどの事態になったとしても、
天皇ご本人が、
「いーや、自分としては全身全霊で やってますので!」
と主張するなら、それが全てでしかないわけだろうか?
あるいは逆に、
ほんとうは「全身全霊」とまで いかなくても、
傍目には、じゅうぶんに、そのように見える演技力がキモになるだろうか。
当人の心情や状態と、外から見ている他者の受け止めが乖離していることも よくあること。
だいたい、精神を守るための自然の摂理で、
人間いつもいつも「全身全霊」が持続するはずも なく、
面識もない他人の幸せを つよく願い続け、不幸事には、深く心塞ぐような状態を続けておれるとしたら、それこそ「超人」と呼ぶに ふさわしいだろうが、あり得ない。
そんな状態を長年にわたって続けていたら、
ふつうに人間ならば、遠からず、
「燃え尽き症候群」
のごとくになってしまうはず。
ならば、
「全身全霊」と言っても、
自分個人の判断で、そうだと主張しているに過ぎないのではないか。
「全身全霊で」というのは、きれいごとではないのか。
いまの天皇さんは、いわゆる国事行為よりは、被災地訪問等の直接の「お出まし」公務を最重視なさっておられるようだが、
実際は、被災現地では、天皇や皇族を迎えるための準備で、かえって、負担が増すと言っていた。
そのへんは、どのように お考えなのだろうか。
もちろん、お顔を拝めたとて、リクツ抜きで感激する人たちは少なくないのだろう。
一般に、高齢者(特に地方の)は、自民党シンパと同様、天皇・皇室崇拝者が多いと聞くし、それでなくとも、大衆というものは、
それが天皇や皇族でなかろうと、ただ、有名人を、じかに見ることだけで喜ぶものだ。
もし、自分自身が被災したからといって、天皇さんや皇族がたの見舞いを受けても、何ら助けにならんし、べつに嬉しくもない、と思う私のほうが、現時点で圧倒的に少数派なのだろうけれど。
「静かなる革命」の実行者たる現天皇は、おそらく、以前までの天皇とは異なる、「新しい天皇像」を確立すべきと、邁進してこられたのだと察している。そうしなければ ならない時代の立場でも あった。
もし、天皇さんが、私の目の前に おられたら、ぜひ質問してみたいのは、
「皇室の伝統」とは、
なかんづく、皇室神道の祭祀の位置づけのことは、いかなることだと考えておられるのか?
ということ。
おそらく、ご本人自身、明確に応答することは できないだろうし、避けられるだろうが、
もちろん、皇室祭祀は、宗教行為そのものであり、
「(国民統合の)象徴」として位置づけている憲法のイの一番に掲げられる天皇が執り行うこととしては、日本国憲法に反するはずなのだ。
ことに「大嘗祭」は、莫大な費用が かかるそうだが、
これに対して、国費・税金を充当することも大きな問題であるのは明白だ。
そのうえで、なお敢えて、皇室を存続させたいのであれば、今後の天皇と皇族には、現天皇に ひけを取らない以上の人望を獲得でき続けなければ、たちまちにして、存続は危ぶまれ、
従来から ある、「天皇・皇室、いらない」という声が高まってしまうだろう。
つくづく、後継の かたがたには酷な話だと思う。
結局、どの方角から検討してみても、皇室の存続には、無理が あり過ぎるし、解決できない大き過ぎる矛盾が横たわっているのである。
だから、いずれは潰えていく家だ、と言ったのだ。
ま、『一世一元』という、敗戦後、一度は廃され、長らく そのままになっていたものをば、例の『日本会議』の猛烈な働きかけによって、再び制度化されるに至ったという この法が、
このたびの天皇さんの、ご存命中の「退位」という趣旨の発言によって、あえなくワヤになりそうな雲行きに立ち至ったことについては、
私としては痛快至極である。
およそ天皇家発の出来事で、これほど愉快を覚えたことは、これが初めてだ。(笑)